ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

百人一首21〜30

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ー27ー 

みかの原 わきてながるる 泉河 いつ見きとてか 恋しかるらむ  中納言兼輔 

<新古今集巻十一(恋一)「題しらず」>

・・・・・・・・・・・・・・
みかの原を分けて
湧き出て流れるいづみ川ではないが
いつ見た いつ逢った
ということで
どうしてこれ程恋しいのだろうか
・・・・・・・・・・・・・・
まだ見ぬ女性へおくる、みずからの片思いの恋心を不思議がる気持ち。

みかの原 わきてながるる;

「いつみ(何時見)」を導く序詞。
「みかの原」は京都府相楽郡を流れる木津川の北岸一帯。
「わき」は四段活用動詞「わく」の連用形で「分く」(分け進む)意と、「湧く」(水の湧き出る)意との掛詞。
「て」は接続助詞。
「流るる」は下二段活用動詞「流る」の連体形。
「いづみ川」は今の木津川で、「いづみ」は「湧く」の縁語。

いつ見きとてか 恋しかるらむ;

「いつみき」は何時出逢ったかの意。
「いつ」は時の不定称代名詞。
「み」は上一段活用動詞「見る」の連用形。
「き」は過去の助動詞終止形。
「とて」は・・・といっての意の格助詞。
「か」は疑問の係助詞で、結びは現在の理由推量の助動詞「らむ」の連体形。ドウシテ・・・ノダロウ。
「恋しかる」は形容詞「恋し」のカリ活用連体形。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下<転載記事>『千人万首・小倉百人一首 注釈』より。

◇みかの原 三香原、瓶原、甕原などと書く。京都府相楽郡。聖武天皇の時代に一時都が置かれた(歌枕紀行参照)。甕(みか)を埋めたところから水が湧き出たとの古伝があると言う。

◇わきてながるる 野を分けて流れる。上記古伝に基づき「わきて」を「湧きて」の意とする説もあるが、和歌には甕の伝説を反映した作例が無い。万葉集に「泉河渡りを遠み」「泉河渡り瀬深み」と川幅の広さ・水量の豊かさを謳われた歌枕泉川には「(野を)分きて」と解する方が相応しく、また心を裂くような切ない恋の心象風景としてもこの方が相応しい。但し「湧き」は「泉」の縁語なので、その限りにおいて「湧き」の意が掛かることになる。

◇泉河 今の木津川にあたる。同音反復より「いつ見き」を導く。

◇いつ見きとてか いつ逢ったからというので。「見」はここでは逢瀬を遂げることを言う。
・・・・・・・・・・・・・・
【ゆかりの地】
泉川 木津川。
鈴鹿山脈に発し、京都盆地南部を流れて淀川に合流する。
かつては今よりもずっと川幅広く水量豊かな河川で、奈良時代には平城京を難波と結ぶ交通の大動脈であった。一時期、河畔に聖武天皇の都が置かれた(恭仁京)。
「何時」「出づ」の掛詞として、またその名が喚起するイメージの美しさゆえに、盛んに用いられた歌枕である。

古今集読人不知歌
「都いでて 今日みかの原 いづみ川 かは風さむし 衣かせ山」も名高い。
・・・・・・・・・・・・・・
作者
藤原兼輔 877〜933は右中将利基の子。
25三条右大臣の従弟。
息子の雅正・清正は共に勅撰集入集歌人。
57紫式部は曾孫にあたり、98家隆も末裔である。
 醍醐天皇の寛平九年(897)七月昇殿を許され、同十年正月、讃岐権掾に任官。その後、左衛門少尉・内蔵助・右兵衛佐・左兵衛佐・左近少将・近江介・内蔵頭などを歴任し、延喜十七年(917)十一月、蔵人頭となる。同二十一年正月、参議に就任し、延長五年(927)正月、従三位権中納言。同八年、中納言兼右衛門督。承平三年二月十八日、薨。五十七歳。
 紀貫之・凡河内躬恒ら歌人と親しく交流し、醍醐朝の和歌隆盛期を支えた。鴨川堤に邸宅を構えたので、堤中納言と通称された。三十六歌仙の一人。家集『兼輔集』がある。
 百人秀歌では36番目になり、一つ前の三条右大臣と合せられる。
・・・・・・・・・・・・・・
【覚書】歌題を「未逢恋」(未だ逢はざる恋)とするか「逢不逢恋」(逢ひて逢はざる恋)とするか、説が分かれる。「いつみきとてか」につき、実際一度も逢ったことがないと解すれば「未逢恋」、いつ逢瀬を遂げたか分からないほど永く逢っていないと解すれば「逢不逢恋」となるのである。新古今集では恋一の七首目に置かれ、恋の初期段階における歌として撰入されていることが明らか。
 なお出典は古今和歌六帖「川」の項であるが、兼輔作の歌のあとに作者名を記さず載せられている歌の一つであり、作者を兼輔とする根拠は乏しいようである。
・・・・・・・・・・・・・・
【他の代表歌】
人のおやの 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな  (古今集)
みじか夜の ふけゆくままに 高砂の 峰の松風 ふくかとぞきく  (後撰集)

