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ビジョナリーカンパニー(ジェームズ・C・コリンズ 他)を読み、ビジョナリーカンパニーとなるための原理をまとめました。 |
読書記
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最近、エッセンシャル版『マネジメント』が店頭にならんでいます。社会人となる前に読んでおきたい本の1つではあるのですが、内容が難しい印象があり、一読するのに抵抗感があります。そこで、『マネジメント』を大まかに捉える前段階として、『もしドラ』に頼ってみようかと考えました。 『もしドラ』の小説としてのエンターテイメント性は抜群で、ところどころに感動ポイントがありました。読み進めていくうちに、『マネジメント』から得られる教訓に目を追うというよりは、ストーリーの流れの部分に目を奪われがちになってしまいました。私のように『マネジメント』の概要をつかむという目的で『もしドラ』を読むのであれば、その目的を達成しようとする姿勢で読み続けられるかが非常に重要となります。それほど、感動してしまいます。 そんなエンターテイメント性に話が隔たってしまっているせいか、物語の終盤でぶつかった『意思決定において、プロセスと成果のどちらが大切か』という問題提起に対して、明確な答えを『もしドラ』ではあやふやにしています。ストーリー的には、どちらも大切にできたというハッピーエンドで終わらせてしまっています。それも、プロセスを選択した結果、成果もついてきたという流れになっています。しかし、『マネジメント』では明らかに成果の方が大切であると謳っています。 もし、『マネジメント』に対して忠実に『もしドラ』を構成しようと作者が意図していたのであれば、プロセスか成果のどちらかの選択においては、なんの迷いもなく成果の方をとるべきだったのではなかろうか。どちらかを選ぶ際に生じている登場人物の心の葛藤などで人間味溢れるストーリーを描こうとした反面、『マネジメント』への忠実度がおちてしまっていると感じました。 なにはともあれ、感動目的であろうとも、『マネジメント』への興味本位であろうとも、 もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら(岩崎夏海) は、非常におもしろいと思います。 ぜひ、一読をお薦めします。 |
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『ビジョナリーカンパニー 〜時代を超える生存の原則〜』(ジェームズ・C・コリンズ,ジェリー・I・ポラス,山岡洋一[訳])を読んでいます。ビジョナリーカンパニーをどのようにして創設するかについて書かれている本です。
ビジョナリーカンパニーカンパニーとは、 『ビジョンを持っている企業、未来志向(ビジョナリー)の企業、先見的(ビジョナリー)な企業であり、業界で卓越した企業、同業他社の間で広く尊敬を集め、大きなインパクトを世界に与え続けてきた企業』(ビジョナリーカンパニー P.3 引用) と、本著では定義づけられています。 ビジョナリーカンパニーの特徴は、『基本理念を維持する』・『進歩を促す』の両方に重点をおいていることである。その両方を維持するための方法論は5つに分けて紹介している。『社運をかけた大胆な目標』、『カルトのような文化』、『大両のものを試して、うまくいったものを残す』、『生え抜きの経営陣』、『決して満足しない』を各章に分けて説明している。 『決して満足しない』の章で、『黒帯の寓話』が個人的にはとても印象に残った。私が書いた『好きとくやしい』(→http://blogs.yahoo.co.jp/kamakura2008/26199571.html)という記事とオーバーラップするものを感じたためだと思う。 黒帯を受け取れることになった武道家に対して、師範が最後に1つ質問した。 師「黒帯の本当の意味は何なのか?」 武道家「旅の終わりです。厳しい修行に対する当然の褒章です」 師「黒帯を与えるわけにはいかない。一年後に来なさい」 (一年後) 師「黒帯の本当の意味は何なのか?」 武道家「頂上に達したことを示すものです」 師「まだ黒帯を与えるわけにはいかない。一年後に来なさい。」 (一年後) 師「黒帯の本当の意味は何なのか?」 武道家「黒帯は出発点です。常に高い目標を目指して、終わることなく続く修行と稽古の旅の出発点です」 師「そうだ。ようやく黒帯に値するようになったようだ。修業はこれからはじまる」 決して現状に満足することなく、さらなる高みへと登り詰めていく。登り詰めるその先に自分の理想像があるならば、人間はいくらでも本気になれると思う。しかしそれはまた、理想の自分になれたと満足してしまう瞬間が、自己衰退への始まりを意味するに他ならないことを暗にほのめかしている。だから、成長を常に求めるのであれば、私達は『決して満足してはいけない』のである。 |
