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NHK交響楽団 第1624回定期公演 Bプログラム
6月25日(水)サントリーホール
モーツァルト / 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲
モーツァルト / アリア「だれが知っているでしょう、私のいとしい人の苦しみを」K.582
モーツァルト / アリア「私は行ってしまう、でもどこへ」K.583
モーツァルト / アリア「大いなる魂と高貴な心は」K.578
R. シュトラウス / 歌曲集 作品17から「セレナード」
R. シュトラウス / 歌曲集 作品56から「東から来た3人の王」
R. シュトラウス / 歌曲集 作品27から「あすの朝」
R. シュトラウス / 交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」作品30
指揮|マッシモ・ザネッティ
ソプラノ|リサ・ラルソン
今夜は気の利いたアントレに始まり、目にも楽しいオードブルのア・ラ・カルト、最後はこってりしたメインディッシュという、おしゃれなプログラム。
すっきり快速、弾むリズムが心地よいコジで開幕し、お目当てのリサ・ラルソン登場。スウェーデンの方だから、“Larsson”という綴りは「ラーション」と発音するんじゃないかな。淡いターコイズの生地に金糸の刺繍が施されたドレス。金髪。長身。20世紀初頭、ユーゲントシュティルなヴィーンだったら最先端のモード。彼女が得意のレパートリーにしているスザンナ、ツェルリーナ、オスカル、アデーレというよりも、むしろマルシャリン、ロジーナ、アラベラなら抜群に舞台映えしそうなヴィジュアル。残念ながら今夜は体調不良とのアナウンス。ちょっと心配だ。
最初にモーツァルトが同時代のオペラ上演のために入れ替えアリアとして書いたものを3曲。繊細な軽い声。スピードのある発声。声帯の振動音と息の音の巧妙なブレンドで、上品なコケット。イタリア語のディクションは美しい。やはり少し声をかばっているようだ。ザネッティは手慣れた伴奏をつけ、オーケストラから純度の高い響きを引き出す。とくに「大いなる魂と高貴な心は」の颯爽としたフィニッシュと美しいハーモニーが見事。
次にR.シュトラウスのリートを3曲。
「セレナード」(Ständchen)。フォン・シャックの詩は、リズミカルなダクテュロス(強弱弱音歩)。シュトラウスのセッティングはこの詩韻を効果的に使った躍動する6/8拍子。わざと1音歩少なく切った各節第2行、第4行の扱いは、ひと呼吸耳を澄ませて恋人の反応を待つ胸の高まりか。ラルソンは、切れのあるディクションで脚韻の’t’が心地よい。各スタンザ第5詩節で9/8拍子に変わる部分、“Drum leise..”と“Rings schlummen”は、音楽も言葉もスピードが変化するのだが、ちょっとオーケストラと歌との連携にもたつく。恋人と出会えてからの、第3スタンザは、flat 6thのDb-Majorに転調し、一転してひそやかな逢い引きの雰囲気を演出してほしいところだが、音色はやや一本調子か。
編曲者モットルについては、R.ヴァーグナー作品の稽古用ピアノスコアがよく書けていることしか知らないが、このアレンジはどうなんだろう。木管が受け持つアルペジオのリズムには、ピアノ伴奏が言葉に寄り添って伸縮する味わいがない。抑制した表現、簡素な様式が却って観る者のファンタジーを膨らませることだってある。極端に言えば、能楽に浄瑠璃をじゃんじゃかつけるような印象。やはり、この曲はピアノ伴奏がよい。
「東方の三博士」(Die heiligen drei Könige aus Morgenland)は、ハイネの詩へのセッティングで、通作形式。やはり、これがシュトラウスの音色。ラルソンはボーイッシュな音色で、マタイ伝の世界を素直に表現する。ハーモニーが美しい。曲の終わり、トランペットE音の音程が高くて溶け合わず、ちょっと気持ち悪い。
「あすの朝」(Morgen)。マッケイの詩は、11音節X4行X2スタンザの有節形式だが、ヴァイオリンソロが16小節の美しい旋律を2回繰り返す、その1回目の最終楽節からオブリガートのように歌が入り、有節の詩が通作的に取り扱われるちょっと凝った形式。メロディの静謐を予感するように、詩脚には子音が避けられ、“en”と“e”で押韻される。堀さんのソロが良い味。ラルソンは美声だが、やはり曲の雰囲気に応じてもう少し音色に幅があればと思う。
ヴァイオリン第二スタンザの終わりで導音F#をGに解決せず、F#-Fと降りて、Cmajorに転調し、音楽が急に内省的になる。ここが聴かせどころ。stumm werden wir uns die Augen schauenと、歌詞も、幸せで静かな情景の描写から、心に踏み込む朗唱に。G9に乗るヴァイオリンのFで堀さんの音色が一層深みを増すところ、歌もstumm(だまって)を合図に、一層ひそやかな歌い口に、と期待するが、ちょっと音色の深みがない。共通音AでG9 - B7 - F7と進行し、Gluckes(幸せの)がAb四六和音上Ebで鳴り響くところまで、和声進行に寄り添って、一語ごとに光の色が微妙に変化していくようなメッツァヴォーチェが欲しいところだが、やはり歌は淡々と進む。
(violin solo) stumm werden wir uns die Augen schauen,
D7_______G9_____________________ B7__________
und auf uns sinkt des Gluckes Stummes Schwei--gen...