【主な派生歌】
みかの原 ながるる河の いつみきと おぼえぬせにも ぬるる袖かな
 (藤原基家)
泉川 こまのわたりの とまりにも まだ見ぬ人の 恋しきやなぞ
 (「夫木抄」)
いづみ川 ゆくせの波の 程にのみ ききこし人に 恋ひやわたらむ
 (宗尊親王)
春はただ みきともいはじ 泉河 わきてかすめる 波の上の月
 (慶運)
泉川 こほりにけりな ゆく水の わきて流るる かたもなきまで
 (二条良基)
かけとめよ 雲まの月を 三かの原 袂にわきて いづみ川なみ
 (正徹)
ほのかにも 山より月の いづみ川 ひかりぞ四方に わきて流るる
 (三条西実隆)
袖かけて 夕波すずし いづみ川 秋のこころや 分きてながるる
 (上冷泉為和)
みかの原 こよひの月の 光さへ わきてながるる いづみ川かな
 (松永貞徳)
泉川 わきて秋こそ かなしけれ はらへばむすぶ かせの山霧
 (加納諸平)
・・・・・・・・・・・・・・・・
ー24−

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに  菅家  


<古今集・巻九・旅に前書きとして「朱雀院の奈良におはしましける時に手向山にて詠める」とあるのが出典。>


・・・・・・・・・・・・
このたびの旅は

あわただしく立ちましたので

幣の用意も出来ませんでした

今峠の紅葉は

錦と見まちがうほど美しいので

どうか私の捧げる幣として

御心のままにお受けとりくださいませ
・・・・・・・・・・・・・


菅家は菅原道真。
「朱雀院」宇多上皇が昌泰元年(898)十月、吉野の宮滝を御覧に行幸の際
お供して手向山で詠んだ、というのであるが、「手向山」がどこにあるのかというには、諸説があり、大和から山城へ越える奈良山の峠だといわれているが定かではない。

道真はまたこの旅で『宮滝御幸記略』を書き、そのなかで詩を作り

不定前途何処宿 白雲紅樹旅人家
満山紅葉破小磯 況浮雲遇足下飛
寒樹不知何処去 雨中衣錦故郷帰 とある。

行くあてもないどこに宿ろう。
白雲のかかる紅葉の樹下が宿だ。
全山の紅葉にはびっくりした。
白雲が足下を飛び去るのは仙界にある思いだ。
みすぼらしく枯れた木々は何処へ行ってしまったか、
折から降り出す雨のなかを
全山紅葉の錦衣をまとって昔懐かしい、里べに帰ってくる。・・・・・

という意味。

まことに自由闊達な筆致だ。
それに比べ、歌の方は調べがつたなく、驚きをあらわに出してしまって、
詠み収められない感じさえする。
しかし、そういうところが、かえって作者の素朴さを出したといわれる。

ちなみに道真この時五十四歳、権大納言・右大将、翌年には右大臣に任ぜ
られるのであるが、その絶頂期にあっての、神にも対した詠歌であった。

道真の祖父は、野見宿爾といわれるが、曽祖父は、菅原古人その四男が清公、その次男が是善、
三代ひとしく大学頭兼文章博士で道真は是善(これよし)の三男。
母は大伴氏の出で和歌に優れ
道真元服の折には、学業の成功を期待して

