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コンサルタントとしてITプロジェクトチームの業務改善に携わっていると、いつも頭に浮かぶのは「日本社会の文系至上主義」である。プロジェクトがうまく運用されていないとき、プロジェクトリーダー(理系人間)を更迭する・しないの決定権をもつのは本社社員(文系人間)である。比較的勉強量の多い大学・大学院生活を送った理系人間は、結局、遊ぶ時間の多かった文系人間の手によって動かされる。しかも、現場のエンジニア(理系人間)よりバックオフィス側の社員(文系人間)の方が給料がいい。このような構図を見ていると、「技術者にならなくてよかった」と心底思う。
私は理系大学院出身なので、現場目線で考えられるコンサルタントになるべきである。しかし最近は、「今の状況に満足できていないのか?エンジニアの道を選んだのは君たち自身でしょ?文系就職しなかった自分たちの自己責任だよ」と、どうしても冷徹に見てしまう。この思考が大変よろしくないのは自分自身も分かっている。
せめて私にできることと言えば、現場の理系人間が少しでも働くことに誇りを持てる組織づくりといったところだろうか。 |
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いつからだろうか?戦う相手が過去の自分となっていたのは
いつからだろうか?自分の能力はもうこれ以上、発展しないと決めつけ出したのは
社会人となり、6カ月10日が経った。私の現在の職業は、一言で言えば「業務&ITコンサルタント」。お客様から業務を請け負う上で、効率のよい業務プロセス・運用方法を考案している。アウトソーシング活用による業務改善・コストカットを促すことで、お客様の戦略的パートナーを目指している。
戦略的パートナーと言うからには当然、お客様の経営問題にも着手していかなければならない。現状としては、私の仕事ぶりは業務を構築するだけで終わってしまっている。しかし、将来的には、お客様の抱える経営問題を把握し、アウトソーシングによりその問題を解決・改善できることを提案していきたい。
そうなると、一コンサルタントとしての資質が必要になってくる。『コンサルティングの基本』(神川貴実彦著)によると、コンサルタントに求められる資質は以下のとおりである。
1、プロフェッショナルマインド
高い職業倫理や強い責任感
常に付加価値を求める固い価値観と基準
クライアントファーストのマインド
2、コンサルタント的思考力
論理的思考力
仮説思考力
ゼロベース思考力
3、対人関係構築能力
コミュニケーション能力
素直さ
人間的魅力
4、その他
ハードワークを厭わない「体力」と「精神力」
端的に述べるならば、左脳力・右脳力・人間力が必要であることが分かる。
我ながら、面白い世界に飛び込んだと思っている。まだまだ自分の能力を引き延ばしていかなければならない。
私自身、能力のピーク時はすでに過ぎ去ったものと捉えていた。私の能力のピーク時は大学院試験時、つまりは東京大学大学院に合格したときだと思っていた。自己開発・自己成長などの言葉を雑誌で見る度に、「私の全盛期は大学院試験のときであり、それ以上でもそれ以下でもない」と内心、ネガティブな考えにとらわれていた。
しかし、今、どうだろう。入社当初に比べて飛躍的に伸びたコミュニケーション能力(院生時代は研究室にこもっていたので、コミュ能力が上がるのは当たり前と言えば当たり前だが・・・)、事業計画書書き上げにより新しく開発された市場把握能力を見てみると、私の能力は全盛期に全く引けをとっていない。いやむしろ、勝っている。
2年後には会社経営の全体を俯瞰できる人間になっている。そして将来的に必ず、大学の教壇の上に私は立っている。
化学という手段を捨てたが、目的は一切変えない。
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社会人となり、1カ月の月日が経ちました。この1カ月は研修期間だったので、自分自身は生産者ではなく、まだ消費者に甘んじています。ここでいう消費者とは「金食い虫」という意味です。会社の利益に直接的に関与したわけでもないのに、初任給をいただきました。先輩方が必死に稼いだお金の一部を、研修を受けただけでもらっています。先輩方に感謝しつつ、早く一人前の生産者になれるよう努力したいと思います。
「積極性」それだけは誰にも負けないように、研修に打ち込んでいます。東大大学院生だった時の私と入社後の私は全くの別人間です。研究室でのミーティングではシレッと座りただ発表者の話を聞いていた自分が、今では積極的に手を挙げ質問し、グループワークでは毎回のようにリーダーを務めています。また、新入社員の代表として、1分間の決意表明を行いました。
ここまで自分の生きるスタンスを変えられたのは、3月からお世話になっている仲間のおかげです。仲間1人ひとりが夢を持っていて、お互いに刺激し合っています。ダイヤモンドがダイヤモンドで研磨されるように、人は人によって磨かれます。これからも、この仲間を大切にしていきたい。
