ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

哲学

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
《nog*t*ra》さんのブログ  




《抜粋転載》‘我々はどこから来たか’ ‘我々は何者であるか’ ‘我々はどこに行くのか’ は、誰もが考えるべき命題でしょうね。しかし、日本人には無理でしょうね。内容が非現実 (考え) だからです。
それは、外見のことでしょう。アニマルと同次元の個体差のことでしょう。レンズを通して見えるものに重大な違いというものはありませんね。
人間の個性は非現実 (考え) の内容であるべきでしょう。これはレンズを通しても見えません。その内容は単なるお話であるから、理解を通してしか違いを知ることができませんね。この非現実の内容が重要です。非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それは創造力を発揮したことになります。理想社会の建設も可能になります
自分の内面を相手の内面と比較すれば、個性の違いはわかりますね。ですから、意見交換は大切ですね 無哲学・能天気は良くないですね。実力・実感以上の内容が、我々には欠けているのではないでしょうか。《抜粋転載了》







《抜粋転載》 そうですね。<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。《抜粋転載了》

《抜粋転載》>二つ目は、ここでは何度も話している話題なので、説明は省略しますが、ITゼネコンと呼ばれる大手IT企業だけでなく、家電や自動車を作っているハードウェアメーカーまでもが、同じように「(理系の大学を出た)正社員が仕様書を書き、下請けの(安月給の)プログラマーがコードを書く」という根本的に間違ったソフトウェアの作り方をしているため、優秀なエンジニアが育たないし、良いソフトウェアが作れないのです。序列社会には、老舗が多く残っていますね。
>三つ目は、日本の大企業とベンチャー企業の両方に当てはまる話ですが、「こんな世界を作ろう」「自分たちの存在目的は何か」というビジョン(=企業理念)に欠ける会社が多いため、良い人も集まらないし、ビジネスプランも定まらないのです。
>ソニーやホンダなどの日本の高度成長期を支えた日本企業も、創業者が存在した時期は、しっかりとしたビジョンのあった会社でしたが、創業者がいなくなり、サラリーマンが経営者をするようになり、ビジョンも薄れ、売り上げやシェアばかり追いかける、面白くない企業になってしまいました。《抜粋転載了》

《抜粋転載》英語の ‘engagement’ は、日本語の ‘関わり’ のような単語かもしれませんね。 日本人のように無哲学・能天気では、自ら考えて決めた夢は持てませんから、’夢の実現に夢中’ など夢のまた夢でしょうね
日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱で、仕事のスピードが遅くなり、環境の変化や想定外の事態への対応が後手後手に回ってしまっているのでしょう。
>日本企業の“失敗”の3大症状をまとめてみます。
>症状1:競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう。
>症状2:時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう。
>症状3:社内は保身に走る「指示待ち族」ばかりになっている
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。だから、他人の指示を待つことになる。
意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制がなく、日本人には意思がない。
仕方がないので、‘無為無策’ でいる。日本人は、おとなしい。’座して死を待つ’ のか。
自己の意思を示す人は、当事者・関係者になる。示さない人は、傍観者にとどまる。’わが国は、世界の中にあって世界に属さず’ と言ったような関わりのない状態か。
変化に対応するのは頭を使わなくてはならないから、大変な仕事ですね。猿真似は、わが国の得意技でしたね。一段と、低い水準の脳の持ち主でも行える活動ですね。
夢は、日本人の妄想ですね。真実の内容は見ることができる。夢のように万人が現実に見ることができないものは、嘘にしかならない。これは日本式の判断法です。
日本人の考え方は、英米人と違います。特に、非現実 (考え) の内容に対する評価が違います。ですから、’この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない’ ということになります。

我々日本人も、日本語と英語をよく勉強して、非現実の内容 (哲学) に対する理解を深め、その価値を認識するようになれば、現今の失敗の解決も容易になることでしょう。《抜粋転載了》
《nog*t*ra》さんのブログ  