「久かたの 月の桂も 折るばかり 家の風をも 吹かせてしがな」
『拾遺集』と詠んだ。

「月の桂を折る」とは、官吏登用試験に及第すること
「家の風」とは、学者の家としての名誉である。
道真は、承和十二年(845)に生まれ延喜三年(903)に死去した。
幼児から文才卓抜で
『菅家文藻』は、十一歳の昨から収める。

「月夜見梅花」(月夜に梅花を見る)と題して、

月耀如春雪 梅花似照星  月の耀くは春雪の如し、梅花は照る星に似たり
可憐金鏡転 庭上玉房馨  あわれむべし金鏡転じて、庭に玉房の馨れるを

と、漢詩を詠んだ。
三・四句などの斡旋は少年のものではないだろうと言われるくらいである。

十八歳、文章生となり、
二十六歳、方略試(官吏登用試験)及第、以後、玄藩、少内記、兵部
少輔、民部少輔、式部少輔、
三十三歳、文章博士、
四十二歳、讃岐守に任じ、蔵人頭、宇多天 持読、
五十二歳、長女えん子入内女御、
五十三歳、権大納言兼右大将。

この年寛平九年(897)宇多天皇譲位、
醍醐天皇が十二歳で即位、道真は中宮太夫を兼ね、よく
昌泰元年には、右大将のままで右大臣に任じた。
ときの左大臣は二十九歳の藤原時平、道真とは
二十七歳の年齢差があって、感情的に反発するところがあろう。

藤原氏が代々繰り返してきた、他氏排斥の実行が水面下で着々と進んでいた。昌泰三年天皇は宇多上皇と図って、道真を関白とする詔を下したが、道真はそれを固辞する。

時平はこれを道真が現天皇を廃して、御弟斉世親王をを立てる企てがあるのだと非難し朝廷はその非難を受け入れて、道真を処断し、
延喜元年(901)正月二十五日、道真を太宰権師に左遷した。

道真の死去は、その翌々年で順風満帆の生涯と見えたであろうに、思いがけない最晩年二年余りの悲運のおとずれであったのはいたましいと、歴史物語『大鏡』は道真の左遷について語る。

「こち吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と

庭前の梅の花を見て詠んだ話は、今もって有名である。

道真は、学者として異例の出世の後に政界に出たが、たちまち藤原氏の排斥にあって惨敗した。

本領はやはり学問にあって『類聚国史』『三代実録』編集の功と共に自選の『菅家文草』
『菅家公集』『菅家集』の編集などは、日本漢文学史上忘れることの出来ない業績であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このたびは;

「こ」は指示代名詞。
「の」は格助詞、連体修飾語を示す。
「たび」は「度」と「旅」との掛詞。

幣もとりあへず;

御幸のお供として、あわただしいお召しで出立」したので、幣の準備も十分に出来なかったことをいう。
「ぬさ」は、小さく切った絹布・紙で作って神にささげるもの。ここは旅の道中の神に供えるもの。
「とりあえず」は(用意を)十分しきれないで(動詞未然形「とりあへ」+助動詞連用形「「ず」)と、さしあたって(副詞「とりあへず」)の意の掛詞。副詞の方は第五句を修飾。
「手向山」は道中の峠で道の神に幣帛を「手向け」た(ささげた)ことからそこを手向山とよんだ。ここは奈良坂であろう。

紅葉の錦 神のまにまに;

「もみぢのにしき」は紅葉・黄葉を錦織りに見立てた比喩表現。
「にしき」は金・銀糸などで模様を織り出した織物。
「まにまに」は、・・のままにの意の副詞。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このたびの旅は
(御幸のお供をするあわただしさで)
お供えする幣帛も用意できませず
それでさしあたって
この手向山のもみじの美しい錦織りのようなのを
神の御心のままにおまかせします(から)
(幣帛としてお受け取りください)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


出典・転載元;
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に]・小倉百人一首 注釈(千人万首) >等より。
ー23ー 


月みれば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど  大江千里 おほえの ちさと 

<古今集巻四(秋上)「是貞のみこの家の歌合によめる 大江千里」>

・・・・・・・・・・・・・・・
月を見ると
あれこれさまざまに
ものみなすべて悲しく感じられることよ
わたくし一人だけのために来る
秋ではないのだけれど
・・・・・・・・・・・・・・・

