近代建築探訪

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でわ最終回。日本大通を歩きます。
まずは・・・

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横浜情報文化センター (旧横浜商工奨励館) 1929(昭和4)年築

前回の終わりは確かここでした。
ここから日本大通に入ります・・・が、日本大通りというのは、横浜開港資料館〜横浜スタジアム(横浜公園)までの縦に伸びる直線区間。確かに道路の横幅はあって大通という感じはしますが、通行量はさほどでもない印象を受けます。


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横浜地方裁判所 1929(昭和4)年築

戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)のB・C級戦犯を裁く軍事法廷としても使われました。
東京裁判と書いたほうがピンとくるのかもしれませんが、東京裁判とは東条英機など主にA級戦犯を裁くために行なわれた極東国際軍事裁判の1つです。(ちなみに、極東国際軍事裁判所は市ヶ谷にある陸軍士官学校で行なわれました。中途半端な知識が正しければ三島由紀夫が割腹自殺した場所だったと思います。)

それが終わると地裁として活躍し、1997年にその役目を終え法廷の中味は桐蔭大学に移設され、模擬裁判所として使われているんだとか。
現在は建物の高層化にあたり、復元したもの。往年のままだそうです。


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三井物産ビル 1927(昭和2)年築

この建物には1号館・2号館とあって、その1号館は1911(明治44)年築。
しかも1号館は日本で最初の鉄筋コンクリート造なのです。

・・・とこれを知ったのは写真を撮って来てから。
もうちょっと事前サーチが出来ていればよかったんですけどね。

若干、タイルが黒っぽく見えてしまうのは仕方のないところなのですが、中は改装をしたため、明治の建物とは思えないくらい綺麗なのだそうです。


この日は休日のため、仕事はお休みの模様・・・
あいていれば入っていたかも・・・・しれませんね。

さて、この建物の紹介を持って日本大通りと横浜スタジアムが繋がります。
よってもって、これが最後↓↓

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ZA*IM (旧大蔵省関東財務局横浜財務事務所)1927(昭和2)年築

薄汚い建物・・・とパッと見た瞬間に思ってしまったのですが、よくよく見てみるともの凄い丁寧なつくりとなっているのがこの建物。建物上部の屋根のアーチなんて奥ゆかしい感じがします。

元は大阪に本社がある日綿実業(現ニチメン,双日)の横浜支社として建てられました。
その後大蔵省の事務所を経て、現在は「ZA*IM」と言って横浜界隈の創作拠点、長崎でいう所の「さるく」にあたる「横浜トリエンナーレ」の事務局として使われています。


今回、こうして横浜の近代的建築を巡ったのはこの「横浜トリエンナーレ2008」がきっかけだったんですよね。。


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みなとみらい・桜木町を望む

この風景、というかこの建物を見ると横浜を連想する方が多いと思います。
勿論、今の横浜の顔であることに間違いはないし、今後しばらくは変わらないでしょう。

でも、この建物ができる前も横浜には名物となる建物があった。そしてそれが今も残っている・・・・いや、新しい建物と共存しあっている、というのを今回歩いてみての率直な感想です。

『温故知新』というのはこのことを言うんじゃないか、そんな気がします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

全9回を予定しています今回の近代建築探訪。そろそろ佳境に入ってきました。

今回、一発目は・・・

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横浜アイランドタワー (旧横浜銀行本店) 1929(昭和4)年築

見ていて違和感を感じました。
建築様式がじゃなく、場所が。 桜木町方面に入口が向いていないのです。

それもそのはず。この建物、元々は4キーケン(現横浜第2合同庁舎)の横にあったのです。が、解体の際にバルコニー部分だけをこちらに移設し、復元し今に至っています。
ここの凄い所は移設した土地も建物に沿った三角形となっていて、あたかも昔っからこの場所にあったかのように建っています。

勿論、見所はバルコニー。そしてそれを支える四本の屈強そうな柱。

現在は「BankArt1929(バンカート)」の中心建物して様々なイベントの会場となっています。


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北仲ブリック (旧養蚕倉庫本社事務所) 1925(大正15)年築

キーケンこと横浜生糸検査所の倉庫事務所として使われたがこちら。
現在は帝蚕倉庫の所有となっています。凸部は赤レンガ調のタイル、凹部はコンクリート剥き出しとこのコントラストの差が素晴らしい建物です。

でも、後述の通り、再開発の対象となっていまして・・・


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帝蚕倉庫北仲営業所倉庫 1925(大正15)年築

なんとただ今好評解体中なのです!!!
3棟あったうちの2棟は解体完了で、残すのはここ1つですが、時間の問題のようにも見えます。

こちらも、北仲ブリック同様のつくりとなっています。
先述のキーケンを含むここら一体の設計は全て横浜出身の遠藤於菟。
ハマッ子が作った建物が壊されていく・・・寂しいものを感じます。

再開発はどうやら森ビルのほうで手がける模様。こちらを参照ください。

でわ、ルートを関内方面に再び戻し、日本大通りに目的を定めます。


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横浜情報文化センター (旧横浜商工奨励館) 1929(大正4)年築