《抜粋転載》 そうですね。<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。《抜粋転載了》







《抜粋転載》>二つ目は、ここでは何度も話している話題なので、説明は省略しますが、ITゼネコンと呼ばれる大手IT企業だけでなく、家電や自動車を作っているハードウェアメーカーまでもが、同じように「(理系の大学を出た)正社員が仕様書を書き、下請けの(安月給の)プログラマーがコードを書く」という根本的に間違ったソフトウェアの作り方をしているため、優秀なエンジニアが育たないし、良いソフトウェアが作れないのです。序列社会には、老舗が多く残っていますね。
>三つ目は、日本の大企業とベンチャー企業の両方に当てはまる話ですが、「こんな世界を作ろう」「自分たちの存在目的は何か」というビジョン(=企業理念)に欠ける会社が多いため、良い人も集まらないし、ビジネスプランも定まらないのです。
>ソニーやホンダなどの日本の高度成長期を支えた日本企業も、創業者が存在した時期は、しっかりとしたビジョンのあった会社でしたが、創業者がいなくなり、サラリーマンが経営者をするようになり、ビジョンも薄れ、売り上げやシェアばかり追いかける、面白くない企業になってしまいました。《抜粋転載了》

《抜粋転載》英語の ‘engagement’ は、日本語の ‘関わり’ のような単語かもしれませんね。 日本人のように無哲学・能天気では、自ら考えて決めた夢は持てませんから、’夢の実現に夢中’ など夢のまた夢でしょうね
日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱で、仕事のスピードが遅くなり、環境の変化や想定外の事態への対応が後手後手に回ってしまっているのでしょう。
>日本企業の“失敗”の3大症状をまとめてみます。
>症状1:競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう。
>症状2:時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう。
>症状3:社内は保身に走る「指示待ち族」ばかりになっている
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。だから、他人の指示を待つことになる。
意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制がなく、日本人には意思がない。
仕方がないので、‘無為無策’ でいる。日本人は、おとなしい。’座して死を待つ’ のか。
自己の意思を示す人は、当事者・関係者になる。示さない人は、傍観者にとどまる。’わが国は、世界の中にあって世界に属さず’ と言ったような関わりのない状態か。
変化に対応するのは頭を使わなくてはならないから、大変な仕事ですね。猿真似は、わが国の得意技でしたね。一段と、低い水準の脳の持ち主でも行える活動ですね。
夢は、日本人の妄想ですね。真実の内容は見ることができる。夢のように万人が現実に見ることができないものは、嘘にしかならない。これは日本式の判断法です。
日本人の考え方は、英米人と違います。特に、非現実 (考え) の内容に対する評価が違います。ですから、’この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない’ ということになります。

我々日本人も、日本語と英語をよく勉強して、非現実の内容 (哲学) に対する理解を深め、その価値を認識するようになれば、現今の失敗の解決も容易になることでしょう。《抜粋転載了》

《抜粋転載》そうですね。小異 (現実) を捨てて、大同 (非現実) につく必要がありますね。さすれば、大同団結が可能になります。’あるべき姿’ (非現実) の実現に情熱を燃やす主権者が求められています。
野党勢力は、無哲学・能天気なのでしょう。非現実の内容を実現することには、関心がないのではありませんか
日本人は、政治が苦手ですからね。考え (非現実) ることは、苦手ですからね。非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それは時代の創生となります。
現実は、頭の外にある。その内容は、見ることができる。日本語は、写生画のための言語である。ただ、現実のみを描写する。だから、浅はかな感じがする。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。理解が必要である。世界観となる。その内容は奥が深い。思慮深い人間の発言になる。
日本人の判断によれば、見ることのできる内容は、’本当’ のこと (真実) である。見ることのできない内容は、’嘘’ である。
誰も嘘つきにはなりたくない。だから、誰も自分の考え (非現実) を述べることはしない。だから、日本人は、‘考える人’ にはならない。
日本人には、世界観がない。だから、話が奥深くない。自他ともに世界観 (考え) 比べができない。それで、日本人は議論に興味が持てない。ともすれば、’数合わせ’ で物事の決着を図る。
文法に時制 (tense) というものがあると、非現実の内容を文章にすることが可能になる。時制は、英語にあって、日本語にはない。非現実の世界は、過去・現在・未来の独立した三世界があって世界観 (world view) と呼ばれている。非現実の内容を文章にする構文が文法にあると、どうしてもその内容を考えずにはいられなくなる。だから、人間は‘考える人’ になる。そして、英米人にとっては、高等教育が大切な非現実の教育 (哲学) になる。これは、日本人の実学 (技術) 重視の姿勢と対決している。時制のない日本語を使う人は、英米流の高等教育が役立たない。日本語脳の持ち主は、英米流の教育についてゆけない。だから、英米留学は、日本人に人気がない。
我々日本人は、日本語と英語を学んで時制の大切さを理解して、思慮ある人間としての言動を身につけなくてはならない。《抜粋転載了》

