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すみません。一部修正しようと思ったのですが、禁止文字列がふくまれていると怒られてうまくいかないので、再度全体を投稿します。修正したのは、最後のアナリーゼの部分です。アダージョのあの美しい第二主題について新たな発見がありました。
東京都交響楽団 第664回定期演奏会 Bシリーズ
2008年6月17日 サントリーホール
指揮:ポール・ワトキンス
ピアノ:中野翔太
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.54
エルガー:交響曲第3番 ハ短調 op.88(Anthony Payneによる完成版)
若くして国際舞台で活躍する中野翔太君の演奏を楽しみにしていたが、残念ながら、自分にとっては期待はずれだった。そこそこ無難に弾いているが、飽くまで無難というレベル。何が問題なのか考えてみたが、彼は、オーケストラを聴いていなくて、終始自分のペースで弾く。それにワトキンスが合わせている。例えば、インテルメッツォの中間部、頭に16分休符がついた16分音符の音型、彼の恣意的なアゴーギクでどんどんテンポが重くなって、音楽がフォルムを失う。オーケストラとのインターアクションがなければ、コンチェルトを弾く意味はどこにあるだろう。そして一本調子な音色には感性を感じられない。メロディが再現する箇所では、いかにもレッスンでこう教わったという変化のない歌い回しで音楽の流れを切る。甘美なメロディが続きはするが、音楽が有機的に発展していくわけではなくて、どちらかというと平板な印象のあるこのコンチェルトが、なおさら長く、退屈に感じられた。彼は若く、将来のある人だ。彼には、もっといろんな音楽、とくに歌を聴いて、感性を磨いてもらいたい。先週、まったく同じ世代のヘルムヒェンの輝かしいピアニズム、極上のタッチ、瑞々しい感性に触れた直後だから、ちょっと辛辣になってしまったかもしれないが、今夜の演奏を聴く限り、メジャーオーケストラの定期の舞台に立つような演奏ではないと思う。がんばってね。
さて、メインのエルガー/ペインのシンフォニー。敢えて、「エルガー/ペイン」と書くのは、決してエルガーの偽物だからという意味ではなくて、逆に、エルガーのスケッチをここまでコヒアラントな作品に高めたアンソニー・ペイン氏の労に敬意を表してこう表現したい。成立の経緯がどうであれ、誰の作品であれ、この音楽は立派だと思う。
肝心の演奏だが、まずは、都響の健闘を讃えたい。おそらく、都響は初めて弾く作品だろう。たった数回のリハーサルでここまでの完成度に高めた都響の技量はさすがだとおもう。かつて自分がロンドンで勉強していた頃、若杉弘氏率いる都響がバービカンホールに来演して、ブラームスのシンフォニーを弾いたことがあった。ロンドンにあるメジャーオケと比較してもけっして引けを取らない力演に、その場に立ち会った日本人として、同席した英国の友人たちにも誇らしさを感じたのを思い出す。現時点での都響の実力はさらに格段の飛躍を経ている。いつかまた英国に客演する機会があれば、これをぶつけてほしい。ロンドンのconcert goerたちはびっくりするはずだ。リーダー(コンサートマスターとはいわず、英国風にリーダーと言ってみる)の矢部さんは、エルガーに合っている。bar.48 Largamente、ビッグメロディへのリタルダンドと溜めのある歌い回し。ちょっと大げさなリードが都響の弦楽からエルガーらしさを引き出す。
