ブラジル・キューバ

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 世界遺産の町トリニダーでは、是非2〜3日以上は滞在して欲しい。そして、マナカ・イスナガへのワンデイ・トリップを楽しむといい。マナカ・イスナガへは、かつて砂糖きびの運搬に使われていたSL列車が、(観光用として)現役で走っている。なかなか気持ちのよい小旅行だ。
 
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 ハイライトは、高さ44㍍のイスナガの塔(La Torre Manaca Iznaga)。奴隷の逃亡を防ぐための監視塔だった。今は展望台になっているが、周囲には砂糖きびのアシェンダ(大農園)の邸宅も残されている。
 
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 すぐそばのレストランの裏手には、砂糖きびをから汁を絞り出すための道具も保存されているので、お見逃しなく。実際にやってみると、これがたいへんな重労働だということがわかる。
 
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 トリニダーの周辺には、18世紀から19世紀にかけて広大な砂糖きびのプランテーションがあり、最盛期には3万人もの奴隷を使役して70以上の製糖工場があったといわれている。トリニダーの町に戻ったら、市立歴史博物館(Museo Historico Municipal de Trinidad)をのぞいてみよう。町を展望できるこの博物館に展示物の数は少ないが、こんなものも見つかるだろう。
 
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 奴隷制が廃止された後、トリニダーの繁栄も終わりを告げてしまう。やがて、砂糖のモノカルチャーの経済構造は、キューバ自身の運命も翻弄していくことになる。
 安く手頃なホテルの少ないキューバでは、旅行者に大変人気のあるカーサ・パルティクラル(政府公認の民宿)。
 
 年末のハイシーズンに、ハバナ旧市街で人気のカーサをゲットするのは難しい(ほとんどのカーサは1室か2室しか部屋がない)のだが、トリニダーへ来れば全く心配ない。バスが到着するや、カーサの客引きがずらりと待ち構えていて、客の争奪戦になるくらいだから。
 他のおばさんたちに袖を引っ張られながら、私が選んだカーサはここ.。
☆Hostal Luisa: Frank Pais#556ーCe/Piro Guiart y Pablo Pichs Giron.Tdad.S.S.Cuba
               (0141)994475
 
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 このカーサは、まるで家族の一員のようにとことん面倒をみてくれた。トリニダーの滞在を心地よいものにしてくれたのは、紛れもなくこのカーサのお陰である。
 カーサから見たトリニダーの路上風景。
 
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 何と言っても、食事が素晴らしい!オール・ナチュラルで、食べきれない量の朝食と夕食。キューバでは、どんなレストランの食事よりもカーサでいただく家庭料理の方がおいしい。上:朝食、下:夕食。
 
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 次に向かうシエンフエゴスのカーサも、ここで紹介してもらった。
☆Guest House Mery&Silvio: 50th Ave#3910 %39y41. Cienfuegos.Cuba
  53(43)520950
 こちらのカーサは、ホテル並みにきれいなカーサであった。
 
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 シルヴィオ氏は、大学の歴史の先生だそうな。どうりで、カーサの中庭にクラシック音楽が静かに流れていたりして、インテリっぽい雰囲気が漂っていた訳だ。頼みもしないのに、自分の卒業証書や成績表(オール5!)を私に見せてくれた。
 ちなみに、そこには「マルクス=レーニン主義」という名の科目も…
 チンクエチェント以外の車にほとんど興味がない私は(「車に興味がない」と言うと、たいてい意外な顔をされる)、キューバで車を撮影しようとは思っていなかった。しかし、ハバナの街中を1950年代のアメ車が現役でバリバリ走っている様には、やはり圧倒的な存在感がある。キューバを訪れる旅行者も、しきりに駐車中の車にカメラを向けているようだ。
 そこで、シエンフエゴスの町に滞在していたとき、何枚か撮ってみた。
 
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 シボレーなど1950年代(一部1940年代も)のアメ車は、1959年のキューバ革命のときに逃げ出したアメリカ人の置き土産。その後の経済危機の最中にも、(やむなく)修理しながらだましだまし走らせ続けてきた。
 モスコヴィッチ(一番下の写真)、ラダなど、旧ソ連・東欧製の車も目立つ。
 そしてプジョー、現代などが走っていたら、それは一番新しく入ってきた車だ。
 
 という具合に、キューバの車事情には、揺れ動いてきた現代史と国際関係が垣間見える。

アグロフォレストリー

 昨年はブラジル移民百周年。それを特集して放送された番組(ハイビジョン)の中でアマゾンのトメアスが映ったとき、とても懐かしい気持ちになった。

 トメアス(Tome Ace)。アマゾンでは最も有名な日本人入植地である(現地では「ス」にアクセントを置いて発音する)。
 べレンからバスで埃っぽい道を疾走すること5時間半。突然の訪問なのに、なんとバス停でお出迎えがあり、宿もちゃんと手配されていた(初日は空いた学生寮、2日目は入植者のお宅)。べレンで会った日系の旅行会社の人が、「日本から来た旅人がそっちに行くよ」と気を利かせて連絡してくれたらしい。南米で日系人に世話になるのは毎度の事である。それにしても、彼らはそれが当然であるかのように日本からの客人をもてなすものだから、恐縮する。このときのメモ。
「午後は小野さんの農場へ。トラクターから落とされぬよう必死(笑)。マラクジャ、ピメンタ、アセロラ、ヴァニラ、カカオ、ゴム、マホガニー、コーヒー。昼食はピラニア。すごく静か。」

