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昨日、新国立劇場のオペラトーク「ヴォツェック」を聴いてきた。お話は、指揮のハルトムート・ヘンヒェン氏、演出のアンドレアス・クリーゲンブルク、進行は東京大学の長木誠司氏。
クリーゲンンブルク氏は、今回の演出意図について、舞台上にある人、物、できごとはすべてヴォツェックの視点から見たものだと説明した。ヴォツェックにとって美しく見えるのはマリーと子供だけで、他の人物はすべて醜悪で怪物のように見えるらしい。それから舞台前面には水が配置されるとのこと。最近、新国立劇場では水を使った演出が多いのでまたかといわれそうですが、、、と前置きしたところで会場から笑い。そういえば、オテロもそうだった。そして、舞台進行には「黒子」が活躍するらしい。彼の話を総合すると、貧困と社会階層による悲劇の再生産と“No Exit”というのがテーマのようだ。ちょっとペシミスティックだがまあしょうがないか。今回のプロダクションはバイエルン州立オペラとの共同制作で、すでにミュンヒェンでは公開されている。その映像を見る限り、非常におもしろそうだ。
ヘンヒェン氏は、作品の音楽的特徴について解説。おもしろかったのは、アトーナルな音楽が支配する中で、2幕1場で全曲を通じただ一度だけC-durの主和音が出てくる箇所、ヴォツェックがマリーに給料を渡す場面(116-124小節)だが、ここについて、ヴォツェックは、家族に貧乏で不自由な思いをさせていることに常々罪悪感を感じており、お金を渡す瞬間だけ彼はそういうストレスから開放されるんだという解釈を述べておられたところ。なるほど、そういう見方もあるわけだ。
ベートーヴェンの第6シンフォニー、シューマンのガイベルによる3つの歌op.30、シュトラウスのサロメなどからの引用についても解説があった。ベートーヴェンとサロメはすぐ分かるが、シューマンはこれまで気づいたことがなかった。どこなんだろう??
バロックの舞踊組曲、パッサカリア、フーガ、ソナタなど厳格な楽式が、断片的なエピソードを並べたような台本にドラマとしての一体感を与えているというのは、いろんな研究者が指摘し、また我々聴き手も直感するところ。歌唱法については、シェーンベルクが創始したSprechgesangをさらに発展させ、ヘンヒェン氏によると、語りと歌との間に4段階の表現があるという。彼の言葉をそのまま使うと、1 sprechen, 2 etwas gesungen, 3 halb gesungen, 4 ganz gesungen ということらしい。こうしたsprechenのテクニークを使うのは登場人物の中でもいわゆる下層階級に属するキャラクターだけだという指摘はおもしろい。恥ずかしながら今まで見過ごしていた。
音楽の例示として、1幕3場のヴォツェックとマリーの場面(363-483小節)、1幕5場の鼓手長とマリーの場面(666小節から幕切まで)、3幕2場のマリー殺害場面(73-108小節)が演奏された。演奏は、今回アンダースタディに入っている萩原潤、並河寿美、成田勝美の3氏、ピアノは小埜寺美樹さん。ほんの数メートルの距離で聴くと、みなさんすごい声だ。プロフェッショナルというのは、我々の想像をちょっと超えるところで仕事をしている。これだけのメンバーをアンダースタディにしているのはすごくないだろうか。新国は、呼ぶ歌手についてはすごいと思う。その本番歌手たちも後ろの方の席で興味深そうに聴いておられた。
最後にヘンヒェン氏から、いかがでしょう、美しい音楽ですね、シュトラウスやヴァーグナーなど後期ロマン派の音楽をお聴きになるつもりでお越し下さい(のような意味)の発言があった。賛成。むずかしく構えなくても、この音楽、直感的に美しいと思う。
いつものようにホワイエで行われたが、ほぼ満席。200人くらいの人が来ていただろうか。
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