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なんで????
むかーし むかし
私は 元主人と 結婚してしまったんやろう??
波長が合うって感覚
きっと知らなかったんやろなぁ
まさに 「結婚に憧れて」って感じ
元主人は 私の何所がよかったんやろ???
あんなに 会話が出来ない二人なのに
別に 極悪非道な人じゃない
変わってるとは思うけど
それは 私が思うだけで
別の人から見たら とってもいい人かも知れん
このまんまの 感覚で
もし20年若返ったら
ぜっ・・・・・・・・・・・・・たいに 元主人のような人とは
結婚しない!
あの頃とは
全く自分の 価値観が変わってしまった
むかーしむかし
私も 元主人も もっと冷静に結婚を考えてたら
お互いを選ばず
また 違う人生やったんやろうね
福ちゃんの 元奥さんも 思ってるかな(笑)
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ずっと前の話
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家の片づけをしていたら
娘の 中三の時の 連絡帳が出てきましたhttp://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif
育成学級だったので
連絡帳は 小さい頃から ずっと
欠かした事は ありませんでした
その頃はもう 私達は離婚していて
私は 子供と三人で 暮らしていました
読み返すと いつも 涙が出ますhttp://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif
「 先生、 母は 鬱病になってしましました
三ヶ月ほどしたら 落ち着くと思います 」
この 「 三ヶ月 」 が 心療内科の先生が言った
気休めの日数だなんて
その頃は 知るよしもなく・・・・
手のかかる子だから
親が教える事や 注意する事が多く
小さい頃は 親がやって当然だった事も
教えていかなければ なりませんhttp://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif
些細な事を 大きくして言うので
体の痛みなどは 病院に行って 確認するしか
方法がありませんでした
連絡帳の 私の字は
どんどん汚くなっていき
もう 私には 娘に根気よく教える力は
どこにも残っていません
と ミミズのような字で 書いてありました
それでも 働かないと 生活できないので
職場に隠して 必死で働いてましたが
それはそれは どうしようもなく 悲惨な日々でした 。(´д`lll)
先生、 腎炎になり 40度の熱が
一日一回でます。 仕事は休めません
どうして・・・・休めばよかったのに・・・・
今だから そう思うけど
冷静な 判断なんて 当時は出来ないで いました
先生は 文字でエールを送ってくれてましたが
今 初めて 読んだ気がします
その頃は 全く先生の書いた内容なんて
心にとめておりませんでした
先生、 もう 文字を書く事が 苦痛です
養護学校の 進学の願書
何度読もうと思っても わかりません
書くべき所に 鉛筆で丸をつけて下さい
たすけてください
もう この頃になると
ほとんど ひらがなです
二重線で 無造作に消しては書いて 消しては書いて
汚い 汚い 連絡事項でした
先生、 体がだるい 肩がこる
しごとにいかなくちゃ
薬を飲むために お茶づけを たべます
今日は 一日に 一杯分くらいは たべました
せんせい ねむれないので くすりをかえたら
朝に きおくが とびます
娘の事が なかなかできません
あの子は 私よりもきれいな たましいで
私を みまもってるんでしょうか
職場では 頑張って字を書いていても
連絡帳には かけませんでした
親は 心配するので
ここまでの 事は言えません
子供達の 家庭を 壊したのは 私の決断のせい
子供達の 今の生活を守るのは 私の責任
娘を 自立できるように しないと
息子に 寂しい思いを させないように しないと
娘に ちゃんとした事をしてやれない 罪悪感http://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif
三ヶ月で治るって????
もう 一年半も 過ぎたのに????
薬って こわいです
ちょっと 鬱症状だからって 薬を飲むのは
もう 私は 絶対にイヤです
薬が効くまでは
この時 私は
子供達と 生きるために 必死でした
恋愛で 気持ちがどうとか
太った 痩せたが どうとか
今時の 化粧方法が どうとか
そんな事・・・・・どうでも よかった!
だって 制服忘れてしまうから
制服きて 職場に通ったし(笑)
化粧の途中で 意識が飛ぶから
職場に 化粧品も置いてたし(笑)
髪もとかずに 出勤してしまう時もあったし
くしも 置いてたし(笑)
でも 熱で倒れた時は さすがに仕事が終わってから
タクシーで 病院に行きましたよ! リッチ!
タク降りて 道でも 倒れましたが・・(笑)
で・・・・次の日も 次の日も 点滴行って
仕事は休みませんでした
休むと クビになると思って 恐かったんですね
こんな記事 何回も 書いてるかも
しつこいね!
