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昨日、突発の雑用で出掛ける事になりました。
10分程度で終わる雑用。
せっかく車で出かけるなら、どこか行ってみよう と考えた自分。
それなら、福島県に行ってみよう。
被災後の復興状況をこの目で見てみよう!
と言う事で、車にデジカメ・フィルムのEOS5・OM4を乗せ8時半に自宅を出発します。
なぜ福島か というと、今年の夏、福島県の南相馬市で災害ボランティアをやりたいな と考えていました。
募集があるのを知ったので。
福島第一原発の影響でボランティアが少ないらしい。
災害後、立ち入り規制区域になりましたからね。
でも、結果として 写真 の方に気を取られ参加できませんでした。
それなら、せめて現状だけでも見ておきたい。
生まれ故郷の茨城県の日立市・那珂湊市・大洗町の被災直後と今を見てきたので、ボランティアをしようと考えた南相馬市の今を知っておこう と思った次第。
茨城の被災状況と復興状況(自分の過去ブログ)
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早々に雑用を済ませ、加須インターから東北道に乗ります。
二本松インターを降りたのが、丁度正午。
ここから県道と国道114号線を走り浪江町にむかいます。
今年の4月立ち入り規制が緩和されて、浪江町の一部に立ち入る事が出来るようになったので・・・
川俣町を経由して浪江町に入り込みます。
川俣町、住民が住んでいます。
見た目上は災害の記憶は無さそうに思えました。
でも、仮設の学校?はある・・・
人々は平穏ですね。
山村を抜け走っていくと、人の気配が無くなります。
川俣町の山木屋地区を抜けたあたり・・・
民家は点在するけど、住民が居ない。
この辺りの集落は廃墟・・・
道端では、関係者が除染作業を行っていました。
流石に撮る訳にはいかないので通り過ぎました(撮ると失礼にあたると思って・・・)。
そのまま浪江町に入り込み、津島地区に入り込みます。
ここから先(国道114号)は災害規制区域で立ち入り禁止。
ここは、もう廃村(死んだ集落)でした。
廃墟ですね。
建物は災害があった当時のまま。
今は誰も住んでいませんし、人も皆無。
立ち入りは可能ですが居住禁止区域。
住民・警察・役場の車が3台ほど走り去った程度。
シーンと静まりかえっています。
怖いぐらいの静けさ・・・
生き物が居ません。
ネコが居た程度・・・
その津島地区はこんな感じ・・・
浪江町津島地区の山里風景
見かけは秋が訪れた静かな山里なのですが・・・
ここ一帯に人気は皆無
だれも居ません
廃村と化しています
ここの集落の状況
震災当時のまま
だれも住んでいません
洗濯ものを部屋干ししたまま避難したと思われる民家もあります。
交差点の信号は点滅・・・
廃墟となっている集落です
ここの交差点に立っている看板
数百メートル先は福島第一原発事故による立ち入り制限区域です
さて、走ってきた国道114号を戻ります、南相馬市に向かうために。
国道399号の分岐点に着くと・・・
立派な民家の瓦屋根が壊れたまま・・・
ここの集落も廃墟
国道399号は道が陥没
応急処置したけ土嚢が無残、1年8カ月の重み・・・
国道399号もこの先は通行止め。
帰宅困難区域なので立ち入りが出来ません。 国道114号をさらに川俣町の山木屋地区まで戻ります。
ここから県道を走って飯館村に入ります。
飯館村の比曽地区に入ると、やっぱりここも廃村、というか廃墟。
飯館村も立ち入りが緩和され立ち入り可能となりましたが、やはり居住禁止区域。
比曽地区で見かけた畑と民家
廃墟ですね
この畑は耕作放棄され荒れ放題です
犬が鳴いている民家がありました。
一時的に戻って自宅の整理でもしてるのかな?