《抜粋転載》それは、無理解を前提としているからでしょう。様々な価値観の渦巻く世の中で、無理解に起因する対立は避けなくてはなりませんね。相互理解が大切ですね。理解への努力は、文化人類学の道に通じていますね。《抜粋転載了》
《nog*t*ra》さんのブログ  


《抜粋転載》>二つ目は、ここでは何度も話している話題なので、説明は省略しますが、ITゼネコンと呼ばれる大手IT企業だけでなく、家電や自動車を作っているハードウェアメーカーまでもが、同じように「(理系の大学を出た)正社員が仕様書を書き、下請けの(安月給の)プログラマーがコードを書く」という根本的に間違ったソフトウェアの作り方をしているため、優秀なエンジニアが育たないし、良いソフトウェアが作れないのです。序列社会には、老舗が多く残っていますね。
>三つ目は、日本の大企業とベンチャー企業の両方に当てはまる話ですが、「こんな世界を作ろう」「自分たちの存在目的は何か」というビジョン(=企業理念)に欠ける会社が多いため、良い人も集まらないし、ビジネスプランも定まらないのです。
>ソニーやホンダなどの日本の高度成長期を支えた日本企業も、創業者が存在した時期は、しっかりとしたビジョンのあった会社でしたが、創業者がいなくなり、サラリーマンが経営者をするようになり、ビジョンも薄れ、売り上げやシェアばかり追いかける、面白くない企業になってしまいました。《抜粋転載了》







《抜粋転載》英語の ‘engagement’ は、日本語の ‘関わり’ のような単語かもしれませんね。 日本人のように無哲学・能天気では、自ら考えて決めた夢は持てませんから、’夢の実現に夢中’ など夢のまた夢でしょうね
日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱で、仕事のスピードが遅くなり、環境の変化や想定外の事態への対応が後手後手に回ってしまっているのでしょう。
>日本企業の“失敗”の3大症状をまとめてみます。
>症状1:競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう。
>症状2:時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう。
>症状3:社内は保身に走る「指示待ち族」ばかりになっている
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。だから、他人の指示を待つことになる。
意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制がなく、日本人には意思がない。
仕方がないので、‘無為無策’ でいる。日本人は、おとなしい。’座して死を待つ’ のか。
自己の意思を示す人は、当事者・関係者になる。示さない人は、傍観者にとどまる。’わが国は、世界の中にあって世界に属さず’ と言ったような関わりのない状態か。
変化に対応するのは頭を使わなくてはならないから、大変な仕事ですね。猿真似は、わが国の得意技でしたね。一段と、低い水準の脳の持ち主でも行える活動ですね。
夢は、日本人の妄想ですね。真実の内容は見ることができる。夢のように万人が現実に見ることができないものは、嘘にしかならない。これは日本式の判断法です。
日本人の考え方は、英米人と違います。特に、非現実 (考え) の内容に対する評価が違います。ですから、’この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない’ ということになります。

我々日本人も、日本語と英語をよく勉強して、非現実の内容 (哲学) に対する理解を深め、その価値を認識するようになれば、現今の失敗の解決も容易になることでしょう。《抜粋転載了》

