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(これは・母方の祖母宅での・話なので。小学校5年生のときの・出来事です)
祖父は・孫たちに、毎日100円を・お小遣いとして・くれました。 近くには・年の変わらない・イトコたちが・8人くらい・いました。 ( 長男・次男・母( 長女 )・三男末っ子( 生まれつき・心臓に穴が開いていて・二十歳まで・生きないと・言われていました ) 私も、毎日。祖父から・100円を・もらっていました。 いつしか・その100円を使わずに。毎日・銀行へ・持っていくように・なりました。 何ヶ月かを・毎日続けたころ。父と母が・再婚しました。 それによって・母が ・母・「 チエコ・通帳・預かっといてやる! 」と・言い出し。 私は・拒否したのですが。母は・怒り出し。 ・母・「 おまえが持ってたら!全部使っちゃうだろう!アタシが・ちゃんと・持っててやるって・言ってんだよ!3つのうちに・よこしなさい!いーち・にー・・・ 」 母の・怒気を孕んだ・「 声 」に、、、 私は・涙いっぱいになり・母に・通帳を・渡しました。 母が・父と再婚した以上。そのお金は・家を出て行くのに・使おうと・思っていたからでした、、、 それから・少し経ったころ、母に。 ・私・「 通帳ある?あれ・使いたいんだけど・返してくれる? 」と・聞くと ・母・「 ああ・アレ?つかっちゃったよ!生活費が足りなかったら・もう・ないよ! 」 私は・この一言で・固まってしまい、、、二の句も告げずに、、、ただ・唖然としてしまいました、、、 以来、、、 >「 貯金 」が・できなくなりました。 また、どんなに・10歳のころから働いても。お小遣いも・給料も・ほとんど・なかったので・貯めることも、難しかったのです。 少ない給料から。 ・テレビ ・ご飯代( 家で食べる・以外の。仕事先でのなど ) ・交通費など すべて・ほとんど。自分で・出していたからです、、、 うちは・「 貧乏 」なのだと・大人になっても・しばらくの間・信じていたので、、、 私の・「 給料 」は・そっくりそのまま・「 接待 」に・使われているのだと、、、 大人になっても。 臨時的な・ボーナスなどが入っても。ときどき・そっくりそのまま・母に・もって行かれることも・ありました。 私の給料は・22〜23歳くらいまでは。数万円でした。 そこから・少しずつ・増えていき。最終的には・十数万円に・なりました。 |
−過去日記・転載・小学校時代−
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テーマ:−過去日記・転載・小学校時代−
(写真が見れなくても・クリックしてくだされば・見れると思います(^^;;;>すみません)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ときどき・母は
私の水着( ビキニ )を
イトコに・貸していました
http://stat.ameba.jp/user_images/20120511/20/buraiai/e1/78/j/t02200325_0800118111967426129.jpg 母は・ほとんどを 私ばかりを・撮っていました
http://stat.ameba.jp/user_images/20120511/20/buraiai/b2/1a/j/t02200319_0800116011967439333.jpg http://stat.ameba.jp/user_images/20120511/20/buraiai/39/40/j/t02200157_0800057011967445528.jpg 母に、「 ポーズ 」を、
取らされていたのを・覚えています
http://stat.ameba.jp/user_images/20120511/20/buraiai/06/dd/j/t02200308_0800112111967460986.jpg
母は・言います ・母・「 昔のおまえは・出べそなくらい・スタイルがよくて・足だってスラっとしてたんだ!寝てばかりいるから・そんなになっちゃったんだ! 」と、
一時期、よく、口にしていました
>79年なので
性的虐待を受ける1〜2年ほど前の・写真です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>過去日記・小学校時代・写真
小学校時代は・今日で一旦・終了します
次からは
>過去日記・中学時代・日記更新に・移行します
>いま・弟から、電話がありまして?7分28秒>追徴課税8000千万円>母に聞いた父がロリコンなのか
それは
父が・私に内緒で・私が居ない時に・弟が
私の・写真を・取りに来た・写真でした
その・写真は・全部で10枚足らず けれど・10歳くらいの私は・全て・水着か・全裸でした
それらは・ほとんどが・「 母に・ポーズを・取らされて・母に・取られた・写真 」ばかりでした、、、