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
色んな事を 越えて きたなぁ
いかに 今が 幸せか。。。。。。http://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif
あぁ・・・・掃除の 途中だった・・・・・(@ ̄Д ̄@;)
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好きだけど
現実どうしようもなくて
別れよう・・・
私の結納も終わり
彼の結婚式も近づき
いよいよ どうしようもなくなってきた
どうしようもないと思うと
ますます 想いがつのる
その頃
まだ 新しかった 神戸の 「 ポートピアホテル 」に
一泊 親にウソをついて 外泊する事に
違う土地なら 誰も知ってる人はいないし
一日だけど 彼氏と彼女として
気兼ねなく街を歩ける
遊園地で 二枚だけ一緒に写真を撮って
街では パンをかじりながら
手を繋いで 笑って歩いた
旦那さんになる人は こんな事
絶対にしてくれる 人じゃないし
とっても嬉しかった
ポートピアホテルからの夜景
若い私たちには めちゃめちゃ感動で
二人で 「 今夜で 終わりやね 」 と 泣いた
翌日 日が暮れてから
彼は私の家の近くまで 送ってくれた
少し 離れた所に 車を止めて
雨が 降ってきた・・・・・
傘もささずに 一緒に歩いて
濡れながらも そこから離れる事ができなくて
ひまちゃん・・・風邪ひくし もう帰り
幸せになってな
学くんも・・・・幸せになってな
ありがと・・・・う・・・うぇ・・・うぇっ
後ろ向きで
彼を見ながら 歩いた私
だんだん遠くなる 彼の姿は
もう 真っ暗でシルエットしか見えなくて
長い前髪までが 濡れてペチャンコになっていて
その ワンシーンが
まるで映画のように 私の脳裏に焼きついている
その後・・・・・・・
彼が 離婚したと 噂で聞いた
くしくも 私の娘に障害がある事がわかり
夫婦で頑張っていこうと 決めた頃
私が離婚した頃
彼は もしかして再婚したかも知れんね
運命の歯車が
どうしても かみ合わないようになってる気がするから
今でもその時の写真
隠して持ってる 私
これが
私の 昔の話
実は 離婚してからも もう一回 こんな気持になった
連絡は とれるけど
どうしようもない現実
すごく落ち込んだ時や しんどい時
福ちゃんの事で 悩んだ時
彼に 連絡したくなる
でも・・・・それはもう やめたほうがいいのかもしれないね
あ〜〜
何だか 作家気分で つらつら書いてしまいました
恋愛って・・・・いいなぁ ♪ シミジミ・・・・
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好きな人と
好きなまんま 別れた事・・・・・・ありますか??
今まで 長いこと生きてて
恋愛の 一つや 二つや 三つや 四つ・・・・・・( 数えた事ない^^; ) あったけど
好きなんやけど 現実どうしようもなくて
これって めっちゃ切ない
けど 一生忘れない恋愛やね
またまた 昔の話
それは 私が二十歳くらいの時
一年半 付き合ってた人と別れて
しばらく 誰とも付き合わないでいよう と思ってた
ある日 母がバイクを買うって事で
近所の 某車メーカーの営業マンが
親切に色々 手配してくれて 家にも来てくれてた
二階にいた私が
トントン・・・・と 階段を降りていくと
そこは 玄関で その営業マンが 母と笑いながら話をしている
これが 彼との出会い
彼は 同い年
母は 「 あんたも バイク買うんやったら 相談してみ 」
「 あ・・・・こんにちわ・・・・(恥) 」 とお互いに挨拶
そこから 私たちがデートするまでには
時間がかからなかったよ
お互いに 相手さんと別れたばかりだから
「 友達 」として ドライブ♪♪
「 友達やんな 」と お互いに何度も確認するように
どちらかが 「 友達じゃなくって 」って 言い出すの待ってたのかも
何回かデートを繰り返すうちに
お互い好きになってたんだと思う
でも それをハッキリ形にできないまま
なんだか分らない間に 連絡を取らなくなった
最後のデートは 空港
夜の滑走路はキラキラしていて
何だか自分が とっても大人のデートをしてる気になってた
今のように ケータイもないし
それから 間もなく 私は元主人と出会った
そして 月日は流れ・・・・・・
私の結納の日が決まったとき
彼が突然うちに やってきた
ひまちゃん オレずっと考えてたんやけど
・・・・付き合ってくれへんか?
・・・学くん 遅いわ もう私・・・もうじき結納やねん
それから 私は 本当に今の人でいいのか
心が揺れて 揺れて
本当に 結婚してもいいのか?
元主人と 合わない部分は その頃からあったし
学くんといて 癒される事 楽しい事
いい事ばかりが 頭にうずまいて 揺れていたよ
後 一回
彼が 強引に 「 まだ 間に合うから オレと・・!」と言いにきたら
私は もしかして・・・・と 思っていた
数ヵ月後
彼はまた やってきた!!!!
私の結納はまだ
どうしよう!!!!
