HKの音楽夜話

在京オーケストラの定期公演を中心に、コンサート、オペラのレビューを掲載します。

読売日本交響楽団

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読売日響のコンサートについてのメモ
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読売日本交響楽団第473回定期演奏会7月14日(月)サントリーホール
指揮:ゲルト・アルブレヒト
◆ヴァーレーズ : アメリカ
◆ドヴォルザーク : 交響曲第9番 <新世界から>

どこまでも精緻で、流麗で、しかも溌剌としたドヴォルザークに感動した。正直、この曲をここ20年くらい、まじめに聴いたことがなかった。今夜、改めて、この曲の美しさを知った。

さりげなく音楽が始まったと思ったら、冒頭のヴィオラ、チェロバスの音色にただならぬ緊張感。木管が少し距離感をつめる。改めて楽譜を読むと、ほぼ同じ音型ながら、弦楽にはpp、木管にはp, cresc, fz, dim. pの指示。本当に微細なところまで考え抜かれた表現。マエストロは4/8拍子を細かく振り分けないが、手首の緊張を一気に高めて4拍目を宙に振り上げるや、小森谷さんが息を吸う音がが客席まで届き、弦楽ユニゾンのシンコペーションが一閃する。アンサンブルのエッジが尖っている。この時点で自分は釘付けになっている。

ホルンのテーマは、芯のあるくっきりした音。弦楽が属和音アルペジオで応えるところ、楽譜は上から下までffの指示だが、ここも弦楽をしっかり響かせるために、管楽器をやや抑えた絶妙のバランス。フルートとヴァイオリンオクターヴユニゾンの第2テーマの繊細にリルトするような歌い回しが美しい。音楽は颯爽と進み、どこを切り取ってもほぼ完璧なバランス。どんな強奏でも音は濁らない。弦楽の音をやや短めに切って、ホールを響かせようとの意図か。なんとなく、チェコのオーケストラに特徴的に見られるイントネーションに似ている。

アダージョのハーモニーはどこを切ってもふわふわとよく響いて心地よいし、パート間の歌の受け渡しで作られる音楽の流れもすばらしい。コールアングレのソロの後、弦楽がテーマを繰り返す箇所の第2ヴァイオリンがF音でシンコペーションの合の手を入れるところ、これまで40年近くこの曲を聴いていて気づかなかったが、実に効果的に書いてある。そういうところをマエストロは気づかせてくれる。最後のコラール、Des-dur主和音で、ホルンの3、4番のAs音だけがやや溶け合っていないのが惜しかった。

スケルツォはノリノリ状態になっている小森谷さんの大きなリードに応えて、速めのテンポにリズムが弾む。怒濤の勢いで終楽章になだれ込む。弦楽の微妙なニュアンスづけ、音色の変化に酔う。メカニックに還元すれば、駒からどのくらいの距離のところを弾くかとか、弓を当てる角度、圧力、弓の速さとか、細かく指示しているのだと思うが、例えば、第2主題のチェロの合の手とか、同主題が再現し、ヴァイオリンのG線で弾かれるメロディがチェロに受け渡されるところとか、フレーズの進行に沿って音色が微妙に変わって、ぴたりと決まる。ホルンのアルペジオ、E音が飛んじゃったのはご愛嬌。ここまでのすばらしい流れの中だから、気にならなかった。

今夜は、弦楽の表情の豊かさが特に印象に残った。もしかして、小森谷さんは、すごいコンサートマスターなんだろうか。それとも、マエストロ・アルプレヒトの存在感がこれだけ密度の濃いアンサンブルと表現を生むのだろうか。この演奏をもって、プラハの芸術家の家にでも乗り込んでもらいたい。絶対にチェコフィルハーモニーよりは技術的にはうまいし、こんなに繊細で美しい演奏を聴いたら彼地の人たちはびっくりするはずだ。今夜の演奏は、世界中どこに持っていっても一級品。

いずれにしても、このマエストロが読響と分かち合った9年間の重みを改めて感じる演奏会だった。来週のシューベルトはきっと格調高い演奏を聴けるだろう。来年以降も毎年来演していただきたい。

読売日本交響楽団第152回芸劇名曲シリーズ
7月7日(月) 東京芸術劇場
指揮:小林 研一郎
ヴァイオリン:アリーナ・ポゴストキーナ
リムスキー=コルサコフ : スペイン奇奏曲
モーツァルト : ヴァイオリン協奏曲第4番
リムスキー=コルサコフ : 交響組曲<シェエラザード>

小林さんには申し訳ないのですが、何度聴いても好きにはなれません。スペイン奇想曲は重いリズム、遅いテンポで音楽が弾まないし、シェエラザードは、とくに2楽章、3楽章は細かく作りすぎてリズムが流れず、音楽が何度も止まりそうに聴こえます。しかも、自分にはどうしても悪趣味な作り方にしか聴こえません。あまりにテンポが遅いものだから、オーケストラもついていくのに往生しているように聴こえます。読響にしては平板な音色。やはり自分の趣味には合いません。重苦しい、暑苦しい。なんとかしてほしい。あのテンポ、あのアゴーギクについていく読響は立派だともいます。

じゃあ、なぜ聴きに行ったんだと怒られそうですが、オーケストラの定期会員になると、何年かに一度、小林さんに当たります。せっかく買ったのだから、行かないのももったいないので、いつも行きます。

しかし、小林さんの演奏会は、お客さんがいつもかなり入っています。今夜も9割の入りでした。終演後は盛大なブラヴォーと喝采が続きました。彼のファンがたくさんいるようです。音楽は好みですから、彼の音楽が大好きな方がたくさんいても全然不思議ではありません。これだけ多くの聴衆から大きな喝采を受けるのだから、きっと彼は、立派な音楽家なのでしょう。