>全て・ビキニです
↑母の居住スペースにある写真を・4〜5回、整理しながら、写真のピックアップをしてきました
私の
・ビキニ写真
・裸の写真
↑これらが・ほとんど・なくなっていました
ビキニの写真にいたっては
今日アップしたもの以外・ほとんど、見当たりませんでした、、、
・裸の写真も・ほとんど・なくなっていました
一体、、、弟は、どれほどの・「 私の幼少期の・ビキニ・裸の写真 」だけを、
持ち出したのか、、、本当に、気分が悪くなる、、、
それを、本当に・「 父の・命令 」だったのか、、、
とっちにしても、気持ちが悪くなってくる、、、
>性的虐待
今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが・少しでも救われていきますように、、、
いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑この写真を見たとき・ビックリしました、、、
・「 誰が・撮った 」のか・判りませんが
これが、母方での・「 10歳の時からの・1年間 」で過ごした・場所でした、、、
自分の・「 表情( 写真 ) 」に・とても・複雑な気持ちに
いまもってしても、なお、、、思います、、、
>154cm(o`・ω・)ゞデシ!! 82キロくらいデ━d(・ω・`o)━ス☆
学校へ行く→ イジメられる→ 下校イジメられる→ 祖父たちにイタズラされる→ トイレの度にイタズラされる→ 時折折檻→ 時折霊能者の先生宅訪問→ 母からの要求や父への恨みの言葉→ 寝る→ 学校へ行く→
↑こんな・「 10歳の時の・1年間 」でした、、、
・ぬいぐるみ
↑幼児時代以外で、私が・「 ぬいぐるみ 」を持っている写真は・一枚もなかったので、、、この写真は、とても、私自身、、、「 奇妙 」に感じられ、、、とても、気持ち悪くも、感じられてしょうがない、写真です、、、
>顔の麻痺?顔面神経痛?>病院に・行ったことがないので・病名・判りません
10歳の時から
仕事や・性的虐待を・繰り返されるうちに
>顔が・麻痺?するようになりました
・まぶた
・くちもと
>じじと・母たち4兄弟と・ばばと・包丁と・2階から飛び降りろ!大作戦!と・酒乱挿話?です☆
↑上記の写真の「 部屋 」が・母たちが・幼い頃・育てられていた部屋でした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>・総合
★顔★
@児童ポルノ撲滅を目指す警察官僚出身の弁護士 後藤 啓二さん 50
☆忘れられない体験がある。警視庁でインターネット犯罪に取り組んでいた1998年。フランスで開かれた国際刑事警察機構( ICPO )の会議で・司会者から「 あの児童ポルノ大国から1人でやってきた勇敢な人物 」と皮肉たっぷりに紹介された。当時・日本には児童ポルノを規制する法律がなく・目を覆うような画像が世界中に流出していた。「 申し訳ない 」各国の捜査関係者らに・頭を下げるのが精いっぱいだった。翌年施行の児童買春・児童ポルノ禁止法も規制が不十分に思えた。被写体の子は一生・心の傷が癒えない。「 日本はなぜこれほど子どもたちの痛みに鈍感なのか 」・2005年・警察組織を飛び出した。司法試験に受かったのは在職中の92年。「 法律に精通したかった 」。通勤時や休日に法律書と向き合った。33歳。4度目の挑戦での合格だった。弁護士に転進後は・児童ポルノの単純所持の禁止などを求め・国会議員への陳情に飛び回った。3月末には役0人の弁護士グループも結成した。「 児童ポルノは児童虐待そのもの 」。信念は変わらない。
( 撮影・佐々木紀明・社会部 富所浩介 )
>アダルトチルドレン・克服・両極端
それでも、消化して、克服していけたらと、思います、、、
これが、一つのデータ
一つのサンプルとなりますように、、、
今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが、少しでも救われていきますように、、、 いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、 |
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テーマ:−過去日記・転載・小学校時代−
(画像が見れなくても、クリックしてくだされば、見れると思います(^^;;;>すみません)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母方の祖母と・イトコたちとの・誕生日会です
ストーブは、1年中出しっぱなしで
冬になると、ストーブの上に、みかんを置いて
あっためて、食べました
後日、母に聞いたのですが
珍しく、父が帰ってきたのは
ほかの女性との生活費に困って、
母に・「 仕事で・お金が足りないから 」と、
もらいに立ち寄っただけだと、聞きました
写真に写っているイトコは
