ボリビア・チリ

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 前回紹介したサンペドロのツアーはどれも素晴らしかったけれど、特に、最後に参加したアタカマ塩湖ツアー。陽気で親切な先住民系女性ガイドのマリア、それにご一緒したスペイン人カップルとニュージーランドのおばちゃん二人。皆とても良い人たちで、楽しい旅となった。
 インディヘナの静かな村トコナオを経由して、夕刻アタカマ塩湖へ到着。ただただ白いかさぶたのような塩湖の中を、フラミンゴのコロニー(チャクサ湖)まで歩くのもちょい興奮ものだけど、日没時にすべての色彩がみるみる変わっていくのには本当に驚いた。塩湖がダークになり、アンデスの活火山が真っ赤に染まる。そしてサンセット。暗闇が迫る中、数羽のフラミンゴが大空に舞う。その羽ばたきと仲間を呼ぶ声だけが静寂の中に静かにこだまする。私は、その中でただ呆然と立ち尽くしていた。
 こんなとき、ああ、この瞬間のために旅をしてきたんだな、と思う。スペイン人カップルはこれが2度目の塩湖ツアーだと言っていたが、その気持ちがわかる気がした。

 アタカマ高地の素晴らしい一連の写真は、デジカメにバッチリ収めていたはずだった。成田空港に着いたとき、かばんの中を調べたら…な、ないっ!なんとデジカメのメモリーをデルタ航空の機内に落としてしまっていたのだ。すぐにデルタ航空に電話を入れたけれど、モノがモノだけにやはり発見されず。ああ一生の不覚!

 サンペドロへは、チリ北部のオアシス都市カラマからバスで2時間弱である。
 ところでカラマからは、有名な銅の露天掘り鉱山に行くことができる。地理の授業で必ず出てくるチュキカマタ(現地の人はチュキという愛称で呼ぶ)である。カラマのツーリスト・オフィスに前もって予約しておけば大丈夫。世界最大級の露天掘り鉱山を目の当たりにする迫力。これまた、地理学者必見の旅である。
 チュキが見学可能な事は「地球の歩き方」などで以前から知っていたが、旅の前年に見た1本の映画がこの気持ちを強く後押しした。そう、「モーターサイクル・ダイアリーズ」。映画の中で、若き日のチェ・ゲバラはチュキへ来て、鉱山労働者たちの悲惨な境遇に憤慨するのだ。
 革命家ゲバラがカストロと組んで活躍したキューバにも行った。彼が殺されたボリビアにも行った。彼が旅したチリにも行った。

 どこへ行っても、ゲバラの人気は相変わらずだな。


 

 ボリビア国境にもほど近いチリ北部。サン・ペドロ・デ・アタカマという、人口4,900人の村がある。日干し煉瓦の家が並ぶ、どこかレイジーで眠ったような村だ。私はこの村に6泊、つまり1週間いた。1週間もいると、コーヒーショップの店員に「アミーゴ!」と声をかけられるようになる。
 ここは、アタカマ高地をめぐる各種ツアーの拠点となる所。だから、こんな小さな村にヨーロッパのバッグパッカーが多数押しかけ、村のゲストハウスは満員となるのだ。

 世界で最も乾いた大地、アタカマ砂漠。ペルー領では海岸沿いに砂漠が伸びるが、ここチリ側では標高4000mの高地にまでほとんど雨の降らない乾燥地帯が続く。
 地元の小さなツアー会社は、どこもガイド付きで似たようなツアーを催行しているけれど、中身がピンキリなので慎重に選んだほうがいい。日帰りツアーで人気が高いのは次の3つである。他に国境を越えてボリビアのウユニ塩湖まで行く泊り掛けツアーもある(結構きついらしい)。

1.月の谷ツアー(Valle de la Luna):サン・ペドロから西へ15km、月面を思わせるような荒涼たる砂漠地帯まで行き、サンセットを体験。行く価値は十分ある。
2.タティオ間欠泉群(Los Geisers del Tatio):このツアーは早朝、まだ真っ暗なうちに出発する。標高4500mの間欠泉は、日の出とともに水蒸気が立ち上がり壮観な眺めとなる。
3.アタカマ塩湖(Salar de Atacama):ボリビアのウユニ塩湖に次いで世界第2位の塩湖。この中にフラミンゴのコロニーがある。日帰りツアーなら、日没にあわせて出発。

