HKの音楽夜話

在京オーケストラの定期公演を中心に、コンサート、オペラのレビューを掲載します。

NHK交響楽団

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尾高さんのエルガー

5月に尾高さんがエルガーを指揮しましたが、この演奏会のリハーサルについて第2ヴァイオリンの根津昭義さんが非常に興味深いことを書いておられたのでご紹介します。ソースは根津さんが公開しておられるウェブサイトです。http://www.nezu.ms/tubuyaki.08.05.html

彼曰く、エルガーの第1交響曲は覚えにくい、弾いたことがあるはずだが思い出せない、曲の流れが頭に入ってこない、リハーサルの後みんな疲れた顔をしていた、などなど。弦楽器のトゥッティ奏者というオーケストラの中での中核的かつ平均的なお立場にいらっしゃる根津さんがおっしゃるのだから、おそらくオケのみなさんの平均的な感覚といえるんじゃないでしょうか。

同じエルガーでも、チェロコンチェルトはすっと入ってくると同氏はおっしゃいます。なぜなんだろうと考えました。第1に、エルガーの第1交響曲は、素材が非常に多い曲です。ソナタ形式の第1楽章は、冒頭の全曲を通してのモットーとなる旋律、2つのソナタ主題、経過的な部分でいろいろと出てくるエピソード、音型など、素材がてんこ盛りです。

第2に、楽式の質の違い。同じソナタ形式でも、ベートーヴェンは、数少ない楽想を複数のパートをからませながら、和声的に発展させたり、対位的に発展させたりします。タネはひとつです。複雑な発展を見せるわりには、ベートーヴェンのシンフォニーは、いわゆる「口三味線」の単旋律で、少なくともそれなりのイメージが伝わる程度には歌いきることができると思いませんか?これに対して、エルガーは、ただでさえてんこ盛りの素材が入った何枚もの皿を、目の前で突然とっかえひっかえ出したり引っ込めたりする感じがしないでしょうか。ひとことでいえば、ベートーヴェンと比較すると、残念ながらシンフォニックアーギュメントが弱いと言わざるを得ないのかもしれません。

第3にあのオーケストレーション。この点は先日のレビューでも書きましたが、複雑な部品が組み合わさって全体としてアラベスクのように見える書法。確かに弾いている人は自分が何をやっているんだか、分かりにくいところがあると思います。特に、第2ヴァイオリン、ヴィオラなど内声部はその傾向が強いです。明日Bプロで演奏されるR.シュトラウスのツァラトゥストラも同様にものすごく複雑な書法ですが、この曲の場合、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが、紐が絡み合ってロープになるような具合に、互い違いに上の音を弾いたりという風に、対等に近く扱われる部分が多く、おそらく弾いている人は同様に技術的に難しくても、頭に入ってきやすいんじゃないかなという気がします。

結局のところ、先日も書きましたが、この曲はN響というオーケストラにとってまだ手慣れたレパートリーという段階にはいたっていないのでしょう。尾高さん、ぜひ1曲ずつ3年サイクルで載せ続けてください。期待しています。

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6月14日 | 土 | 6:00 PM NHKホール

ベートーヴェン / ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58
プロコフィエフ / 組曲「ロメオとジュリエット」から

指揮|マッシモ・ザネッティ
ピアノ|マルティン・ヘルムヒェン


今夜は、ヘルムヒェンが圧巻。Helm(兜)という勇ましい名前に似合わず、24歳の美青年で、繊細でフレッシュな感性と正確無比な技巧。弱音の美しさ、どこまでも粒の揃ったタッチ、決して混濁しない絶妙のペダリング。速めのテンポで爽快に進みながら、どこを切り取っても瑞々しい美しさで満たされている。ザネッティは、控えめな音量、切れのいいリズムで、ヘルムヒェンの紡ぎだす美しいテクスチュアを一層引き立たせる。

Allegro楽章、変ロ長調のエピソードがピアノソロに現れる部分の微妙なテンポの落とし方、音の色が夢見るように変化し、ぐっとくる。Andante楽章、やや速めのテンポ、淡々としたリズムで進む弦楽に対して、ピアノの優美なフレージングのアークが引き立つ。でもけっして引きずらないリズム感。その気品。その孤高。弦楽のsempre staccato指示とピアノのmolto cantabileとの見事な対照。きっとベートーヴェンは、こういう演奏が聴きたかったのだと思う。ホ短調主九和音の嬰ヘが主音に解決して、そのホ音の余韻がト長調下属和音の遠い雷鳴につながるフィナーレへの持って行き方は絶妙。もう自分はトランスしている。そしてフィナーレの煌めくピアニズムに酔う。コーダに至ってはじめてオーケストラは全力疾走に駆り立てられる。ティンパニのエッジが立った乾いた音色が爽快。最後のオケのトゥッティ八分音符に対して、ピアノソロの四分音符のト長調主和音の響きが残り、ホールを満たす。最後まで計算し尽くされた演奏だが、瑞々しさを失わない。参った。本当に感動した。お客さんもオーケストラも盛大な拍手。