2000年に高層化されたのですが、何故かそれに気付きません。

おそらく、後ろに引っ込んでいるからでしょうね。 角張った建物が多かったのですが、ここは曲線を描いています。


さて、次は多分最終回。
日本大通を歩いて〆ます。

東京・横浜それと去年の夏に弘前の近代建築を見てきたのですが、共通しているのは「銀行」系の建物が多いということ。次いで教会でしょうか。もっとも、東京のど真ん中に教会はありませんでしたが・・・

さて、次に紹介するのはこれまた銀行の建物です。

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神奈川県歴史博物館 (旧横浜正金銀行本店) 1904(明治37)年築

横浜を代表する近代建築というと、横浜税関・県庁ともう1つがコレだと思います。
その中で1番好きな建物は? という問いでもこれが一番じゃないでしょうか。(個人的には横浜税関の方が・・・)

日本にあるバロック風の建築物では一番の作品。おそらく、本場ドイツ人に見せても感動ものでしょう。

ちなみに、正面のドームは関東大震災で焼失したのを昭和42年になってようやく復元したんだとか。何でそんなに遅くなったのやら・・・


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神奈川県歴史博物館 (旧横浜正金銀行本店)

横浜正金銀行の前身は東京銀行と言われています。つまりは外貨に特化した銀行でした。
国内通貨に特化していた日本銀行と同等の地位にあったことは間違いなく、その証拠がこの建物に表れています。

第1次世界大戦前後には世界3大為替機関だったとも言われています。が、それが故に世界恐慌のあおりを受け、さらには第二次大戦中は戦費調達機関となり、戦後GHQに清算を求められます。 なんとも虚しい結末です。


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神奈川県歴史博物館 (旧横浜正金銀行本店)

入口には赤絨毯。
旧・首相官邸の赤絨毯に似ている気がして、真ん中に立てば気分は内閣総理大臣になれます。きっと・・・


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神奈川県歴史博物館 (旧横浜正金銀行本店)

現在は神奈川県立歴史博物館として、その名の通りの働きをしています。

遅れましたが、この建物の設計は妻木頼黄(つまきよりなか)。東京駅を設計した辰野金吾のライバルだそうです。


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日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店) 1918(大正7)年築

新興財閥の1つ、「川崎財閥」の中核だった川崎銀行の支店として建てられたのがこの建物。当時はルネッサンス様式の石造だったそうです。過去形なのはご覧のとおり、上にドカーンと高層ビルが立っているため。

昭和61年に取り壊しとなったのですが、地元の人の保存活動によって、建物の正面だけを残すという手法で無事に外壁だけは残りました。これは平成元年の事。ひょっとしたら先駆けかもしれません。これに習ったのが前々回で紹介した三菱銀行の建物ですね。


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日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店)

現在は同じく旧川崎財閥系の日本興亜損保の建物となっています。
ちなみに、設計は横浜生まれでドイツで建築を学んだという田村又吉。師匠は先ほどの妻木頼黄だそうです。


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本町ビル45(旧本町ビル) 1929(昭和4)年築

桜木町から歩いてくると、これが見えると関内の入口というぐらい、重要な建物のような気もするのですがそんな気配を感じられません(笑しかも、この通りには先ほどの旧富士銀行支店、横浜銀行協会、三井銀行支店と豪華・重厚なつくりの近代建築が続いているのに。

赤レンガ調のタイル、窓の部分が凸凹していていかにも近代建築らしい気がするんですけどもね。

かくいう自分も地図で探している時に見落としていました。。


本町通をりを桜木町方面に戻ろうとしたのですが、地図を見るとどうやら通りの奥にまだ撮影していない近代建築があることに気づき、再び海岸通へ出ます。

同じ道を何度も歩く・・・
まぁ、道順が決まってないので仕方ないんですけどね。

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日本郵船歴史博物館(旧日本郵船横浜ビル) 1936(昭和11)年築

16本ものコリント式列柱で有名なこちらの建物。横浜に建てられた最後の古典建築とも言われているんだとか。

現在は、日本郵船の博物館として一般公開されています。
最も、船に興味の無い自分には縁の無い話ですが。


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日本郵船歴史博物館(旧日本郵船横浜ビル)

ただ「日本史好き」からすると日本郵船はある意味重要な会社。
日本郵船は元々、岩崎弥太郎が創設した九十九商会からはじまります。今で言う「三菱財閥」の始まりであり、また日本最初の船会社でもあります。

1875年に国有会社だった郵便蒸気船会社の経営権が政府から岩崎の手に渡ります。これが三菱の始まりです。 そして、1885年にライバルであった三井財閥の船会社「経堂運輸」と合併。社名を日本郵船と改称したのでした。 よくもまぁ支持政党も違う会社同士が合併できたなぁと思うのですが、日本の発展のため・政府が保護した影響もあったんでしょう。