 はっきり言おう。これらのツアー、地理学者なら必見!である。
 たとえば、月の谷ツアーではしばらくトレッキングをするのだが、次々と展開する光景に驚きの連続である。一面真っ白な塩湖の上をさまよい、アンデスの高峰を眺め、ワジの中をひたすら歩く。博学なガイドはスペイン語と英語で、プレートテクトニクスから火山活動、砂漠の成因、鉱産資源の生成まで、懇切丁寧に解説してくれる。この真面目で優秀なガイドは、「カクタスツアー」のガイドであった。

 ところでこのガイド、「フンボルト海流」と繰り返していたっけ。さすがに、チリでは「ペルー海流」とは言わないわけだ。なるほどね。
 
 

 今日は、正確にはアンデスの話題ではない…。

 南米へ行くと、なぜか必ず日系人の世話になる。ボリビアにも、多くの日系移民が住んでいる。ずばり、「オキナワ」なんて名前の村もある。そこでボリビア滞在中、私がバスで向かった「サンファン入植地」。
 さすがに入植地だけあって、バスはすごい道を走る。土埃をもうもうとあげながらようやくたどり着いた先は、ロータリー風のがらーんとした広場。そこから先は人通りのない道が1本あるのみで、後はいかにも開拓地といった感じの茫洋とした村だ。
 広場前に安ホテルが1軒あったので、これ幸いとフロントに飛び込んだ。誰もいない。あれ?と思って奥をのぞくと、日本人男性がソファに寝そべってテレビゲームをしている。うーむ?すると、そこへ出てきた別の日本人男性。彼は、なんとも不思議そうな目で私を見ながら受付をしてくれた。
 ホテルにこの日泊まっていた顔ぶれは、次の通りである。
 受付の日本人は画家。かつては南太平洋に住み着いていたが、今はアンデスに魅せられ、絵を描き続けているらしい。そして、このホテルの経営者(ボリビア人)から旅行中で留守の間よろしく、と言われ経営をまかせられている(!)のだという。
 ソファに寝そべっていたのは、自称「釣りキチ」。日本では職についても仕事にならず、親からも見放された彼は、大物を追って世界を旅しているうち、最後にはるばるボリビアまでたどり着いたのだという。彼も当然長期滞在者。
 次に、この日のゲストは私のほかにもいた。新婚旅行で世界一周にチャレンジしている夫婦である。韓国から始まり、ヨーロッパ、南米ときて、日本を出てからはもう半年以上になるらしい。
 この5人が一堂に会しての開拓地での食事風景、なかなかに奇妙なものであった。

 ラパスでは、一人旅の日本人女性にも会った。彼女はパラグアイで国際協力の仕事にしばらく携わっていたというが、その任期を終え、南米一人旅の途上であった。(彼女も私同様、高山病に苦しんでいた。)
 68歳の日本人にも会った。妻に先立たれた年金生活者の彼は、南米の山を登りながらの一人旅である。久しぶりに会った日本人の私相手に、話が止まらない。ペルーでは子どもの強盗団に囲まれて荷物を盗まれたなどと言っている。しかし、それにしては元気いっぱいである。

 さすがに南米あたりまで来ると、個性的な旅人が多い。1年間旅をしてるなんてのも決して珍しくない。
 みなさん、旅をすればわかるけど、「人生いろいろ」(笑)なんですよ。

 

 福島県川俣町で毎年秋に開催される、「コスキン祭」をご存知だろうか?
 フォルクローレの音楽祭で知られるアルゼンチン西部の小都市、コスキン。この町との交流から生まれた3日間に及ぶ音楽の祭典である。この3日間は、日本全国からアマチュアミュージシャンたちが川俣に集結する。私は、おととし泊り掛けで出かけてみたが、客席にはコスキン市長夫妻も見えて、おおいに盛り上がったのだった。アルゼンチンの位置も知らないような町のおじいちゃんおばあちゃんが、ケーナやサンポーニャやチャランゴの演奏、スペイン語の歌に耳を傾ける様子は、町おこしと国際性の妙な「ミスマッチ」が感じられて、でも何かとても楽しい雰囲気ではある。
 残念なことに去年は都合がつかず行けなかったのだが、今年は絶対行くぞ〜!

