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右:アラブの民族衣装ガラベーヤとカフィーヤ(頭の被り物)…シリア、パルミラで購入
左:女性の民族衣装アバヤ(目だけ出して全身を覆うもの)…ドバイで購入
シリア中部に、ハマという地方都市がある。巨大な水車が町のシンボルとなっているこの町で、私はたいがいこのガラベーヤを着用してすごしていた。これは、現地の人にはなかなか受けが良かった。
同じ安宿にいた韓国人の女の娘と一緒に、ハマ郊外の「とんがり帽子の家」(南イタリアのアルベルベッロが有名だが、実はシリアにもある)を見に行ったときのこと。バスターミナルの近くを歩いていると、肉屋から愛嬌たっぷりのオヤジが店を飛び出してきて、両手を広げておおげさに喜んで見せた。「オー、アラファトー!!」
まだアラファト議長が存命中の頃の話である。(ちなみに、カフィーヤには地域色があって、このカフィーヤの柄はパレスチナ地域のものらしい)
その日の夜、私はやはり同じ宿にいた大阪の旅行者を連れて、キリスト教地区のレストランへと向かった。この旅行者、困ったことに大の酒好きで、どこからか調達したウィスキーを宿でこっそり飲んではイスラム圏の悪口ばかり言っている(何でイスラム圏を旅しているんだ?)。だが、心の優しい私は彼を酒の飲めるレストランに誘ってみたのだ。
イスラム地区からキリスト教地区へと足を踏み入れると、路上でも屋上でもいたるところで花火がバンバン上がっている。何だ何だ?その日はたまたま、キリスト教の祭日。同じ町にありながら、キリスト教地区は静かなイスラム地区と全く異なる表情を見せていたのだった。
ここでも、子どもたちは私の姿を見るや口々に歓声をあげ、大喜びだった。
ところが、である。
探していたレストランのドアをくぐるやいなや、私の服装を一目見た店の主人はとても険しい表情になった。「駄目だ。今日は帰ってくれ。」
なぜ?と尋ねても表情は険しいまま、ただ出てってくれの一点張りである。やむなくイスラム地区に引き返した我々は、(同行者には申し訳ないが)酒抜きの夕食をとることにした。そこのボーイにいま起こったことを話すと、そのボーイは肩をすくめて言った。
「それは仕方ないよ。あの店は、ヨルダン国王の息子だって入店を断られたんだよ。」
どの国でもどの土地でも、服装にはマナーというものがある(中東やヨーロッパならなおさらだ)。それを思い知った一夜であった。
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中東・カフカス
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ガザの惨状については報道されている通りであるが、近年あまりニュースにならないゴラン高原の話題である。
ダマスカスの安宿に滞在中のこと。同宿のアイルランド人旅行者が、「クネイトラはとても興味深いところだった」という話をした。それでちょっと迷っていた私も、最後の日に行く決心をした。 クネイトラはゴラン高原にあり、1974年のイスラエル軍の空爆によって徹底的に破壊された町である。ここは国連監視下の非武装地帯となっている(日本がPKO活動に参加していることはご存じの通り)が、シリアのアサド政権は、この破壊された町を「イスラエルの残虐行為の証拠」として世界にアピールするため、そのままの形で旅行者に公開しているのである。 クネイトラに行くには内務省の許可がいる。この許可をもらうのに時間がかかった。必要なのはパスポートだけなのだが、受付の事務所の住所が変わってしまっていたうえ、許可証をもらうまで路上で1時間以上も待たされた。しかも、クネイトラまではバスを使って自分の足で行かなければならない。 セルビス(乗合タクシー)に乗り換えて約1時間半。クネイトラの手前で政府公認ガイドが隣に乗り込んでくる。まず、はじめにパスポートを預ける。後はガイドの指示に従って案内を受けるだけ。このガイド、本当にぴったりと旅行者のそばから離れないのだ。だから、もちろん勝手に個人でうろうろするわけにはいかない。「写真は撮っていいのか?」と聞くと、「国連兵士にはカメラを向けるな」とだけ言う。 病院、学校、民家、教会、モスク、橋…。まさに、すべての建物が破壊し尽くされている。レンガの壁には、銃弾の穴が蜂の巣のように一面覆っている。予想はしていたが、確かにすさまじい惨状である。(いまのガザも似たような状況なのかもしれないが…。) 廃墟と化した町をあえて公開しているのは、もちろん政治的思惑からなのだが、ゴラン高原返還は今でもシリアの悲願であり、人々を鼓舞する根強いスローガンともなっている。今後、中東和平においてシリアを巻き込むのであれば、これは当然大きな焦点のひとつとして浮上するであろう。 クネイトラの見学は、決して楽しいものではないと思う。ガイドは、地平線を指差して「あっちはイスラエルだ」と、本当に憎憎しげに口を開く。そして、イスラエルを支えている国々を名指しで批判しながら、私の方をちらっと見やり、「日本も?…」と付け加えた。 アレッポでは、スークで親しくなった青年に、「日本人はアメリカの対イラク政策をどう思っているのか、支持しているのか」を尋ねられた。とても誠実そうな青年であった。
当然、我々も答えを用意しておかなければならない問いかけである。
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ゴリに着いたとき、リュックを担いだ私を見たおばあさんが、親切にも「ホテル、ホテル」と指差して教えてくれたそのホテル。インツーリスト系ホテル(ソ連時代の旧国営ホテル)は、外見は確かにごっついホテルのように見える。しかし、ドアを開けるとそこは「廃墟」である。フロントもな〜んにもない。なにやらガーガー工事をやっていて、埃がもうもうと舞い上がっている。一応管理人らしき人物が出てくる。パスポートを預け部屋へ向かうが、壁はあちこち崩れ落ちている。部屋は原型はとどめているが、やはり廃墟と化している。電気は来ていないし、水も全く出ない。だから夜、部屋に戻るときは懐中電灯が必需品。はいつくばって、ようやく真っ暗な部屋にたどり着く。 |

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ガマルジョバ!!(グルジア語の挨拶) |

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