HKの音楽夜話

在京オーケストラの定期公演を中心に、コンサート、オペラのレビューを掲載します。

読売日本交響楽団

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読売日本交響楽団第521回名曲シリーズ
2009年12月25日(金) サントリーホール
指揮: オスモ・ヴァンスカ
ソプラノ: 林正子
メゾ・ソプラノ: 林美智子
テノール: 中鉢 聡
バリトン: 宮本益光
合唱: 新国立劇場合唱団
ベートーヴェン/交響曲第9番

プロのオーケストラがこれほどの緊張感で「第九」を弾くことはなかなかないんじゃないだろうか。常々思うが、指揮者に精一杯応えようとするのがこのオーケストラの美質であり、これがヴァンスカ氏のような明確な表現意図と出会うと、今夜のような熱い音楽になる。フィナーレでのチェロバスのレチタティヴォなど、危ないところも少なからずあったが、そういうぎりぎりの表現がスリリングで興奮する。

アレグロはインテンポで爽快に押す。スケルツォは鋭角的なリズムが冴える。アダージョはすっきりしたテンポで音楽がよく流れ、優美なフレージングの美しさを存分に楽しめる。フィナーレは各セクションを次々にアタッカで繋いでいって、息つかせぬ緊張感で最後は熱く盛り上がった。新国コーラスはいつもどおりの好演。力まないで高音がしっかり抜けるのがいつ聴いてもさすが。言葉もよく聞き取れる。ソロのみなさんは申し訳ないが感心しなかった。中鉢さんはちょっとパワーが足りない。ソプラノの林さん、オペラじゃないんだから、歌いながらの手振りは似合わない。

演奏譜はベーレンライター新全集だったが、何箇所か同全集とは違うところがあった。スケルツォのmm.442/446の2番ホルンはD(実音)を全音符で吹き伸ばしているように聴こえた。また、フィナーレmm.767のテノール+バスソロの歌詞は、旧全集の“Freude”に聴こえた。(自分の聴き違い?)おもしろいことに、ヴァンスカ氏はミネソタシンフォニーとの録音では、新全集を用いながらもアレグロm.81のフルートをf-bと演奏させているが、今夜の演奏では新全集どおりf-dだった。

クールで熱い「第九」を堪能した。

読売日本交響楽団 芸劇名曲2009/11/28
指揮:ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
ヴァイオリン=サーシャ・ロジェストヴェンスキー
メゾ・ソプラノ=坂本 朱
合唱=新国立劇場合唱団
シュニトケ:
リヴァプールのために【日本初演】
ヴァイオリン協奏曲第4番
オラトリオ〈長崎〉【日本初演】

かつてシェーンベルクが次のように語ったそうです。「グレの歌」が聴衆に歓ばれることは分かっていたと。また、ヴィーンの当時の興行主たちは、なぜ「浄夜」のような音楽をもっと書かないのかと彼に求めたと。真のクリエイターは、常に新しい独自のスタイルを求める。そういう野心が新しい芸術を生み出す原動力なのでしょう。

今日本邦初演された「長崎」は、シュニトケにとっての「グレの歌」。難解なところはない、リムスキー=コルサコフの著名なテキストブックから学んだのであろう輝かしいオーケストレーション、ストラヴィンスキーのリズム、プッチーニやラヴェルに見られるオリエンティシズム、c-mollとAs-durを中心とする分かりやすい調性感ではじめて聴いてもすっと入って来る音楽。「演奏効果」が非常に高い曲で、これからいろんな合唱団がレパートリーとして取り上げるんじゃないかな。新国コーラスは立派な演奏でした。途中変拍子が交錯するところでちょっとトラブルがありましたが、読響もすばらしかった。

サーシャ・ロジェストヴェンスキーがソロをつとめたコンチェルトは、作曲家がそういうスタイルの進化を求めた作品ですが、なかなかセクシーです。冒頭のg-c-d-eではじまる鐘のようなモチーフとそれに続くAs-durのコラールを中心に曲が組み立てられているようですが、チェンバロが入って、バロックコンチェルトのテイストを再構成した雰囲気。サーシャのソロが美しかった。

そして、シュニトケの最後の作品になるリヴァプール。これも日本初演。聴いたところ、冒頭のダイアトニックな金管コラールとその直後のホルンの短二度+跳躍音程という2つのモチーフを交互に変装していくというダブルヴァリエーションのスタイルで、ベートーヴェン第九のアダージョ楽章の様式ですね。病床で書いたとのことですが、もしシュニトケが元気なら、おそらくもっと手を入れていたであろうスケルトンのような作品。