一つ上の・イトコです
のちに・彼から
1年間の祖母宅で
性的虐待を、受けることになりました
この部屋は、リビングから一番遠く
・「 大人の目の・死角 」になっていて
このころは、父の鳩小屋の世話をしたいという
中学生の「 お兄さんたち 」3人のかたに
2人を除いて( ←のちに、母の社員食堂へ・正社員として来ますが、精神的に病んでいってしまいます、、、 )
1人の・「 お兄ちゃん 」に
数年間・「 イタズラ 」され続けました
>小学校低学年の記憶 (20060819)
家には大きな鳩小屋がありました。
父が鳩のレースをしていたので、少し年上のおにいちゃんたちも、鳩の世話がしたくて、よく家に遊びに来ていました。 ですが、幼少時代にも触れたように、一人のおにいちゃんに触られるのが嫌になり、 私はだんだん人と接するよりも、テレビを見るのが好きになりました。 >みつばちマーヤ。
うちに来ていたおにいちゃんたちも、マーヤに似ていると可愛がってくれました。
一人のおにいちゃんを除いては。 そのおにいちゃんには抱っこされるのも、撫でてもらうのもどこか嫌でなりませんでした。 触られたくなかったので、プロレスごっこで「やめて!」とおにいちゃんに抗議しているつもりでした。 だけどそれは、おにいちゃんにとっては、逆効果だったようです。 私はおにいちゃんに馬乗りになって、「参った?」と勝ち誇っていました。 もう、触らないで欲しかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の右に写っているのが・「 廊下 」でした
>幼少時代から・30数年間の・「 家 」の・歴史?と、、、
新婚当初?の・母たちは・洋風な家を・頼んだのですが・昔気質?の・大工の棟梁が・「 家の中に・廊下のある・古風な家 」を・作って・当時・母・大ショック?だったようデ━d(・ω・`o)━ス
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母方の・祖父母宅兼飲食店での・「 誕生日会 」です
誰の誕生日かは、ちょっと、分かりませんが
( 母から、いま、電話がありまして(^^;;;>お風呂行くのに、今日は天候のためか、犬がうるさいので、預かってくれとのことなので。母がお風呂の間、下にいってきます>ちょっと、着になる写真があるので、見てきます )
この・1年後くらいに
母の実弟から、1年間
毎日、性的虐待を・受けるようになりました
なぜなんだろう?と、思う、、、
振り返ると、
おじは、なぜか、私にだけ・「 ごはんを・作ってくれた 」
そして、私を探して、
おじの新商品の
・かたやき焼きそばのときに、遊んでいる私を・待って
・おじ・「 チエコ!これ・食べてみろ、なにが足りないか・言ってくれ! 」と、言われ
おじの作るものなど、食べたくは無かったけれど、
周りが、おじが、それを許してくれず、おじの作った新商品を食べると
おじが、「 どうだ?うまいか?なにか足りないか? 」と、矢継ぎ早に聞いてくるので
メンドクサイと思いながらも、おじの作った「 かたやきそば 」を、吟味してみると
普通に、おいしいのだけど
・「 洋がらし 」が、ついてなかったので、それを指摘すると
・おじ・「 そうか!!洋がらしだ!!なにか、足りないと思ったら!洋がらしだった!!ありがとう!! 」と、おじに、いつものように、頭をなでられてお礼を言われた、、、とても、複雑な気分だった、、、
おじは、なぜか、昔から
・自分の・奥さん
・自分の・息子
・自分の・両親
・自分の・姉( ←私の母 )に、聞かず
私に、意見を求めたり、また、あまりほかの誰にも、ごはんを作らないのに
私には、「 一人分 」を、ちょこちょこ、作ってくれました
>−過去日記・転載・小学校・低学年時代−
・○○チン。 (20060824)
母の一番下の弟。
母は4人兄弟の3番目に生まれた長女でした。 一番下の弟は生まれつき体も弱く、「 二十歳まで生きられない 」と、医者に言われていたそうです。 >母と・アメーバと・私。・゚゚(ノД`)あ゙〜ん (健全な家庭環境で育ったかたは・気分を害するかも
ばばは・末っ子の・三男を・ことさら・可愛がっていた
生まれつき・心臓が弱く
心臓に・穴?が・あいていたらしい
二十歳まで・生きないと・言われていたらしい
だから・祖母は
学校からも・来させないでくれと・言われている三男に
・祖母・「 この子が・授業中死んでも・一切・学校へ異議申し立てはしません。だから・通わせてください 」と、、、
祖母は・三男には。 勉強も・遊びも・してもしなくても
好きなことばかりを・させていた
>死んでしまうと・思っていたから、、、
そして・月日は流れ、、、
私が・10歳の時
5年生の1年間を、、、祖母宅で
三男夫妻と一緒に、、、過ごしてた
毎日、、、
三男に、、、祖父に、、、
>性的虐待を・受けていた
三男に・44キロくらいの体重が・38キロくらいにまで・痩せたとき ・三男・「 俺のせいか? 」と・泣きそうな顔で・見られた