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日本郵船歴史博物館(旧日本郵船横浜ビル)

この建物の唯一ネックな点は前の道路が狭く、全景が撮れない事。
パノラマでも・・・ムリかな。


さて、再び場所は本町通。いや、馬車道へと場所は変わります。

馬車道の入口にあるのが・・・


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東京藝術大学大学院映像研究科(旧富士・安田銀行横浜支店) 1929(昭和4)年築

三井・三菱と来ますと残る財閥は「住友」・「安田」の2つ。
一部では安田を4大財閥に入れるのか? なんていう話もあるそうですが、自分は入れておいて良いと思うんですけどね。

さて、この建物。戦前は安田銀行、戦後は富士銀行の建物として使われていました。
名前こそ違いますが、どちらも「安田財閥」の銀行。戦後になって名前が変わったのは財閥解体を受けて、脱・安田を唱えた為と言われています。今も名前が残っている三菱・三井・住友と違う点はそこですかね。銀行名よりも『芙蓉グループ』なんて言った方がピンと来るかもしれません。

一県、石造りに見えるのですが、実はR.C造。「ルスティカ積み」と呼ばれる工法です。
安田銀行の支店の建物は殆どこの手法で作られているのですが、中でもここは保存状態がよかったため、支店統廃合後も大学のキャンパスとして使われています。


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馬車道大津ビル(旧東京海上火災保険ビル) 1936(昭和11)年築

ゴツい建物を見た後にこの建物を見ると疲れが取れるような気がします(笑
タイル張りの単調・地味建物に見えるのですが、よく見ると4階部分のタイルはちょっと他と違っています。シンプル・イズ・ベストというのはこの事を言うのでは?



ワールドポーターの手前で右に曲がりまして、万国橋を渡ります。

この時間(11時ごろ)は駅へ向かう人よりも、ワールドポーターへ向かう人の方が圧倒的に多いため、ちょっと歩くのがキツイです。

万国橋ビルには目もくれず、やってきたのはこちら

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横浜第2合同庁舎 (旧横浜生糸検査所) 1926(大正15)年築

「第2」と付くのは、第1庁舎というか横浜合同庁舎が山下町にあるためです。

戦前、日本最大の貿易港であった横浜で最もさかんに取引されていたのが生糸でした。それをいかに列強・中国に売り込むかというのが、1923年の関東大震災の影響で壊滅的な被害を受けた横浜の、日本の課題でもありました。

そこで作られたのが「キーケン」の愛称で親しまれた横浜生糸検査所です。
大震災後3年でこの規模の建物を建てるのを見ると、いかにこの建物が重要な役割を果たしていくのか、というのが分かります。


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横浜第2合同庁舎 (旧横浜生糸検査所) 1926(大正15)年築

後ろに見えるのが高層塔。
95年にこの高層塔を造る際に、90年に既に役割を終えていたキーケンの建物を復元し今に至っております。

また、建物の上部にいかにも「キーケン」と呼ばれるに相応しいレリーフがあります。

これは何に見えますか? ヒントは「生糸」です。
・・・・そうです。生糸の元である繭の中に入っている「蛾」であります。
蛾が繭から孵化する様子をあらわしているのです。

これから横浜は羽ばたいていくんだ! そんな意味があるのかもしれませんね。


ここでぶつかる本町通。とりあえず左に曲がってみると・・・


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横浜銀行協会 (旧横浜銀行集会所) 1936(昭和11)年築

設計したのは国会議事堂も手がけた大熊喜邦なのですが、その面影は感じられません(笑。
石貼りの白い壁と植物をモチーフにした茶色いテラコッタが目を引きます。これをみてるとギリシャ様式を取り入れているのかなという気もします。

建てられた当時、この建物は3階建てだったのですが、1965年に4階部分(手形交換所)を増築。
その結果、摩訶不思議な形になった建物になってしまいました。この建物もアリかな・・・なんて考えてみたりもするのですが、やはり不思議。形は四角形で問題が無い筈なんですけどね。やはり窓が問題でしょうか?

ちなみに、この建物は4代目。
初代集会所は1881(明治14)年に建てられた後は週1回会合が開かれていたんだとか。その後2代目が立てられたもの、関東大震災で倒壊してしまいます。その後は3代目、4代目と続いています。 3代目はまだ残ってるのかな?


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旧東京三菱銀行横浜支店 1934(昭和9)年築

三菱銀行、と書きましたが元々は川崎大百銀行の支店として建てられたのがはじまり。
パッとみて三井銀行横浜支店の建物と被るのですが、向こうがあっさりしているのに対し、こちらは豪華な装飾になっています。

中に入ってみると・・・・と今はマンションの一部。
支店の統廃合の影響で残念ながら解体・売却となったのですが、横浜市などの強い要望でこの玄関部分だけ残されることとなり、その上にマンションが立つという再利用が取られました。


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旧東京三菱銀行横浜支店 1934(昭和9)年築

こうしてみると上にマンションがあるなんて分かりませんが、上にはマンションがあります。



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