《抜粋転載》そうですね。小異 (現実) を捨てて、大同 (非現実) につく必要がありますね。さすれば、大同団結が可能になります。’あるべき姿’ (非現実) の実現に情熱を燃やす主権者が求められています。
野党勢力は、無哲学・能天気なのでしょう。非現実の内容を実現することには、関心がないのではありませんか
日本人は、政治が苦手ですからね。考え (非現実) ることは、苦手ですからね。非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それは時代の創生となります。
現実は、頭の外にある。その内容は、見ることができる。日本語は、写生画のための言語である。ただ、現実のみを描写する。だから、浅はかな感じがする。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。理解が必要である。世界観となる。その内容は奥が深い。思慮深い人間の発言になる。
日本人の判断によれば、見ることのできる内容は、’本当’ のこと (真実) である。見ることのできない内容は、’嘘’ である。
誰も嘘つきにはなりたくない。だから、誰も自分の考え (非現実) を述べることはしない。だから、日本人は、‘考える人’ にはならない。
日本人には、世界観がない。だから、話が奥深くない。自他ともに世界観 (考え) 比べができない。それで、日本人は議論に興味が持てない。ともすれば、’数合わせ’ で物事の決着を図る。
文法に時制 (tense) というものがあると、非現実の内容を文章にすることが可能になる。時制は、英語にあって、日本語にはない。非現実の世界は、過去・現在・未来の独立した三世界があって世界観 (world view) と呼ばれている。非現実の内容を文章にする構文が文法にあると、どうしてもその内容を考えずにはいられなくなる。だから、人間は‘考える人’ になる。そして、英米人にとっては、高等教育が大切な非現実の教育 (哲学) になる。これは、日本人の実学 (技術) 重視の姿勢と対決している。時制のない日本語を使う人は、英米流の高等教育が役立たない。日本語脳の持ち主は、英米流の教育についてゆけない。だから、英米留学は、日本人に人気がない。
我々日本人は、日本語と英語を学んで時制の大切さを理解して、思慮ある人間としての言動を身につけなくてはならない。《抜粋転載了》

《抜粋転載》それは、無理解を前提としているからでしょう。様々な価値観の渦巻く世の中で、無理解に起因する対立は避けなくてはなりませんね。相互理解が大切ですね。理解への努力は、文化人類学の道に通じていますね。《抜粋転載了》

《抜粋転載》>プライドという言葉は、日本では、ポジティブに使われることが多いが、実はキリスト教では、罪の根源とみなされる7 deadly sins(大罪)の筆頭に挙げられている。その7つとは「傲慢」(pride)、「強欲」(greed)、「嫉妬」(envy)、「憤怒」(wrath)、「色欲」(lust)、「暴食」(gluttony)、「怠惰」(sloth)という感情や欲望だ。>元来、プライドは、自分の能力に対する過信、おごり、高ぶりを意味し、ほかの人の利益を犠牲にする極めて重大な罪であると考えられている。


‘上とみるか、下とみるか’ の社会的な判断に依存するのは、傲慢ということになりますね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。世俗的な序列判断を心得ていないと、我々は日本語も流ちょうにはならず、礼儀正しい日本人にもなりません。ですから、世俗的な序列判断の獲得は、正しい日本人になるための努力であると言いうことができます。世俗的な序列順位は責任順位と何ら関係がありません。ですから、この国がひっくり返った時にも、責任者は出ませんでした。とかく、この世は無責任です。責任観念のない烏合の衆は、むなしい限りです《抜粋転載了》
《nog*t*ra》さんのブログ  


《抜粋転載》英語の ‘engagement’ は、日本語の ‘関わり’ のような単語かもしれませんね。 日本人のように無哲学・能天気では、自ら考えて決めた夢は持てませんから、’夢の実現に夢中’ など夢のまた夢でしょうね
日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱で、仕事のスピードが遅くなり、環境の変化や想定外の事態への対応が後手後手に回ってしまっているのでしょう。
>日本企業の“失敗”の3大症状をまとめてみます。
>症状1:競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう。
>症状2:時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう。
>症状3:社内は保身に走る「指示待ち族」ばかりになっている
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。だから、他人の指示を待つことになる。
意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制がなく、日本人には意思がない。
仕方がないので、‘無為無策’ でいる。日本人は、おとなしい。’座して死を待つ’ のか。
自己の意思を示す人は、当事者・関係者になる。示さない人は、傍観者にとどまる。’わが国は、世界の中にあって世界に属さず’ と言ったような関わりのない状態か。
変化に対応するのは頭を使わなくてはならないから、大変な仕事ですね。猿真似は、わが国の得意技でしたね。一段と、低い水準の脳の持ち主でも行える活動ですね。
夢は、日本人の妄想ですね。真実の内容は見ることができる。夢のように万人が現実に見ることができないものは、嘘にしかならない。これは日本式の判断法です。
日本人の考え方は、英米人と違います。特に、非現実 (考え) の内容に対する評価が違います。ですから、’この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない’ ということになります。

