無党派層の経営者は・どう・思う?のブログ

気分一新☆再出発風味です☆ダメ人間のダメ過ぎる日記&ゲーム風小説&ショートショート&ダイエットブログです☆

−過去日記・転載・幼少時代−

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( 数日かかりでの〜更新でした☆ )

どの、テーマでの更新にするか(^^;;;
新しくテーマを作るか・・・
後者だと、この記事だけで、たぶん更新しないので(^^;;;

こちらで〜更新です(^^;;;


まあ、、、昨日の件( 自爆した〜 咳喘息 〜 きたかも 〜(ノд`@)アイター  その4 ( 診断の受け方〜間違えました http://ameblo.jp/buraiai/entry-12037136807.html  )
自虐クセ?
自分にペナルティ?しないと〜
気持ちの均衡?が〜難しいのだすなぐは(笑

それに、負荷は必要だしね

アダルトチルドレン・機能不全家族にはありがちな
自分が苦手なもの、逃れたいと思うものを
何度も何度も、自分から繰り返してしまう
それが、自傷になるのか
「 こんなこと、たいしたことない 」と、自分自身に耐性をつけたい悪循環?なのかぐは(笑

どちらにしても、
虐待を知らない健全な人達からすれば
「 なにが苦しいのか 」
「 なにを苦しんでいるのか 」さえ
判らないのだろうけれど(^^;;;
それは、少しでも、判ってもらえたらいいなと思いますです

※ 私は、写真が大嫌いです ※
理由は、こちらの写真と一緒に、参照してください。
虐待やイジメ。少しでも、今の子供達が救われていきますように。

※※※※※※※※※
これは、あくまでも「 私個人の目を通した・私サイドのビジョン 」です。
※※※※※※※※※

P,S,
この記事は、「 とりあえず、前に進んで行く反動つけよう!! 」とうい感じで〜書いていますです☆(笑

P,S,
ダイエットブログの〜
ダイエットの「 リバウンド・ダイエットする 」の〜繰り返しの歴史の記事でもありますぐは(笑

**********

☆ 母と、母の実弟と、母の実兄( 次男 )との、兄弟での合同結婚式です
( 写真はクリックで、拡大になります☆たぶん )
 
イメージ 14
71年になっているので、母と、母の兄( 一時期〜双子のように育った従兄弟 )は
妊娠6カ月で結婚式を挙げたと言うので
「 これ以上、おなかが大きくなっちゃったら〜着物やドレスが切れなくなっちゃうから 」と言っていたので
たぶん、71年の6月かな?
私が71年10月生まれなので。


☆ 72年
 
イメージ 13
父は、プロのオートレーサーを辞めたころです。
ここは、母の実兄( 次男 )のお店の近くの、ラーメン屋さんの2階を借りて新婚を過ごしていたようです。
でも、私〜生まれていますけど〜ヾ(@^(∞)^@)ノばぶ〜☆


母は・・・地元で「 ■■■の悪女 」として有名だったようです(^^;;;。後に職場で、従業員から驚いた感じで確認するように聞かれました。( 第3話。 米兵(強盗)と、ピストルと、お袋の決死の抵抗。  http://ameblo.jp/kakokakonikki/theme-10085814515.html  )

どんどん、結婚生活が破綻して行っちゃうんですねえ(^^;;;
このころは、夕飯を作るのに、お昼前くらいから夕飯の準備をしていたそうです(^^;;;
まあ・・・おんなじ人同士で、父と母は〜繰り返し離婚しては、再婚していますけど(^^;;;
4〜5回くらい?
その半分くらい、父は〜違う女性と〜再婚していますけど(^^;;;
でも、父は父なりに?
「 子供はチエコ( 私 )と、T( 弟 )意外作らないので、パイプカットする 」
「 おまえ( 父の妻・私の母 )が流産しやすいので、これ以上負担掛けないためにも、パイプカットする 」だそうですが・・・
母曰く・・・「 自分が遊びたいから!パイプカットしたんじゃないか!!(`(エ)´)ノ_彡 」


☆ 73年〜
 
イメージ 12
父は、ちょくちょく外国へ単身行きました。
それからしばらくして、海外で安く買ったブランド品を、地元で売るようになりました。
株式会社を設立し、仕入れも数カ月ごとに海外へ行くようになりました。
けれど、少し経った頃。地元のお客さん( 顔見知りの人達ばかり )が
「 偽物だけど、よく出来ているし安いから 」と聞いた両親は、ビックリして
ブランド物の財布やカバンを、母が「 お金を全部返金して、一人一人全員に謝りなさい 」と
父に言って、全てのお金を返金したそうです。
父は、本物と信じて、買いつけていたようです(^^;;;
そして、母曰く「 商売は、信用が第一 」が、信条です
祖母からの、教育だと言っていました。