いままでに・感じたことがないほどの・怒りがわいた、、、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑この写真を見たとき・ビックリしました、、、
・「 誰が・撮った 」のか・判りませんが
これが、母方での・「 10歳の時からの・1年間 」で過ごした・場所でした、、、
自分の・「 表情( 写真 ) 」に・とても・複雑な気持ちに
いまもってしても、なお、、、思います、、、
>154cm(o`・ω・)ゞデシ!! 82キロくらいデ━d(・ω・`o)━ス☆
学校へ行く→ イジメられる→ 下校イジメられる→ 祖父たちにイタズラされる→ トイレの度にイタズラされる→ 時折折檻→ 時折霊能者の先生宅訪問→ 母からの要求や父への恨みの言葉→ 寝る→ 学校へ行く→
↑こんな・「 10歳の時の・1年間 」でした、、、
・ぬいぐるみ
↑幼児時代以外で、私が・「 ぬいぐるみ 」を持っている写真は・一枚もなかったので、、、この写真は、とても、私自身、、、「 奇妙 」に感じられ、、、とても、気持ち悪くも、感じられてしょうがない、写真です、、、
>顔の麻痺?顔面神経痛?>病院に・行ったことがないので・病名・判りません
10歳の時から
仕事や・性的虐待を・繰り返されるうちに
>顔が・麻痺?するようになりました
・まぶた
・くちもと
>じじと・母たち4兄弟と・ばばと・包丁と・2階から飛び降りろ!大作戦!と・酒乱挿話?です☆
↑上記の写真の「 部屋 」が・母たちが・幼い頃・育てられていた部屋でした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>・総合
★顔★
@児童ポルノ撲滅を目指す警察官僚出身の弁護士 後藤 啓二さん 50
☆忘れられない体験がある。警視庁でインターネット犯罪に取り組んでいた1998年。フランスで開かれた国際刑事警察機構( ICPO )の会議で・司会者から「 あの児童ポルノ大国から1人でやってきた勇敢な人物 」と皮肉たっぷりに紹介された。当時・日本には児童ポルノを規制する法律がなく・目を覆うような画像が世界中に流出していた。「 申し訳ない 」各国の捜査関係者らに・頭を下げるのが精いっぱいだった。翌年施行の児童買春・児童ポルノ禁止法も規制が不十分に思えた。被写体の子は一生・心の傷が癒えない。「 日本はなぜこれほど子どもたちの痛みに鈍感なのか 」・2005年・警察組織を飛び出した。司法試験に受かったのは在職中の92年。「 法律に精通したかった 」。通勤時や休日に法律書と向き合った。33歳。4度目の挑戦での合格だった。弁護士に転進後は・児童ポルノの単純所持の禁止などを求め・国会議員への陳情に飛び回った。3月末には役0人の弁護士グループも結成した。「 児童ポルノは児童虐待そのもの 」。信念は変わらない。
( 撮影・佐々木紀明・社会部 富所浩介 )
>アダルトチルドレン・克服・両極端
それでも、消化して、克服していけたらと、思います、、、
これが、一つのデータ
一つのサンプルとなりますように、、、
今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが、少しでも救われていきますように、、、 いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、 |
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テーマ:−過去日記・転載・小学校時代−
(写真が見れなくても、クリックしてくだされば、見れると思います(^^;;;>すみません)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が11歳くらいになるまでは( ←母が・写真食堂をやるまでは )
イトコたちと10人くらいで、うちの両親と
夏休みの数日間を、一緒にすごすごとが
当たり前みたいになっていた、時期がありました
↑母方の兄弟全て、飲食店をやっていたので、どうしても「 休み 」がとれず、母が夏休みは子供たちを預かって、旅行に連れて行くというのが、定番になっていたようです( ←全ての費用は・母持ちだったそうです。祖母が、少しでも兄嫁たちと、うまく行くようにと、母はおこなっていたこともあるそうです )
双子のように育っていたイトコの父( ←母の2目の兄 )の紹介から
しばらくの間、数年は
那須が定番に・なりました
写真は
・性的被害
・イジメを、受けるようになってから
私は、あまり写らないように、なりました
けれど、母が写真機を持っているときは、どうしても、
・「 写らない 」ことが、できないので
↑母の逆鱗に、触れてしまうので>殴る蹴る・冒険の・「 折檻 」
写真は、拒否は出来ませんが
変な顔や、手などで写らない様に
・「 工夫? 」していくようになりました
また、なぜか?