アンコールは、モーツァルトK.332ソナタのAdagio。これ、まるでロジーナが歌うカヴァティーナを聴いているようだ。自分は目を閉じていたが、短いカデンツァを経て主旋律が戻ってくるところの甘美な静謐。濃厚でロマンティックでありながら格調を失わない。感涙。

後半のロメオとジュリエット、冒頭の金管クラスタから音の立ち上がりを強調し、今夜は舞踏のリズムを聴かせるんだという強い意図のようだ。速めのテンポ。マドリガルのリズムが揺れる。弦楽は美しい。神田さんはいつものようにうまい。オーボエはちょっと弱い気がする。最後まで暴れず整然と美しく進んだが、なぜか物足りなかった。ヘルムヒェンのすごい演奏を聴いてしまった後だから?

ところで、最近NHKホールを見直している。自分の席は2階1列目だが、サントリーのRBに比べて音圧は低いものの、パートがよく分離して聴こえる。ピアノも混濁しない。これはこれで美しい音じゃないかと思い、お気に入りの場所になった。

今夜はやはりヘルムヒェン。タイプはちょっと違うが、ペライアを初めて聴いた時の衝撃と似た印象。是非また聴きたい。何度でも聴きたい。

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ウェーバー / 歌劇「オイリアンテ」序曲
エルガー / チェロ協奏曲 ホ短調 作品85
ショスタコーヴィチ / 交響曲 第5番 ニ短調 作品47
指揮|イオン・マリン
チェロ|アントニオ・メネゼス

今夜は、何と言ってもメネゼスでしょう。私にとっては、長く記憶に残るであろう名演でした。

彼の音はそんなに大きくありません。自分がいつも聴いているRBは、音の分離が良い席なので
ソロがオーケストラに埋もれることはありませんでしたが、おそらくセンターブロックの
後方ではチェロがよく聴こえない部分があったのではと想像します。彼の一番の美質は、
シルクタッチの美しい音色と歌心でしょう。しかも、C線の下からA線の一番上まで、
心地よい倍音構成の木目細かい音が揃っています。いかにもカラヤン好みの音色。

すばらしい技巧でスケルツォの難しいパッセージ、fig.29+1の一番高いA音も楽々こなし
ます。この音、弦長の1/4の所を押さえるわけですが、指板のほとんど端っこです。
終楽章、fig.50以降、十六分音符のクロマティック進行と跳躍が延々と続く難所も、まるで
歌うがごとく、美しく聴かせます。隣でチェロを少し弾く息子が楽譜を見ながら聴いて
いましたが、目の前で繰り広げられる異次元の技に、目が点になっていました。

アダージョとフィナーレのストレッタ直前の美しい歌は本当に夢見る気分でした。美しいが、
決してプリマドンナの華やかさではなくて、内省的な、密やかな歌。マリンの合わせ方
もまた絶妙。この人オペラの指揮者だなと思って演奏経歴を調べたら、案の定、アバドが
シェフを勤めていた当時のWiener Staatsoperでレペルトワール(PremierやNeustudierung
ではない日常の公演)をたくさん経験していました。アダージョからフィナーレにかけては、
まるでカヴァティーナ+カヴァレッタ形式のアリアを聴かされているような印象。とくに、
ストレッタ直前の歌う部分(fig.66〜71、掲載したパート譜参照)では、
バトンの打点を敢えて曖昧にして、オーケストラの各奏者がソロの歌をよく
聴きながら微妙なフレージングの伸縮をサポートするように仕向けるあたりの
芸は、歌の伴奏そのものだなと思いました。

5月12日の下野+ハーゲン+読響の同曲は、三者が緊密なアンサンブルを聴かせる
室内楽的な演奏でしたが、今夜の演奏はメネゼスの控えめだが美しい歌と、それに誠実に
合わせるオーケストラでした。