秋の月を見ていると様々なことが悲しく感じられます、
私一人を悲しませるために秋が来るというのではないのですが。
・・・・・・・・・・・・・・・

月みれば 千々に物こそ 悲しけれ;

「みれ」は動詞「見る」の已然形、順接の接続助詞「ば」を接して偶然的な確定条件。
「ちぢに」は形容動詞「ちぢなり」の連用形、さまざまの意。
「千千に」は後の「ひとつ」と対照。
「こそ」は強意の係助詞、結びは形容詞「かなし」の已然形「かなしけれ」。
七五調。三句切。

我が身ひとつの 秋にはあらねど;

「わが身ひとつ」は擬物法。
「に」は断定の助動詞「なり」の連用形。
「は」は係助詞。
「あら」は補助動詞「あり」の未然形。
「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。
「ど」は逆接の接続助詞。
単に倒置法と考えず、言いさしとして「わが身一つの秋とおぼゆ」など補い味わう。

◇千々に 様々に。「ち」は数の多いこと。下句に「ひとつ」があることから、「千」と「一」が対比されているとも見られる。
◇物こそ悲しけれ さまざまな物事が悲しく感じられる。
形容詞「物悲し」(なんとなく悲しい意)の強調表現と見る説もある。
「こそ」「悲しけれ」は係り結び。
◇我が身ひとつの秋 私一人の秋。白氏文集の「燕子楼中霜月夜、秋来只為一人長」との関連を指摘する論者もいる。
・・・・・・・・・・・・・・・
大江千里;生没年未詳
備中守本主の孫(中古歌仙伝)。参議音人(おとんど)の子(少納言玉淵の子ともいう)。弟に千古がいる。
大学学生の後、元慶七年(883)備中大掾に任ぜられる。延喜元年(901)、中務少丞。同二年(902)、兵部少丞。同三年(903)、同大丞。学才の誉れ高かったが、官人としては生涯を通じて不遇であった。家集によれば、或る事件に連座して籠居を命ぜられる非運もあったらしい。
 漢学者として声望の高かった人で、その学才を和歌の創作に発揮した歌集『句題和歌』を宇多天皇に請われて献上している。これは『白氏文集』などの漢詩の詩句から翻案した和歌を集めたものであった。
本歌は、「月」と「我が身」、「千」と「一」といった対比も漢詩の対句に通ずる発想と言えようが、余り技巧は目立たず、漢詩的な詩想を和歌によく溶かし込んでいるといった印象を受ける。その意味でこそ作者の代表作と呼ぶに値しよう。
 かように作者は漢詩の影響が顕著であった和歌史上の一時代あるいは一傾向を代表する歌人と言えよう。藤原公任の三十六歌仙には漏れたが、藤原範兼の『後六々撰』に撰入され、中古三十六歌仙の一人に数えられる。(千人万首)

【主な派生歌】
詠むれば いとど物こそ かなしけれ 月は浮世の ほかと聞きしに
 (俊恵)
秋の月 ちぢに心を くだききて こよひ一よに たへずも有るかな
 (荒木田氏良[千載])
夕霧も 心のそこに むせびつつ わが身ひとつの 秋ぞ更けゆく
 (式子内親王)
いく秋を 千々にくだけて 過ぎぬらん 我が身ひとつを 月にうれへて
 (定家)
秋をへて 昔は遠き 大空に 我が身ひとつの もとの月影
 (〃)
千々におもふ 心は月に ふけにけり 我が身ひとつの 秋とながめて
 (藤原忠良)
ちぢにのみ 思ふ思ひも 心から わが身ひとつの 秋の夜の月
 (飛鳥井雅経)
ながむれば 千々に物思ふ 月に又 我が身ひとつの 嶺の松風
 (鴨長明[新古今])
月かげを わが身ひとつと ながむれば 千々にくだくる 萩のうへの露
 (後鳥羽院)
月みても 千々にくだくる 心かな 我が身ひとつの 昔ならねど
 (俊成女)
年を経て 我が身ひとつと 歎きても 見れば忘るる 秋の夜の月
 (為家)
妻こふる 我が身一つの 秋とてや 夜な夜な月に 鹿の鳴くらむ
 (式乾門院御匣[新続古今])
いつまでか 我が身ひとつの 出がてに 故郷かすむ 月をみるべき
 (二条為藤[新千載])
我ひとり 月に向かふと 思ひけり こよひの月を 誰か見ざらむ
 (香川景樹)