ここ比曽地区の東1.5km先は帰宅困難地域ですね。
県道は帰宅困難地域を抜けるので、この先で通行止め。
ここから村道を走り飯館村役場を通過します。
役場には関係者の車が多数止まっていました。
復旧作業者用仮設事務所も有ります。
でも、日中だけの話。
居住禁止区域ですから夜には居なくなるでしょう。
役場を過ぎて県道12号線に入り込みます。
ここ県道12号線は交通量が多いです。
福島市・二本松市・郡山市から南相馬市に入る幹線(唯一の道路)ですから。
この県道だけは「生きている!」と感じました。
飯館村も浪江町も廃村・廃町と化していますから。
誰も居ないし・・・
浪江町は村全体が死んでる、飯館村も県道12号線周辺以外は死んでる・・・
居住禁止区域・帰宅困難地域、帰りたくても帰れない区域・・・
寂しいし、悲しい。
走っていて 怖い という恐怖がありました。
飯館村の県道12号線沿いは、所々で除染作業が行われています。
早期帰村が出来るよう、関係者が頑張っています。
川俣町の居住禁止区域も、早期帰宅できるよう除染作業を行う作業員が頑張っています。
でも、浪江町はその気配さえない・・・
早期帰町ができる気配は無い。
なんか、捨てられた町 という感じがしました。
なんか、もう生き返ることが無い町 と感じた・・・
さて、県道12号線を走り南相馬市に入ります。
ここに住んでいる人は、皆穏やか。
コンビニに寄ったけど、普段と変わりがない。
震災の爪痕も、見た目上無いですね。
南相馬市役所を通過して海岸に出て見ます。
海岸は津波の爪痕が残ってました。
今は重機が入って津波被害を受けた所は更地になっています。
関係者が重機・トラックで災害瓦礫の撤去を行って、土地の整地を行っています。
津波被害を受けた土地で、重機による整地を行っている所
瓦礫を運ぶトラックかな?
瓦礫の一時保管場所に向かうトラック
そのトラックが走った道路
津波被害から復旧を進めて更地となった土地
津波被害による瓦礫の撤去が終わった更地
震災瓦礫の一時保管場所
このがれき、どのように処分するのだろう?
その更地のなかにある唯一の仮設建物
南相馬の明るい未来を願うモノですね
写真を撮ったここは、海岸から800m入った所。
この先は災害通行止め区域。
なので、これで今日の目的は終わり。
今の時間は午後3時半。
来た道を戻る事にします。
南相馬市から飯館村・川俣町を経由して二本松市まで戻ります。
二本松インターから東北道に乗り、加須インターで下りて自宅に戻りました。
自宅に着いたのが夜9時半。
13時間のドライブとなりました。
走行距離は、ほぼ700km。
ちょっと無謀なドライブだったかな?
これが今の福島県の復興状況です。
川俣町の極東部・浪江町・飯館村は廃村・廃町の状態でした。
死んだ町村 と感じました。
唯一生きている! と感じられるのが飯館村を走る県道12号線沿いのみ。
復興作業が行われていのが川俣町極東部の一部と飯館村中心街のみ。
残りは死んだ町村と言わざるを得ない。
立ち入り規制区域にある双葉町・大熊町・富岡町も廃町の状態なのでしょうね。
これら、浪江町・双葉町・大熊町・富岡町は生き返る事があるのだろうか?
あと、南相馬市・川内村・飯館村に発生した 長期帰宅困難地域。
ここに帰れる事があるのだろうか?
果たして国(特に原発推進をしてきた自民党)はどのような対応をとるのだろうか?
住民の保証はどうするのだろうか?
東電はどんな保証をするのだろうか?(そうそう川俣町に東電の 災害補償相談センター がありました)
原発を推進した自民党、福島第一原発が壊滅したのに民主党叩きしかやっていない。
責任を民主党に転換してしまった自民党。
震災当時の民主党、手際は悪かったけど、とりあえずは対応した(今はまるっきり信用できなくなった民主党だけど)。
東電が福島第一原発から撤退しようとしたのを止めたからね。
もし撤退してたら、もっと酷かったはず。
でも昨年は民主党も震災対応したのに、年が明けた今年は、いったい何やってるの???