_______F7________ Ab____________D7sus4_D7
ラルソンのドイツ語の発音は少し気になる。レガートを意識してのことだろうと思うが、子音の後ろになんだか得体の知れない母音が挟まる。Stumm(eu) werden(ne) wir(u) uns...と聴こえる。シュトラウスの役はまだ歌っていないようだが、今後、ゾフィ、ズデンカなどの役をやる時には、コレペにしっかり直されると思う。でも、美声と気品ある舞台姿。ぜひシュトラウスの役をやっていほしい。
さて、メインのツァラトゥストラ。熱演で、アンサンブルも精密だったと思う。ホルンのオクターブユニゾンに先導されるMassig Langsamは、弦のフロントデスクが美しいアンサンブル。堀さん、店村さん、藤森さん、気合いが入っている。トゥッティが加わってヴァイオリンが上5線Cに達するところは、弦楽とホルンがホールに充溢する豊かさ。オルガンのmagnificat音型の後、コントラバスがずっしり重く、しかも抜群の運動性能で先導し、堀さんが体を大きく揺すってリードする「情熱について」の分厚い弦楽に突入。フーガまで一気に聴かせる。ああ、快感。
まだ序の口か二段目。自分にとって、この曲の聴きどころは、第二部のうねるリズム感。fig.18 9/4拍子の序奏、お腹が曲がりそうなヘミオラ(注)の交錯と複合リズム(1小節を3x3に分けるパートと2x3に分けるパートが混在)をどう盛り上げてくれるか。etwas zurueckhaltend(ちょっとタメて) - im Zeitmass (インテンポ)- zart bewegt(やさしく動いて)- im Schuwung(揺れて)と、最初はタメのあるリズムが次第にに加速して、ワルツが慣性運動を始める。Schwung, Schwung, und noch Schwung! 踊りが高揚し、オーケストラが揺れて、どんどんその振幅が大きくなって、fig.52、グロッケンのe音連打でアポテオシスに至る。こういう感覚、ウィンナワルツを踊れば分かる。誘って、手を取って、ボール中央にエスコートして、お辞儀をしてホールドを組んで、ゆっくりと回りだす。ナチュラル、リバース。背中が汗ばんでくる。遠慮がちだったパートナーと右肩越しに視線が合って、ようやく膝がSchwung(スウィング)しはじめる。お互いの右腰がぴったりついて、加速するターンの遠心力に振りほどかれないように上体を反らす。自分たちが回っているのか、床が回っているのか、酔いが回っているのか、陶然と回転する時間。そして踊り終わると心に火がついていることも。今夜のN響は一番難しいfig.25あたりまでは、すごく緊密なアンサンブルを聴かせてくれたが、肝心のワルツ主部のとっつきがちょっと腰抜けの印象。一拍目の強いアクセント、ワルツを踊るときの1拍目、ニーベンドからぐっと前足をスウィングするときのアクセントが欲しい。しかし、コンマスの2回目のソロが終わって音楽が回り始める頃にはペースを取り戻し、fig.52のクライマックスまで豊麗な音の響宴を聴くことができた。
(注)ヘミオラ = 例えば、3/4拍子の2小節を2拍+2拍+2拍のリズムで構成するように、小節線と拍節感をずらすリズムパターン。古典メヌエットでは、楽節区切りで常套的にこの手法が使われ、19世紀以降の音楽でも愛用されている。ブラームスには例が多い。
先日のエルガーや今夜のR.シュトラウスのように、我々が「らしさ」を求めるリズムの感じ方、リズムの表現はオーケストラの集合知(collective wisdom)だと思う。分かりやすい例は、Wiener Philharmonikerが演奏するワルツ。Elgarian ebb and flowもそう。それは、オーケストラがその歴史の中で、パート譜を書き込みで真っ黒にしながら築き上げるものであったり、シェフからシェフへと代々受け継がれるものだったりする。今夜のザネッティを見ていて、劇場で叩き上げたマエストロの体に染みつくリズム感、決して合わせやすそうには見えない棒にしっかりついていくオケに感銘を受けた。
所属事務所IMGのバイオグラフィを見ると、ザネッティ氏は劇場のコレペから叩き上げた人。コンクール上がりのヤワな指揮者じゃない。ドレスデンとの関係が長くて、最初のカペルマイスターのポストはブレーメンで得て、クプファーに呼ばれてベルリン、そしてミュンヒェンと、順調に劇場でのキャリアを積み上げている。
オペラは、そういう体に染みついたリズムが物を言う場だが、R.シュトラウスなら、「サロメ」、5人のユダヤ人の場面(リハーサル番号188)が一例。伸び縮みするリズムで、1小節中の八分音符の数が、5、4、4、4、6、6、4、6、12、8と変化し、譜面を見ても、どう歌うのか、どうリズムを感じればいいのか、途方に暮れる。いろんな演奏を聴いて気づく。クラウス、ベーム、フォン・カラヤン、フォン・ドホナーニ、シュナイダー、ジョルダン。ヴィーンのアンサンブルは、見事なほど同じ譜割りで演奏する。自分が舞台で見たシュナイダーとジョルダンは、棒をタテに、1小節1拍で振っていた。そうなんだ。ここには劇場で伝承されている「口伝」のような呼吸があって、そのリズムがアンサンブル全員に染みついている。そういえば、この場面は、ドイツ、オーストリアの劇場でコレペのオーディションをやるときに、よく課題曲に指定される。CDで繰り返し聴けるようになっても、昔と変わらず、プロセニアム両側上方、ピット真横、譜面台と灯りがあって、舞台が見えない席に通う学生がいる。伝説のマエストロが勉強したその席で、連綿と受け継がれる呼吸を体に染みつかせるために。
今夜の演奏を聴いて、R.シュトラウスのオペラでザネッティを聴きたくなった。
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