母が撮る写真の多くは・なぜか
>逆光が多かったので
とても、まぶしくて、しょうがなかったのを、覚えています
那須が・私自身好きだったのは
トンボが・とてもたたくさん、飛んでいたからです
通り雨が降ると
・みみず
・カエル
・ヘビ
そんなのが、たくさんいて
とても、楽しかったからです
>東京では、あまり感じない・「 葉っぱのニオイ 」などが
とても好きだったからです
自然を、そのままに・「 遊べるスペース 」が・たくさんあって
私はとても、那須が大好きでした
この池で、父は、
バランスを崩し、落ちそうになった瞬間
タバコを落としたのを、覚えています
↑その写真があったのですが、持ってくるのを、忘れちゃったので、母の居住スペースには、あると思います
池の鯉を釣るために、練りえさを・つけているところです
このときじゃないと、思うのですが
母の2番目の兄( ←妹の実父 )と、中学時代?に、
那須の貸し別荘へ
大人は、おじさん一人だけで行ったのですが(^^;;;
このとき、生涯の・「 食に関する・トラウマ 」を・いただきましたぎゃふん☆(笑
釣った鯉は、キャッチ&リリースなんですが
おじさんが、何匹かの鯉を持ち帰り
>「 鯉こく 」を、作ることになりました
↑双子のように育ったイトコ( ←イトコの実父 )&私は・大反対でしたが、おじさんが、「 いいから!食べてみろ!!うまいから!! 」というので。
せっかく、作ってもらったし、、、
鯉こくなら、祖父母の田舎から、毎年のように、生きている鯉を、濡れた新聞紙に包んで
鯉こく用として、年に1回食べていたので
なんとなく、釈然としないまま、箸をつけました・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・il||li_| ̄|○il||li ムリ・・・食べられない・・・
鯉こくは、いままで食べていた「 鯉こく 」と違い
・臭くって
・油がすごくって
とても、食べられませんでした(^^;;;>吐き気が、とまらなかったです
↑このことを、数日遅れでうちの両親が来たときに、ちゃんと?チクっといたです(笑
>両親曰く
・鯉は、泥を吐かせないと・臭くって・食べられない
・練エサの鯉は・えさくさいだろう
↑とのことでちた・・・il||li_| ̄|○il||li 鯉たん、、、食えんかった、、、すまん
2歳・年下のイトコ( ←のちに・私が10歳くらいの時から・同居をすることになる )が
鯉が釣れなくて、釣竿に、パンをつけて
池にいたアヒルに、投げようとした時に
係員のかたに、あわててとめられたのが(^^;;;>印象的でした
遊んでいる最中に、呼び止められて
・「 静止 」して
写真を撮られるのが、とても、苦痛でした、、、
動いているのを、とめられるのが
とても、苦痛でした、、、
そして、写真の・「 ポーズ指定 」されることも
とても、苦痛でした、、、
珍しく?楽しそうな・「 写真 」です
後ろに写っている女性は
うちが・「 賃貸 」をしていたころ、2階の部屋を貸していた女性なので
たぶん、この写真は4年生前後の写真だと、思います
↑母が社員食堂をやることには、もう、いなかったので、、、「 母の・身辺整理 」で、、、
>母と、長兄との・「 関係 」、、、>補足
このとき、空手をやっていた、母の兄
長兄を家に呼び
あることを・長兄に・「 お願い 」したそうです
それにより、2階の夫妻は出て行くことになりました、、、、、、、、、、、、、
アニメも、かなり、見ていたハズなんですが、、、
自分が見ていたアニメの、ほとんどを
私は、思い出すことができません、、、
後ろの家が・「 貸し別荘 」に・なっています
上記の女性と
私が10歳くらいの時に
母が全ての費用を持っての
>沖縄旅行などの写真も、見当たらなかったです(^^;;;
↑たぶん、こういうのも、また、、、母達の関係が、少しずつ、おかしくなっていった要素の一つかも知れません、、、
母曰く