困った国会議員連中だ。
この場においても、自分の「就活」しかやっていないんだもんね。
今度の選挙、入れる党が無いや。
第三局もアデにならないし・・・
党が合流して方針を180度平然と変えてしまう大阪の人。
核兵器保有議論を言ってしまう東京の人。
核・・・
核が暴走してこの状況になったのにね。
なんか、日本の未来が無い。
被災地の苦しみが国会議員や中央政治家・東電には理解できない様子。
これじゃ、被災地の未来が無いや。
日本の未来が無いや・・・
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震災・災害
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コメント(14)
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昨日時間を作って、千葉県と茨城県にある 親の両親の墓(ようするに爺ちゃんと婆ちゃんが眠る墓) に行ってきました。
行くならば、今の茨城県沿岸の復興状況も見てこよう・・・
朝8時前に自宅を出発。
ガソリンスタンドで軽油を満タンにして、圏央道の圏央鶴ヶ島インターから高速に乗ります。
関越道・外環道を経由し、常磐道 流山インターで降ります。
途中、スーパーでお供えに使う 線香・花・日本酒・羊羹 を買い込み。
花4束、線香4束 これは両方のお墓に供えるもの
日本酒2本、羊羹2個 これも両方のお墓に供えるもの
日本酒は爺ちゃんとおじさん、羊羹は婆ちゃん用に買い込み
そして、流山のお墓に入ります。
お墓の正門
10時にお墓を出発。
再度流山インターから常磐道に乗ります。
茨城県に入り、友部サービスエリアを過ぎるころから車線規制区間になっています。
昨年の大震災による「災害復旧工事」が1年半たった今でも行われています。
日立中央インター出高速を降り、昼前にお墓に入ります。
今年の4月に墓参りをした時よりは、墓地の復旧が進んでいました。
倒れたままの墓石は無くなっています。
でも、墓石がずれたままのお墓がいくつか残っていました。
墓石がずれたままのお墓
ちなみに、自分の遠い親戚のお墓
自分のお墓参りと一緒に、こちらもお墓参りをしました
震度6を食らった日立市周辺のお墓、いまだにこの様な状況です
ここの墓地以外では、倒れたままのお墓もあちこちにあります
ご先祖様に断って撮りました・・・
うちの墓地があるお寺
墓地の災害復旧工事を進めています
1年半たった墓地の状況
お墓参りが終わり、今度は災害の復興状況を見に行きます。
お昼にお墓を出発。
日立市の中心街を抜け、海岸沿いの国道245号線を走ります。
今年の4月のお墓参りの時に訪れた 河原子漁港 を覗いてみます。
漁港は岸壁の復旧工事(応急処置的な)が終わって、岸壁の地割れ・段差が解消されてました。
ただ、周辺の店は津波を受けたままの状態。
4月に撮った写真のままでした。
国道を走り東海村に入ります。
まず目に入ってくるのは 日本原研の東海原発。
今は運転停止ですが、もし大震災の時この原発が福島みたいになっていたら・・・
東海原発
四角い建物が原子炉建屋
都心の放射能はもっとひどかったかも・・・
その前に自分が生まれた田舎が無くなっていたかもしれない。
震災後、原発に対する風当たりが強くなったので、原研と原発の厳戒警備は凄かった・・・
自分が子供の頃は、この原発の前の海岸で泳いだものでした。
いまは警備の為、砂浜は立ち入り禁止になっているのかな?
原発から今度は国道6号線に向かいます。
10分程度走ると、そこに見えた建物は・・・
株式会社ジェー・シー・オー (JCO)、1999年9月30日に発生した「臨界事故」を起こした事業所です。
臨界事故を起こしたJCOの建屋
常磐道「東海PA」の下り線の駐車場
日立に入る直前に立ち寄って撮りました
上り線側を眺めて撮った写真ですが、この写真の奥500m程度の場所にJCOがあります
この臨界事故、大変でした。
JCOから1km離れた所に親戚が(親父の兄弟)が住んでいます。
そして被爆した模様・・・
この時常磐道東海PAを利用した人も被爆したのかも???
