HKの音楽夜話

在京オーケストラの定期公演を中心に、コンサート、オペラのレビューを掲載します。

NHK交響楽団

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NHK交響楽団第1629回定期公演Cプログラム 
10月18日(土)NHKホール

スメタナ:交響詩「ハーコン・ヤール」作品16
ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲 第1番変ホ長調作品107
メンデルスゾーン:交響曲 第3番イ短調作品56「スコットランド」
指揮:ジャナンドレア・ノセダ
チェロ:エンリコ・ディンド

おもしろい演奏会でした。

音色をことばで表現することなど元々無理なのですが、ディンド氏のそれはシルキーなロッシーニテノールでしょうか。美しい音色です。しかし、その音色とは対照的に、表現はどちらかというと内省的。私たちに向かって弾いているのではなくて、自分に聴かせるために弾いているような印象を受けました。どこを切り取っても抜き差しならない、ぎりぎりまで追いつめた表現。なかなかの実力派。ショスタコーヴィチのコンチェルトは、あっという間に終わりました。ホルンのトップ氏、どなたでしょうか、健闘していましたね。

メンデルスゾーンは、面白い演奏でした。12-10-8-6-5と小編成の弦楽で、速いテンポ。編成が小さいので、リズムのエッジがよく立ちます。とくにスケルツォやフィナーレのリズム感がすばらしい。また、輪郭がぼやけず、細部のテクスチュアがよく聴き取れます。例えば、アレグロ楽章再現部のチェロのオブリガートが際立ちます。メンデルスゾーンは、弦楽器のパートのメロディに重ねる管楽ソロの楽器を細かく変えることによって微妙な音色の変化を意図した書法を多用していますが、小編成の管楽器に対して木管やホルンのソロがよく通るので、音色の変化でメロディラインが立体的な陰影を帯びます。例えば、第1ヴァイオリンにクラリネットを重ねたアレグロ楽章のテーマや、アダージョ主部のメロディに3番ホルンを重ねているところなど。ノセダ氏の表現意図を実現しようとオーケストラもかなり頑張っている様子でした。

最近、弾いている人たちはどう思っているんだろうかと考えることが多いのですが、終演後、堀さんから握手を求めていたところを見ると、まんざらでもなかったんじゃないでしょうか。彼の要求についていくのはなかなか大変だと思いますが、ノセダ氏の演奏、もっといろいろと聴いてみたいと思います。シューマンなどもちょっと違った見方で料理してくれそうな気がします。

2008/10/4NHK交響楽団

NHK交響楽団第1628回定期公演Aプログラム
2008年10月4日(土)NHKホール
ベートーヴェン / 序曲「レオノーレ」 第3番 作品72b
シューマン / ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
チャイコフスキー / 交響曲 第2番 ハ短調 作品17「小ロシア」
指揮:アンドリュー・リットン
ピアノ:イモジェン・クーパー

クーパー女史のシューマン、絶品だった。
拙い言葉を弄して一言で言えば、高貴なリリシズムと秘めた情熱との絶妙のバランスだろうか。リズムが微妙に揺れて、オケがクーパーさんの節回しに耳を澄ませて室内楽のように合わせる。アレグロ楽章では、クーパーさんと木管奏者が視線を交わして歌い回しを揃える。歌を求めるあの眼差しのせいか、茂木さんのこんなにすばらしい演奏を聴いたのは久しぶりです(失礼)。インテルメッツォはデリカシーの限りをつくしたささやき。中間部の少し前、A/F7-D/Bbのため息、2回目のppが息をのむ美しさ。それにこだまのように答える弦楽もすばらしい。ロンド楽章は、奔放の一歩手前で少しだけ抑制した表現がかえって情熱的だ。自分が初めて女史の演奏を聴いたのは80年代半ば、ウィグモアホールやクイーンエリザベスホールでのシューベルトやシューマン、清潔でありながら、奥底に情熱を秘めたその演奏に心をつかまれた。20年の時を経て、同じテイストながら、表現の一つ一つが陰影と襞の深さを増して、今、熟成の極みじゃないだろうか。一見さらっとしているから、本当に耳を澄まさないとデリケートな味わいをのがしてしまう。なんとロマンティックなシューマン。N響もすばらしいサポートだった。落涙。

