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今日、一冊の写真集を買ってきました。
佐藤信一さんの写真集「南三陸から」。
東日本大震災当日からの、南三陸町を記録した写真集です。
当時を振り返って考えさせらました。
当時は従妹が南相馬で被災し一時連絡がとれなくなった。
無事の確認はできたけど。
友人からの電話で、石巻に住む友達の安否が確認できない とい悲鳴の電話も鳴った。
震災後2週間、自分は車が出せなく、自転車通勤を余儀なくされました。
被災地は、自分たち家族にとって思い出の場所。
3年前、家族そろって4泊5日の旅行をした場所。
その大半が被災しました。
来月で、震災から1年がたつ。
早いものです。
でも、まだ1年しかたたない。
それが現状です。
この記憶は消してはならない。
自分は、旅行で撮った写真をグーグルアースに登録し、ヤフーにも登録しました。
写真集で衝撃の1枚があります。
志津川小学校の校庭から撮ったものと思われる写真。
公立志津川病院の横のビル、赤い丸の中・・・
津波に襲われ、次の瞬間・・・
津波にビルごとのまれ、屋上に避難した人たちが居なくなっています。
津波にのみこまれたようです。
そしてその写真をよく見ると(赤丸の中)・・・
一人だけアンテナによじ登って生きながらえています。
地獄の絵図そのもの・・・
この人は助かったのでしょうか・・・?
1週間後のビルは・・・
瓦礫となっています。
志津川病院は残っていますが。
この病院の前の道、旅行の時通った道・・・
それが、このときは海の底。
運よく、自分の従妹・親戚は皆無事。
でも、今でも南相馬の従妹は放射能で苦悩している。
いつになったら、この震災が終結するのだろう。
国会議員も、もっと真剣になって復興対策を行ってもらいたい。
子供手当がどうのこうの、民主党のやり方がどうのこうの など言っていないで!
自民党だって口先だけで、民主党非難だけでなにもやってないじゃん!
今はそんな時ではない!!
国が、各党が一丸になって復興を推進すべきである!
福島原発の後始末を、福島の中だけでやるのではなく、各県も協力すべき。
瓦礫の処分くらい受け入れてほしい。
放射能が怖いと言う前に。
東京23区の為に、福島は危険な原発を背負ったのだから。
原発は23区の電力供給の為にあるのだから。
その23区の区民が瓦礫を拒否したら、福島の子供達はどうなるのか?
23区の子供達が被害受けなければ、福島の子供達は被害を受けていいのか。
23区が我が物顔で24時間膨大な電力を消費するから、福島原発はできた。
これは過言ではないです。
現状、東京電力の原発は首都圏、特に23区の電力をまかなうために作ったもの。
23区で瓦礫を拒みたいのなら、東京湾に原発を作ればいい。
極論かもしれないけど、改めて自分はそのように考えさせられました。
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震災・災害
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一昨年の2009年(平成21年)、8月23日(日)から27日(木)の4泊5日で家族旅行で南東北を巡る旅をしてきました。
この旅行の日程はこんな感じでした。
↓
23日
自分は自宅から車でJR郡山駅に向かう。
子供達と嫁さんは東北新幹線で郡山駅。
郡山駅で合流して、東北道を経由して気仙沼に・・・
気仙沼の市場で、夕飯用のおかず「フカヒレ」を買い込み、宿泊する陸前高田の オートキャンプ場モビリア 向かう。
このキャンプ場の「ケビンAタイプ」で宿泊。
24日
モビリアを出発し碁石海岸で遊び、気仙沼・南三陸・北上・女川を経由して、牡鹿半島にある 漁師の宿あたご荘(石巻市) まで移動。
25日
あたご荘を出て、石巻・東松島・松島・蔵王を経由して蔵王温泉で宿泊。
26日
工程は割愛して、檜原湖畔で宿泊。
27日
工程は割愛して、松之山温泉で宿泊。
28日
自宅に帰宅。
この旅行、前半は東日本大震災で被災した地域を巡ってきました。
陸前高田に気仙沼、そして南三陸・北上・女川・石巻・東松島・松島・・・
全て訪れたところは被災し、津波が押し寄せ壊滅しました。
自分達の記憶に残っている街並み・風景は、もうありません。
陸前高田の高田松原は壊滅、貝の博物館も壊滅、市街は跡形もなく津波に流されました。
初日に宿泊した陸前高田のオートキャンプ場モビリアは津波の被害は免れましたが、震災当時は緊急避難場所となり、今では仮設住宅として使われています。
キャンプ場の再開は数年ありません。
フカヒレを買い込んだ気仙沼の市場も津波と火災で壊滅しています。
気仙沼の街並みもありません。
女川は目も当てられない状態。
2日目に宿泊した、牡鹿半島(石巻市)の 漁師の宿あたご荘 も津波の影響で宿が閉鎖されたようです。
ただ、運良くあたご荘の建物は津波に耐えて残りました。
