ロッキー山脈の麓にある、周囲から隔絶した小さな村、ドッグヴィル。 そこへある日、1人の若く美しい女性グレースが、ギャングたちから追われて逃げ込んでくる。村の青年トムの働きかけで、グレースは村人たちにかくまってもらうこととなるが、それにはグレースが村人全員に気に入られること、という1つの条件がついていた。 そこでグレースは、村人の1人1人を訪ねては彼らに無償で肉体労働を提供し、それまで閉鎖的だった村人たちも、次第に開放的になったかに思えたのだが…。 カンヌ国際映画祭で上映されると、キャスティング以上に、その舞台設定が話題になった。 床に記された白線や活字が、1つの町を表現していたから。数軒の建物が立ち並ぶという風景ながらドアも壁も天井もない。例えば、家へ入るとノブを回すフリをしてドアを開ける。白線が各敷地を区切り、活字が所有者や通りの名前を示してる。 (例:DOGとだけ書かれた犬小屋に犬はおらず鳴声だけが響く等)これが「ドッグヴィル」の全景。 物語はプロローグと9章のエピソードで綴られる。乱暴に言えば非常に“演劇的”で、実際撮影中はすべてのキャストが舞台上にいる(=生活している)ことになる。舞台のリハーサルを見させられているといったほうが伝わりやすいと思う。映画というよりむしろ小説を読んでいるかのような感じだった。 約3時間に及ぶ作品で、冒頭観た瞬間から、正直「暗い、取っ付き難い、無理!」と…。 が,話が徐々に進むにつれて変化する村人たちの心理描写や行為に、驚かされ引きずり込まれていくことに。。。 この作品、監督にとっても役者にとっても最大級のストレスがあったに違いない。俳優は普段の演技に加えて白線・活字・空中相手にリアクションをしなければならない。しかも超一流の役者ばかり。 オスカー女優、ニコール・キッドマンを使っている以上失敗をすれば全世界から誹謗中傷を受けることになる。 これらの俳優たちの生々しいイライラ感が役どころであるドッグヴィルの住人たちの増長していく醜悪さとなって表現されていた。 これでもかというくらい主人公に対して労苦を課す住人。狭い村と同じく狭い心の住人。主人公はそれを弱さの現われといって赦そうとする。 本当にこの映画の良いところは、人間の本質を鋭くとらえている点ではないのか。自分たちの集団に属さない人たちに対する対応、自分よりも弱者に対する対応、ドッグヴィルの人たちは、実は世界中にいるごく普通の人のように思える。それは、私かも知らんし、あなたかも知らん。閉鎖的な集団においては、映画ではデフォルメされているような出来事も、実は日常茶飯事かも知らん。 白線で描かれた町が、映画を見ていくうちにいつしか本当の町に見え、最初は分からなかった町の人たちの本当の姿を見てしまう。そして、いつしかそれを覚悟する。最後には、その姿を通して自分の本当の姿を見てしまうことになる。 「傲慢」と「権力」。。。行使することによって、優越する…そんな裏面も感じ取れる。 クライマックスは、めっちゃ【スカッと】した。こんな私も「傲慢」なのかも。。。(笑) この作品は、エンドロールに強烈な印象があり本編を忘れそうになった。。。 エンドロールに流れる写真の数々は、今までアメリカが生み出した歴史の真実を象徴してるように見て取れる。 「ドッグヴィル」の住人たちが、《犬以下》だということを…。 べいべ〜 評価…★★★★★
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