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『神様のカルテ』(夏川草介)を読みました。映画化されることで少し話題になっていることもあり、書店を散策していたときにその小説に目がとまった。1週間、じっくり時間をかけて読んでみました。コテコテの医療系小説の域から逸脱した話しとは言えない。ありきたりな小説といえばありきたりな小説である。感動する人は感動すると思う。ただ、個人的な意見としては、作者はとくに人を感動させるために『神様のカルテ』を執筆したのではないと考える。小説が提示しているのは、現在の地域医療が抱える問題であろう。
物語が展開されている地域は、まさに地域医療問題が生じていてもおかしくない長野県松本市である。一風変わった性格をもつ栗原一止は、患者・看護師との関係を大切にする医者である。彼は、一週間の半分は病院に泊まり込む、家に帰れたとしても、急患の患者が現れればすぐに病院に戻るという生活を送っている。地方では、慢性的な医者不足である。また、少子高齢化がそれを後押しし、地方勤務の医者を苦しめている。この事実から話を展開している『神様のカルテ』は、感動的シーンが実話であるならば、ノンフィクションであると言える。
将来の地域医療は、どうなってしまうのだろうか?田舎育ちの私としては、他人ごととは思えない。小説でもなされているように、最先端医療とはまた違った地域医療の魅力をもっと発掘していく必要がある。いや、そもそも医者の絶対数が足りないのかもしれない。過去に医学部の定員が少なくなった。現在はどうなのだろうか?また、地方病院に医者がいなくなったのは、新たな臨床研修制度が原因かもしれない。問題構造が複雑すぎるので整理する必要があります。
時間があるときにでも、掘り下げて考えてみたい問題である。
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人生を好転させる「新・陽転思考」〜事実はひとつ 考え方はふたつ〜(和田裕美)
という著書を紹介します。
人生をよりよい方向へと転がしていく(陽転させていく)方法論がシンプルに書かれています。やることはとても簡単です。どんな事柄に対しても『よかった』を見つけだすことです。まず『よかった』と言ってしまい、その後『なぜ?』を探します。
この方法論で私はネガティブな出来事に対しての気持ちの切り替えが少しだけ早くなりました。
私が「新・陽転思考」に出合ったのは、就職活動で落ち込んでいた時でした。第一志望の企業から内定をいただけず、「俺って実際、イケてない人間だな・・・」と引きずっている期間がありました。「それでも前にすすまなくては・・・」と思ってはみたものの、体は動かず、表情は暗くなる一方でした。
自分自身が内定をいただけなかったという事実を受け入れられていなかったため、引きずった期間が長かったのだと思います。プライドが高い分、うまくいかない現実に納得いかなかったのでしょう。
そんな期間に、陽転思考に出合えたのは私にとって『よかった』です。『なぜ』か。それは、陽転思考は一度、事実を事実として受け入れ、そこからプラスの事柄つまり『よかった』を探すという思考プロセスだからです。事実を受け入れられずに落ち込んでいた自分にはピッタリでした。
第一志望の企業から内定をいただけなくて・・・よかった。
なぜ?
企業とマッチングしていないことが分かったから。
企業分析がしっかりできていなかったことが分かったから。
最後に面接の評価をいただき、遠倉という人間はどういう環境で活き活き働けるのかの客観的意見を得ることができたから。
事実を受け入れ、『よかった』を見つけ出すことで、気持ちの切り替えがうまくできました。悩んでいる時間がもったいなかった。その後、内定を得るまでそれほど時間はかかりませんでした。
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