☆ 私が4〜5歳ごろ
 
イメージ 11
写真は、よく知らない人達や、外人さんに撮られました。
母は、地方の雑誌や新聞に私が載ったと喜んでいます
母もまた、アダルトチルドレン・機能不全家族です。
母の私への干渉が、このころから、そして同じ時期から、「 霊能者の先生 」と出会い親密になって行きます。
イメージ 10
 
パンチパーマや、ビキニがいやでいやでしょうがなかったです
でも、母は、人から母の見立ての私が誉められる事が、一種の負の連鎖だったんだと思います
イメージ 9
 
母は、私を1日に何度も着替えさせました。
4〜5回着替えることも、珍しくありませんでした。
けれど、3歳年下の弟は、朝着替えたらそのままでした。


アダルトチルドレン・機能不全
負の連鎖。依存、共依存。虐待各種。
それを知った今、これらの写真は
親子二代の機能不全家族の歴史でもあるんだろうなと、思います(^^;;;

これらの写真が、苦痛なのは
写真を撮られる背景に、いつも「 暴力と脅し 」が、母からあったからです。
そして、性的虐待がいつしか重なるようになりました。


☆ 私が〜8〜9歳くらい?
 
イメージ 8
まだ、10歳の誕生日を迎えていなく
まだ、身内から1年間、毎日性的虐待を受けるちょっと前の写真です
母と、弟と、私です
このころは、毎年大和館へ行くのが当たり前になっていました。
母と父はこのあと、離婚して、1年ほどで再婚し、
大企業の食堂をやるようになるまで、毎年通っていました。
食堂をやるようになってからは、休みが決まっているので
当日、いくつかの旅館を、行き当たりばったりで泊まれるかどうか交渉するようになりました。
「 ヘン顔 」することが、抵抗でも在りました(^^;;;
とにかく、もう。写真には写りたくなかったんです。
苦痛でしょうがなかったんです(^^;;;


☆ 私が13〜14歳のときです( 三宅島へ行く前だと思うので(^^; )
 
イメージ 7
私は、母方の祖母がニガテでした。
「 顔( 表情・楽しそうにする道化や、仕事の顔 ) 」を作らず
でも、「 祖母を嫌っている 」ということを、隠すことはできず(^^;;;
母と、叔父( ←祖母の長女と、三男 )を、産んだ人だからです。
けれど、父は浮気から母を苦しめ離婚し、また再婚したので肩身がいつもせまく
私を、祖父母にくっつけようとしていました。
また、微妙にツッパっていた時期でもあるので(^^;;;
( あなたが一年をシメろ  (20070704)
  ↑ まったっくの、3歳年上の父方の従兄弟の七光りです(^^;;; )

けれど、父は、祖母と私の「 距離が気に入らず 」
「 チエコ!もっとババのそばに行きなさい!! 」と叱咤され(^^;;;
 
イメージ 6
祖母と、父に対する「 当時の私の精一杯の妥協 」です(^^;;;
いまは、もっと。祖母と一緒に写真を撮っておけばよかったと思うし。
また、祖母が狂って死ぬまでに、もっと「 許せる時間 」が欲しかったです。
  祖母は・母に( 私の母・祖母の子供の中で・ゆいいつの娘 )
  母と父に・助けを・求めるのですが、、、
  >「 体一つで・じじとばば・二人・今日から・そのまま・おいで 」と・
  父や母が・そのたびに・言っても、、、
  世間体を・どうしても・気にしてしまう祖母は・
  最後まで・うちには・来ませんでした )


☆ 14歳( 中学3年 )のときです。初めて民宿へ泊まりました
母と、弟と、私です
 
イメージ 5
双子のように育った従兄弟が、当時私と敵対?していたグループにパシリっぽい感じで入っていて(^^;( 従兄弟は、中3になって、ちょっと不良っぽくなったので )
その、リーダーのお母さんの御兄弟が経営している三宅島に、誘われたです(^^;;;
太っては、絶食を繰り返して、またリバンドして(^^;;;
ストレスにとても弱く(^^;;;>どうしても、夜中、逆流で吐いてしまうのだけど、食べることをやめられなくて(^^;;;
56キロになると、
あわてて、絶食や、食事制限をしてダイエットをしました
初めて、サンオイルを使わずに海に入っていたら
水ぶくれになってしまい
そのあと、5年くらい、ちょっと日焼けすると、水ぶくれになってしまう事の繰り返しでした
中学3年間、少女と「 性的関係 」でした(^^;;;
( 夏服 (20070807)
    この後。 Fカップの小柄の少女と、私は急激に親密な関係に成って行きました。  )


☆ 中学3年生ごろの〜弟
 
イメージ 4
この地区一帯で、一番強い「 番長 」として有名でした。
ドカンの太さを、アピールしています(^^;;;
弟は、ずっと「 早く結婚して、子供を作って、家庭が欲しいんだ 」と
子供のときからの口癖でした(^^;;;
弟は中学になると、あまり家に帰ってこなくなりました。
けれど、家の仕事や接待は、8割がたやっていました。
父も母も、若いころは「 不良( 父も母も、二人とも番長 ) 」だったのもあってか
弟には、好きなようにさせていました。
けれど、父も母も(^^;;;
私には、過干渉でした(^^;;;