さて、シュニトケは20th century classicsとなりうるか?クラシックとはその時々の聴衆の支持を得て、時代を越えて残っていく芸術作品。メンデルスゾーンはバッハを19世紀の聴衆に問い、その支持を得てバッハはクラシックとなったわけです。21世紀を生きる我々も、後世に残すクラシックが何であるかについて審判を下す立場。20世紀の作品では、すでにドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、ショスタコヴィッチ、プロコフィエフ、バルトーク、コダーイ、ヤナーチェク、ブリテンあたりは20th century classicsとしての地位を確固たるものにしています。今日ロジェストヴェンスキーが紹介してくれたシュニトケは、ソ連崩壊前後からBISが積極的に録音し、クレーメルが各地で演奏してその名を広めていますが、我々はどう評価するか。ニューヨークの聴衆はちょっと保守的だから、クラシックを残すとすれば東京やロンドンの聴衆は大きな役割を担っていると思います。ぼくはそういうクラシックを後世に伝える役割を果たす能動的な聴衆の一人でありたいと思います。

月曜日のサントリーはさらに洗練された演奏になるでしょう。

読売日本交響楽団第165回東京芸術劇場名曲シリーズ
2009年10月19日(月) 東京芸術劇場
指揮:下野 竜也
チェロ=ピーター・ウィスペルウェイ
ソプラノ=澤畑 恵美/國光 ともこ
テノール=永田 峰雄
合唱=新国立劇場合唱団
バッハ(レーガー編曲):〈おお人よ、汝の大きな罪を嘆け〉
ヒンデミット:チェロ協奏曲 作品3
メンデルスゾーン:交響曲第2番〈賛歌〉

驚いた。ヒンデミットのチェロコン、ああ、あの曲だなと思って出かけたが、、、音が鳴ってびっくり。ヒンデミットのチェロコンといえば、「ンダッ、ダララダ、ダララダッダッダッダ...」ってやつだと思い込んでいたら、全然別の音が出てきて驚いた。あわててプログラムを見ると、「チェロ協奏曲作品3」と書いてある。ああ、若いとき(1921)に書いた方だったんだ。。。しかしねえ、下野さん、いかに「ゲテモノ担当」と自らおっしゃっているとはいえ、ヒンデミットには円熟期に書かれた立派なチェロコン(1940)があるのに、なんでこっちなんだろう?1940の方だって、そんなに頻繁に演奏される訳ではないし、内容的には1921よりはるかに立派なんだから、下野さんのヒンデミットシリーズの一環として演奏するなら、順番としてはこっちが先じゃないのかなあ?うーん、作品のせいだろうか、オーケストラもこなれていない、整理されていない印象で、ウィスペルウェイ氏もあちこちで音程が不安定で万全とはいいがたい演奏。アンコールのヒンデミットとバッハのサラバンド(ほとんどノンヴィブラート)は美しかった。

ぜひ、マティスシンフォニーの天国版ともいうべき、あの美しい1940チェロコン、いつかやってください。きっと下野さんの芸風にマッチしてすばらしい演奏になると思います。

メインのローベスゲザンクは、聴きごたえのある演奏だった。なんだか下野さん、ひとまわり大きくなったような印象。いつもながらのさっそうとしたアンサンブルと力強い推進力に加えて、音楽の勘所でちょっと見栄を切ったり、少し濃厚な表現を見せたりと、ご自分のやりたいことを十分にオーケストラに行き渡らせ、音楽を支配しきっていた。アレグロのコーダ部分は、火の出るような勢いだったし、3拍子のアレグレットは速めのテンポで気持ちよく流れつつ心地よいアンジュレーションというかリルト(こぶし)を感じさせるデリケート弦の歌わせ方が美しい。木管ソロは、飛び出たり、弦ときれいに混ざったり、色のパレットが豊富で大健闘。オーボエとファゴットのオクターブユニゾンとか、楽章間のブリッジになるクラリネットのソロとか、今夜は木管のソロがことごとく決まった。

終楽章は、まず新国合唱団が立派。ノンヴィブラートだったかな?力強いのに透明感のあるハーモニーで、歌詞もよく聞き取れた。とくに、ほとんどアカペラで歌われる8番のコラールがすばらしかった。唯一気になったのは、同ナンバー中、"und Allen wohlgetan"のところの音程。ほんのちょっとだけど。

澤畑さん、美しい声で丁寧な歌でしたが、ドイツ語の母音がちょっと浅くないかな?オルガン席まで上がって歌ったところの"Die Nacht is vergangen!"で、一番高いaの音程が決まらなかったのが残念。同じナンバーでのテノール永田さんは立派な声量の迫力ある歌だった。