<出典・転載元;千人万首・[三木幸信・中川浩文著評解小倉百人一首]等より。>
ー22−

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐というらむ  文屋康秀 


<古今集・巻五・秋下・の詞書に「是定親王の家の歌合せの歌、文屋康秀」と、出ているのが出典。>


・・・・・・・・・・・・・・・・
山風が荒々らしく吹きおろすと
たちまち秋の草木がしおれ弱るので
なるほど山から吹きおろす風を
文字通り山風と書いて荒い嵐というのであろうか
これも納得とはいうものの
秋の山風の身に泌むことじゃわい
・・・・・・・・・・・・・・・・

吹くからに;

「吹く」と同時に、吹くやいなやの意。
「吹く」はは動詞連用形。
「からに」は・・・と同時にの意の時間的継起を表す接続助詞。この句は第三句」「しをるれ」に掛るので七五調にばる。

秋の草木の しをるれば;

「「秋」は陰暦(七・八・九月)とあるので、「嵐」が野分となることがわかる。
「の」は主語を表す格助詞。
「しをるれ」は述語で折れたわむ、しおれ弱る意。下二段活用動詞「しをる」の已然形で順接の接続助詞「ば」を接して確定条件を表す。

むべ山風を 嵐というらむ;

「むべ」はなるほど・道理での意(「うべと同意」)の副詞で、多くの推量の語(ここは「らむ」)で応じる。
「を」は動作(「いふ」)動作の対象を示す格助詞。
「嵐」は激しく吹く風で、ここは「嵐」と「荒し」(hげしい意)の掛詞。山。風を一字に組合せて嵐としゃれたもの。
「と」は引用を示す格助詞。
「いふ」は動詞終止形。
「らむ」は現在の理由を推量する助動詞終止形。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    
山風を嵐というらむ、という頓知は、現代では中学生でも興味が薄いだろうがこれも『古今』的な漢字を分析して文章にした、お遊びでの一つで、紀友則の歌にも、

「雪ふれば 木毎に花ぞ 咲きにける いずれを梅と わきて折らまし」

と詠んでいる。

王朝の時代では花といえば、桜より梅であった。
梅という字を分析して「木毎に花」と言いかぶせている。

この歌は、理屈めいて現代人の共感を呼ばないものと貶められがちであるが、名歌佳作ばかり並べられると息苦しくなるものである。時にこういう気を抜いて気楽なのも好ましく、古来、ふしぎに人々に愛されている。
また覚えやすい歌なのでカルタ会の人気も高い。

駄作のように見えつつ、古来、人に愛される歌のふしぎな一徳であろう。
『古今集』の撰者たちとしては、この歌にこもる晩秋の山風の凄さを、とりたかったのではないだろうか「秋歌上」の冒頭にも風の歌を配しているので、それに対応させたのであろう。

秋風の歌は、立秋の日の初秋の風を詠む。
これも人口に膾炙した名作で、私はこの歌が好きである。

「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」 藤原敏行

日中はひざしも強く、残暑さりがたいのに、折々ふと風の肌ざわりが鋭どくなってきている。
おおこの風はもう秋の風だ・・・・・とハッと気づくのである。

いかにも美しい初秋の歌。やがて秋は
次第にたけ、吹く山風の音も物凄くきかれる、そういうときのために文屋康秀 の歌はある。

ところで、このむべ山風の歌、作者は、実際は康秀ではなく、その子の朝康であろうというのが、近来の定説になっている。

何種類かの古写本には「あさやす」と書かれているそうである。

また是定親王は、光孝天皇の第二皇子、その歌合せは寛平初年ごろか(889・890)といわれる。

文屋康秀は、そのころには生存していたとしてもかなりの老齢であって、年齢的にも息子の朝康の作とした方が無理がない。
というもの。
朝康も百人一首に入っている歌人である。
(37番)康秀の方は、生没年未詳であるが、九世紀中ごろの人らしく三河、山城などの三等地方官を経て、縫殿助に至る。