後半のショスタコーヴィチも立派な演奏でしたが、輝かしいトゥッティの響きよりも、
マリンがしみじみと歌わせる瞬間が印象に残りました。特にクラリネットが光って
いたように思います。ラルゴ81小節目、上行音型で始まるソロは、A管独特の美しい
シャリュモー音域と空中に漂うような高音がすばらしかった。一方、ホルンはやはり
楽器自体が難しいのでしょうか。。

ところで、演奏評からは少し離れますが、この曲は、パートライティングがシンプルで、
トゥッティの部分でも比較的音が薄く、例えばエルガーなど細かいアラベスクで構成され、
ヴォイシングが密集したオーケストレーションとは全く対照的です。ごく例外的な部分を
除いて、4声よりも厚くなることはありません。つまり、オクターブ重複を除けば、
4声でパーカッション以外のほとんどすべての音を拾えます。

例えば、第1楽章で一番音が厚い部分は、マーチの後半、204−210小節あたり、
stringendoでテンポが速くなる部分ですが、木管+ヴァイオリンのA音オスティナート、
ホルン+トランペットの3声の和音、トロンボーン+チューバ+低弦のメロディ、
全部でこれだけです。管楽器ソロの部分は、さらに薄く薄く書かれています。3楽章に
出てくる、ハープだけが伴奏するフルートソロ、ヴァイオリンのcisのトレモロだけを
伴うクラリネットのソロなど。しかもこれらは、弦楽合奏がフェイドアウトして現れる
から非常に印象的。こういう独特のオーケストレーションの工夫が、透明で、肌触りが
クールな感じの、ショスタコーヴィチ特有の響きを作り出しているのですね。

それにしても、メネゼスの美しい演奏とマリンのすばらしいサポート。すばらしかった。

ベートーヴェン / ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
エルガー / 交響曲 第1番 変イ長調 作品55
指揮|尾高 忠明
ピアノ|ブルーノ・レオナルド・ゲルバー

ロマンティックで濃厚な表現のゲルバーと端正な尾高のサポート。音楽の方向性はちょっと
違うけれど、尾高がゲルバーに寄り添う形で、ソリストの個性を際立たせる演奏だった。今日、
所謂オーセンティック或いはピリオディックと呼ばれるアプローチが盛んになる状況の中で
頑に我が道をゆく、いかにも前時代的なアゴーギクたっぷりの弾きっぷり。特に、
ラルゴの歌と、ロンド楽章、As-durの第2クープレの嫋々とした表現に濃厚さが際立っていた。
自分としては、このスタイルの潔さ、好きだ。

演奏ではないが、一言。使用されたピアノに問題がある。どういう調律をしているのか知らないが、
やたらと音が大きい一方で、強いタッチになるとたちまちに音が割れてしまう。せっかくの好演なのに
勿体ない。

さて、メインのエルガーだが、率直なところ、期待が大きかったのですこし残念だった。秩序正しく
弾いているのだが、あのエルガー独特の潮の満ち引き感であるとか、微妙な揺れであるとか、
浮遊する静寂であるとか、そういう印象が得られない。

古典には長年醸成されたスタイルがあるなどと言えば、固陋に聞こえるかもしれない。しかし、既に
モダンオーケストラにとってスタンダードレパートリーとして定着したエルガーの演奏スタイルには
ある種の約束事があるんじゃないかと思う。少なくとも尾高が活躍した英国のオーケストラに
おいては確固としたスタイルがある。彼の国の人々は、それを“elgarian ebb and flow”とか
“elgarian rubato”とか“expressive hesitation”とかいう言葉で表現するが、それは楽譜には仔細に
書き込まれていない微妙なテンポの伸縮であったり、フレージングの頂点でふっと息を抜いて
ちょっとした浮遊感を表現する歌い回しだったりする。かつて尾高氏はN響に比べて技術的に
優れているとは言えないBBC Welsh National Orchestraからそういう「エルガーらしい」表現を
引き出していた。今考えてみると、あのケルト人たちの表現は、彼らがネイティブに持っている
歌心そのものなんだろう。

エルガーの楽譜を見ると、ビッグメロディーがシンプルな伴奏型で鳴らされることは例外的で、内声部
の細かい動きがアラベスクを織りなして、それらが全体としてさざ波のようなテクスチュアを
造り上げていることが分かる。N響ほど優秀なオーケストラなら合わせることはそれほど困難では
ないと思うが、そうしたアラベスクの部分を構成する各パートの演奏者が、全体の中での自分の役割
を把握していないと、“elgarian”な揺れは表現できないんじゃないかと思う。おそらくそれは
レパートリーとして何十年にもわたって弾き続け、パート譜が書き込みで真っ黒になるとともに
オーケストラが習得していく“collective wisdom”なんだろう。