彼が言った 第一声
ひまちゃん オレ・・・結婚しなアカン事になった
付き合ってない女の子と そういう風になって・・・・・
彼女 妊娠したって
私たちは どうしても 一緒に歩いていけない 運命なんかな???
二人で ゆっくり話したよ
そして
最後の 思い出だけ作ろうと
私たちは あることを実行した
つづく。。。。
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またまた 数年前の話・・・・・
そやな〜 あれは5年前
私が うつ病と闘いながら 二人の子供と三人で暮らしてた頃
某大学の講師控え室の 受付で働いていた
その頃 大学も夜間の授業があり 先生方も控え室を利用されていて
授業が行われない 休みや大型連休も
先生の研究室と同じ棟なので
私達は 交代で 夜の10時まで勤務していた
年の瀬であろうと 夏休みであろうと
夜間までの出勤はあったけど
私は なーーーーーんにも 思わなかった
薬に翻弄されて 思うように動かない思考
言葉も上手く 話せているのか いないのか
突然の睡魔や ミスも多くなりがちで
「 働く場所がある 」 ただ それだけにしがみついていた
上司にばれると 大変なので
友達にフォローしてもらいながら どんな不調でも
隠しとおして出勤した
「 あなたなんか 期待ハズレよ!!! 」 と
ちょっと オバかな年配の上司は 罵倒する
気の弱くない ( 負けずキライ ^^; ) 私は
それでも 無茶苦茶な事を言われた時は
真正面から 正論 ( と 思う ) を いたって冷静に言い返していたなぁ・・・・
ばれないように 出来るだけ笑顔で♪
心がけて 出来る事と言えば その程度
でもきっと 今の明るさからしたら
ミジンコ程度の ものだったと思う
ある 年末
よく 話しかけてくれる 経済学部の60代くらいの 教授が
ひまさん こんなに遅い時間まで働いて・・・
ご主人は どんな仕事をしてるの?
( 主人の稼ぎがよけりゃ 奥さが遅くまで 働かなくていいのに って ニュアンス )
主人はいないんですよ^^ 子供二人と 三人暮らしです^^
それは大変だねぇ・・・娘さんは 大学とかどうするの??
( 大学でなきゃ 意味無いよ って ニュアンス )
娘は 少し障害があって 養護学校に通ってるんですよ
えぇっ!? ・・・離婚してる上に 子供さんも障害を!?
あなたは なんて可哀相な人なんだ!!
( 離婚も 障害児も 不幸って ニュアンス )
ウフフ・・・ぜーんぜん可哀相じゃないですよ
子供と三人 楽しく暮らしてます^^
いや! あなたは可哀相だ! 僕も子供が小さい頃
障害者の人達が働く場所に連れて行って 「 こんな人もいるんだよ 」と
話してやった事がある
あなたは いつも笑ってるからわからなかったよ
そんな可哀相な人は 大抵暗いはずなんだよ
あぁ〜 かわいそうだ・・・・本当に かわいそうだ・・・
心の声・・・・・
なんですのん この オッサン!!!
人の事 かわいそう かわいそうゆーーて
別に かわいそうなんて 本人も思ってないっちゅーねん
それに 障害も持った人が 可哀相なんて思うのは
オッサンの心の差別やろーな
自分の子供に 一体何を教えに 障害者の作業所に見学に行ってん????
あわれみか?
おっさん 経済学部の教授かなんか 知らんけどやな
もしかして それしか知らん 世間音痴ちゃうんか???
自分が大学卒業して
そのまま 大学教授になったもんで
いつまでも 「 学校 」の事しか わからへんのか???
人は!! 頭で 生きてるのんと 違うで!!
いっぱい経験して いっぱい反省や苦労して 学習して
楽しみを見つけたり こみ上げる何かを感じたり
「 感動 」しながら 成長するんちゃうんか?
勉強ができる = 幸せ ・ 偉い人
ちゃうでっ!!!
と・・・・・ 今になって 思う
その時は 笑って
「 失礼します〜 」 と 言うので 精一杯やった
悲しかったと言うより
薬のおかげ??で 思考力が鈍ってたんかな・・・・
そんな ビンビン 怒ってる余裕も なかったなぁ・・・・・
別れた 主人も おじいちゃんも おばあちゃんも
その 教授と似たところがあって
今 娘と一緒に住んで
何を 思うのか・・・・・・
これが 娘を取り巻く 人達の
人生の課題やなと 私は思っている
人は 苦労も何も知らないと
いつだって自分の意見が正しくて
いつだって自分が王様で
自分の意見を相手に押し付け
相手に 「 違う 」 と言われれば 逆ギレしたり・・・・
色んな人がいて
色んな考えがあって
全くの常識以外は その 「 考え 」は
全て間違いじゃないんやね
自分と違う考えの人には
「 そんな考え方も あるんやね 」と 言える自分の方が
その 経済学部の教授よりも
私は 幸せのような 気がする
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