研修は終盤を迎え、ついに配属グループが決まりました。私は、『業務・ITコンサルタント』として活動します。お客様や自社の業務に対して、効率的な運用の提案をしていきます。前々から「やりたい」と言い続けてきた仕事だっただけに、嬉しさも一入です。俄然、やる気が内側から溢れてきています。このまま突っ走り続けます。
そして必ず私は、一流のコンサルタントになります。
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久々に東大キャンパスを訪れました。学位を受け取るためです。3月24日(木)に開かれた専攻別学位授与式には参加しなかったので、教務課まで足を運び、学生証と引き換えに学位をいただきました。本日をもって、私の学生生活は終わりました。
「賞状やトロフィーなど名誉あるものは、飾られてこそ本当の価値を発揮する」
学位を受け取ってすぐ、額縁を買いにいきました。引越ししたての部屋に飾られている様子を想像してみましたが、やめました。飾られるに最も相応しい場所を思いついたからです。
「額縁に学位を入れた状態で郵送できますか?」
郵送可能とのことなので、早速手続きに入りました。送り先は、実家です。
私達すべての人間は、多くの方の期待を背負って生きています。多くの方の中でも、親からの期待が一番大きいと思います。生まれた瞬間から、子に対して何の期待もしない親などいるはずがありません。期待するが故に、育ててくださった。期待するが故に、仕送りしてくださった。期待するが故に、温かいご飯をつくってくださった。そんな期待に応えるためにも、私達は一日一日を無駄にすることなく生きていかなければならない。
今回、東京大学大学院を修了するにあたって、私はどれだけの期待に報いることができたのだろうか。たぶん微々たるものでしょう。ただ、微々たるものだけれども、私が出せた1つの結果である。だから、これまでの親への感謝の意を込めて、学位を実家に送ることを決めました。
これからも結果を出せるように、多くの方からの期待に応えられるように、日々精進していくのみである。
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東日本大震災から2週間が経とうとしています。被災地で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
被災地・首都圏を中心に、大学の卒業式中止が相次いでいます。今年私が卒業する東京大学大学院の学位記授与式では、修了生としては総代(各研究科の博士課程、専門職学位過程及び修士課程代表1名)のみが出席する運びとなりました。授与式後には各専攻に分かれて集合し、各修了生に学位が渡されます。
私自身、専攻別の学位記授与式には参加しませんでした。学部時代も卒業式に参加していませんので、その延長のようなものです。特に明確な理由はありません。だったらいけよという話なのですが、人間の行動のすべてが論理的に説明できるわけではありません。大事なことなので2度書きます。人間の行動のすべてが論理的に説明できるわけではありません。100%論理的に解釈しようとする行為は科学に対して適用するべきであって、人間に対して適用するべきではありません。いや、適用できません。
科学というのは、物事を客観的にとらえてそこから新しい事柄を発見することである。分からない何かがあって、それを理解するために実験や計算をして客観的なデータを取得していく。データをもとに論理的に考え、分からなかったことを分かるようにする。科学とはそういうものだ。ただ、それは科学だという認識を強くしていなければいけないと思う。それは科学であって人間ではない。
ある人間に関して分からないことがあったとする。その人間を理解するために、その人の過去の言動や行動などを分析して、論理的に考え、その人がどういった人なのかを結論する。それで本当に人を理解できるのだろうか?できないと思う。例えばその人が過去に発した言動が世間一般で言うところの『冗談』だったとしよう。その場を湧かせるためのただの冗談、一時的な発言だったとしよう。ここで、その人間を理解しようとしている側の人間がその一時的な発言を冗談と捉えられなかったらどうだろう。冗談とその他の要因(言動・行動)を分析にかけ、論理的に考え、その人がどういった人なのかを結論する。そんな結論になんの信憑性もない。根源が冗談なのだから。
ここに、人間のことを論理的に理解しようとすることの限界があるように思える。だいたい、人間には感情があり、日に日に発言・心情が大きく変わることもあれば小さく変わることもある。だから、人間の感情の客観的なデータはとれない。客観的なデータがとれなければ論理を構築しても意味がない。たとえ何らかの結論が出せたとしても、そんなものはまったく当てにならない。それで、1人の人間を理解できたと思い込むのも大概にしてほしい。
なんでもかんでも論理的に説明がつくと思うな。
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