☆ 高校3年生の弟
 
イメージ 3
友達の俳優さんを通して( 小学校からの、不良仲間 )
ビーパップハイスクールの不良役で、出演依頼があって
とても舞いあがっていて。
そして、学校の先生から「 いつまでも不良をやっていてもしょうがないだろう!レスリングで一緒に世界を目指そう!! 」と、ずっと説得されていた先生の熱意に負けて
レスリングを始めた矢先。
弟は、
・ 無免許バイク運転
・ 飲酒
事故を起こしてしまい、数十メートル引きずられて
★ 脊髄3か所くらい骨折してしまい
★ 一生車いすですと、宣言されてしまいました
( ・「 下半身不随 」
このあと、近隣の中学時代、弟に恥を書かされた各中学の番長たちが
病院へ襲撃に来るうわさ( お礼参り )が広まり
弟は、本気でおびえ
そのとき、隣の中学の番長だった体格のいい人が、弟の護衛と「 T( ←弟の名前 )に手を出したやつは、オレがぶっ飛ばす!! 」と宣言をしてくれて
一気に、終息して行きました
一応?私も、イラッと来ていたので(^^;;;>その襲撃のアンフェアさと、弟自身の努力しない甘えぶり( 接待や仕事が、全て私にのしかかっていた、苛立ち。それなのに、次期社長として、どんなときも弟を建てなければいけない暗黙のルールなど )
一応、病院を張っていたり(^^;;;
もし、本当に弟が襲撃されたら
本気で、仇討ちに行く気でいました(^^;;;
弟は、落第とのはざまで頑張り(^^;;;
そして、「 ツッパることを辞めました 」
肩肘を張らず、大人になって行く事を選びました
父達も言っていましたが、
「 番長や、ナンバーツー、ナンバースリー。ナンバーファイブくらいまでは、学生時代、ツッパっていても、大人になるとちゃんと仕事をして、真面目になって行くけど。
 ヤクザになったり、人を脅したりして行くのは、顔も覚えていないようなパシリ連中ばっかりだ 」と。
弟も、それを体感したようでした(^^;;;


☆ 二十歳前後の私( 手首を切れば、すぐに死ねると思っていました。自殺未遂して、1年ほどたったころ、仕事復帰したころです )
 
イメージ 2
中学までの写真は、目隠しなどなく公開します。
イジメや、虐待。
出来るだけ多くの人に、真摯に向き合って欲しいと思うからです。
でも、それ以降は、ギブです(^^;;;
高校時代の過去日記では、写真のアップは、保留中です(^^;;;
電車の中での事が、どうしてもキツイので(^^;;;
成人してからの写真も、これが最後です。
目隠しなどなく、アップするのも(^^;;;
化粧をしていない、しない「 証拠( 証左? その理由背景 ) 」等として
1枚は、公開しないと
私のブログの信ぴょう性?も、欠けてしまう気がして
どうしても、切羽つまっていっちゃうので(^^;;;
病的なくらい「 フェア 」に、こだわってしまうのは
それが一番、生きやすいからです(^^;;;
人のルールでは
自分の中のルールでないと、生きられないのだろうなあとぐは(笑

★ 右下の男性・・・父
★ 右上の女性・・・従姉妹( 10年くらい一緒に暮らした従姉妹です。私の2つ下です )
★ 左下女性・・・母の従姉妹( ↓下の男性と、いとこ同士の結婚です )
★ 左真ん中男性・・・母の従兄弟( 実は、私と、双子のように育った従兄弟と、このご夫妻の息子とは、1時期〜三つ子のように育てられていました(笑 )
★ 左上女性・・・弟の初代奥さん


> 弟の初代奥さん
>当時・高校生の彼女さんと・高校を卒業して・少したった頃の私と・一緒に・食堂夜勤をすることになったとき
彼女から・熱湯をかけられて・両手・やけどしたり、、、
うしろから・水を・ひっかけられたり、、、
男性のお客さんの前で・恥?を・かかされたり、、、
   ↑けれど、「 気づかない・フリ 」を・してました、、、食事時は・彼女さんも・ご一緒のさいは・席順なども・私より・上の席にし。出入りの際も・私より・先に・優先していました、、、それが・母の・「 お家再興・弟の盾 」でも、あったからでした、、、

**********

・ 私
・ 母
・ 父
・ 従姉妹
・ 弟


・ 銀座のママさん兼大企業専務の愛人さん。後の父の愛人さん。
・ 私と似た体形、似た髪形、私より1歳年下の父の愛人さん。
・ 母の実兄( 2番目の兄貴・次男 )


