Gladius Dei

落ち着いたら、能登半島に旅行しようとおもう。大したお金は落とせないけど。

全体表示

[ リスト ]

11月7日(火)



一部高校での必修科目未履修問題。このあいだ、何気なくTVをつけていたら、コメンテーターが、「暗記科目をいまからやるのは気の毒」とか「生徒の負担は減らすべき」とかいっていた。

いうまでもないが、この事件で軽視された世界史は、年号や人名を覚える科目ではない。人間がこれまでどんなことをやってきたか、どういう原理で動いてきたか、おなじ過ちを犯さないためにはどうすればいいのか、そうした、いわば人類の福祉に直結するような問題を考える科目だ。だからこそ、必修科目に指定されているのだろう。そんな科目を単なる暗記ものと考えたり、生徒に教えたりしないのは、軽佻浮薄というしかない。

「すべての人間は、生れつき、知ることを欲する」。なにかを知ることは、とてもたのしい。知ったことをもとにして頭をひねるのも、このうえなく面白い(ときには苦しい)。私たちは、なぜ知識をもとめ、考えるのだろうか。それが人間の本性だということもあるが、おそらくは、自分の、そして他人の幸福のために。もし、ものを知らない人がいるとしたら、ただそのときどきの雰囲気に流されるだけだろう。そして、さらに恐ろしいことに、無知は野蛮に転化する。知識がなければ、内向きになってしまい、知らないものに対して、平気で、残酷なことをしでかしてしまう。それは、まさに、歴史が語っているとおり。

高校というのは、第一義的には、「人間形成」の場ではないのか。さまざまな知識を身につけ、他者を理解し、自己を追究する。いわば、人間が社会で生きていくための力を育てていくところだろう。高校生ともなれば、そういう「勉強」をはじめなければならない。重要な時期にさしかかった子どもに、必要不可欠なことを教えない学校、それを大したことだとおもっていない社会、日本という国は、ほんとうに、病んでいるのかもしれない。



大学受験に必要な科目だけ教えればよいという意見もわからなくはない。ほとんどの生徒が進学するのだから、とりあえず生徒の役に立つことを優先させる。そういう考え方にも一理ある。だが、目先のことしか考えない学校は、もはや、「人間形成」の場ではない。予備校か、専門学校とおなじだ。そんな環境では、有用性を優先するしか能のない生徒が育ってしまうだろう。

いまの高校では、教える科目がかたよっているうえに、教え方もかたよっているらしい。たとえば、英語。どの高校も英語には力を入れている。しかし、教えているのは、文法や慣用句の穴埋め問題がほとんどとか。要するに、点数に直結することを優先している。英文をじっくり読ませたりする学校はあまりないらしい。だから、生徒のほうは、いつまでたっても、「英語がわかった」と実感できない。それに、そもそも、世界史その他の知識が欠けていたら、「固い」英文は読めない。はたして、そんな英語力でいいのだろうか。必修科目を軽視する教師は、難関大学の英語の問題に一度目を通してみるがいい。問われているのは、幅広い知識と、それにもとづく思考力だということがわかるだろう。今日、学問の細分化がすすんではいるが、「知ること」は本来ひとつのもの、全体的なものなのだ。

受験のレヴェルは年々さがっているから、このごろでは、人並みの学力があれば、名門大学に合格することはさほどむずかしくない。だが、高校でしっかり「勉強」しなかった学生は、大学に入ってから苦労する。世界史の知識なしに国際関係論を理解するのは無理だし、文学や美術史その他の人文科学にしても表層をなぞるだけでおわってしまう。

講義を聴いてもわからない。わからないから、つまらない。つまらないから、授業に出ない。そんな悪循環は、いまや日常茶飯事。なかには、自分の勉強不足を棚にあげて、教官に文句をいう学生だっている。かくして、大学には「欠陥商品」を生み出す高校への怨嗟の声が渦巻いているし、企業は「不良品」を送り出している大学を信用していない。このところ、そんな状況がずっとつづいている。