・母・「 トイレットペーパーから、しょうゆ・生理用ナプキンまで、うちにあるものはみんな、@@子( ←母が、通っているキサテンの、幼馴染の女性 )と二人で、なんでも持っていったからな!それで、金が貯まっていったんだから賢いよな 」
・母・「 長く付き合うなら、家の中にあまり、入り込ませちゃダメだな、、、最初は善意で、なんでも持って言っていいよといっても、それが、当たり前になっちゃうからな 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>・総合
★顔★
@児童ポルノ撲滅を目指す警察官僚出身の弁護士 後藤 啓二さん 50
☆忘れられない体験がある。警視庁でインターネット犯罪に取り組んでいた1998年。フランスで開かれた国際刑事警察機構( ICPO )の会議で・司会者から「 あの児童ポルノ大国から1人でやってきた勇敢な人物 」と皮肉たっぷりに紹介された。当時・日本には児童ポルノを規制する法律がなく・目を覆うような画像が世界中に流出していた。「 申し訳ない 」各国の捜査関係者らに・頭を下げるのが精いっぱいだった。翌年施行の児童買春・児童ポルノ禁止法も規制が不十分に思えた。被写体の子は一生・心の傷が癒えない。「 日本はなぜこれほど子どもたちの痛みに鈍感なのか 」・2005年・警察組織を飛び出した。司法試験に受かったのは在職中の92年。「 法律に精通したかった 」。通勤時や休日に法律書と向き合った。33歳。4度目の挑戦での合格だった。弁護士に転進後は・児童ポルノの単純所持の禁止などを求め・国会議員への陳情に飛び回った。3月末には役0人の弁護士グループも結成した。「 児童ポルノは児童虐待そのもの 」。信念は変わらない。
( 撮影・佐々木紀明・社会部 富所浩介 )
>アダルトチルドレン・克服・両極端
それでも、消化して、克服していけたらと、思います、、、
これが、一つのデータ
一つのサンプルとなりますように、、、
今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが、少しでも救われていきますように、、、 いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、 |
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テーマ:−過去日記・転載・小学校時代−
(写真が見れなくても、クリックしてくだされば、見れると思います(^^;;;>すみません)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://stat.ameba.jp/user_images/20120509/18/buraiai/67/74/j/t02200310_0800112811963843703.jpg
このころは・学校でイジメられていたので とにかく、母が買ってくる・オンリーワンのような・ダボなどではなく
・町内会のはっぴ
・その辺で売っているダボなど
↑母は・納得してくれませんでしたが、それでも、なんとなか納得してもらえるように、四苦八苦でした
もう、このころには、お祭り自体に参加したくなくて、しょうがなかった頃でした
>ひじょ〜に〜キビシィ〜(^^;;;
↑そんな・写真です?・・・il||li_| ̄|○il||li
>81年と・写真には・表示されているので
この年か・次の年には
母方の、
・母の弟
・母の父から
・イトコ( 母の一番上の兄の長男 )
性的虐待を、1年間。毎日受けることになりました
↑祖父と、イトコからは、ときどきでした
http://stat.ameba.jp/user_images/20120509/18/buraiai/01/c0/j/t02200155_0800056311963864555.jpg 女の子らしい、「 浴衣 」を、着てみたくなり 母に、頼み込んだ記憶があります
母は・
・ダボ
・どんぶり
↑こちらのほうが・断然!好きだったので