 初期の移民には、想像を絶する苦労があった。「マラリアで一家全滅」「切り倒した大木の下敷きになって死亡」…現地で、そんな生々しい手書きの記録を閲覧した事を思い出す。やがて、トメアスは東南アジアから導入したある作物で大成功する。それが胡椒(ピメンタ)である。
 しかし、「胡椒御殿」が次々に建ったこの胡椒ブーム、やがて病害の発生と胡椒の国際価格の暴落とともに、あっけなく終焉を迎えてしまう。
 現在、トメアスの重要な商品になっているマラクジャ(パッションフルーツ)やアセロラといった熱帯果実の生産は、この単一栽培の悲劇を教訓として、移民たちが取り組んだ「農業多角化」の成果なのである。

 そしてもうひとつの取り組み、それが「アグロフォレストリー」だ。
 小野さんが「カカオの収穫に行くんだが、来ないか」と言う。ついていくと、そこは雑木林の中だった。いや、雑木林の中に、コーヒーやマホガニーなどの樹木作物がぽつりぽつりと植えられていた。
ちょうど、地理の教科書に「アグロフォレストリー」という用語が登場した頃だった。それを思い出した私はつぶやいた。「あ、これなら森はなくなりませんよね。」すると小野さんは、わが意を得たりといった表情になった。「もちろん、そうだよ。」
 アグロフォレストリーはトメアスの坂口さんという方が始めたものだ、という事実を知ったのは、帰国後のことだった。私はその知識がないまま、偶然にもアグロフォレストリーの現場に出くわした訳だ。
 
 アグロ(農業)とフォレスト(森)の組み合わせ。さまざまな作物・樹木を混植する、持続可能な熱帯農業の姿。たとえばバナナは日陰を作り、日陰を好む胡椒やカカオを育てる。数年たつとコーヒーの収穫が始まり、大木となるブラジルナッツは最も遅く30年目に収穫期を迎える。
 このように森を伐採するのではなく、森を育てながら農業を行う。(しかも、この方法なら1年目から農業収入を得ることも可能だ)
 昨年見たハイビジョンの番組は、まさにこのアグロフォレストリーに取組むアマゾンの人々を紹介したものであった。番組では、アグロフォレストリーの仕組みもわかりやすくイラストで説明していた。(録画するんだった)

 ところで、ピラニアのフライ(白身魚でうまい)を食べながら考えた。彼らの暮らしは、大自然の中で生きるたくましさも感じるけれど、何よりものんびり・ゆったりと時間がすぎていく。アマゾンにいると、ふと明日の事を煩う必要などないような気さえしてくる。
 こんな人生を選択することもありなんだろうな、と。
 
 皆おおらかな人たちだった。トメアスの皆さん、改めてありがとう。

 
 

マナウス→べレンの船

 アマゾンの中心都市マナウスから河口のべレンまでは、4〜5日の船旅となる。ここでいくつか注意をしておこう。

1.乗船前にヘジ(ハンモック)を買っておくこと。キャビン(個室)もあるがかなり高い。
2.早く場所取りをすること。上に下に乗客のヘジが重なり合い、大変な混雑である。場所によっては、下手すると上の客の屁をもろに浴びてしまうことになる(笑)。
3.食事に期待しないこと。皆で協力してへジをかたずけ、上から収納式の長テーブル・長椅子を降ろすと、乗客一同そろっての食事タイムである。しかし、メニューはいつも同じ。米にファリーニャ(マンジョーカの粉)、パスタ、肉などが大皿に盛られて次々と回ってくる。各自自分の分を取り分け、ただ黙々と口に運ぶ。食後のコーヒーは強烈に甘い。

 それでも、この船旅はお勧めである。
 まず、甲板の上での人間模様が面白い。ブラジル人は気取らないし、初対面でも仲良くなるのに5分と要しない。酒宴の席に招かれるもよし、ブラジル娘にちょっかいを出すのもよし。私はこの船内でドイツ人旅行者Hubert(俳優カーク・ダグラスによく似たやつだった)と出会い、その後しばらくは、この旅のよき道連れとなった。しかし乗客の大部分はブラジル人。そして日本人は私一人。ここで毎日毎日、いったい何人のブラジル人と話をし、乾杯した事だろうか。
 毎日違う女を連れて現れる男もいた。船内はちょっとしたブラジル社会の縮図のように思えた。

 ときどき、船はアマゾンの川辺の小さな町や村に寄港しながら、アマゾンの流れの如くゆったりと下流をめざす。
 夜には満天の星。月光の下に黒い森のシルエット。これは美しい。延々と続く熱帯雨林をぼーっと眺めていれば、いつかアマゾンの森が消えてしまうなどとは、信じられない気持ちになることだろう。
 この時の私の旅のメモ。「ブラジルの旅に必要なこと(有資格者)。半分気が狂っていること。あるいは、そうなってもかまわないという人。」
 どうやら船の中の私は、かなり「いかれて」しまっていたようだ(笑)。

 さて、船はマナウスとべレンの中間地点、サンタレンでしばらく停泊する。この時間を利用して、私とHubertはサンタレンの町中を散策する。彼は仕事をやめ、南米を1年近く旅しているという。マナウスには1ヶ月いて、ブラジル人の彼女もできたらしい。これからどうするんだと聞くと、「わからない」と言う。いつかブラジルとドイツを結ぶような仕事をしたい、とも言っていた。彼のような「南米好き、ブラジルぞっこん」の旅人に会うたびに、この国は男の一人旅にうってつけなのだなあと思う。

 船へ戻り、再出航。…のはずが、いつまでたっても船が出ない。乗客はさらに増えて、170人ほどが船内で出航を待っている。
 夜8時すぎ。ようやく船はべレンに向けて動き出した。
 後で聞くと、機関士のうちの一人が完全に泥酔してしまい、操縦不可能な状況に陥っていたらしい。

 危な、危な。

 

 
 


 
 

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