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インドネシアでフランス国旗を振って応援していたら 警察の勘違いで逮捕された。
そういうニュースがある。 インドネシアの警察の言い訳は「南マルク共和国の旗と勘違いしたためだ」 ちなみにその南マルク共和国の旗はこちら(自作) ・・・似てないw 言われてみればそうかもしれんが・・ ちょいと興味を持ったのでどんなものかと言えば 場所はニューギニア島とスラウェシ(セレベス)島の間に有るインドネシアを形成する島の1つ。 セーラム島とアンボン島の二つの大きな島を持つ地域 嘗てインドネシアはオランダの植民地でした 第2次世界大戦の後、インドネシアの島々は オランダから独立するのですが、インドネシアの政府とは一緒の国になりたくない人たちも居たのです どうやらこの島々の人達はキリスト教徒が多く、イスラム教のジャワ人のインドネシアとは一緒になりたくなかった所が有った様だ・・ そういえば 東ティモールとか本当に独立しちゃった所も有りますし・・ インドネシアにしたら決して過去の問題では無いと言う事でしょうね 蛇足 この旗 フランスよりやっぱオランダに似ている気がするな ブル島ではフランスを応援するサポーターが多い・・ さて?なんででしょうね? |
歴史教育を考える
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河野談話、宮沢内閣時に行われたこの談話は未だに頚木となっている。
残念ながらそのあとの政権もこの河野談話を撤回をしていない。 「謝れば良い」 日本人独特のこの考えは世界では通用しない 謝罪は罪を認めると言う事、それは延々とそれをネタに揺すられ、貶められる事になる。 記事にも有る様に「未来永劫」それは続く。 だからこそ、外国は安易に謝罪をしない。 従軍慰安婦問題は一時期 国内では下火だったのだが最近また大きくなっている。 韓国は兎に角この問題を大きくし日本を貶めようと躍起だ。 竹島、日本海の呼称など、自分達に有利なように世界を味方に付けようと アメリカなどでロビー活動を頻繁に行っている。 |
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ヨーロッパ、欧州の支配を受けた事が有る世界地図 此方のサイトを見ると一目瞭然なのですが・・・本当に世界の殆どを有る時期欧州が名実ともに 支配をしていたんだな http://youpouch.com/2012/04/24/62823/ 無論時代も違えば、支配している国も違う訳では有ります。 まず大航海時代に南北アメリカを支配したのが始まりですが このアメリカ大陸に有った食料は 欧州に人口を増大させたのも一因でしょうか? 最後に記事では日本が支配を受けなかった事で結んでいますが 陸続き以上に遠かった。遠くまで人も支配するための武器も運べませんでしたから それを変えたのは産業革命で、幕末になって鯨を捕る為に基地が必要とアメリカが大きな船で 日本にやってくる。 産業革命と言うのはただ単に機械化が進んでよかったねと言う話では無い。 その頃にはアジアの殆どが欧州の植民地になっていたのです 日本に開国を迫ったアメリカですが、何故か開国させた後影が薄い・・開国後の日本での主役は ヨーロッパの国々 此れは開国後に日本とは全く無関係で起った南北戦争の影響でしょうかね? |
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鉄の宰相と言われたプロイセンのビスマルクの肉声が吹きこまれたロウ管が見つかったそうです
アメリカで見つかったそのロウ管には宰相がドイツ語のほか、ラテン語やフランス語などで詩の朗読や 歌などを歌ったりしている声が吹きこまれているそうです。 そして最後には息子に向けて「何事にもほどほどに生きるように」と吹き込まれていたそうな。 ばらばらだったドイツ諸国(除くオーストリア)とプロイセン王国を統一させ今のドイツを築いた 宰相そして家族を愛していた一面も垣間見える物の様ですね |
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元の記事は太閤・秀吉の朝鮮出兵でアチラの感情がどうのって話だけどそんな事はここでは 省く、向こうが恨み続けようと私はずっと恨んでいてくれていて結構だと思っているから。 それにしても「申し訳ない事の一つ」みたいな風潮はいい加減にしてほしい。 朝鮮出兵を秀吉の『妄想』とする根拠を明らかにしてほしい」「朝鮮人・韓国人の主張のみを一方的に展示している」 豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592〜98年)の拠点となった名護屋(なごや)城跡(佐賀県唐津市)にある県立名護屋城博物館への意見が、県のホームページに寄せられている 中略 キリスト教布教で訪れたポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスは著書『日本史』で、「織田信長は日本全土を統一後、一大艦隊を編成して中国を征服する考えだった」と記す。朝鮮半島を足がかりに中国を支配する構想は、信長が立て、秀吉は遺志を継承したのだという。 卑弥呼の時代以来、日本にとって東アジアの盟主は常に中国王朝。その世界観を変えたのが、1543年の鉄砲伝来で始まるポルトガルなどのアジア進出で、西洋の技術や文化に接した日本人は衝撃を受けた。 西洋というもう一つの世界があることを認識した上で、東洋の盟主になろうとしたのが信長と秀吉の外交戦略ともいえる。北川氏は「秀吉は、かつての元(げん)やのちの清(しん)のように、周辺異民族が中華帝国の主宰者になってもおかしくないと考えた。国内統一はあくまでそのステップ」という。 引用 ここまで ↓ここから本題 ↓ それにしても歴史を紐解けば、秀吉の半島への出兵・・・その後明朝に攻め込むつもりだった訳です 朝鮮を保護国にしていた明はそれに対抗する為に半島に兵を送りました・・。 その頃 ずっと北方では・・後の清国の太祖となるヌルハチによる女真統一が行われようとしていたのです。 明が何時頃滅んだのか・・どうやって?そして清が興ったのは? 案外知らない。 明は女真やモンゴル系の北方民族を纏めさせまいと色々とやって居た様なのですが・・・ この秀吉の出兵にかまけている間に着々とヌルハチによる統一が行われていたのです。 秀吉の出兵も只「申し訳ない事をした」とか言う話では無く、元々信長が考えていた。 それは西洋世界が大航海時代を迎え、アジアに手を伸ばしてきている事を見据えたうえでの事かも知れません。様々な国内事情も有ったのでしょうけど・・向こうに慮ってディスるのはどうなんだろうなと思う。 あーだこうだと貶めて何になるのか? 明治時代になって日本は強大な欧米列強に追いつこうともがく訳ですが・・もしかすると既にこのころに 分かっていた人達が居たのかも知れません。 清朝は日本が徳川の世になった1636年からベルサイユ条約の数年前1912年まで続く訳ですが (島原の乱が1637年) その初めの頃・・そして当然日清戦争も有りその終焉に日本がそれなりに関わっていると言う 中々興味深い王朝に思います。 無論関わりがあるからわだかまりも有るのかも知れませんね。 中国ではこの清朝の「国志(三国志とか見たいのね、後の王朝が前の王朝の歴史を書にする訳です)」をそろそろ作り終えたのだとか言う話です。 どういう風に編集されているのか・・日本版は出るのだろうか? ああ ちなみに明を征服した女真の清国は半島も攻めて冊封下に置いてますね。
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