浴衣自体を、お祭りで着させてもらえることは、あまりありませんでした
右端が・一つ年下のイコト
左の紫のはっぴが、3つ違いの弟です
浴衣を・着てみたかったのですが
おしとやかさが・あまりないですね(^^;;;
このころは、まだ
お祭りなどで、知らない人に
カラダのラインを触られるくらいだったので
まだ、お祭りも、それほど嫌いじゃなかった時期かも知れません、、、
ただ、イジメが、毎年エスカレートしていくことに
・みんなと同じ・はっぴ
・はっぴに・ジーンズ
↑この格好をしたくなり、母は、なかなか許してくれなくて
母曰く・「 みんなと同じじゃない 」「 おまえは・本当に趣味が悪い! 」「 もっと・自分に似合う服を着なさい! 」と、なかなか、聞き届けては、くれませんでしたが、、、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑この写真を見たとき・ビックリしました、、、
・「 誰が・撮った 」のか・判りませんが
これが、母方での・「 10歳の時からの・1年間 」で過ごした・場所でした、、、
自分の・「 表情( 写真 ) 」に・とても・複雑な気持ちに
いまもってしても、なお、、、思います、、、
>154cm(o`・ω・)ゞデシ!! 82キロくらいデ━d(・ω・`o)━ス☆
学校へ行く→ イジメられる→ 下校イジメられる→ 祖父たちにイタズラされる→ トイレの度にイタズラされる→ 時折折檻→ 時折霊能者の先生宅訪問→ 母からの要求や父への恨みの言葉→ 寝る→ 学校へ行く→
↑こんな・「 10歳の時の・1年間 」でした、、、
・ぬいぐるみ
↑幼児時代以外で、私が・「 ぬいぐるみ 」を持っている写真は・一枚もなかったので、、、この写真は、とても、私自身、、、「 奇妙 」に感じられ、、、とても、気持ち悪くも、感じられてしょうがない、写真です、、、
>顔の麻痺?顔面神経痛?>病院に・行ったことがないので・病名・判りません
10歳の時から
仕事や・性的虐待を・繰り返されるうちに
>顔が・麻痺?するようになりました
・まぶた
・くちもと
>じじと・母たち4兄弟と・ばばと・包丁と・2階から飛び降りろ!大作戦!と・酒乱挿話?です☆
↑上記の写真の「 部屋 」が・母たちが・幼い頃・育てられていた部屋でした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>・総合
★顔★
@児童ポルノ撲滅を目指す警察官僚出身の弁護士 後藤 啓二さん 50
☆忘れられない体験がある。警視庁でインターネット犯罪に取り組んでいた1998年。フランスで開かれた国際刑事警察機構( ICPO )の会議で・司会者から「 あの児童ポルノ大国から1人でやってきた勇敢な人物 」と皮肉たっぷりに紹介された。当時・日本には児童ポルノを規制する法律がなく・目を覆うような画像が世界中に流出していた。「 申し訳ない 」各国の捜査関係者らに・頭を下げるのが精いっぱいだった。翌年施行の児童買春・児童ポルノ禁止法も規制が不十分に思えた。被写体の子は一生・心の傷が癒えない。「 日本はなぜこれほど子どもたちの痛みに鈍感なのか 」・2005年・警察組織を飛び出した。司法試験に受かったのは在職中の92年。「 法律に精通したかった 」。通勤時や休日に法律書と向き合った。33歳。4度目の挑戦での合格だった。弁護士に転進後は・児童ポルノの単純所持の禁止などを求め・国会議員への陳情に飛び回った。3月末には役0人の弁護士グループも結成した。「 児童ポルノは児童虐待そのもの 」。信念は変わらない。
( 撮影・佐々木紀明・社会部 富所浩介 )
>アダルトチルドレン・克服・両極端
それでも、消化して、克服していけたらと、思います、、、
これが、一つのデータ
一つのサンプルとなりますように、、、
今現在、イジメや虐待で苦しんでいる子供たちが、少しでも救われていきますように、、、 いまもなお、苦しんでいるアダルトチルドレンのみなさんが、少しでも救われていきますように、、、 |