クーパーさんの宝石のような演奏の後では、どんな派手な音楽もアンチクライマックスになってしまう。リットンさんは、チャイコフスキーのよく鳴るオーケストラをうまく整理して、緊密で上品な演奏を聴かせてくれた。N響とは相性が良さそうだ。

それにしてもクーパーさん、聴くたびに味わいが深くなっていって、聴くたびに感動が大きくなる。明日も当日券あります。みなさん、これは聴きものですよ。

2008/9/20NHK交響楽団Cプロ

NHK交響楽団第1626回定期公演Cプログラム 
9月20日 (土)NHKホール

J. S. バッハ(ウェーベルン編) / リチェルカータ
エトヴェシュ / 「セブン」(コロンビア宇宙飛行士への追悼) 
−ヴァイオリンとオーケストラのための(2006)[NHK交響楽団・ルツェルン音楽祭委嘱作品/日本初演]
バルトーク / 管弦楽のための協奏曲
指揮:ペーテル・エトヴェシュ
ヴァイオリン:諏訪内 晶子

今日は満足しました。エトヴェシュ氏、タダモノではありありません。

まずリチェルカータ。モティーフをセル(細胞)に細分化し、別々の楽器に受け持たせることによって、それぞれのセルが音色で際立ち、セルが音楽の流れの中で発展していくバッハの書法がより立体的に直感できる編曲です。しかし、エトヴェシュの演奏は、過度に分析的にならず、私たちが美として直感するメロディーの一体感、音楽の流れを大切にしていました。完全終止のカデンツから新しいテーマが現れる39小節(Es-dur)、83小節(As-dur)ではたっぷり間を取って、目の前でぱっと扉が開いて新しい光が入ってくるような美しさを感じさせてくれました。

日本初演の「セブン」は美しい音楽です。舞台両翼のバルコニーと2階席4カ所に6人のヴァイオリン奏者を配し、舞台中央の諏訪内さんを含め、7人のヴァイオリン奏者が形や色が次々に変化する音のコンスタレーションを展開していくような曲調。冒頭の7/4拍子、途中のスケルツォ的な7/8拍子(かな?)、そこかしこで見られる七連符など、とにかく「7」という数字がキーワードになっています。諏訪内さん、見事な音色です。私の席は2階1列ですが、シルキーでありながら豊麗な音が飛んできます。どちらかというと奔放に歌うというよりも、きっちりと折り目正しい弾き方をしておられましたが、フラジオレットにまで豊かな倍音成分が含まれているような潤いがあります。

この曲は、コロンビアの事故で犠牲になった7人の宇宙飛行士への追悼のために書かれたそうです。私は敢えてそういう社会的背景を一切忘れて聴いてみましたが、純粋音楽として美しい曲です。先日のデニソフ作品といい、今日のエトヴェシュ作品といい、21世紀の古典になりうる作品です。

