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久々に東大キャンパスを訪れました。学位を受け取るためです。3月24日(木)に開かれた専攻別学位授与式には参加しなかったので、教務課まで足を運び、学生証と引き換えに学位をいただきました。本日をもって、私の学生生活は終わりました。
「賞状やトロフィーなど名誉あるものは、飾られてこそ本当の価値を発揮する」
学位を受け取ってすぐ、額縁を買いにいきました。引越ししたての部屋に飾られている様子を想像してみましたが、やめました。飾られるに最も相応しい場所を思いついたからです。
「額縁に学位を入れた状態で郵送できますか?」
郵送可能とのことなので、早速手続きに入りました。送り先は、実家です。
私達すべての人間は、多くの方の期待を背負って生きています。多くの方の中でも、親からの期待が一番大きいと思います。生まれた瞬間から、子に対して何の期待もしない親などいるはずがありません。期待するが故に、育ててくださった。期待するが故に、仕送りしてくださった。期待するが故に、温かいご飯をつくってくださった。そんな期待に応えるためにも、私達は一日一日を無駄にすることなく生きていかなければならない。
今回、東京大学大学院を修了するにあたって、私はどれだけの期待に報いることができたのだろうか。たぶん微々たるものでしょう。ただ、微々たるものだけれども、私が出せた1つの結果である。だから、これまでの親への感謝の意を込めて、学位を実家に送ることを決めました。
これからも結果を出せるように、多くの方からの期待に応えられるように、日々精進していくのみである。
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東大大学院生記 3月 2011
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東日本大震災から2週間が経とうとしています。被災地で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
被災地・首都圏を中心に、大学の卒業式中止が相次いでいます。今年私が卒業する東京大学大学院の学位記授与式では、修了生としては総代(各研究科の博士課程、専門職学位過程及び修士課程代表1名)のみが出席する運びとなりました。授与式後には各専攻に分かれて集合し、各修了生に学位が渡されます。
私自身、専攻別の学位記授与式には参加しませんでした。学部時代も卒業式に参加していませんので、その延長のようなものです。特に明確な理由はありません。だったらいけよという話なのですが、人間の行動のすべてが論理的に説明できるわけではありません。大事なことなので2度書きます。人間の行動のすべてが論理的に説明できるわけではありません。100%論理的に解釈しようとする行為は科学に対して適用するべきであって、人間に対して適用するべきではありません。いや、適用できません。
科学というのは、物事を客観的にとらえてそこから新しい事柄を発見することである。分からない何かがあって、それを理解するために実験や計算をして客観的なデータを取得していく。データをもとに論理的に考え、分からなかったことを分かるようにする。科学とはそういうものだ。ただ、それは科学だという認識を強くしていなければいけないと思う。それは科学であって人間ではない。
ある人間に関して分からないことがあったとする。その人間を理解するために、その人の過去の言動や行動などを分析して、論理的に考え、その人がどういった人なのかを結論する。それで本当に人を理解できるのだろうか?できないと思う。例えばその人が過去に発した言動が世間一般で言うところの『冗談』だったとしよう。その場を湧かせるためのただの冗談、一時的な発言だったとしよう。ここで、その人間を理解しようとしている側の人間がその一時的な発言を冗談と捉えられなかったらどうだろう。冗談とその他の要因(言動・行動)を分析にかけ、論理的に考え、その人がどういった人なのかを結論する。そんな結論になんの信憑性もない。根源が冗談なのだから。
ここに、人間のことを論理的に理解しようとすることの限界があるように思える。だいたい、人間には感情があり、日に日に発言・心情が大きく変わることもあれば小さく変わることもある。だから、人間の感情の客観的なデータはとれない。客観的なデータがとれなければ論理を構築しても意味がない。たとえ何らかの結論が出せたとしても、そんなものはまったく当てにならない。それで、1人の人間を理解できたと思い込むのも大概にしてほしい。
なんでもかんでも論理的に説明がつくと思うな。