我々日本人も、日本語と英語をよく勉強して、非現実の内容 (哲学) に対する理解を深め、その価値を認識するようになれば、現今の失敗の解決も容易になることでしょう。《抜粋転載了》






《抜粋転載》そうですね。小異 (現実) を捨てて、大同 (非現実) につく必要がありますね。さすれば、大同団結が可能になります。’あるべき姿’ (非現実) の実現に情熱を燃やす主権者が求められています。
野党勢力は、無哲学・能天気なのでしょう。非現実の内容を実現することには、関心がないのではありませんか
日本人は、政治が苦手ですからね。考え (非現実) ることは、苦手ですからね。非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それは時代の創生となります。
現実は、頭の外にある。その内容は、見ることができる。日本語は、写生画のための言語である。ただ、現実のみを描写する。だから、浅はかな感じがする。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。理解が必要である。世界観となる。その内容は奥が深い。思慮深い人間の発言になる。
日本人の判断によれば、見ることのできる内容は、’本当’ のこと (真実) である。見ることのできない内容は、’嘘’ である。
誰も嘘つきにはなりたくない。だから、誰も自分の考え (非現実) を述べることはしない。だから、日本人は、‘考える人’ にはならない。
日本人には、世界観がない。だから、話が奥深くない。自他ともに世界観 (考え) 比べができない。それで、日本人は議論に興味が持てない。ともすれば、’数合わせ’ で物事の決着を図る。
文法に時制 (tense) というものがあると、非現実の内容を文章にすることが可能になる。時制は、英語にあって、日本語にはない。非現実の世界は、過去・現在・未来の独立した三世界があって世界観 (world view) と呼ばれている。非現実の内容を文章にする構文が文法にあると、どうしてもその内容を考えずにはいられなくなる。だから、人間は‘考える人’ になる。そして、英米人にとっては、高等教育が大切な非現実の教育 (哲学) になる。これは、日本人の実学 (技術) 重視の姿勢と対決している。時制のない日本語を使う人は、英米流の高等教育が役立たない。日本語脳の持ち主は、英米流の教育についてゆけない。だから、英米留学は、日本人に人気がない。
我々日本人は、日本語と英語を学んで時制の大切さを理解して、思慮ある人間としての言動を身につけなくてはならない。《抜粋転載了》

《抜粋転載》それは、無理解を前提としているからでしょう。様々な価値観の渦巻く世の中で、無理解に起因する対立は避けなくてはなりませんね。相互理解が大切ですね。理解への努力は、文化人類学の道に通じていますね。《抜粋転載了》

《抜粋転載》>プライドという言葉は、日本では、ポジティブに使われることが多いが、実はキリスト教では、罪の根源とみなされる7 deadly sins(大罪)の筆頭に挙げられている。その7つとは「傲慢」(pride)、「強欲」(greed)、「嫉妬」(envy)、「憤怒」(wrath)、「色欲」(lust)、「暴食」(gluttony)、「怠惰」(sloth)という感情や欲望だ。>元来、プライドは、自分の能力に対する過信、おごり、高ぶりを意味し、ほかの人の利益を犠牲にする極めて重大な罪であると考えられている。