休憩後はバルトークのオケコン。16型の弦楽で大きな編成ですが、ふだんよりもやや隙間をつめて配置されていたように感じました。とくにコントラバスはかなり密集していました。緊密なアンサンブルを意図したエトヴェシュ氏の指示だとすれば、その意図は見事に実現しました。指揮者とオーケストラとの間にまれに見る一体感、高揚感が感じられました。快速テンポでキリッと締まった超辛口を基調に、所々のリラックスした舞踏的部分との鮮やかな対比が音楽に生き生きとした表情を与えていました。「対の遊び」の章は管楽器群のデュオが鮮やか。エレジーもかなり速い印象ですが、♩=ca.73-64とあるのでこれが作曲者が意図したテンポなのでしょう。淡々としたイントネーションで進み、表現過多を敢えて戒めているよう。しかし、抑制した表現だからこそ音楽が自分自身を雄弁に語ることもあります。冒頭のオーボエソロは染み入るような音色でした。上行と下降で音程間隔が変わるこのモチーフ、1楽章冒頭のヴァイオリントレモロをはじめとして曲のいろんな部分に顔を出し、オケコンの中心モチーフのひとつですが、それが一番美しく歌われるのがこの箇所。この曲のエモーショナルな核心だと思います。今日は青山さんだったでしょうか。ブラヴォー。98小節G線上のダウンボウ五連符にいたるメロディ、篠崎さんが見事なリード。フィナーレは快速テンポでアンサンブルがビシビシ決まる中で、テンポを落とした土臭い舞曲風エピソード(例えば188小節)のリズムが印象的で愉悦感たっぷりの演奏でした。

N響のみなさんも今日は心地よい緊張感の中で音楽を楽しんだのではないでしょうか。簡潔で明快なバトン。首尾一貫した表現意図。出てくる音楽は明晰でしかもわくわくする。初登場のエトヴェシュ氏は、客席から見ている限り、メンバーの心をがっちりつかんだように感じます。きっとまた客演して下さるでしょう。私も楽しみにしています。

2008/9/13NHK交響楽団

NHK交響楽団第1625回定期公演 Aプログラム 
9月13日(土)NHKホール
指揮:ハンス・ドレヴァンツ

デニソフ / 絵画(1970)
マーラー / 交響曲 第5番 嬰ハ短調

開演に先立ち、去る7月逝去された名誉指揮者ホルスト・シュタイン氏を追悼し、バッハの「アリア」が献奏されました。演奏が静かに終わり、ポディウム上でしばし黙祷するドレヴァンツ氏。袖に下がる氏を拍手なく静寂で見送る聴衆の反応が、シュタイン氏の存在の大きさの証しでしょう。

デニソフの曲は初めて聴きましたが、美しい曲です。ミクロ対位法とか、トーンクラスターとか、42声部のdivisi.とか、プログラムノートには技法について書いてありましたが、そういう技法の裏づけが総体として耳に直感される美につながる立派な作品です。楽譜を見たことはありませんが、ゆっくりとした3/4あるいは3/2拍子が基調なのでしょうか。随分複雑な譜面なんだろうと思いますが、精緻なアンサンブルで音色が刻一刻と微妙に変化していく、絵が光の加減で色を変えていくような雰囲気を楽しみました。こういう曲をやると、N響は本当に巧いと、いつもながら感心します。この曲は、20世紀の古典になり得るんじゃないでしょうか。余談ですが、42声部のdivisi.って大譜表に書くとどのくらいの大きさになるんでしょうね。

マーラーは残念な演奏でした。N響と数々の好演を聴かせたドレヴァンツ氏ですが、この日は最後までオーケストラと呼吸が合わず、アンサンブルの小さな綻びをきっかけにメンバーの警戒感が次第に高まり、バトンの感じ方がパート間で揃ってないんじゃないかとそれぞれが疑うあまり、ますます音楽が重くなっていく、そんな連鎖に聞こえました。スケルツォはむしろレントラー風のリズムで非常に遅いテンポ。nicht zu schnellと指示はあるし、一つの演奏スタイルとしておかしくはないと思いますが、さすがに間延びして、オーケストラの緊張感がここで切れてしまったような気がします。以降は管楽器を中心に普段は考えられないようなミスが続出し、残念ながら空中分解してしまいました。

さすがだなと思うのは堀さんのまとめ方。どういう状況でも一定の演奏クォリティを確保しなければならないというコンマスとしての使命感と推察しますが、スケルツォ以降何度も墜落しそうになるアンサンブルをなんとか目的地空港に着陸させた機長さんには拍手を送りたいと思います。演奏終了後、苦笑いしながら隣の大宮さんと言葉を交わしていましたが、どんなお話だったのか、興味あるところです。