 さて、コスキン祭の出演者リストには、「○○大学中南米音楽愛好会」なんてのがずらりと並ぶ。大学のサークル活動などでフォルクローレを楽しんでいる若者が多い事実は、嬉しい限りである。秋田大学のステージはなかなか盛り上がった。終わってみれば、「先生!」と声をかけてきた出演者の一人は南の吹奏楽部の卒業生であった。
 ところで、彼女たちが選んだ曲が、カルカスの'EL ULTIMO AMANECER'(「最後の夜明け?」)。これも嬉しかった。

 カルカス(KJARKAS)は、いわずと知れたボリビアのスーパーバンド。コアなフォルクローレファンの間では根強い人気を誇っているから、彼らの曲がステージで数多く選ばれることもおおいに頷ける。そして、私はこのときカルカスのDVDを入手した。彼らのCDなら5、6枚持っているのだが、ネットで販売している業者の方から強く勧められていたのである。
 確かに素晴らしい。これを見れば、カルカスを知らない人でもファンになること請け合いである。ステージは、2003年5月、会場はラパス。満員のファンの熱気もすごいが、ヒット曲をずらりと並べた歌や演奏も聴き応え十分である。
 このカルカスのメンバーに、日本人が正式加入していることはご存知だろうか?チャランゴを弾いているのは、宍戸誠である。彼は、このステージでもしっかりメンバーの一員として溶け込んでいる。映像を見ているとき、ついつい彼の姿を目で追ってしまう。

 ちなみにこのDVD、カラオケ付き、楽器のスコア付きである。

 
 
 
 

 私は高山病に2度見舞われている。1度目はインド北部のラダックで、そして2度目はボリビアで。私は高山病に弱いのである。しかし、生徒諸君は高山病を知らない。だから毎度、高山病の症状を説明するはめになる。

 サンタクルスからバスを乗り継ぎ丸1日。ラパス到着を目前にして、休憩のため立ち寄った掘っ立て小屋のような安食堂で、私はインディオのおばさんが作ったじゃがいものスープをかき込んでいた。体調は十分であった。やがて、ラパスのバスターミナルに着いて背伸び。おー何だ、全然大丈夫じゃないか。
 高山病にかからないコツはいくつかある。着いてすぐにムリな運動をしないこと、暴飲暴食を避けること、熱いシャワーをあびないこと、などなど。しかし、どうしても油断してしまうのである。
 サンフランシスコ広場を横切り、めざす安ホテルは坂道の途中にあった。ホテルのフロントにたどり着いたとき、私の心臓はすでに悲鳴をあげていた。自分の心臓の鼓動が恐ろしいほど大きく聞こえる。脈拍がやたら早い。ベッドに倒れ込んだ私は、そのまま動けなくなった。頭が痛い。呼吸も苦しい。夜中、私は胃の中のじゃがいものスープをすべて吐きだした。

 現地の人が勧めてくれるのは、コカの茶である。私も毎日朝昼と飲んでいたが、やはり根本的には回復しなかった。もちろん、ラパスの街をあちこち歩けるようにはなったし、チチカカ湖にも足を伸ばした。真っ青な空、澄んだ湖水、白い教会…。それはきわめて美しいアンデスの風景であったが、同時にその色彩が目に痛々しく飛び込んでくるように感じたのは、どこか重い頭を抱えて旅をしているような症状のゆえかもしれない。
 それにしても、帰途空港に立ち寄った際には、標高4081mと聞いただけで頭がくらくらした。サンタクルスに戻ったときは、正直ほっとしたものである。

 FIFAが高地(2500m以上)での国際試合を禁止すると発表したとき、ボリビアは当然怒った。ボリビアの怒りは、南米では支持されているらしい。

 陸上や水泳の高地トレーニングなら、標高2000mで十分である。


 

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