ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

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万葉集 964

6 964;雑歌,作者:坂上郎女、羈旅,福岡,恋情,天平2年11月

[題詞]同坂上郎女向京海路見濱<貝>作歌一首

吾背子尓  戀者苦  暇有者  拾而将去  戀忘貝

我が背子に 恋ふれば苦し 暇あらば 拾ひて行かむ 恋忘貝 

わがせこに こふればくるし いとまあらば ひりひてゆかむ こひわすれがひ
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あの方に心引かれて苦しい

旅の暇に浜で拾って行こう

恋のつらさを忘れさせてくれるという忘れ貝を
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* 恋妻を失って呆然自失のあの人に拾ってあげたい恋忘貝。
* 「恋ふ」
上二段活用であるが、四段動詞の「乞ふ(請ふ)」と混同しやすいためか、平安期から四段活用も稀に見え、中世には四段活用の例がやや多くなる。
・上二段活用(恋ひ-恋ひ-恋ふ-恋ふる-恋ふれ-恋ひよ)
<個別へ> http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33224519.html

万葉集 963

6 963;雑歌,作者:坂上郎女、羈旅,福岡,望郷,恋情,天平2年11月

[題詞]冬十一月大伴坂上郎女發帥家上道超筑前國宗形郡名兒山之時作歌一首
(冬の十一月に、大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、帥(そち)の家を発(た)ちて道に上(のぼ)り、筑前(つくしのみちのくち)の国の宗像(むなかた)の郡(こほり)の名(な)児(ご)の山(やま)を越ゆる時に作る歌)

大汝  小彦名能  神社者  名著始鷄目  名耳乎  名兒山跡負而  吾戀之  干重之一重裳  奈具<佐>米七國

大汝  少彦名の  神こそば  名付けそめけめ  名のみを  名児山と負ひて  我が恋の  千重の一重も  慰めなくに 

おほなむち すくなひこなの かみこそば なづけそめけめ なのみを なごやまとおひて あがこひの ちへのひとへも なぐさめなくに
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大国主と少彦名の神々が名付けたという
その名は名児山(ナゴム)
といっても私の恋のつらさの千分の一もナグさめてくれないのに
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* 名児の山 ナチゴ山;

この歌は、大伴旅人の異母妹である坂上郎女が、旅人の妻の没後、大宰府に下っていたが、旅人の大納言遷任にともない、一足先に帰京したときの歌とされる。
一般的に長歌は、公的儀礼的な歌。

この歌も、「名児山の山の名は、神代の昔、国造りをした大国主命と少彦名命がはじめて名付けられた」
と、儀礼的に権威づけがなされている。

要は名門大伴一族の家刀自(いえとじての、道中の安全祈願であろう。

万葉集 962

6 962;雑歌,作者:葛井広成,大伴道足、太宰府,宴席,序詞,天平2年

[題詞]天平二年庚午勅遣<擢>駿馬使大伴道足宿祢時歌一首

奥山之  磐尓蘿生  恐毛  問賜鴨  念不堪國

奥山の 岩に苔生し 畏くも 問ひたまふかも 思ひあへなくに 

[おくやまの いはにこけむし かしこくも] とひたまふかも おもひあへなくに

[左注]右 勅使大伴道足宿祢饗于帥家 此日會集衆諸相誘驛使葛井連廣成言須作歌詞 登時廣成應聲即吟此歌
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奥山の岩に苔が生えているのは恐れ多いことです

そのように恐れ多い歌を詠めとおおせられますか

そう仰せられても困ってしまいます
(歌才、修練およばず、どうしようもないのに)
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天平二年(西暦730年)に大伴道足(おおとものみちたり)を大伴旅人の邸宅に招いたときのことです。集まった人々が、駅使(駅に用意された馬を乗り継いでゆく使者のこと)である葛井広成(ふじいのひろなり)に歌を作れといいました。これに応えて、葛井広成(ふじいのひろなり)が詠んだ歌です。

* 「苔生す」は時間の長さを表現。
<個別へ> http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33226012.html