・ 母の実父
・ 母の実母
・ 母の弟


・ 母の実兄嫁( 長男の嫁。ある島の没落したお姫様。ある騒動で有名な怪談。 )
・ 母の実兄( 長男。オールマイティ?だったのだけど、影が薄く・・・ )
・ ↑上の夫妻の長男。私の1学年上。( 叔母は、長男を溺愛 )
・ ↑上の夫妻の長女。私の1学年下。( 叔母は、長女を床に落として、旦那がキャッチ )


イヌネコ〜ペット篇


さらに増えた〜2歳の仔猫篇

**********

> 母個人の目を通した・母のビジョンでの実話
 
イメージ 1
各疎開から、みんな戻って来て
母は信州の親戚のうちからの疎開でした

疎開から戻って来て、学校も落ち着いたころ
遠足も再開し、その記念撮影です。
母は、クラスで一番強かったそうですが(^^;;;
母は疎開で、太って返ってきた恵まれた環境でした


今後、また母再度のリメイク更新も、コンスタントに進めて行きます


アダルトチルドレン・機能不全家族。2世代の負の連鎖。
私サイドからの視点での更新になります。
選択肢Aが全て実話です。( アドベンチャーゲーム形式で、更新しています )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
母は・私を撮ることが多かったので
母と私が・一緒に映っている写真は
あまりないのです
・「 抱っこ 」された・記憶は・まったく!なかったのですが(^^;;;
母に・抱っこされている写真を、何枚か、見つけることができました

 
母と写っている写真は
ほんとうに、あまりないのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>母に・「 ポーズを・取らされて・撮られる写真 」
母が・写真を取り出すことが・とても・苦痛でした

そして、中高生になったころ。
母は・こういった写真を、見る機会があるたびに
・母・「 当時は・いやだったかも知れないけど、大きくなると、こういった写真は・いいだろ?思い出になっただろ? 」と、言いました
当時は、、、
・私・「 ・・・うん、そうだね。いい思い出になったね 」としか、言えませんでした
>機能不全家族
本心を言えるほど、もう、機能はしていなかったのだろうと思います
   ↑大人になってからも、母にそう、聞かれても。長い時間の延長線上、ほかの「 言葉 」を・継続した時間の中では、いえることは、ありませんでした、、、


なぜ、母が
こういった写真を、たくさん撮ったのか、、、
水着では、病的なほど、「 ビキニ 」に、こだわったのか、、、


そして、なぜ、父が


>さあ、、、もう・「 自分視点・主点 」での、ルートは、見えていないから、、、( 別記事 )
それは
父が・私に内緒で・私が居ない時に・弟が
私の・写真を・取りに来た・写真でした

その・写真は・全部で10枚足らず
けれど・10歳くらいの私は・全て・水着か・全裸でした
それらは・ほとんどが・「 母に・ポーズを・取らされて・母に・取られた・写真 」ばかりでした、、、
>全て・ビキニです

私は・「 人を・信じてみたかった 」
そして・人に・絶望したかった、、、

****************************

>過去日記・幼少時代・写真
幼少時代は、今日で、一旦、終了します

次からは
>過去日記・小学生時代・写真
    ↑こちらに・移行します

10歳を境に、( ←10歳の時からの・特定多数。不特定多数の・性的虐待の1年間 )
・過食
・尿漏れ
・身長が・ほぼ、伸びなくなったこと
幼少時代の写真と、みくらべていただければと、思います

そして、小学校時代の写真と
中学時代の写真の・「 過食・体重増加 」写真など
>過食
それらを、見比べていただければと、思います、、、

****************************

↑この写真を見たとき・ビックリしました、、、

・「 誰が・撮った 」のか・判りませんが
これが、母方での・「 10歳の時からの・1年間 」で過ごした・場所でした、、、

自分の・「 表情( 写真 ) 」に・とても・複雑な気持ちに
いまもってしても、なお、、、思います、、、


>154cm(o`・ω・)ゞデシ!! 82キロくらいデ━d(・ω・`o)━ス☆
学校へ行く→ イジメられる→ 下校イジメられる→ 祖父たちにイタズラされる→ トイレの度にイタズラされる→ 時折折檻→ 時折霊能者の先生宅訪問→ 母からの要求や父への恨みの言葉→ 寝る→ 学校へ行く→

    ↑こんな・「 10歳の時の・1年間 」でした、、、

・ぬいぐるみ
    ↑幼児時代以外で、私が・「 ぬいぐるみ 」を持っている写真は・一枚もなかったので、、、この写真は、とても、私自身、、、「 奇妙 」に感じられ、、、とても、気持ち悪くも、感じられてしょうがない、写真です、、、


>顔の麻痺?顔面神経痛?>病院に・行ったことがないので・病名・判りません
10歳の時から
仕事や・性的虐待を・繰り返されるうちに
>顔が・麻痺?するようになりました
・まぶた
・くちもと