まあ、パッとしないお役人で生涯を終えたが、歌の方では六歌仙の一人に数えられている『古今集』の序で紀貫之の評は、中々からい。

「文屋康秀 は、詞たくみにて、そのさま身におよばず。
いはば、商人のよき衣着たらむがごとし」
康秀は、詩句の使い方巧いが、内容がともなわない。
いうなら、商人が立派な衣装に身を飾ったようなもので、
中身に品がない・・・・・と、ボロクソに言われている。

その上、
「序」にひかれてた「吹くからに」の歌は「野辺の草木のしをるれば」となっており、歌は違うわ、作者は息子とまぎれるわ、で、この歌はなんともあやふやである。
伝承されているうちに、転々と変貌していったのかも知れない。それだけ民衆に愛されたということであろうか。

この康秀、一つだけ色っぽいエピソードをのこしている。
同年代の女流歌人で、同じく六歌仙の一人
小野小町と仲が良かったらしく、
(小野小町のボーイフレンドは、遍照や業平をはじめ多いが・・・)

三河の国の三等官になって赴任する時に小野小町を誘った。
「どうだい、田舎見物に行かないか、
行こうよ、いいだろう、おれと一緒にさ」と


小町は歌で返事を返した。

「わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘う水あらば いなむとぞ思ふ」

そうね、面白くないのよ、この頃。浮草みいたいに根なし草になって、水の誘うままにどっかへ出かけたい気分よ。
と思わせぶりな返歌を返した。

だがその思わせぶりな口ぶりとはうらはらに、触れなば落ちんという風情の女に限って、口だけのようである。・・・・・ですよね。
「いなむとぞ思ふ」で、そんなことを空想して思ふだけであろう。
いつの時でも美女たるものは、自分に好意をよせる男に、残酷になれるのである。


【作者】
文屋康秀、生没年未詳。縫殿助宗干の子。朝康の父。微官ながら、機知、技巧に長じた王朝初期の
歌人。伝記、その他不詳。六歌仙の一人。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【主な派生歌】
冬のきて むべ山風の あらしより 雪ぞ木のはに 散りかはりける
 (慈円)
ふくからに むべ山風も しほるなり いまはあらしの 袖を恨みて
 (藤原家隆)
しをるべき よもの草木も おしなべて 今日よりつらき 荻の上風
 (藤原定家)
木の葉ちる むべ山風の あらしより 時雨になりぬ 峰の浮雲
 (藤原有家「新拾遺」)
山姫の ころも秋かぜ ふくからに 色ことごとに 野べぞなり行く
 (後鳥羽院)
草の原 つゆのやどりを 吹くからに 嵐にかはる 道芝のしも
 (〃)
山かぜの 木の間の雪を ふくからに 心づくしの 冬の夜のつき
 (〃)
ふくからに 身にぞしみける 君はさは 我をや秋の 凩の風
 (八条院高倉「新勅撰」)
あふ坂や 木ずゑの花を 吹くからに 嵐ぞかすむ 関のすぎむら
 (宮内卿「新古今」)
住みわぶる むべ山風の あらし山 花のさかりは 猶うかりけり
 (藤原為家)
神な月 けふは冬とて 嵐山 草木もむべぞ 吹きしをるらむ
 (〃)
草木吹く むべ山風と 聞きしかど 猶ぞかりねの 袖はしほるる
 (〃)
草も木も さぞなあらしの 山風に ひとりしをれぬ 荻のおとかな
 (道助法親王)
草木ふく むべ山かぜの 夕ぐれに しぐれてさむき 秋のむら雲
 (宗尊親王)
吹くからに 秋の光の あらはれて むべ山風に すめる月哉
 (二条為明「新千載」)
吹きにけり むべも嵐と ゆふ霜も あへずみだるる 野べのあさぢふ
 (堯孝)
しをれこし 秋の草木の 末つひに たへぬ嵐の 冬はきにけり
 (三条西実隆)
吹きしをる 秋の草木の 色よりも 冬ぞあらしの 音ははげしき
 (中院通村)



出典・転載元;
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に]・小倉百人一首 注釈(千人万首)・・[三木幸信・中川浩文著評解小倉百人一首 >等より。

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