あたご荘の周辺の民家は、すべて津波に流され更地のようになっています。
このあたご荘、泊まった時、女将さんに大変よくしてもらいました。
漁師の宿というだけあって、海の幸は絶品です。
震災直後、航空写真をネットでみて、あたご荘だけが残っているのを確認しましたが、女将さん、ご主人、息子さんの手掛かりがなく大変心配をしました。
ただ、ここのあたご荘周辺でボランティア活動をしたいた方から、あたご荘の人皆が無事であることを連絡くれました。
以前ブログにあたご荘の事をアップし、それを読んで下さったボランティアの方が書き込んで下さったのです。
ありがたい事です。
このあたご荘、半年近くHPの更新がありませんでした。
という事は、この期間中後片付けなどで休業していたのでしょう。
所が先月をHP見たら更新されていて、宿泊の予約も行っているようです。
あたご荘がこの震災を乗り越えて再開したのですね。
このHP見てを、来年の夏にでも、もう一度あたご荘に泊まりに行こうかな と考えている今日この頃です。
オートキャンプ場モビリアも再開したら、キャンプをやりに行こうと思っています。
埼玉からだとチト遠いですが・・・
一日でも早く被災地が復旧できる事を心から願っています。
この旅行で見てきた街並み・景色は、震災前と同じに復興はできないでしょうが、でも東北を訪れた人達は、皆心の中に震災前の記憶を留めている事だと思います。
被災された方々も同じでしょう。
その記憶と共に、安全で住みやすい故郷になるような復興になる事を信じています。
陸前高田のオートキャンプ場モビリア。
自分達が泊まったケビンAタイプ。
再開したら、このケビンにもう一度泊まろう!
ちなみに、グーグルアース(Google Earth)にこの写真を登録してあります。
キャンプ場から眺めた広田湾の夕日。
キャンプ場が再開したら、この夕日、もう一度見たい!
気仙沼の市場で買い込んだフカヒレでフカヒレ丼を作り食べました。
あと、刺身も買い込んで美味しい夕飯を楽しみました。
今度泊まる時も、気仙沼の市場でフカヒレを買い込みましょう。
漁師の宿あたご荘。
津波はこの宿の1階を襲ったようです。
でも、奇跡的に残った宿。
この周辺の民家は、すべて流され壊滅でした。
あたご荘は再開された様子。
来年、時間を作って、再度泊まりに行きたいです。
この写真も、グーグルアース(Google Earth)に登録してあります。
これがあたご荘で出してくれた海の幸の料理。
とても美味しかった海の幸。
あたご荘の目の前にあるカントの漁港。
自分はこのような田舎の漁港が大好き。
この日も2時間くらいカメラ片手に漁港を歩いていました。
この漁港津波で漁船が流され、壊滅しました。
復旧するのを祈るばかりです。
これもカントの漁港。 |
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今日、東日本大震災後、初めて被災地に入りました。
場所は茨城県のひたちなか市(旧那珂湊町)の那珂湊漁港と、大洗町の大洗漁港。
茨城県の日立市は、自分の生まれ故郷。
そして、日立市と水戸市・常陸太田市・東海村・ひたちなか市・大洗町は自分の故郷であり、そして、従姉妹や親戚が数多く住んでいるところです。
その故郷に足を運んできました。
足を運んだ目的は、故郷(被災地)に出向き買い物をすることで、お金を落し復興の手助けをすること。
被災地の状況(現状)を、この目で見ておきたかったこと。
そして、中2と小3の子供達に、被災地の現状を知ってもらう という事です。
今回、復興の手助けを思い立ったのは、5月の連休、ボランティアを断られて(連休中はボランティアが集中したため、個人参加は見合わせてほしいと要請されたため)、でも、何か手助けがしたい。
会社務めをしているから、平日にボランティアをすることができません(会社が許可を出してくれませんでした)。
でも土日は子供達との時間も大切にしたい。
それなら、今日、被災地に出向き、那珂湊漁港のおさかな市場で買い物をして、お金を落し、それを復興の足かせにしてもらえれば・・・ と考えたからです。
被災地以外の自分達が、被災地に出向いて買い物をする、これも立派な復興支援だと考えました。
あと、子供達はテレビで、この2ヶ月被災地の状況も見てきましたが、でもそれは映像で見ただけで、本質は理解できていません。
子供だからしょうがないのですが。
でも、それでは本当の意味で今回の大震災を理解できません。
それなら、被災地に連れて行き、子供達の目で被災地を見てもらい、現状を体で体感してもらいたかったのです。
あと、従姉妹の顔も見たかった。
震災後、電話やメール・ブログでやり取りしたけど、でもやっぱり顔を見て安心したい。
そんな思いで、被災地に足を運びました。
関越道から北関東道を経由して被災地に入りました。
栃木の真岡あたりまで来ると、民家の屋根にブルーシートを被せているのが目立ち始めました。
真岡でも、民家はかなりの被害があったようです。
茨城に入ってからもブルーシートが沢山ありました。
