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人と組織との結びつきを化学するコンサルタント

東大大学院生記 8月 2009

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 何事においても感謝の気持ちを忘れてはいけない。人との関係を良好に保っていくためだ。

 以前所属していたサークルで、先輩が引退間際に、「ありがとうと言える人間になりたい。」ということを話していた。もう古い話なので、その先輩の発言内容を詳細には覚えていないが、感謝という気持ちを意識しだしたのは、先輩の発言を聞いてからだ。

 私が所属する専攻の口述試験が終了した。試験の特色から考えて、もうすでに受験者は来年の配属先を知っているはずである。後輩の動向が気になっているのは、私だけなのだろうか?結果は昼にでることを知っていたので、私はお昼時からセカセカしていた。研究室メンバーの1人に、4年生から連絡があったかどうかを聞いてみたが、連絡はないとのこと。というより、私があまりに4年生の動向を気にしていることを不思議がられた。後輩の心配をすることはそんなにおかしなことなのだろうか。どうも、内部生にとっては、大学院に残れることが重要であって、その後の配属先はあまり興味がなさそうである。そして、大学院試よりも、卒論発表を一大イベントとしてとらえているようだ。大学院試に対する熱が、内部生と私とで大きな差があることを今日知りました。

 それにしても、来年の配属先を知りつつも、何の連絡もくれない4年生には少しがっかりしました。このように感じるのは、私のわがままなのでしょうか?4年生のために過去問を解き、院試模試(→http://blogs.yahoo.co.jp/kamakura2008/18330987.html)まで作成した。模試の解答作成から、ちょっとしたアドバイスまでした。それにもかかわらず、何の連絡も無いという現状に少し呆れました。聞けば教えてもらえるだろう。しかし、こういうのは自発的に行うものであると思うし、当たり前の『礼儀』ではないのだろうか?

 他人に対する感謝の心を忘れてしまっては、他人と良好な関係を築けない。サークルの先輩の発言から、そのことを私は学んだ。

人の努力を分かれ!

 人の努力を分かってあげられること。それは、過去に努力してきたことのある人間にしかできない芸当である。

 大学院受験セミナー2009(→http://blogs.yahoo.co.jp/kamakura2008/19721732.html)を企画している。リーダー的存在となって、一つの組織を動かしている。このような経験は、いつぶりだろうか?92人を巻き込んだ大忘年会以来か、スペースニードルでソーラン節を踊って以来か、それとも学園祭実行委員会企画局副局長として活動して以来か。何かと人と一緒に何かを作り上げることをしてきている。

 今回のセミナーでは、3名の方に『体験談』を発表していただくことになっている。大学院受験でどのような経験をしたか、主に、勉強法(どのように、どのくらい勉強したか)と研究室訪問での体験談を話していただく予定だ。3名のうちの1人が、すでにスライドを提出してくださりました。そのスライドを見て、何か感じるものがあった。

 体験談のスライドは、背景・ハイライト・英語と数学の勉強法・研究室訪問というカテゴリーで構成されていました。詳細に関しましては、このブログでは紹介できませんが、特に感動したのは、『英語と数学の勉強法』でした。『努力』という一言で片づけてしまっていいのだろうか。語彙力の無い私には、その言葉でしか締めくくれません。このブログをとおして私も、自分の勉強の軌跡を示しました(→http://blogs.yahoo.co.jp/kamakura2008/7687123.html)。しかし、体験談のスライドで紹介される勉強法は、私の勉強法よりはるかに効率的であり、そして、断固たる決意がない限りこなせないものでもありました。

 東大大学院は簡単だ。はい、そうです。大学入試に『比べれば』簡単です。
 東大大学院の中でも、新領域は外部からでも入りやすい。はい、そうです。東大大学院内にある研究科では、『比較的』入りやすい研究科です。独立研究科ですから。

 だからなんなのでしょうか?すべては比較論です。東大大学院試が実際にどれだけ難しいのか、新領域に入るのが実際にどれだけ難しいのか。それは実際体験した当本人にしか分りません。当本人より体験談を聞くより他はありません。他大学院進学コンサルタント活動を通して、私はよく耳にします。旧帝大クラスの大学生が、大学院試験で普通に蹴落とされている現状を。偏差値の低い大学に所属している学生が、努力に努力を重ね、『上』の大学院へ合格していく現状を。

 できる人間が当たり前のように試験に合格していく様を見るよりも、できない人間が努力して試験に合格していく様を見ている方がよっぽろ感動できる。そんなことを感じられた一週間だった。

救命病棟24時

 救命病棟24時「命を救う者のたちの選択」を見て、いたく感動しました。

 過去に、花輪は救命に打ち込んでいた。あまりに打ち込み過ぎてしまったために、家族と一緒に過ごすことを後回しにしてしまっていた。そのことがきっかけで、花輪は妻と離婚することとなった。そして、息子と会える権利を得るため、いざ裁判へ。しかし、病院から裁判所へ向かおうとしたとき、ちょうど救命で人手不足となってしまう。一度は、救命に手を貸さず、裁判所へ向かおうとはしたが、最終的には、新米看護師の「医者にとって、人の命より大切なものってあるんですか?」という問いと、打ち込んでいた救命への想いから、救命を手伝うこととなった。