失礼なことを書いてしまいましたが、お許し下さい。
たまにはこういうこともありますが、いつもN響の演奏を楽しみに通っています。この日はデニソフのすばらしい曲、演奏を聴けたのが収穫でした。

NHK交響楽団 第1624回定期公演 Bプログラム 
6月25日(水)サントリーホール

モーツァルト / 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲
モーツァルト / アリア「だれが知っているでしょう、私のいとしい人の苦しみを」K.582
モーツァルト / アリア「私は行ってしまう、でもどこへ」K.583
モーツァルト / アリア「大いなる魂と高貴な心は」K.578
R. シュトラウス / 歌曲集 作品17から「セレナード」
R. シュトラウス / 歌曲集 作品56から「東から来た3人の王」
R. シュトラウス / 歌曲集 作品27から「あすの朝」
R. シュトラウス / 交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」作品30
指揮|マッシモ・ザネッティ
ソプラノ|リサ・ラルソン

今夜は気の利いたアントレに始まり、目にも楽しいオードブルのア・ラ・カルト、最後はこってりしたメインディッシュという、おしゃれなプログラム。

すっきり快速、弾むリズムが心地よいコジで開幕し、お目当てのリサ・ラルソン登場。スウェーデンの方だから、“Larsson”という綴りは「ラーション」と発音するんじゃないかな。淡いターコイズの生地に金糸の刺繍が施されたドレス。金髪。長身。20世紀初頭、ユーゲントシュティルなヴィーンだったら最先端のモード。彼女が得意のレパートリーにしているスザンナ、ツェルリーナ、オスカル、アデーレというよりも、むしろマルシャリン、ロジーナ、アラベラなら抜群に舞台映えしそうなヴィジュアル。残念ながら今夜は体調不良とのアナウンス。ちょっと心配だ。

最初にモーツァルトが同時代のオペラ上演のために入れ替えアリアとして書いたものを3曲。繊細な軽い声。スピードのある発声。声帯の振動音と息の音の巧妙なブレンドで、上品なコケット。イタリア語のディクションは美しい。やはり少し声をかばっているようだ。ザネッティは手慣れた伴奏をつけ、オーケストラから純度の高い響きを引き出す。とくに「大いなる魂と高貴な心は」の颯爽としたフィニッシュと美しいハーモニーが見事。

次にR.シュトラウスのリートを3曲。

「セレナード」(Ständchen)。フォン・シャックの詩は、リズミカルなダクテュロス(強弱弱音歩)。シュトラウスのセッティングはこの詩韻を効果的に使った躍動する6/8拍子。わざと1音歩少なく切った各節第2行、第4行の扱いは、ひと呼吸耳を澄ませて恋人の反応を待つ胸の高まりか。ラルソンは、切れのあるディクションで脚韻の’t’が心地よい。各スタンザ第5詩節で9/8拍子に変わる部分、“Drum leise..”と“Rings schlummen”は、音楽も言葉もスピードが変化するのだが、ちょっとオーケストラと歌との連携にもたつく。恋人と出会えてからの、第3スタンザは、flat 6thのDb-Majorに転調し、一転してひそやかな逢い引きの雰囲気を演出してほしいところだが、音色はやや一本調子か。

編曲者モットルについては、R.ヴァーグナー作品の稽古用ピアノスコアがよく書けていることしか知らないが、このアレンジはどうなんだろう。木管が受け持つアルペジオのリズムには、ピアノ伴奏が言葉に寄り添って伸縮する味わいがない。抑制した表現、簡素な様式が却って観る者のファンタジーを膨らませることだってある。極端に言えば、能楽に浄瑠璃をじゃんじゃかつけるような印象。やはり、この曲はピアノ伴奏がよい。