北関東道も、茨城に入ると、道が地震の影響で歪んでいるのが見え、走行中、ハンドルさばきに集中しざるを得ない状況でした。
那珂湊漁港に着いて、従姉妹と合流。
那珂湊漁港の岸壁は、ものの見事に崩れていました。
道路(歩道)も亀裂が入って修復が間に合わない状態。
那珂湊漁港は3m程度の津波に襲われたようです。
このため、おさかな市場の建物の1階が破壊せれていて、今現在復旧作業中です。
那珂川河口では津波のよる公園・道路の破壊もありました。
1時間程度買い物をして、従姉妹と別れ、大洗漁港に出向きました。
こちらでは、防波堤の基礎が破壊されいて、万が一もう一度津波が来たら防波堤が破壊されてしまう状況になっています。
台風の時期、防波堤がもつのか、とても危険な状況です。
あまりにも、破壊されてしまった故郷。
三陸地方程被害ではありませんが、やはり、言葉を失います。
子供達も、テレビの映像では分からなかった現状を目の当たりにして、子供達なりにこの震災を考えるようになりました。
帰りがけに休憩で立ち寄ったコンビニで、「東日本大震災 レンズが震えた 世界フォトグラファーの決定版写真集」を見つけたので、思わず買い込みました。
今回の震災、決して忘れてはいけない。
子供達にも伝えていきたい。
その一つの手段が、この写真集、時系列に写真を集めた写真集です。
自宅に帰って、ビール片手に見ています。
今日、目の当たりにた震災の現状。
2ヶ月もたっているのに・・・
でも、被災地は、元気でした。
復興をさせるために元気でした。
市場も、通常の4分の1くらいしか買い物客がいないのに、店員さんは元気でした。
自分が故郷の惨状に暗くなっているのを、明るくしてくれました。
それを思い出し、写真集を見て涙が出ました・・・
これが、今日一日の故郷復興の為に、子供達に震災の現状を知ってもらうための、自分の行動です。
岸壁が破壊された那珂湊漁港
津波で1階が破壊され、復旧作業中の那珂湊おさかな市場の建物
道路(歩道)に入った亀裂
那珂湊漁港隣の那珂川河口の津波痕跡
大洗漁港の、基礎が破壊された防波堤 |

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今日、地震の為中断していた写真販売の写真整理・写真登録・売り上げ管理を2週間ぶりにおこないました。
この2週間でPIXTAとフォトライブラリー、この写真素材販売サイトの2サイトで、26枚売れていました。
ありがたい事です。
この売り上げたお金から、2サイトを通して関東東北大震災の募金をしました。
今自分ができる事はこの程度。
できる事なら、会社を休んでボランティアで救援活動をしたいです。
でも、今の会社、そのような事には無関心の会社で休むことが出来ません。
となると、今は募金しかできない。
東北、自分達家族にとって思い出深い場所です。
一昨年、会社に勤め25年記念で1週間の休暇をもらいました。
これを利用して8月の最終週に5泊6日の東北・新潟旅行を家族4人で行ってきたのです。
初日は、陸前高田市のオートキャンプ場モビリア。
ここのバンガローを借りて1泊。
気仙沼の市場でフカヒレの姿煮を買い込み夕飯で食べました。
気仙沼、今回の地震と津波・火災で壊滅しました。
陸前高田も津波で壊滅です。
自分達が泊まったモビリアは、今や避難所となっています。
2日目は、牡鹿半島(石巻市)の西側にある小淵浜漁港にある漁師の宿「あたご荘」に泊まりました。
ここの小淵浜漁港も津波で壊滅。
運よくあたご荘は残りましたが、周辺は皆津波で壊滅しました(ネットで牡鹿半島の震災後の航空写真であたご荘だけ残っているのを確認しました)。
でも、たぶん内部は津波で壊滅でしょう。
そして、3日目は松島で遊びました。
ここも津波で壊滅・・・
モビリアのバンガロー、別荘みたいに快適でスタッフもいい人ばかり。
あたご荘の女将さんも人当たりがよく、夕飯の料理も贅沢させてもらいました。
旦那さんが毎日漁船に乗って捕れた魚介類を夕飯に出してくれました。
モビリアのスタッフの方々は無事だと思いますが、でも今は避難所のリーダーとして奮闘しているのだと思います。
あたご荘の家族の方々は、無事だったのでしょうか?
津波で壊滅した地域にいました。
心配です。
松島も壊滅しました。
今、自分ができる事・・・
何もないです。
ただ、かつてのモビリア、あたご荘、記憶に残しておきたいのと、皆にこんな所だったと知ってもらいたいために、Google Earthに写真を登録しました。
陸前高田市のオートキャンプ場モビリアから見た夕日 もう見れないのかな・・・
自分達が泊まったモビリアのバンガロー この画像をGoogle Earthに登録しました
津波で壊滅してしまった牡鹿半島(石巻市)の小淵浜漁港 もうこの景色は見られなのでしょう。
小淵浜漁港にある「あたご荘」 家族の方々の行方は・・・ この画像もGoogle Earthに登録しました
ここも津波で壊滅した松島・・・ |



