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読売日本交響楽団 第480回定期演奏会
2009年3月16日(月) サントリーホール
指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
ソプラノ : インドラ・トーマス
アルト : シャルロット・ヘルカント
テノール : ロイ・コーネリアス・スミス
バス : ジェームズ・ラザフォード
合唱:新国立劇場合唱団
ベートーヴェン/荘厳ミサ曲「ミサ・ソレムニス」
マエストロとオーケストラと聴衆、三者の信頼関係がじっくりと築き上げられてきた年月。自分にとっては、トリスタンとともに音楽芸術の最高峰と認識して三十数年間聴き続けてきたこの曲。しかも新国立劇場合唱団。どんな演奏が聴けるのか、今夜が最終日の今年度読響定期の中で、最も楽しみにしていた演奏会です。
スクロヴァチェフスキ氏が登場し、ポディウムに立って客席を振り返るや、拍手が一層盛り上がり、既にこの時点でお客さんはかなりテンションが高い。キリエは、落ち着いたテンポで重厚に始まりました。冒頭のコーラス、ソプラノのAがちょっと不安定でしたが、曲が進むうちにいつもの美しい新国コーラスの響きになって一安心。トーマスさんの美しい高域の弱音が印象的です。ああこんな風に淡々と丁寧に進めるんだなと思っていたら、そういう予想はグロリア冒頭の疾風怒濤であっさり覆されました。16型オーケストラに合唱120人の大編成アンサンブルが極端なテンポで駆り立てられます。ただでさえ演奏者のメカニックへの配慮がほとんどない強引な譜面なのに、ここまで強力にドライヴすると、それはそれで圧倒的なエモーションの力を感じさせるのも確かです。絶対的なものの栄光を讃える叫びなのだから。meno allegroから一転してかなり遅いテンポ。起伏が大きな演奏です。
グロリア中間部の“suscipe deprecationem nostram”でソロテノールがちょっと飛び出してしまい、一瞬アンサンブル全体に緊張が走りました。自分も、あっ危ないと思いましたが、マエストロは涼しい顔で次のキューを出して修復。ほっ。クレドは堂々としたテンポの大柄な音楽で始まり、次第に緊張を高めていきます。”et vitam venturi saeculi“のフーガ(f-f-f-f-d-b)が急速になるAllegro con moto以降は、さすがの新国コーラスでもメリスマのamenはよく聴き取れませんでしたが、聴いていて非常に気持ちが高揚したのは確かです。
ベネディクトゥスとアニュス・デイは、次第に音楽が内省的になっていくのを感じました。”pleni sunt coeli et terra gloria tua“は、ソロではなく、昔ながらのコーラスで歌われました。マエストロが勉強した頃はこれが普通だったのでしょう。藤原さんのソロは清楚な気品。全曲を通じて、オーケストラは起伏の激しいマエストロのリードに必至に食らいつき、演奏は真剣そのもので、美しい響きに満ちていたと思います。やはりこの曲が成功するには、指揮者への絶対の信頼感が必要ですね。合唱は昨年秋のヒンデミットほどの完成度ではありませんでしたが、歌詞もイントネーションも明瞭でした。ちょっと気になったのは、ラテン語の発音がソロと合唱で違うところが散見されたこと。例えば、「うにげにとぅむ」だったり「うにじぇにとぅむ」だったりと。所々に破綻もあり、もう1日リハーサルしてもう一度聴ければと思わなくもありませんが、スクロヴァチェフ氏のこの曲に寄せる思い、一回限りの熱い音楽は十分に伝わってきました。聴けてよかった。
ところで、この曲、ベートーヴェンの宗教観とカトリック教会への複雑な思いが顕著に現れているんじゃないでしょうか。とくに興味深いのは、”credo in unam sanctam catholicam et apostolicam ecclesiam”の部分(クレドの再現部)。典礼文の信仰告白の中で、カトリック教会への信仰を歌うこの部分は、歌詞の他の部分と違って繰り返しなく、声部重複もなく、合唱テノールでただ1度だけ歌われ、しかもおそらく故意にでしょう、ソプラノとアルトが“Credo, credo”と繰り返す下に隠され、しかも細かい符割りのために非常に聴き取りにくくされています。今夜の演奏でも、やはりこの部分の歌詞はまったく聴き取ることができませんでした。“homo factus est”、“crucifixus”、“passus”、“ressurexit”など、彼にとっての、またおそらくほとんどのキリスト教徒にとって信仰の核心部分となる言葉が声部を重複して重層的に何度も執拗に繰り返され、印象づけられるのとは全く対照的です。ナポレオン追放後、反動時代のヴィーンという土地柄の中で、これがベートーヴェンにとっての精一杯の抵抗なのでしょうか。
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