‘上とみるか、下とみるか’ の社会的な判断に依存するのは、傲慢ということになりますね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。世俗的な序列判断を心得ていないと、我々は日本語も流ちょうにはならず、礼儀正しい日本人にもなりません。ですから、世俗的な序列判断の獲得は、正しい日本人になるための努力であると言いうことができます。世俗的な序列順位は責任順位と何ら関係がありません。ですから、この国がひっくり返った時にも、責任者は出ませんでした。とかく、この世は無責任です。責任観念のない烏合の衆は、むなしい限りです《抜粋転載了》

《抜粋転載》現実の内容は頭の外にあり、これは見ることができる。非現実 (考え) の内容は頭の中にあり、見ることができない。だから、我々は、自分の考えを語らなくてはならない。しかし、日本人の判断では、見ることのできる内容は‘本当’ のことであり、見ることのできないものは ‘嘘’ である。だから、誰しも嘘つきにはなりたくない。そして、自分の考えを語ろうとは思わない。また、相手の考えを尋ねようとする人もいない。これが、疑心暗鬼の現状です。
我々は、考える人になりましょう。そして、我々の行き着く社会の有様を考えましょう。それには、非現実 (考え) の内容を表現する構文が必要です。文法に時制(tense) というものがあれば、非現実の内容は文章になります。文章には意味があります。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを表しています。矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えになります。現実の内容は一通りしかありませんが、非現実 (考え) の内容は無数にあります。文章の内容は、話の筋として頭の中に残ります。時制は、英語にはありますが、日本語にはありません。時制があれば、非現実 (考え) の内容は文章になって、脳裏に蓄えられます。ですから、我々日本人も日本語と英語の勉強をして時制の大切さを理解して、非現実 (考え) の内容を文章にして発表することに努めましょう。さすれば、我々の社会から疑心暗鬼も消えてなくな.るはずです。《抜粋転載了》
《nog*t*ra》さんのブログ  


《抜粋転載》そうですね。小異 (現実) を捨てて、大同 (非現実) につく必要がありますね。さすれば、大同団結が可能になります。’あるべき姿’ (非現実) の実現に情熱を燃やす主権者が求められています。
野党勢力は、無哲学・能天気なのでしょう。非現実の内容を実現することには、関心がないのではありませんか
日本人は、政治が苦手ですからね。考え (非現実) ることは、苦手ですからね。非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それは時代の創生となります。
現実は、頭の外にある。その内容は、見ることができる。日本語は、写生画のための言語である。ただ、現実のみを描写する。だから、浅はかな感じがする。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。理解が必要である。世界観となる。その内容は奥が深い。思慮深い人間の発言になる。
日本人の判断によれば、見ることのできる内容は、’本当’ のこと (真実) である。見ることのできない内容は、’嘘’ である。
誰も嘘つきにはなりたくない。だから、誰も自分の考え (非現実) を述べることはしない。だから、日本人は、‘考える人’ にはならない。
日本人には、世界観がない。だから、話が奥深くない。自他ともに世界観 (考え) 比べができない。それで、日本人は議論に興味が持てない。ともすれば、’数合わせ’ で物事の決着を図る。
文法に時制 (tense) というものがあると、非現実の内容を文章にすることが可能になる。時制は、英語にあって、日本語にはない。非現実の世界は、過去・現在・未来の独立した三世界があって世界観 (world view) と呼ばれている。非現実の内容を文章にする構文が文法にあると、どうしてもその内容を考えずにはいられなくなる。だから、人間は‘考える人’ になる。そして、英米人にとっては、高等教育が大切な非現実の教育 (哲学) になる。これは、日本人の実学 (技術) 重視の姿勢と対決している。時制のない日本語を使う人は、英米流の高等教育が役立たない。日本語脳の持ち主は、英米流の教育についてゆけない。だから、英米留学は、日本人に人気がない。
我々日本人は、日本語と英語を学んで時制の大切さを理解して、思慮ある人間としての言動を身につけなくてはならない。《抜粋転載了》








《抜粋転載》それは、無理解を前提としているからでしょう。様々な価値観の渦巻く世の中で、無理解に起因する対立は避けなくてはなりませんね。相互理解が大切ですね。理解への努力は、文化人類学の道に通じていますね。《抜粋転載了》