とはいうものの、エルガーが大好きな自分として、今夜の演奏には不満なところがある。ワトキンス氏は、一言でいうと、BBCプロムスのラストナイト、ユニオンジャックに埋め尽くされたロイヤルアルバートホールでいけいけどんどんの演奏。こんなにすばらしいスコアなのに、ディテールへの細やかな感性やパートの音量バランスへの配慮に欠ける大雑把さ。たとえば、アダージョ楽章bar.62 Piu Lento、いかにもエルガーらしい精妙なアラベスクのテクスチュアは全然整理されいなくて、雑然とした印象。これじゃ、今夜はじめてこの曲を聴いた人は、ここの美しさが絶対に分からない。フィナーレのbar.35 Poco Largamente、トランペットの16分音符三連符のアタックにホルン+トロンボーンが雄渾なメロディを続ける箇所、あんなに弦楽の伴奏をうるさく鳴らすと金管が聴こえない。それから、Lawrence Binyonのアーサー王への付随音楽のバンケットの場面の音楽を流用したスケルツォ(というか、性格的にはメヌエットだと思う)。あのテンポでは、忙しすぎて、精妙なアラベスクが聴こえてこない。16分音符で主旋律を彩るヴァイオリンがバタバタしてしまう。書き始めるといろいろあるが、やはり都響の合奏力が立派なだけに、指揮者にもう少しデリカシーが欲しいという印象だった。
最後に余談。アダージョの不思議な響き、それ以前のエルガーにはない不思議な響きについて考えてみた。
冒頭の3つの譜例、アダージョ冒頭(bar.1-3)、主旋律(bar.11)、経過節(bar.17-19)をご覧いただきたい。減五度+長三度の音程構造モチーフが見えてくる。機能和声でいえばviiという最も調性感から遠い三和音に含まれる音程。冒頭は、ヴァイオリンのg-f旋律に対して、低弦がg-desと合の手を打ち、g-des-fの減五度+長三度。
bar.11二〜四拍目、第二ヴァイオリン+ヴィオラがc-ges-b〜d-ais-c〜e-b-dと、減五度+長三度の構成で長二度(全音)づつ上昇する伴奏。しかも、すべての音が、cを根音とする全音音階(whole tone scale, c-d-e-fis-gis-ais-c)の構成音。
三番目の譜例、bar.17-18は、減五度+長三度の音程を内包する、いわゆる「導七和音」がクロマティックに移動して属九根音省略形に半終止するカデンツァが見られ、初めて三和音(triad)が聴こえてかすかな調性感。この後、bar.22まで、全体を短三度づつ上昇させる半終止シークエンス。
bar.33-38で、はじめて古典機能和声らしいVI7-V7半終止がホルンに現れ、bar.38以降の第二主題に移行する。調性感のあいまいな冒頭から、三和音の出現、bar.33-38の典型的な半終止を経て、bar.45ではっきりした三和音進行が聴き取れる美しいメロディラインに移る。この遷移とコントラストが鮮烈だから、第二主題がとても美しく聴こえる。
さらに凝っていることに、第二主題のこの美しい旋律も、実は、楽章冒頭と同じ音程構造体(「シレファラモチーフ」と呼ぼう)からできている。旋律線は、h-d-(e)-f-cis-e-g-h-(gis)-a。カッコに括った経過音を省くと、h-d-f-aのシレファラモチーフの間にcis-e-g-hという長二度上のシレファラモチーフが挿入されているという構造がはっきりと見て取れる。あの美しい音楽の背後にはこんなに緊密な構造がある。エルガーおそるべし。
ペインは、このシンフォニーを補作したプロセスを回顧した著書 “Elgar's Third Symphony: The Story of the Reconstruction” で、アダージョは残されたスケッチのどれをどの順番でつなぎ合わせればcoherentな全体になるのか、それはまるでジグゾーパズルを解くようだったと述べている。三番目の譜例に見る連続半終止シークエンスは、残されたマテリアルをなんとかつなぐためにペインが知恵を絞った痕跡か。この本はamazonでも売っているので、エルガーファンにはぜひ薦めたい。
なんだかとりとめない感想になってしまったが、総括。エルガーの作品であれ、ペインの作品であれ、この音楽は美しい。都響はがんばった。もう少し繊細な感性を持っている指揮者で聴きたい。でもこの曲をライヴで聴ける東京にいることに幸せを感じる。
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