万葉集 961

6 961;雑歌,作者:大伴旅人,太宰府,二日市温泉,妻,恋情

[題詞]帥大伴卿宿次田温泉聞鶴喧作歌一首
帥(そち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、次(すき)田(た)の温泉(ゆ)に宿(やど)り、鶴(たづ)の声を聞きて作る歌一首

湯原尓  鳴蘆多頭者  如吾  妹尓戀哉  時不定鳴

湯の原に 鳴く葦鶴は 我がごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く 

ゆのはらに なくあしたづは あがごとく いもにこふれや ときわかずなく

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湯の原で鳴いている葦鶴は

私が激しく妻を恋うかのように 

時も定めずにあのように鳴いている
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大伴旅人が亡き妻を偲び、鶴の声に自分と同じ妻を偲ぶ心を聞いて歌っていますが、鶴は夫婦仲が良いことから、鳴き声を聞いて妻を偲んだのでしょうか。
 * 「葦」は池や沼などに生えるイネ科の多年草。かなり大きくなり、3メートル近くまでにもなる。茎は硬く、中空で節がある。
葦(あし)という呼び名は、「悪(あ)し」を思い起こさせるので、後にヨシ(良し)に変えられた。植物分類学では「ヨシ」を標準和名としている。
* 「ごとく(ごと)」は比況の助動詞。活用語の連体形、助詞「が」「の」に付く。他のものごとと同一であることを示す。「〜と同じだ」。「〜の通りだ」。指定の助動詞「なり」には「ごとき」の他に「ごとく」「ごとし」からも続く。ごときなり ごとくなり ごとしなり
* 葦原で鳴く鶴は、姿が見えない。万葉の鶴は、一般に広々とした潟・海原・平野・河口などで歌われ、その飛翔の姿が詠まれている。
尾花や萩とは違って、うち続く葦原、風にそよぐ葦の中で、鳴く鶴は、美観とはおよそ遠いものである。蝉噪林逾静 鳥鳴山更幽ではないが(岩にしみいるせみの声)にみる寂寥を感じる。声高に鳴く鶴群の中で、静寂に包まれた孤独を浮き彫りにしている。
* 万葉仮名では、現在の「鶴」を多津、多豆と当て字している。
<個別へ> http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33226050.html

万葉集 960

6 960;雑歌,作者:大伴旅人、吉野,比較,鹿児島,黒瀬戸,関門海峡

[題詞]帥大伴卿遥思芳野離宮作歌一首
(帥大伴の卿の芳野の離宮(とつみや)を遥思(しぬ)ひてよみたまへる歌一首)

隼人乃  湍門乃磐母  年魚走  芳野之瀧<尓>  尚不及家里

隼人の 瀬戸の巌も 鮎走る 吉野の瀧に なほしかずけり 

はやひとの せとのいはほも [あゆはしる] よしののたきに なほしかずけり
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隼人の住む黒之瀬戸の急流も 

鮎走る 吉野の宮滝の激流には 

なおおよばない
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隼人の 薩摩の瀬戸を 雲居なす 遠くも吾は今 日みつるかも 
 (万葉集 巻三 長田王)

*「隼人の瀬戸」は阿久根と長島を分かつ急潮、黒之瀬戸。

* 720年(養老4年)にハヤト族の大規模な反乱が起こった。
時の朝廷は大伴旅人を将軍に役1万人の大群を送って制圧した。
そのときに斬首、捕虜にされた者が千四百余人と言われている。近くには止上神社がありハヤト族の古来の神社とも言われています。
ハヤトがその戦いの最後に立て篭もったのが曽於岩城(そのいわき)と比売乃城(ひめのき)と言われ、姫城という地名が今も残っている。
姫城の岩山は、いかにも古の兵たちが立て篭もった感じの岩山で、重久の隼人塚に立ち、止上神社を背に田圃を隔てた姫城の岩山を望むと、その昔、このあたりを闊歩していたであろう隼人の兵(つわもの)たちの姿、何処の感あり。
<個別へ> http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33228394.html

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