>じじと・母たち4兄弟と・ばばと・包丁と・2階から飛び降りろ!大作戦!と・酒乱挿話?です☆
    ↑上記の写真の「 部屋 」が・母たちが・幼い頃・育てられていた部屋でした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>・総合
★顔★
@児童ポルノ撲滅を目指す警察官僚出身の弁護士 後藤 啓二さん 50
☆忘れられない体験がある。警視庁でインターネット犯罪に取り組んでいた1998年。フランスで開かれた国際刑事警察機構( ICPO )の会議で・司会者から「 あの児童ポルノ大国から1人でやってきた勇敢な人物 」と皮肉たっぷりに紹介された。当時・日本には児童ポルノを規制する法律がなく・目を覆うような画像が世界中に流出していた。「 申し訳ない 」各国の捜査関係者らに・頭を下げるのが精いっぱいだった。翌年施行の児童買春・児童ポルノ禁止法も規制が不十分に思えた。被写体の子は一生・心の傷が癒えない。「 日本はなぜこれほど子どもたちの痛みに鈍感なのか 」・2005年・警察組織を飛び出した。司法試験に受かったのは在職中の92年。「 法律に精通したかった 」。通勤時や休日に法律書と向き合った。33歳。4度目の挑戦での合格だった。弁護士に転進後は・児童ポルノの単純所持の禁止などを求め・国会議員への陳情に飛び回った。3月末には役0人の弁護士グループも結成した。「 児童ポルノは児童虐待そのもの 」。信念は変わらない。
( 撮影・佐々木紀明・社会部 富所浩介 )


>アダルトチルドレン・克服・両極端
それでも、消化して、克服していけたらと、思います、、、

これが、一つのデータ
一つのサンプルとなりますように、、、

今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが、少しでも救われていきますように、、、
いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで、一旦
>幼少時代の写真は
母に・返還してきます(^^;;;
   ↑私自身が、自分の写真は、気持ちが悪くって、持っていたくないので(^^;;;

気持ち的に、写真があると
どうしても、追い詰められていっちゃうようで(^^;;;
精神が、落ち着けないのですぎゃふん☆(笑
母は・私を撮ることが多かったので
母と私が・一緒に映っている写真は
あまりないのです
・「 抱っこ 」された・記憶は・まったく!なかったのですが(^^;;;
母に・抱っこされている写真を、何枚か、見つけることができました

母と写っている写真は
ほんとうに、あまりないのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>母に・「 ポーズを・取らされて・撮られる写真 」
母が・写真を取り出すことが・とても・苦痛でした

そして、中高生になったころ。
母は・こういった写真を、見る機会があるたびに
・母・「 当時は・いやだったかも知れないけど、大きくなると、こういった写真は・いいだろ?思い出になっただろ? 」と、言いました
当時は、、、
・私・「 ・・・うん、そうだね。いい思い出になったね 」としか、言えませんでした
>機能不全家族
本心を言えるほど、もう、機能はしていなかったのだろうと思います
   ↑大人になってからも、母にそう、聞かれても。長い時間の延長線上、ほかの「 言葉 」を・継続した時間の中では、いえることは、ありませんでした、、、


なぜ、母が
こういった写真を、たくさん撮ったのか、、、
水着では、病的なほど、「 ビキニ 」に、こだわったのか、、、


そして、なぜ、父が


>さあ、、、もう・「 自分視点・主点 」での、ルートは、見えていないから、、、( 別記事 )
それは
父が・私に内緒で・私が居ない時に・弟が
私の・写真を・取りに来た・写真でした

その・写真は・全部で10枚足らず
けれど・10歳くらいの私は・全て・水着か・全裸でした
それらは・ほとんどが・「 母に・ポーズを・取らされて・母に・取られた・写真 」ばかりでした、、、
>全て・ビキニです

私は・「 人を・信じてみたかった 」
そして・人に・絶望したかった、、、

****************************

>過去日記・幼少時代・写真
幼少時代は、今日で、一旦、終了します

次からは
>過去日記・小学生時代・写真
    ↑こちらに・移行します

10歳を境に、( ←10歳の時からの・特定多数。不特定多数の・性的虐待の1年間 )
・過食
・尿漏れ
・身長が・ほぼ、伸びなくなったこと
幼少時代の写真と、みくらべていただければと、思います

そして、小学校時代の写真と
中学時代の写真の・「 過食・体重増加 」写真など
>過食
それらを、見比べていただければと、思います、、、

****************************

↑この写真を見たとき・ビックリしました、、、

・「 誰が・撮った 」のか・判りませんが
これが、母方での・「 10歳の時からの・1年間 」で過ごした・場所でした、、、

自分の・「 表情( 写真 ) 」に・とても・複雑な気持ちに
いまもってしても、なお、、、思います、、、


>154cm(o`・ω・)ゞデシ!! 82キロくらいデ━d(・ω・`o)━ス☆
学校へ行く→ イジメられる→ 下校イジメられる→ 祖父たちにイタズラされる→ トイレの度にイタズラされる→ 時折折檻→ 時折霊能者の先生宅訪問→ 母からの要求や父への恨みの言葉→ 寝る→ 学校へ行く→