JCO臨界事故も、福島第一原発事故も、自民党が推し進めた原発政策の副産物。
安全を軽視した結果。
JCO臨界事故を経験しても「原発は安全」という神話を盾に、福島原発の安全対策を行った結果が昨年の大震災。
「電源全消失はありえない」という立場、JCO臨界事故の恐ろしさが教訓にならなかった・・・
それが自民党だし、原子力委員会・・・
情けない連中ですね。
まぁ、今の民主党も情けないけど・・・
JCO臨界事故の時、なんで社長が自ら進んで「核の火」を消しに行かなかったのかな?
下っ端の従業員を犠牲にさせておいて・・・
福島原発もそう、何で社長が現場出向き自ら対応をしなかったのかな?
現場に丸投げをして。
情報収集・指揮命令系統の維持は分かるけど、でも、これらの社長が「殿様商売」をして「原子炉神話」に浸ったまま安全対策をしてこなかったから起きた事故。
トップは全責任があるから・・・ という言い訳で自分の命を犠牲にしなかった、自分が可愛いから・・・
なんだかなぁ・・・ と思う。
自民党もそうだよね。
JCOの時も永田町から指示するだけ・・・
大震災の時は民主党叩き・・・
自民党主体で推し進めた原発政策なのに、まるで責任を取っていない!
民主党も自らが可愛いので、野田総理になってからは復興そっちのけになっている!
さて、これ以上書いても頭に来るだけなので・・・
JR常磐線東海駅前にある横浜家系ラーメン「椿屋」でお昼。
もう2時・・・
腹減ったぁ・・・
ラーメンを食べた後、常陸海浜公園経由して阿字ヶ浦に出て見ます。
阿字ヶ浦の道路
いまだに復旧作業がされていなく、歪んだまま・・・
建物には震災当時の面影がないなぁ・・・
道路はまだ復旧作業がされていない。
阿字ヶ浦の砂浜で釣りをするおじいさん
ただいまデート中かな???
砂浜に立ってみると、砂浜に居る人は震災の記憶が無いように見える。
でも心の中は・・・
この海岸も津波で変わった。
磯だったところは、津波で運ばれた砂で覆われて昔の磯の面影名無くなっている・・・
隣りの漁港では・・・
すごく平穏に見える漁港
底引き漁船かな?
見かけは平穏だけど、漁は再開できているのかな?
岸壁の釣り人
少しは落ち着いてきたので、釣をする余裕ができたのかな?
海を眺めながら座る老夫婦
ここに座って何を考えているのだろう?
壊れたまま?の海岸
歪んだままの防波堤
中央の釣り人が立っている所の防波堤が歪んだまま ここ阿字ヶ浦では、皆平穏そうに見えた。
でも表面だけなんだろうなぁ・・・
復旧作業はようやく始まった という感じ。
最後に那珂湊漁港に行ってみます。
震災後2ヶ月目の那珂湊はこんな感じだった。
震災後の那珂湊漁港の岸壁
今現在は岸壁復旧工事中
ここの道路は復旧工事が終わり地割れが無くなっています。
壊れた岸壁は復旧作業中。
那珂湊おさかな市場は通常営業中。
でも、おさかな市場に活気が無い。
放射能の風評被害の影響ですね。
茨城県産の魚介類はあまり見られない。
大多数が西日本か輸入物。
それでも、ここの市場は営業を続けている。
市場に来る観光客が激減しているのにもかかわらず・・・
人は被災地の農産物・魚介類を避ける。
放射能が怖くて被災地に来ない。
客が激減しても、店は続ける・・・
生きている証しだから・・・
これが震災から1年半たった茨城沿岸の状況。
復興は徐々に始まって進みだしたけど、生活が元に戻っていない。
それが今の茨城沿岸状況のようです。 |
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昨日6日、茨城のつくば市で竜巻が発生。
そして、同じ頃、茨城の筑西市から栃木の真岡市・益子町・茂木町にかけて竜巻とみられる突風が吹き荒れました。
おととい、茂木町の「昭和ふるさと村キャンプ場」でキャンプを終え帰宅した自分達。
もし、昨日までキャンプしていたら、真岡・益子・茂木を襲った竜巻に巻き込まれていたようです。
地図上の青丸の所が、キャンプ場。
そして赤丸が竜巻の被害が確認された区域。
西北西から東北東(地図の左下から右上)に沿って竜巻が通過した模様。
キャンプ場の目の前を竜巻が通過した様子です。
地図上では直線で竜巻が通過したと思われる経路を引きましたが、実際には少々蛇行しているでしょう。
