穂の国たより

東三河は、昔「穂の国」といわれました。

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 585年敏達天皇が崩御した。蘇我馬子が仏塔を大野丘に立てる。物部守屋、中臣勝海が、仏殿、仏塔を焼く。
 
その時、善信尼という尼を捕まえ市場で鞭打ちの刑にしてしまう。随分と乱暴なことをしたものだ。この敏達の皇
 
后が、後の推古天皇で豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)でした。敏達は天然痘で亡くなったと書
 
かれている。三輪君逆という者に、もがりの宮を守らせた。ところが物部側の穴穂部皇子がやってきて三輪君逆
 
を無礼だとして逃げるのを追いかけて殺してしまう。よく仕えていた家臣を殺されてしまい炊屋姫は檄怒します。
 
そこで馬子は炊屋姫から穴穂部、宅部の両皇子を殺せという命令をもらい、いち早く滅ぼしてしまう。かくして最
 
後の戦いが始まるわけ、渋川で守屋が殺されて物部一族は滅ぼされ蘇我側の勝利に終わります。炊屋姫は、
 
自分の息子、竹田皇子を皇位に就けたかったのですが、まだ幼いため、中継ぎとして嵩峻天皇が皇位につきま
 
す。しかし嵩峻天皇は炊屋姫と馬子に反抗したらしく暗殺されてしまいます。朝廷で天皇が家臣に殺されるなど
 
ということは、空前絶後の出来事でした。炊屋姫は敏達、用明、嵩峻と続いた次に日本初の女帝・推古天皇とし
 
て皇位つきます。時に厩戸皇子は19歳、推古天皇は30歳でした。皇位継承の黒幕は、恐らく炊屋姫だろうと思い
 
ます。馬子がその実行隊長でしょうね。馬子と炊屋姫は単なる叔父と姪の関係だったのかどうか、極めて怪し
 
い。歴史家の中には、それ以上の関係があったのではと指摘する方もいるようです。証拠は何もありませんが。

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こんばんは。

蘇我氏に関しては死後藤原一族によって事実を歪曲されてしまったとか。
入鹿、馬子など本来の名前ではないでしょうからね。
まあ、歴史書はその時の権力者が自分の正当性を知らしめるための
道具だったのは世の東西を問わず証明されてますから。
客観的事実ではない事もあるでしょうね。
柿本人麻呂も死んだときの記述が柿本猿にされていますね。

2010/4/9(金) 午後 11:17 てんがらもん

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>てんがらもんさん、こんばんは。
今日は暑いくらいの初夏の陽気でした。半袖でも良いくらいです。
おっしゃるように記録に残る歴史はあくまでも勝者側から見た歴史です。都合の悪いことは消されてしまいますね。立場を変えればまた別
の歴史が見えてきます。書記もそのあたりで随分困っているような
記述がたくさんあります。そこがまた面白いところです。
人麻呂の死にも大きな謎があるようですね。

2010/4/10(土) 午後 6:15 [ kaku ]


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