    ↑こんな・「 10歳の時の・1年間 」でした、、、

・ぬいぐるみ
    ↑幼児時代以外で、私が・「 ぬいぐるみ 」を持っている写真は・一枚もなかったので、、、この写真は、とても、私自身、、、「 奇妙 」に感じられ、、、とても、気持ち悪くも、感じられてしょうがない、写真です、、、


>顔の麻痺?顔面神経痛?>病院に・行ったことがないので・病名・判りません
10歳の時から
仕事や・性的虐待を・繰り返されるうちに
>顔が・麻痺?するようになりました
・まぶた
・くちもと

>じじと・母たち4兄弟と・ばばと・包丁と・2階から飛び降りろ!大作戦!と・酒乱挿話?です☆
    ↑上記の写真の「 部屋 」が・母たちが・幼い頃・育てられていた部屋でした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>・総合
★顔★
@児童ポルノ撲滅を目指す警察官僚出身の弁護士 後藤 啓二さん 50
☆忘れられない体験がある。警視庁でインターネット犯罪に取り組んでいた1998年。フランスで開かれた国際刑事警察機構( ICPO )の会議で・司会者から「 あの児童ポルノ大国から1人でやってきた勇敢な人物 」と皮肉たっぷりに紹介された。当時・日本には児童ポルノを規制する法律がなく・目を覆うような画像が世界中に流出していた。「 申し訳ない 」各国の捜査関係者らに・頭を下げるのが精いっぱいだった。翌年施行の児童買春・児童ポルノ禁止法も規制が不十分に思えた。被写体の子は一生・心の傷が癒えない。「 日本はなぜこれほど子どもたちの痛みに鈍感なのか 」・2005年・警察組織を飛び出した。司法試験に受かったのは在職中の92年。「 法律に精通したかった 」。通勤時や休日に法律書と向き合った。33歳。4度目の挑戦での合格だった。弁護士に転進後は・児童ポルノの単純所持の禁止などを求め・国会議員への陳情に飛び回った。3月末には役0人の弁護士グループも結成した。「 児童ポルノは児童虐待そのもの 」。信念は変わらない。
( 撮影・佐々木紀明・社会部 富所浩介 )


>アダルトチルドレン・克服・両極端
それでも、消化して、克服していけたらと、思います、、、

これが、一つのデータ
一つのサンプルとなりますように、、、

今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが、少しでも救われていきますように、、、
いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで、一旦
>幼少時代の写真は
母に・返還してきます(^^;;;
   ↑私自身が、自分の写真は、気持ちが悪くって、持っていたくないので(^^;;;

気持ち的に、写真があると
どうしても、追い詰められていっちゃうようで(^^;;;
精神が、落ち着けないのですぎゃふん☆(笑
(写真が見れなくても・クリックしてくだされば・見れると思います(^^;;;>すみません)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
・左上男性・・・双子のように育ったイトコの父( ←母の・2番目のアニキ )
・黄色いビキニ女性・・・( たぶん、母の・1番上のアニキの・お嫁さん )
・右下男性・・・私の父
・青い服の女性・・・私の母
・左下の子供・・・双子のように育った・イトコ
母方の飲食店兼祖母宅の・厨房入り口での・プールです
私には・珍しく?ワンピースの水着です

右横に見える「 お花 」は
祖母が、花が好きだったので
小さな花壇が、2つと
お店の入り口に、お花の鉢が、いくつかありました
たぶん、これは、
社員食堂を・始めるまでは、
毎年のように、行っていた
>大和館だと、思うのです

>−過去日記・転載・小学校・高学年時代−
父が帰って来て初めての夏に、毎年恒例で出かけていた海岸沿いの高級旅館へ行く事に成りました。
ですが運悪く、旅行中に生理とぶつかる事に成りました。初潮は、父が居なかった時期に迎えていました。
道中楽しく、サービスエリアなどにも立ち寄りながら、ひとときの団欒を楽しんでいました。
そんな感じで夕方間近ごろ、旅館に着きました。
ですが、予約をしていなかったせいか、当日満室と断られてしまいました。
父はそれに激怒して、
「 毎年来ているんだ、なんとかしろ!VIP室が空いてるだろ?金はいくらでも出すから部屋を用意して欲しい! 」
と、強く支配人に食い下がりました。
支配人は、少々お待ちくださいと言い残して去り。少しして、VIP室を用意してくださいました。
父は言います。
「 な?満室でも、VIP室は常に空いているだろ? 」と、悪びれるでもなく言いました。
私は、父のこういった横暴な態度は好きではありませんでした。心に何かが、重くのしかかって来るようで。
旅館の目の前が・白い砂浜で
ほぼ、旅館の・プライベートビーチのようで

旅館の利用客しか、使われていないような感じで
落ち着いた、砂浜でした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
双子のように育った・イトコとです
ほとんど・ビキニを着ていました