となると、キャンプ場も直撃を食らったかもしれません。
そう考えると、間一髪で帰宅したことになります。
本当に危なかった。
あと1日キャンプをしていたら巻き込まれました。
間一髪で逃げ出した・・・
これが本音。
そして、これが大自然の一つの顔。
大雨洪水警報が発令されている中キャンプをして、大自然の猛威を体感した子供達と嫁さん。
今朝、改めて大自然の猛威を知る事になりました。
もしキャンプをもう1日していたら、テントは木端微塵だったでしょう。
子供達と嫁さんにとって、大自然のもう一つの顔。脅威を知る良い機会となりました。
被害を受けた現地の方々には大変申し訳ない事ですが・・・
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今日は、ちょっと強引だったけど会社を休みお墓参りに行ってきました。
ここ2年行っていなかったので・・・
たまに顔出してあげないと、ご先祖様に悪いし・・・
という事で、先日何だかんだと理由をつけて、本日有給を取り、千葉 流山のお墓と、茨城 日立のお墓に墓参りをしてきました。
まずは、鶴ヶ島ICから関越道に乗り、外環道を経由して常磐道の流山ICで降ります。
ここからつくばエクスプレスの 流山おおたかの森駅 前を通過してお寺に入ります。
この駅前、つくばエクスプレスが開業する前から区画整理の工事をおこなっていますが、いまだに完了していません。
駅前は立派な道があるのに駅を外れると、昔の田舎道。
道は寸断されていたり、いきなり狭くなってすれ違いできないような所もある。
早く区画整理を完了させてもらいたいな。
たまに、今までの道が使えなかったりするのが困りもの・・・
流山おおたかの森駅
名前の通り、昔、ここのあった森にオオタカが住んでしたようです。
さて、流山のお寺でお墓参りを済ませました。
ここのお墓、親父の先祖が眠っています。
ご先祖様、喜んでいるかな?
花と線香は買ったのだけど、いつもの事ながらお酒を買うのを忘れています(^^ゞ
怒られちゃうかな・・・?
10時過ぎにお寺を出て、常磐道の柏ICから乗り一路茨城に向かいます。
こちら、茨城 日立のお墓はお袋のご先祖様が眠るところ。
日立中央ICでおり、日立のお寺に入ります。
さて、ここのお寺の墓地、震災の影響がいまだに残っていました。
墓石が倒れたままのお墓。
墓石がずれていたり、回転しているお墓。
石灯籠が倒れているお墓。
土台が崩れ、倒れそうな墓石。
倒れたままの水子地蔵・・・
こんな状況です。
お袋のご先祖様が眠るお墓は、墓石を直してありました。
でも、直すことが出来ないお墓が多いのに驚きました。
直してあげた方がいいのは分かっているのでしょうが、家の事情がありますからね・・・
お寺の瓦屋根も壊れたままの状態。
ちなみに、お墓惨状の写真は撮っていません。
ここに眠る人達に失礼ですから。
ここのお墓参りも終え、お昼を食べに JR日立大甕駅 まで車を走らせました。
入ったのは、日立市で一番人気のラーメン屋。
とんこつラーメンの店です。
ここも震災で休業していて、ようやく再開できたようでした。
この後、大甕駅近くの漁港に車を止め、1時間ほど砂浜を散歩しました。
理由は、震災後1年の状況を知りたくて。
震災から1年経った漁港はこんな状態でした。
震災後1年経った漁港
未だに岸壁が壊れたまま。
地割れは残っているし、岸壁も段差ができたまま・・・
そして漁港から車道沿いに砂浜を歩いていると・・・
車道にそって造られていた防波堤
津波で破壊されたまま・・・
1階部分が津波で破壊され、廃業となった旅館
こちらも津波で1階が破壊された食堂
これも津波で1階が壊れたアパート
入居者募集の張り紙が物悲しい・・・
津波で沖合の破壊された防波堤(波けしブロックのテトラポット)と、
津波で砂浜に打ち上げられたテトラポット。
震度6の地震により、歪んでしまった防波堤と、波打つ道路。
これが、震災から1年経った被災地、日立市、というか茨城の状況です。
震災後の昨年5月に訪れた時と何ら変わっていません。
街中の復旧は進みました。
でも海岸のこの地区だけでも、廃墟となった住宅を多く見かけます。
福島や宮城、岩手はもっとひどいはず。
野田総理大臣、民主党!、増税がどうのこうのではなくこの被災地を何とかしろよ!