「東方の三博士」(Die heiligen drei Könige aus Morgenland)は、ハイネの詩へのセッティングで、通作形式。やはり、これがシュトラウスの音色。ラルソンはボーイッシュな音色で、マタイ伝の世界を素直に表現する。ハーモニーが美しい。曲の終わり、トランペットE音の音程が高くて溶け合わず、ちょっと気持ち悪い。

「あすの朝」(Morgen)。マッケイの詩は、11音節X4行X2スタンザの有節形式だが、ヴァイオリンソロが16小節の美しい旋律を2回繰り返す、その1回目の最終楽節からオブリガートのように歌が入り、有節の詩が通作的に取り扱われるちょっと凝った形式。メロディの静謐を予感するように、詩脚には子音が避けられ、“en”と“e”で押韻される。堀さんのソロが良い味。ラルソンは美声だが、やはり曲の雰囲気に応じてもう少し音色に幅があればと思う。

ヴァイオリン第二スタンザの終わりで導音F#をGに解決せず、F#-Fと降りて、Cmajorに転調し、音楽が急に内省的になる。ここが聴かせどころ。stumm werden wir uns die Augen schauenと、歌詞も、幸せで静かな情景の描写から、心に踏み込む朗唱に。G9に乗るヴァイオリンのFで堀さんの音色が一層深みを増すところ、歌もstumm(だまって)を合図に、一層ひそやかな歌い口に、と期待するが、ちょっと音色の深みがない。共通音AでG9 - B7 - F7と進行し、Gluckes(幸せの)がAb四六和音上Ebで鳴り響くところまで、和声進行に寄り添って、一語ごとに光の色が微妙に変化していくようなメッツァヴォーチェが欲しいところだが、やはり歌は淡々と進む。

(violin solo) stumm werden wir uns die Augen schauen,
D7_______G9_____________________ B7__________

und auf uns sinkt des Gluckes Stummes Schwei--gen...
_______F7________ Ab____________D7sus4_D7


ラルソンのドイツ語の発音は少し気になる。レガートを意識してのことだろうと思うが、子音の後ろになんだか得体の知れない母音が挟まる。Stumm(eu) werden(ne) wir(u) uns...と聴こえる。シュトラウスの役はまだ歌っていないようだが、今後、ゾフィ、ズデンカなどの役をやる時には、コレペにしっかり直されると思う。でも、美声と気品ある舞台姿。ぜひシュトラウスの役をやっていほしい。

さて、メインのツァラトゥストラ。熱演で、アンサンブルも精密だったと思う。ホルンのオクターブユニゾンに先導されるMassig Langsamは、弦のフロントデスクが美しいアンサンブル。堀さん、店村さん、藤森さん、気合いが入っている。トゥッティが加わってヴァイオリンが上5線Cに達するところは、弦楽とホルンがホールに充溢する豊かさ。オルガンのmagnificat音型の後、コントラバスがずっしり重く、しかも抜群の運動性能で先導し、堀さんが体を大きく揺すってリードする「情熱について」の分厚い弦楽に突入。フーガまで一気に聴かせる。ああ、快感。