ワンピースを着たくて、水着売り場で
なんども、泣いて怒られて・叩かれたり
それでも、ワンピースが、着たかったので
たぶん、、、上記の写真は
そんな過程での、めずらしく、母がワンピースを買ってくれた写真だと、思います

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↑この写真を見たとき・ビックリしました、、、

・「 誰が・撮った 」のか・判りませんが
これが、母方での・「 10歳の時からの・1年間 」で過ごした・場所でした、、、

自分の・「 表情( 写真 ) 」に・とても・複雑な気持ちに
いまもってしても、なお、、、思います、、、


>154cm(o`・ω・)ゞデシ!! 82キロくらいデ━d(・ω・`o)━ス☆
学校へ行く→ イジメられる→ 下校イジメられる→ 祖父たちにイタズラされる→ トイレの度にイタズラされる→ 時折折檻→ 時折霊能者の先生宅訪問→ 母からの要求や父への恨みの言葉→ 寝る→ 学校へ行く→

    ↑こんな・「 10歳の時の・1年間 」でした、、、

・ぬいぐるみ
    ↑幼児時代以外で、私が・「 ぬいぐるみ 」を持っている写真は・一枚もなかったので、、、この写真は、とても、私自身、、、「 奇妙 」に感じられ、、、とても、気持ち悪くも、感じられてしょうがない、写真です、、、


>顔の麻痺?顔面神経痛?>病院に・行ったことがないので・病名・判りません
10歳の時から
仕事や・性的虐待を・繰り返されるうちに
>顔が・麻痺?するようになりました
・まぶた
・くちもと

>じじと・母たち4兄弟と・ばばと・包丁と・2階から飛び降りろ!大作戦!と・酒乱挿話?です☆
    ↑上記の写真の「 部屋 」が・母たちが・幼い頃・育てられていた部屋でした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>・総合
★顔★
@児童ポルノ撲滅を目指す警察官僚出身の弁護士 後藤 啓二さん 50
☆忘れられない体験がある。警視庁でインターネット犯罪に取り組んでいた1998年。フランスで開かれた国際刑事警察機構( ICPO )の会議で・司会者から「 あの児童ポルノ大国から1人でやってきた勇敢な人物 」と皮肉たっぷりに紹介された。当時・日本には児童ポルノを規制する法律がなく・目を覆うような画像が世界中に流出していた。「 申し訳ない 」各国の捜査関係者らに・頭を下げるのが精いっぱいだった。翌年施行の児童買春・児童ポルノ禁止法も規制が不十分に思えた。被写体の子は一生・心の傷が癒えない。「 日本はなぜこれほど子どもたちの痛みに鈍感なのか 」・2005年・警察組織を飛び出した。司法試験に受かったのは在職中の92年。「 法律に精通したかった 」。通勤時や休日に法律書と向き合った。33歳。4度目の挑戦での合格だった。弁護士に転進後は・児童ポルノの単純所持の禁止などを求め・国会議員への陳情に飛び回った。3月末には役0人の弁護士グループも結成した。「 児童ポルノは児童虐待そのもの 」。信念は変わらない。
( 撮影・佐々木紀明・社会部 富所浩介 )


>アダルトチルドレン・克服・両極端
それでも、消化して、克服していけたらと、思います、、、

これが、一つのデータ
一つのサンプルとなりますように、、、

今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが、少しでも救われていきますように、、、
いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>−過去日記・幼少時代−( 写真・お祭り )−
   ↑・1枚の写真を・再加工しました

>以前ヤフーでコメントをいただいて。そして今回、アメーバブログでメールをいただいて



私自身・「 偏ったところ 」が・あるので、、、
これからも、よろしくお願いいたします、、、m(_ _)m
(画像が見れなくても・クリックしてくだされば・見れると思います(^^;;;>すみません)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
母と・お祭りです

母の実弟と・私です
なぜ、この約10年後に・
彼から・「 1年間・毎日・性的虐待 」を・受けることになったのか
今もってしても、わかりません、、、

こんな、赤ちゃんから、一緒にいたのに、、、
うちには・ベビーカーもなく
母に・抱っこされた記憶も
抱きしめられた記憶も・一つもないのですが

写真の中には・母に抱っこされている写真を
いくつか、見つけることができました
2歳くらいの・お祭りです

父と母と・イトコたちと・写っています
写真を、見つけることは、できなかったのですが
ドレッドのような・ビーズをあしらった細かい三つ網に
数時間・母に「 じっとしていなさい! 」「 ぶつよ! 」と、言われながら
朝6時くらいから、イスに座りっぱなしで、母に、髪を結われていたり

・「 着こなしが悪い! 」と、股や帯を、ギュッと!痛いほど、結ばれたり
私は、どんどん、「 おしゃれ 」が・大嫌いになっていきました
気分が悪くなる程・「 洋服 」が・未だに大嫌いです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イトコたちと・一緒に・「 山車 」を・引いています

たぶん?(^^;???
・私・「 山車ヤダ!山車ヤダ!山車ヤダ!! 」と・泣かされたような?(^^;???