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『夢を見て 夢を叶えて 夢になる』を読みました。
夢を追いかけるモチベーションを掻き立てられました。特に、神風特攻隊として戦艦に突撃していった方々の生き様が書かれている箇所に感銘を受けました。日本のために決死の覚悟で戦艦に突っ込んでいった方々の想いが、今の日本の土台をなしている。そんな方々には私と同じ、夢を追いかけたい盛りである20代の人も含まれていました。
「ここで私が夢を追いかけないでどうする。このままでは、夢を追いかけたかったけれども追いかけられなかった人たちに顔向けできない」
と強く感じました。
先日、友人と戦没者が祀られている靖国神社を参拝しました。そこで私達は、自分たちの夢を絶対に叶えると誓いました。戦没者の分まで、夢を追いかけたい。また、大切に守られてきた日本をしっかりと引き継ぎ、よりよい日本へと変えていきたい。
この境地に至れたのも、『夢を見て 夢を叶えて 夢になる』に出会ったためです。
文章がとても簡潔なので、小1時間で読めます。小学生・中学生にもお勧めです。アルバイト先だった塾を訪れる際は、『夢を見て 夢を叶えて 夢になる』を買っていこうかと思います。
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新居へと引っ越して参りました。荷物の開梱にまでは至っていませんが、体だけ新居へと移し、来る新しい世界に胸を躍らせています。
今日、2年間お世話になった研究室に別れを告げてきました。修士課程の2年間は、あっというまでした。ここに2年間いたことが不思議でなりませんでした。きっと自分なりに一生懸命だったのだと思います。だから時が経つのが早かったのでしょう。研究室を去ることに寂しさを感じはしましたが、「もうこの場所には戻ってこないぞ」という気持ちが強かった。
4月からは気持ちを切り替えていこうと思います。実際には3月現在、切り替え準備に入っています。まずは、学部時代のレベルにまで精神的なレベルを戻したい。夢を果敢に追いかける姿勢を必ず取り戻す。そして、次のステップへ行く。大切なものを守りつつ、夢を追いかける。学部時代は未熟だったために、大切なものを失っていることに気づかずに、夢ばかりを見る傾向にあった。そんな状況には陥りたくはない。もう何も失わないし、足を止めることもしない。
現実の尺度だけで物事を考えることはやめにしよう。現状がこうだから将来的にはこれぐらいのレベルで落ち着こうとか、こんな道しかないとか、自分の未来を論理的に構築してでっかい夢を描けなくするのはやめにしよう。いつか論理を超えてやる。
そして、これぞ遠倉和馬の生き方だというものを示して見せる。30歳までに1つの結果を出す。
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引っ越しの日まで、あとわずかです。今日は研究室のデスクまわりを片づけました。
一番多かったゴミは紙類です。ミーティングで使用されたパワーポイントのスライドや、鬼のように整理した解析データの印刷物が机のまわりに散乱していました。1つひとつを手にとって眺めてみたわけではありませんが、思い入れ深い資料も中にはあり、思わず取捨の選択を躊躇する場面もありました。
デスクの棚にはビジネス本・小説・専門書が並んでいました。段ボールを2つ用意していたので、ビジネス本・小説と専門書に分けました。新居の書棚には主にビジネス本・小説を並べる予定なので、専門書とはここでお別れ。言うまでもなく、専門書をつめた段ボールの方が重く、これまで必死に勉強をしてきたことが心にズッシリと重くのしかかる。これから人材業界で働きだすことを考えると、詰め込んだ知識がもったいないと思えてくるのはしょうがないことだ。しかし、研究に携わることで身に付けた問題解決能力・思考力は必ず活きてくる、そう確信しているから前に進める。
組織人事コンサルタントになる。これが今の私の夢だ。一個人が生き生きとはたらける環境を作り上げていきたい。仕事さえ楽しめれば、人生の3分の1は幸せな時間となる(→http://blogs.yahoo.co.jp/kamakura2008/26702846.html)。その考えのもと、他人の幸せも実現しつつ、自分自身の幸せも仕事をとおして感じたい。実績を上げ、講演・出版を繰り返し、願わくは大学で教鞭を執る機会を得たい。そこで思いっきり次世代を担う若者を激励できたならば、これ以上望むものはないと思う。
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