まだ序の口か二段目。自分にとって、この曲の聴きどころは、第二部のうねるリズム感。fig.18 9/4拍子の序奏、お腹が曲がりそうなヘミオラ(注)の交錯と複合リズム(1小節を3x3に分けるパートと2x3に分けるパートが混在)をどう盛り上げてくれるか。etwas zurueckhaltend(ちょっとタメて) - im Zeitmass (インテンポ)- zart bewegt(やさしく動いて)- im Schuwung(揺れて)と、最初はタメのあるリズムが次第にに加速して、ワルツが慣性運動を始める。Schwung, Schwung, und noch Schwung! 踊りが高揚し、オーケストラが揺れて、どんどんその振幅が大きくなって、fig.52、グロッケンのe音連打でアポテオシスに至る。こういう感覚、ウィンナワルツを踊れば分かる。誘って、手を取って、ボール中央にエスコートして、お辞儀をしてホールドを組んで、ゆっくりと回りだす。ナチュラル、リバース。背中が汗ばんでくる。遠慮がちだったパートナーと右肩越しに視線が合って、ようやく膝がSchwung(スウィング)しはじめる。お互いの右腰がぴったりついて、加速するターンの遠心力に振りほどかれないように上体を反らす。自分たちが回っているのか、床が回っているのか、酔いが回っているのか、陶然と回転する時間。そして踊り終わると心に火がついていることも。今夜のN響は一番難しいfig.25あたりまでは、すごく緊密なアンサンブルを聴かせてくれたが、肝心のワルツ主部のとっつきがちょっと腰抜けの印象。一拍目の強いアクセント、ワルツを踊るときの1拍目、ニーベンドからぐっと前足をスウィングするときのアクセントが欲しい。しかし、コンマスの2回目のソロが終わって音楽が回り始める頃にはペースを取り戻し、fig.52のクライマックスまで豊麗な音の響宴を聴くことができた。

(注)ヘミオラ = 例えば、3/4拍子の2小節を2拍+2拍+2拍のリズムで構成するように、小節線と拍節感をずらすリズムパターン。古典メヌエットでは、楽節区切りで常套的にこの手法が使われ、19世紀以降の音楽でも愛用されている。ブラームスには例が多い。

先日のエルガーや今夜のR.シュトラウスのように、我々が「らしさ」を求めるリズムの感じ方、リズムの表現はオーケストラの集合知(collective wisdom)だと思う。分かりやすい例は、Wiener Philharmonikerが演奏するワルツ。Elgarian ebb and flowもそう。それは、オーケストラがその歴史の中で、パート譜を書き込みで真っ黒にしながら築き上げるものであったり、シェフからシェフへと代々受け継がれるものだったりする。今夜のザネッティを見ていて、劇場で叩き上げたマエストロの体に染みつくリズム感、決して合わせやすそうには見えない棒にしっかりついていくオケに感銘を受けた。

所属事務所IMGのバイオグラフィを見ると、ザネッティ氏は劇場のコレペから叩き上げた人。コンクール上がりのヤワな指揮者じゃない。ドレスデンとの関係が長くて、最初のカペルマイスターのポストはブレーメンで得て、クプファーに呼ばれてベルリン、そしてミュンヒェンと、順調に劇場でのキャリアを積み上げている。

オペラは、そういう体に染みついたリズムが物を言う場だが、R.シュトラウスなら、「サロメ」、5人のユダヤ人の場面(リハーサル番号188)が一例。伸び縮みするリズムで、1小節中の八分音符の数が、5、4、4、4、6、6、4、6、12、8と変化し、譜面を見ても、どう歌うのか、どうリズムを感じればいいのか、途方に暮れる。いろんな演奏を聴いて気づく。クラウス、ベーム、フォン・カラヤン、フォン・ドホナーニ、シュナイダー、ジョルダン。ヴィーンのアンサンブルは、見事なほど同じ譜割りで演奏する。自分が舞台で見たシュナイダーとジョルダンは、棒をタテに、1小節1拍で振っていた。そうなんだ。ここには劇場で伝承されている「口伝」のような呼吸があって、そのリズムがアンサンブル全員に染みついている。そういえば、この場面は、ドイツ、オーストリアの劇場でコレペのオーディションをやるときに、よく課題曲に指定される。CDで繰り返し聴けるようになっても、昔と変わらず、プロセニアム両側上方、ピット真横、譜面台と灯りがあって、舞台が見えない席に通う学生がいる。伝説のマエストロが勉強したその席で、連綿と受け継がれる呼吸を体に染みつかせるために。

今夜の演奏を聴いて、R.シュトラウスのオペラでザネッティを聴きたくなった。

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