そちて?(笑
   ↓
念願かなって?初めての・「 お神輿・デビュー 」?です☆>イトコたちの中で。一人で

これのほかに、もう一枚あるのですが(笑
手前の・お姉さんを見ています
・「 身長差 」などに・不安と期待で?胸いっぱいのようですです(^^;;;

目の端と・口の端に・赤い紅で
・子鬼メイクは
お祭りの・定番でした
>母が・とても気に入っていたので
お祭りの季節と・同時期頃
・「 花魁道中 」が・催されていました

花魁道中は、何度かでたことがあるのですが
私は、「 お化粧 」とか・「 動きにくい服 」が・大嫌いだったので、、、
   ↑性的被害( カラダを・お祭りなどで・不特定多数の知らない人たちに )が・もう、当たり前の毎日になっていたので
カラダに・ピッタリする服や・お祭りの衣装。キツイ服が・とにかく、逃れたくて、しょうがなかったのです

けれど、着たく無いと、「 理由は・いえずに・逃げれば 」
また、母から、泣いて・「 着ます 」というまで
折檻は、続くのです

とても、悪循環の毎日でした、、、

>「 性的被害 」を・受けていることは
母には、大人には、言えませんでした
言えなかった理由は・「 もう・これ以上!!誰からも・酷いことをされたくなかったから 」です、、、
それは・「 親 」からもでした、、、

地元では・「 花魁道中 」ではなくて
・「 乞食道中 」と、一部では・呼ばれていました

着物に予算が無かったのか
古い着物がほとんどだったからです
母方の・祖父母の飲食店です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↑この写真を見たとき・ビックリしました、、、

・「 誰が・撮った 」のか・判りませんが
これが、母方での・「 10歳の時からの・1年間 」で過ごした・場所でした、、、

自分の・「 表情( 写真 ) 」に・とても・複雑な気持ちに
いまもってしても、なお、、、思います、、、


>154cm(o`・ω・)ゞデシ!! 82キロくらいデ━d(・ω・`o)━ス☆
学校へ行く→ イジメられる→ 下校イジメられる→ 祖父たちにイタズラされる→ トイレの度にイタズラされる→ 時折折檻→ 時折霊能者の先生宅訪問→ 母からの要求や父への恨みの言葉→ 寝る→ 学校へ行く→

    ↑こんな・「 10歳の時の・1年間 」でした、、、

・ぬいぐるみ
    ↑幼児時代以外で、私が・「 ぬいぐるみ 」を持っている写真は・一枚もなかったので、、、この写真は、とても、私自身、、、「 奇妙 」に感じられ、、、とても、気持ち悪くも、感じられてしょうがない、写真です、、、


>顔の麻痺?顔面神経痛?>病院に・行ったことがないので・病名・判りません
10歳の時から
仕事や・性的虐待を・繰り返されるうちに
>顔が・麻痺?するようになりました
・まぶた
・くちもと

>じじと・母たち4兄弟と・ばばと・包丁と・2階から飛び降りろ!大作戦!と・酒乱挿話?です☆
    ↑上記の写真の「 部屋 」が・母たちが・幼い頃・育てられていた部屋でした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>・総合
★顔★
@児童ポルノ撲滅を目指す警察官僚出身の弁護士 後藤 啓二さん 50
☆忘れられない体験がある。警視庁でインターネット犯罪に取り組んでいた1998年。フランスで開かれた国際刑事警察機構( ICPO )の会議で・司会者から「 あの児童ポルノ大国から1人でやってきた勇敢な人物 」と皮肉たっぷりに紹介された。当時・日本には児童ポルノを規制する法律がなく・目を覆うような画像が世界中に流出していた。「 申し訳ない 」各国の捜査関係者らに・頭を下げるのが精いっぱいだった。翌年施行の児童買春・児童ポルノ禁止法も規制が不十分に思えた。被写体の子は一生・心の傷が癒えない。「 日本はなぜこれほど子どもたちの痛みに鈍感なのか 」・2005年・警察組織を飛び出した。司法試験に受かったのは在職中の92年。「 法律に精通したかった 」。通勤時や休日に法律書と向き合った。33歳。4度目の挑戦での合格だった。弁護士に転進後は・児童ポルノの単純所持の禁止などを求め・国会議員への陳情に飛び回った。3月末には役0人の弁護士グループも結成した。「 児童ポルノは児童虐待そのもの 」。信念は変わらない。
( 撮影・佐々木紀明・社会部 富所浩介 )


>アダルトチルドレン・克服・両極端
それでも、消化して、克服していけたらと、思います、、、

これが、一つのデータ
一つのサンプルとなりますように、、、

今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが、少しでも救われていきますように、、、
いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、

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