オーケストラの配置に工夫がみられた。ホルンとトロンボーンを山台にのせて、トランペットとティンパニは舞台下手に平場置き。ヴァイオリンのバックデスクに隠れていたせいもあるが、ベルは終止やや下向きで、柔らかいバルブトランペットをさらに柔らかく聴かせるような吹き方。オケ全体が弦楽中心のシルキーな音色となり、金管のハーモニーがよく解け合い、奥行きをコンパクトにしたせいか、合唱とも美しくブレンドして、すばらしい効果だったと思う。

月曜日とはいえ、客席はちょっと寂しい。月曜からコンサートなんか行ってないでもっと仕事しろといわれそうだが。。。

読売日本交響楽団 第483回定期演奏会
2009年6月15日(月)サントリーホール
指揮:秋山 和慶
ピアノ:三浦友理枝
シュトラウス:組曲「町人貴族」、家庭交響曲

泣けてくるような選曲。さすが秋山大先生。オケとしてもこういう自分たちの腕を試され、お客さんに見えてしまうようなプログラムは闘志が湧くのでしょう。完璧というわけではありませんが、本当に一生懸命さらってきました、全力でリハーサルしましたという出来でした。お見事。

「家庭交響曲」って、シュトラウスの作品の中では演奏機会が少ないですが、どうしてでしょう。ネーミングがイケてないのでしょうか。今夜もサントリーホールは7割弱の入り、しかも開演前に招待受付に長蛇の列、ということは、売れなくて招待券をかなり撒いたのでしょう。たしかに、自分のまわりのおなじみさんの席に知らない人たちが。。私見では、ソロ楽器の対話から100人以上を大編成が鳴りまくるトゥッティまで、音響のヴァリエーションの広さ、インストゥルメンテーションの巧みさ、音色の豊かさ、緊密な構成、職人芸的なカウンターポイントの技法まで、シュトラウスの名人芸がてんこもりに詰まったものすごい名曲で、聴けば聴くほど、譜面も読めば読むほど、味が出てくる作品だと思うのですが、残念。やはりネーミングかな?いっそのこと、ヒンデミットのセレナみたいに、「シンフォニア・ドメスティカ」と原題の方が何となく粋なイメージになるのかな。

そういえば、秋にくるヴィーナー・フィルハーモニカーも、シュトラウスの「ドン・キホーテ」の夜が最後まで売れ残っているし、4月のシュターツカペッレ・ドレスデンもシュトラウスの日は空席だらけでした。一方で、メジャーなオーケストラがマーラーやブルックナーを乗せると大概は完売。シュトラウス、そんなに人気がないのかな。オーケストラ曲もオペラもゴージャスかつデリケートなサウンドですごく楽しめると思うんだが。。

まあ、それはおいといて、読響みごとに本気モードで楽しみました。管楽器で技量が及ばなくてああ残念と思う箇所とか、ホルンがいちばんいいムードになる所(アダージョfig.65の手前、3/2の小節の直前※)で音程が怪しかったりといった問題もありましたが、コンマスの藤原さんは本当に入魂の演奏だったし、100人を超える大編成の威力を存分に楽しみました。秋山さん、これが40年ぶりの読響登場。やや安全運転でスリリングな所はないのですが、いつみても美しく、明瞭そのもののバトンでオーケストラも安心できるのか、勘所で大見得をキメながらもよどみなく流れる美しい、しかも力感あふれる演奏になりました。昔ヴィーンによく登場していた頃のプレヴィンの流麗さをちょっと彷彿とさせるスタイルかな。ぼくは、この方の演奏が好きです。

前半の「ブルジョア・ジョンティヨーム」も柔軟に伸び縮みするリズムと洗練されたスタイルのよい演奏だったと思います。とくに印象に残ったのは、クレオントが舞台に出てくる場面の弦楽合奏。ノンヴィブラートの古風なスタイルが新鮮な美しさ。小さな編成で難しいソロがいろいろとあって、こういう曲は難しい。かなりうまいオーケストラでも、室内楽になるとええっと思うことがありますが、なかなかよくリハーサルされていたんじゃないでしょうか。

秋山さん、ぜひとも近い機会に再登場を期待します。

※ 手元の楽譜はかなり古いので、練習番号は現在の全集版とは違うかもしれません。扉に出版社のクレジットとして、“EDITION BOTE & G.BOCK, BERLIN. Hofmusikalienhändler, Seiner Majestät des Kaisers und Königs und Seiner Kaiseriche Hoheit des Prinzen Albrecht von Preussen“ (皇帝陛下、国王陛下、アルプレヒト王子殿下御用達王室楽譜商ボーテ・ボック出版)なんてイカツイことが書いてあるので、ホーエンツォレルン家がまだプロイセン王だった頃に出版されたものでしょう。