堀さんはそういう“elgarian”な表現を理解しておられると思う。ただ彼のリードにバックデスクが
十分反応していなかった。だから、とくにファーストヴァイオリンがdivisiになっていて音が薄い
ところでは、堀さんの音だけが飛んでくる瞬間が度々あった。そんな中で、adagio fig.100で
D-durのメロディが弦楽に戻ってくるところの静寂感、浮遊感は、数少ない陶酔の瞬間だった。
ソロクラリネットに客演したエマニュエル・ヌヴー氏は好演。adagioのfig.105+8のソロや
同楽章最後のオクターブ跳躍のDは、夢見るような音色だった。尾高氏も真っ先に彼を立たせて
喝采を受けさせた。金管は、中低弦と重ねられることが多いオーケストレーションも幸いしてか、
無難にこなしていたが、fig.96-2のホルン+トロンボーンのBm7-5/F=>Bdim/F=>A/Eのコラール
など、曲想が変わる印象的なポイントでより深みのある音色が欲しいと思う。

尾高氏は来年もN響とエルガーを演奏する。技術的にはすばらしいオケなんだから、こうして演奏を
続けていくうちに、N響なりのエルガーのスタイルが醸成されていくと思う。

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ベートーヴェン / ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
パヌフニク / カティンの墓碑銘 (1967)
ルトスワフスキ / オーケストラのための協奏曲 (1954)
指揮|尾高 忠明
ピアノ|レオン・フライシャー

いい演奏会でした。

フライシャー氏の演奏については、事細かに論ずる類いのものではないでしょう。
運命に弄ばれた芸術家としてのタフな人生の夕映えに、彼にとっての晴れの舞台を、
この地で我々が共有したことを幸せに感じたいと思います。お客さんもそれを
感じての暖かい拍手だったし、オケもシンパセティックに伴奏をつけていました。

ただ、そういう注釈を抜きに、アダージョの歌い回しは、息をのむものがありました。
フライシャー氏の師はあのアルトゥール・シュナーベル。さらにテオドール・レチェティツキ、
カール・ツェルニーと師弟関係をたどると、ベートーヴェン自身にたどり着くという、
ウィーンのピアニズムの本流に位置する大家。フィジカルは衰えたとはいえ、そこここに
きらりと光る弾きぶりは、かのツェルニーもこんな風に弾いたのかと思いを馳せる貴重な体験でした。

尾高のルトスワフスキは、うまかった。氏がUKで活躍していた1980年代後半は、
ちょうど作曲者自身がロンドンに度々客演していた頃と一致します。自分は、
Royal Albert Hallで"Chain 2" を作曲者指揮、初演者ムッターの独奏で聴く
機会に恵まれましたが、この時期から尾高氏は、ルトスワフスキに傾倒しています。

全体の構成は見通しがよく、イントラーダでは、篠崎氏の情熱的なリードに
弦楽が高揚していました。カプリッチョのアンサンブルは精緻。終楽章の変則ミクソリディアン
モード(下降だけ六がフラット)のコラールからコーダにかけての盛り上げは見事。

あ、今日は関山さんうまくやってるな、と思ったら、798小節の頭、ぶりっと
飛び出してしまいました。やっぱりやってくれましたね。それから、コラールを木管から
受け継ぐところは、ああいうツンツンと刺激的な音じゃなくて、もっと包み込むような、
溶け合うような、満たすような、柔らかい音を出してほしいんですよ。

コールアングレの池田さん、パッサカリア主題へのオブリガート、リズムはよくタメが効いて
いましたが、ちょっと遠慮し過ぎでは?

あと、1番ホルンの彼、fig.78のコラール主題の弦楽合奏への対旋律、びびってないで、
もっと朗々と鳴らしましょう。ここが一番の聴かせどころですよ。

神田さんの美音、すばらしかったです。本日のMVP。

りさこさん、いつもおきれいですが、カプリッチョのテーマが戻ってくるところ、
1/4拍子の小節2拍目裏、もちっとシャープにピッとキメてくれると、もっとリズムに
躍動感が出てくると思うのですが、いかがでしょう?

尾高氏は、オケに信頼されているようですね。このコンビは今、充実しています。

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