大部分の大学生は世界に通用しない。旧帝大や名門私大の上位層をのぞくと、学生のレヴェルはおどろくほど低い。まず知識がない。中東紛争にしても、北朝鮮の問題にしても、背景を知らない。そして、好奇心もない。そんな連中が「就職のために」英語の資格をとったところで、留学生と話しができるわけでもない。理由は簡単。話す内容がないから。日本のことを知らない、相手の国に興味がない、世界情勢について考えたことがない、大学で学んでいることもよくわかっていない、いまや、そんな学生がほとんどなのだ。

アジア諸国からきて日本の大学で学んでいる若者は、概して、非常によくできる。基礎がしっかりしているのか、くわしいことは知らないが、吸収するのがとてもはやい。では、外国にいる日本人留学生が優秀かといえば(私はヨーロッパしか知らないが)、立派な人もいるけれど、なかには、目を覆いたくなるような輩も存在する。教育基本法に「愛国心」を盛り込むことがどんなに重要なのかわからないが、もっと本気になって教育を考えないと、いまに大変なことになるだろう。



私自身そうだったからよくわかるが、若者は怠け者。基本的に、本能に忠実。眠いときは寝ているし、だるければ大学にいかない。親は親で、子どもをどう躾ければよいのか、そんなことさえ真剣に考えていない。子どもの手本になるような大人がいかにすくないか知りたければ、新聞をひろげるまでもない、ちょっと電車に乗ってみればすぐわかる。

教師は、生徒や親、上司や教育委員会の顔色をうかがいながら生きている。少々変なことをいわれても、黙ってしたがっている。友人の高校教師いわく、「なまじ正論をいったりすると、雑用を押しつけられたり、昇進できなかったりする。ひどい場合は、山のなかや離島に飛ばされる」そうだ。そんな状況では、よほどの信念と覚悟がないかぎり、筋を通すことはできないだろう。

教育現場をむしばんでいるのは、成果主義。それも、数字が鵜呑みにされている。たとえば、高校を測る尺度は進学先。首都圏であれば「東大・一橋・東工大・早稲田・慶應・上智・ICU」に何人合格させたか、近畿の高校であれば「東大・京大・阪大・神戸大」に何人合格させたかによって、世間の評価が決まる。

すべては数字によって評価されている。帳尻さえあっていればいい。だから、数字合わせのうまい教師が出世する。正直にいじめを申告した学校より、いじめなどなかったと強弁する学校のほうが評価される。よい数字を挙げた学校には、重点的に予算が配分されるなんてことも現実に起こっている。地道に努力して問題を克服するより、なにもしないほうが楽だし、そのほうがお金になる。そんな状況で、生徒のために働く教師がいったいどれくらいいるだろうか。

教育、とくに「人間形成」にかかわる教育は、本来、数字で測ることはできない。「大切なものは、目で見ることはできない l'essentiel est invisible pour les yeux 」。まして、数字になって現れることはない。学校にかんして、数字をあまりに重視するのは、やはり、問題なのではないだろうか。教育現場に「経営感覚」が取り入れられてから、ますます変なことが起こるようになっている。

閉じる コメント(11)

顔アイコン

なぜ高校にいくのか、高校ではなにを勉強すればよいのか、そのあたりを見直したうえで、教員がプライドを回復する必要があるでしょうね。センター試験を、アビトゥーアやバカロレアのようなものにするのも手ですが、日本で受け入れられるかどうか、ちょっとわかりません。

2006/11/10(金) 午後 0:42 kal*s*974

顔アイコン

kalos @ Tokio です。これは、世界史を好きな人にとっては、とくに、かなしいニュースでしょうね。さみしいし、おっしゃるように「不憫」です。それにしても、歴史の面白さをつたえるべき学校が、役割を放棄していたというのは・・・。 私には、自分で自分の首を絞めているようにおもえるのですが・・・。

2006/11/11(土) 午前 8:49 kal*s*974

顔アイコン

そうですとも。わたし、音楽とマッタク関係のないことばかり高校(しかも仏教学校)で学びましたけど、すっごく私に大きな影響を与えてますもの!!音楽に進むならキリスト教系へ行きたかった、なぁんて言ってたのは二十歳前。いまとなれば、学んだこと総てが心のひだとなり、思索の糧であり、知性の食む栄養である!と確信を持って思うのであります!!