読売日本交響楽団第515回名曲シリーズ
6月8日(月) サントリーホール
指揮:下野 竜也
クラリネット:ザビーネ・マイヤー
ウェーバー:
歌劇〈オイリアンテ〉序曲
クラリネット協奏曲第1番
ドヴォルザーク:交響曲第1番〈ズロニツェの鐘〉

「ゲテモノ担当」って、ぼくが決めたわけじゃないですよ。下野さんご自身が昨年5月の定期、山根明季子さんの読響委嘱作品初演での舞台あいさつでそう発言されました。名曲はスクロヴァチェフスキ先生がいらっしゃるから、自分はゲテモノ担当ですと。作曲者のいる前で「ゲテモノ」ってのは、さすがにちょっと失礼じゃないかと思いましたが、すっかりゲテモノ担当になられたらしく、先月、今月と演奏会場で配布されるプログラム冊子でもゲテモノ担当として紹介されています。ぼくにとっては、ヒンデミットもシュニトケも偉大な“20th Century Classics”で、下野さんが演奏したライラック・レクイエムも、シンフォニア・セレナも、マティス・シンフォニーも極上のセンスに満ちた愛すべき佳品です。まあ、彼一流の洒落なんでしょう。お話をうかがった時もよほどヒンデミットを愛しておられるらしく、いつもより多くのリハーサルセッションを持ったとおっしゃっていましたから。

で、今夜のドヴォルザークの1番シンフォニー、これは正真正銘のゲテモノだとぼくは昔から思っています。さまざまな模倣スタイルが混淆したパスティッチョ。例えば、スケルツォはメンデルスゾーンだし、フィナーレは和声法、楽器法からコーダの複合リズムまで何から何までまごうことなきシューマンスタイル。で、自分の持ちネタを全部吐き出したような楽想の横溢で冗長になり、とってつけたような冒頭主題の回帰がそこらじゅうにあって、どうも整理がつかない。作曲者自身が出版を許さなかった事実、さもありなんと頷けます。しかし、さすがゲテモノ担当の下野さん。彼の手にかかると、ゲテモノがそれなりのB級グルメに仕上がっています。牛肉、鶏肉、豚肉、白身魚、漬け物、海苔の佃煮、トマト、ゴーヤ、全部使ってうまい鍋を作ってみろといわれ、悶絶しながらあるものをメインに、あるものを隠し味にと工夫の限りを尽くしたら、何となくうまい料理に仕上がったという感じ。まさにゲテモノ食材のカリスマシェフです。たしかに、1楽章なんか、暴力的なリズムと音響の中に「真昼の魔女」など後年の傑作で作曲者がたどりついたマジカルサウンドの片鱗が窺えます。アダージョは、自分の好みとしてはちょっと元気よすぎ。もっと静謐な美しさがあるはずだと思う。スケルツォのリズム感はさすが下野さん。フィナーレはあれだけがんがん鳴らすとちょっと痛快でもあります。

ザビーネ・マイヤーさんは圧倒的な存在感で舞台を支配しました。クラリネットという楽器にこれほどの表現力と表現の幅があるのに驚きました。彼女、なんと指揮をしているではありませんか。重要なパートの方に向かって、片手を振って合図をしている。で、それを見て下野さんは場内整理、彼女のやりたい放題にしっかり食らいつこうとオケも必死という構図。指揮台とセコバイの間をバレエで言うとシャッセのようなステップで幅2メートルくらい動き回る彼女。ソロクラリネットのアルペジオにフルートやオーボエがメロディを乗せるような場面でもマイヤーさんはおかまいなしにずっと主役。これはこれで痛快。やはり、カラヤン大先生くらいの格じゃないと、全身表現意欲のかたまりのようなこの美しきじゃじゃ馬のプロテジェにはなれないのかな?

と、好き放題書きましたが、やはり下野さんが立つ時の読響の溌剌と弾むサウンドは、ぼくには魅力的に聴こえます。

ところで、来年の定期はカンブルラン氏がかなり意欲的なプログラムを考えているようです。4月のシェーンベルクに始まり、オネゲル、ヴァレーズ、メシアン、デュティユー、ハイドン、シューマンと来るそうで、20世紀の音楽が大好きなぼくは大歓迎ですが、営業は頭を抱えているでしょう。まあ、プログラム冊子では、名曲路線の某オケに対し、シェフとともに新レパートリーの開拓に努める読響、みたいな調子で書いているわけだから、行動で示すというのはすばらしいことだと思います。シェフまでゲテモノ担当になって、ゲテモノ担当が2人です。これは凄いゲテモノパワーだ。

ゲテモノ好きのぼくとしては、読響万歳!!

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