被災地の為の増税なら文句は言わん!
でもあんたらは、どこか路線が違っている!
自民党もそうだ!
政権を握っていた時は郵政改革だの増税だの、国民の為にならない事ばかりしてきて、今になって国民の為 なんという建て前で、復興をそっちのけにしている!
児童手当の名称なんかどうでもいいだろう!
そんな事で争う前に被災地に目を向けろよ!
1年経ったってこの状況なんだ!
福島の原発も、元を正せば自民党の責任だろ!
ぐだぐだ言う前に、先頭を切って終息させろよ!
まず国会の機能を福島の原発周辺に移動させ、そこで議論しろよ!
今の政治家は表面だけ、自分自身の立場だけ、自分自身の就活だけの議論しかしていない!
この状況の中に身を置いて議論しろよ。
こうでもしないと、今の政治家は被災地の事を何も分からん!
地震・津波被害以上に放射能被害で被災地は苦しんでいるんだ!
何とかしてくれよ!
オレの生まれ故郷を返してくれよ!! |
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明日で東日本大震災から一年が経ちます。
震災当日、車を運転していた自分。
当日は金曜日。
ラジオで FM NACK5 のファンキーフライデー を聞いていました。
小林克也さんがリスナーと電話をしている最中に地震が発生。
克也さんの「早く電話を切って」という言葉・・・
そのあと、スタッフの「克也さん危ないから、こっちに避難して」という言葉が流れていました。
揺れが収まってから、克也さんによる震災情報が始まった・・・
これが震災当日。
本当に混乱した日でした。
夜、嫁さんとツイッターを覗いてみると、救助要請の書き込みが乱立。
病院からの書き込みでは「ボイラー用の重油が欲しい。 患者の命が救えない!」という書き込みも多かった。
自分が住んでいる埼玉でも被害が出た。
道路が陥没。
住宅の半倒壊。
東京では帰宅難民・・・
お台場の火災。
千葉でもタンク火災に津波。
茨城も地割れに津波。
散々な一日でした。
でも もう一年、というか一年経ってしまった というのが本音かな。
もう、こんな災害は来てほしくない。
自然が牙をむくと、人間は何もできない それが証明された日でした。
現在は豊かすぎた社会だから、余計のそしっぺ返しがキツカッタ。
しっそな暮らしをしていれば、原発は必要なかったはず。
でも、贅沢することを選んだから・・・
大自然の反感を買ったのかも・・・
震災前の岩手県陸前高田市。
オートキャンプ場モビリア からみた夕日と広田湾。
今でもこの夕日はみられるのだろうか・・・
↓
宮城県石巻市給分浜(牡鹿半島)の漁港。
ここは津波で壊滅です。
この漁港、復旧してほしい。
そして、震災前の生活を取り戻してほしい。
↓
茨城県ひたちなか市の那珂湊漁港。
震災後の状況です。
地割れ、岸壁の破壊、そして津波による瓦礫が撤去されていない・・・
↓
早く復旧して、今までの生活に戻ってほしい。
無くなった方の為にも。 |