2006/11/14(火) 午前 3:06 らぷそでぃ▼*^▽^*▼

顔アイコン

・・その母校の新聞に掲載する原稿を依頼されていて、期限が11月末日なんですけども、ね・・演奏会でお会いする人との一期一会とか恩に報いる心とかを学んだことがいまこんなにも私に役立っていますって書くつもりなんです。・・世界史をはじめ、書道など、教育を受けられなかった、下地をもらえなかった、そのこと自体が大きな損失です。本人達がいつか気づいて自分で補填できればよいのですが。

2006/11/14(火) 午前 3:09 らぷそでぃ▼*^▽^*▼

顔アイコン

「下地」の重要性を理解できるのは、大学を卒業してからかもしれませんね。ただ、らぷさんがそういう感想をもつのは、子どものころにしっかり「勉強」したからでしょう。いい加減な教育をうけた人が、大人になってから知識の大切さに気づくかどうか・・・、私はすこし悲観的です。だからこそ、文科省や高校がしっかりしなければならないのですが、現状を見ていると、いかにも場当たり的ですね。

2006/11/16(木) 午前 11:44 kal*s*974

顔アイコン

知識はよい大学に入るためだけに重要なのではなく、ひろく人間性を涵養するのに不可欠なので、基本的なことを知らない人がふえると、社会がますますギスギスしてくるようにもおもいます。数字をあげることしか考えない人ばかりになると、日本の伝統的なよさも失われてしまいそうだし・・・。

2006/11/16(木) 午前 11:45 kal*s*974

顔アイコン

長い不況を経験したせいか、「とりあえずお金になればいい」、そんな考えがはびこりすぎましたね。発展途上国は教育レヴェルの底上げがすすんでいるし、欧米にはエリート層が存在します。そんななかで、日本だけ平等に「一億総白痴化」が進行しているようで、これからの時代、はたして生き残っていけるのどうか、はなはだ心もとないです・・・。

2006/11/16(木) 午前 11:48 kal*s*974

顔アイコン

数字と結果だけ!!生き残るために周りを窺う。確かに合理的生きるすべですよね。悲しいことにずんずん悪い状況は地方のほうが進んでいます。 誰もとめることが出来ないのでしょうか!!

2006/11/18(土) 午後 4:44 Miyako

顔アイコン

教育にかんしては、たしかに、地方のほうが深刻かもしれません。というのは、地方の高校には、地元の旧国立大学への進学を優先する教員が多いからです。「東大・京大か、地元の国立か」という二者択一がいまだに隠然とした力をもった土地もあるようです。そうなると、地方の国立大学は、センターの壁も低いですし、二次試験もむずかしくないですから、「勉強」しない生徒がふえることになります。地方で暮らすというのは、豊かな生き方ではあるのですが、十八歳の若者には、もっとちがう方向を選択する気概をもってほしい気もします。

2006/11/20(月) 午前 10:11 kal*s*974

顔アイコン

数字至上主義をとめるのは、まず無理でしょうね・・・。数字は、一応、客観的ということになっているし、簡便ですから。ただ、もし、人々が、数字を鵜呑みするのではなく、数字の背景を考えるようなれば、事態はよい方向に変わってくるかもしれません。要するに、以前にもまして、ひとりひとりが、批判的精神をもって生きることをもとめられる時代になってきているんだとおもいます。

2006/11/20(月) 午前 10:14 kal*s*974

顔アイコン

効率ね、なんでも右へ倣えのつまらなさ。もっと斬新な切り口がほしいと思うんだけどなかなか、、(^o^)。ところで、こういう硬いブログすきなのでがんばってください。それと、英語の空所の適語補充はいいと思います。700から1000はくぐらなきゃならない関門でしょう。

2008/5/15(木) 午前 2:10 [ 栓次郎 ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事