 花輪の前妻が発した一言、「あなたは、大切なものを失って、初めてそれに気づく。」に、私の心は敏感に反応した。何かに打ち込みすぎると、周りが見えなくなり、大切としなければならないものがわからない状態になる。そして失ってから初めて気づく。自分にとって何が大切なのか。花輪と同じような経験をしたことがあったため(http://blogs.yahoo.co.jp/kamakura2008/12894167.html)、花輪の前妻の一言に対しては、胸にぐっとくるものがあった。

 正直、花輪が裁判所にいくところを、新米看護師に止められているとき、「守るべきもの(息子と会える権利)を守りに行け」と私は思った。しかし、花輪が守ったのは、患者の命の方だった。

 花輪は裁判に遅刻した。前妻に怒られることとなったが、最後に、息子が書いた作文を前妻から手渡される。その作文の最後の文章。

 「お父さんのような、お医者さんになる。」

 この文章を花輪が読んでいるシーンで、普通に泣いた。息子は、花輪が仕事に打ち込んでいることを「かっこいい」と捉えていた。息子にとっては、花輪はヒーローのような存在になっていたのだ。何かに打ち込み、そしてその打ち込んでいる姿を誰かに尊敬してもらえた花輪に、今日は乾杯。これからは、何も気にせずに、自分のしたいこと、救命に全力で当たれることだろう。

 最終的結論は、自分の気持に正直になって、やりたいことをとことんやれということなのだろうか。

妙な緊張感

 今年度の院試を受けるわけでもないのだが、なぜか妙に緊張している。

 今日明日が勝負の日であるかのように、体が反応している。このブログを更新している最中も、脳味噌が集中し続け、止まらない。完全に体が、「試験日が近付いている」と勘違いしている。

 研究室のメンバーにこのことを伝えたら、「みんな大丈夫だから、安心しなさい。」と言われた。特に、研究室に配属されている4年生のことを心配しているわけではない。彼らはやればできてしまう子達だから、私が心配するに及ばない。

 もしかしたら、誰かのことを心配しているのかもしれない。他大学院進学コンサルタント・アドバイザーとして活動してはいるものの、出会った相談者とそこまで頻繁に会っているわけでもない。メールでのやりとりのみで関係が終わっている相談者も多数いる。それでも、私がアドバイスしてきた人たちが、どのような結果を出したのか、どのような経験をしたのかがとても気になる。そう、相談者の行く末を私は気にしている。

 目標を掲げ、それに向かって努力すれば報われる。当たり前だ。でも、努力しても、失敗する人間はザラにいる。ただ、その努力した上での失敗は、『一時的』な失敗であって、そのまま努力し続けさえいれば、必ずいつか報われる。結果的に、努力すれば報われるという結論にたどりつく。そんなことを、私は自分自身の経験から導き出した。

 才能があろうがなかろうが、頭がよかろうが悪かろうが、家が裕福だろうが貧乏だろうが、生まれた場所が都会であろうが田舎だろうが、

 『目標を掲げ、それに向かって努力すれば報われる』

 そんな戯言じみた法則の証明をし続けることを、誰も馬鹿にしてはいけないと思う。

ちょうど一年前

 私が所属する専攻の大学院試が近づいてきました。

 あれから、一年。時が経つのは早すぎです。

 私自身はずっと、東工大大学院を目指していたので、東大大学院の試験はおまけのようなものでした(→http://blogs.yahoo.co.jp/kamakura2008/9472365.html)。しかし、東大の試験会場の席に座り、試験問題の表紙を見たとき、

 『この日のために勉強してきたんだ』

 という思いが胸に去来した。大学4年分の想いをすべてぶつけたい衝動に駆られた。受かろうが落ちようが関係なかった。自分のしてきた努力が、どれほどの結果を生み出すのかを目の当たりにしたかった。

 思えば、高校3年でのセンター試験の失敗からすべてが始まった(→http://blogs.yahoo.co.jp/kamakura2008/19976231.html)。努力が報われずに、途方にくれた日々を送っていた。挫折。その一言につきる。何が駄目だったのか?このままでいいのか?これからどうしたいのか?これで終わりか?自問自答の日々を送り、大学1年5月、大学院でリベンジできることを知った。そのときから、勉強だけは手を抜かずにしてきた。

 何が一番つらかったか。周りの人間には全く理解されなかったことだ。勉強に入り浸る分、視野が狭くなっていた自分もいた。ですから、周りの人間には全く理解されていなかったと感じたのは、私のただの勘違いだったのかもしれない。しかし、周りには私のように勉強に打ち込む人間はいなかった。最初は、自分はセンターで失敗したけど、大学院では絶対『上』に行くとよく口にしていたが、徐々に、その想いを内に秘めるようになってきた。誰にも理解されないことを口にした時点で、ただ自分が虚しくなるだけだということに気づいたためだ。

 何か一つのことを成し遂げるために、多くの犠牲を払った。得るものが大きかった分、失ったものも大きかった。だからと言って、現状に満足していないか言えば、それは違う。徒労感が押し寄せる結果となったが(→http://blogs.yahoo.co.jp/kamakura2008/20435289.html)、強い想いをもって物事に打ち込めば、なんでもできるという自信を得ることができた。

 そんな自信をとりもどせる人間達がこの夏、どのくらい増えるのだろうか?

 応援している。

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