《抜粋転載》>プライドという言葉は、日本では、ポジティブに使われることが多いが、実はキリスト教では、罪の根源とみなされる7 deadly sins(大罪)の筆頭に挙げられている。その7つとは「傲慢」(pride)、「強欲」(greed)、「嫉妬」(envy)、「憤怒」(wrath)、「色欲」(lust)、「暴食」(gluttony)、「怠惰」(sloth)という感情や欲望だ。>元来、プライドは、自分の能力に対する過信、おごり、高ぶりを意味し、ほかの人の利益を犠牲にする極めて重大な罪であると考えられている。


‘上とみるか、下とみるか’ の社会的な判断に依存するのは、傲慢ということになりますね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。世俗的な序列判断を心得ていないと、我々は日本語も流ちょうにはならず、礼儀正しい日本人にもなりません。ですから、世俗的な序列判断の獲得は、正しい日本人になるための努力であると言いうことができます。世俗的な序列順位は責任順位と何ら関係がありません。ですから、この国がひっくり返った時にも、責任者は出ませんでした。とかく、この世は無責任です。責任観念のない烏合の衆は、むなしい限りです《抜粋転載了》

《抜粋転載》現実の内容は頭の外にあり、これは見ることができる。非現実 (考え) の内容は頭の中にあり、見ることができない。だから、我々は、自分の考えを語らなくてはならない。しかし、日本人の判断では、見ることのできる内容は‘本当’ のことであり、見ることのできないものは ‘嘘’ である。だから、誰しも嘘つきにはなりたくない。そして、自分の考えを語ろうとは思わない。また、相手の考えを尋ねようとする人もいない。これが、疑心暗鬼の現状です。
我々は、考える人になりましょう。そして、我々の行き着く社会の有様を考えましょう。それには、非現実 (考え) の内容を表現する構文が必要です。文法に時制(tense) というものがあれば、非現実の内容は文章になります。文章には意味があります。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを表しています。矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えになります。現実の内容は一通りしかありませんが、非現実 (考え) の内容は無数にあります。文章の内容は、話の筋として頭の中に残ります。時制は、英語にはありますが、日本語にはありません。時制があれば、非現実 (考え) の内容は文章になって、脳裏に蓄えられます。ですから、我々日本人も日本語と英語の勉強をして時制の大切さを理解して、非現実 (考え) の内容を文章にして発表することに努めましょう。さすれば、我々の社会から疑心暗鬼も消えてなくな.るはずです。《抜粋転載了》

《抜粋転載》そうですね。しかし、議論が出来なければ、問答無用の二項対立に終始せざるを得ませんね。世界観 (world view) がなければ、自他の世界観比べ (議論) は不可能ですね。
世界観は、考え (非現実) の内容ですね。非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることができない。その数は無数にある。
現実 (事実) の内容は、頭の中にある。見ることができる。数は唯一である。見ることのできる内容は、’本当’ のことである。そうでないものは、’嘘’ である。誰も嘘つきにはなりたくない。だから、自分の考え (非現実) の内容は明らかにしない。そして、議論にはなりません。
日本人には、現実があって非現実がない。唯一の正解があって、多数の正解がない。没個性があって、個性的な人々が存在しない。個性的とは、アニマルのような目の色や毛の色の違いではなく、考えの違いのことである。
文章があれば、意味もある。日本人は、ばらばらな単語のまま (小言・片言・独り言) で用事を済ませることが多いので、発言に意味がない。それでも用がたせるのは、聞き手の忖度 (推察) による。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるので、発言者に責任はない。とかく、この世は無責任。だから、議論にはなりません。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻語でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
非現実 (考え) の内容を文章にするためには、文法に時制 (tense) というものが必要である。時制のある文章は、非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。時制は、英語はあって、日本語にない。だから、日本人は考えの内容に注意を払わない。その結果、無哲学・能天気の状態になる。学問的に検証し、未来の展望を切り開くのが難しい。だから、我々日本人は、日本語と英語の学習を熱心に行い、時制のある文章内容の重要性を理解することが大切ですね。そして、文章内容を通して自己実現を目指しましょう。《抜粋転載了》

.
ニキタマの万葉集
ニキタマの万葉集
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事