ここを読んでいただいている方で、小林さんの音楽が好きな方、ぜひ教えてください。彼の音楽づくりを聴いてどう感じていらっしゃるのか。もし自分の感性の幅を広げて、いままで気づかなかった彼のよさに気づくことがあれば、それはそれで幸せだと思います。

小林さんの話はここまで。モーツァルトを弾いたボゴストキーナは素敵なヴァイオリニストです。こっちはすごく好きになりました。音色が美しい。よく流れる歌。フィナーレの溌剌としたフレージングに聞き惚れました。音程は抜群にいいし、リズムも生き生きとキレがあって、ほんとうにモーツァルトを聴く歓びを感じました。まだ25歳ということですが、楽しみな若手です。この次に来日されたときも、ぜひ聴きにいきたいと思います。オーケストラもよくつけていたと思います。ホルンがちょっとベタッとした音色で今ひとつでしたが。。。

小林さんのファンのみなさま、気分を害してしまって申し訳ありません。

6月10日(火) 東京芸術劇場
◆ドヴォルザーク : 交響詩<真昼の魔女>
◆プロコフィエフ : 交響的物語<ピーターと狼>
◆ボロディン : 交響曲第2番
指揮:アレクサンドル・ラザレフ

6月5日の定期演奏会で深い譜読みに裏づけされた精緻なチャイコフスキーを聴かせたラザレフ、今夜はどんな音楽を聴かせてくれるのかと楽しみに芸劇に出向いた。客席は6割の入り。定期演奏会にポピュラーな演目が揃ったので、振替が多かったのか。

まずはドヴォルザーク。読響にとって決して弾き慣れているとはいえない曲だが、しっかりと見通しよく構築され、ドヴォルザーク独特の色彩感ある音色、弾むリズムが心地よい演奏。先日のチャイコフスキーとはうってかわって、オーケストラを伸びやかに響かせ、自然と詩情が沸き立つ。読響の弦楽が美しく鳴る。晩年のドヴォルザークがメルヒェンを題材に書いた交響詩は、どれも美しい。

声優の伊倉一恵さんの語りで「ピーターと狼」。小学生の頃、音楽の先生に連れていってもらった演奏会で聴いて以来じゃないだろうか。響きはまぎれもなくプロコフィエフだが、自分が大人になりすぎたせいか、音楽に飽食するという幸せのせいか、ナイーヴでそれほど展開しない音楽になぜか酔えない。ロメオとジュリエットはあれほど心に刺さるのだが。

さて、メインのボロディン。素朴というか、素人くさいというか、ものすごく洗練された書法ではないが、この音楽はなぜか心に触れる。「イゴール公」もそうだが、deja vu (既視感)ならぬ deja ecoute (既聴感?)と表現したい懐かしさを感じる。前を振り返ると、チャイコフスキーを経てストラヴィンスキーに至るロシアンロマンティシズムの始源となる要素が一杯につまっている。たとえば、旋律の扱い。Andante楽章のbar.3-10のメインテーマは、3/4と4/4とのコンパウンドメトル(複合拍子)だが、ロシアの民俗旋律には、こうした拍子が多く見られる。ストラヴィンスキーが「春の祭典」の冒頭メロディを取材したとvan den ToornやPeter Hillの研究が指摘するAnton Juskiewiczが採譜したフォークソングにも多くの例がある。こうした旋律の扱い、リズムの扱い(特に休符の扱いによる拍節感の揺らぎと変容)など、ボロディンには既にストラヴィンスキーの音楽のルーツが聴こえてくる気がする。今回の演奏会を聴くにあたって、ボロディンの第2シンフォニーと「春の祭典」の楽譜を改めて読んでみて、「春の祭典」のあの複雑なリズムの扱い、休符省略によるメロディの拍節感のヴァリエーションがアヴァンギャルドではなくて、素材に由来する音楽語法の必然なんだと気づいた。

さて肝心の演奏だが、上述のようなことが演奏中ずっと頭をめぐっていて、よい演奏だったことは確かだが、演奏をアナリティカルには聴いていなかった。お恥ずかしい。。印象だけを述べると、弦楽はずっしりくる重量感。今日はコクのあるソロを聴かせてくれた山岸さんのホルンが印象に残る。終楽章のテンポは、主観的だが疑問符。あんなに走っては、タッタータッ、タッ、タッというシンコペーションによる舞踏的な躍動感を十分に活かせないのでは?それから、いつもながら、弦楽の充実に比べて、木管ソロの表現意欲に物足りなさを感じる。要するに、もっと色っぽく聴かせてほしい。奏者の耳元ではたっぷりうたっていても、客席で聴いている私たちにとどく情報ははるかに少ない。例えていえば、俳優の演技に求められるディテールとデフォルメのバランスがテレビと舞台では全然違うのと同様。

ちょっと批判的に書いたが、ラザレフ氏の2回の演奏会、楽しかった。ぜひ来年もよろしくお願いします。

読響第472回定期演奏会2008年6月5日(木)サントリーホール
指揮:アレクサンドル・ラザレフ
◆チャイコフスキー : 幻想曲<テンペスト>
◆チャイコフスキー : 幻想序曲<ロメオとジュリエット>
◆チャイコフスキー : 交響曲第4番

とても楽しい演奏会だった。

演奏曲順とは逆になるが、まずはメインのシンフォニー。猛烈に速いテンポ。正確に計ったわけではないが、おそらく35分強の演奏時間。しかし、決していわゆる「爆演」ではなかった。一昔前の巨匠たちの演奏で耳に慣れた、常套的なアゴーギク(agogik)を用いた感傷的なフレージングの処理なんかはなくて、どちらかというとザッハリヒ(sachlich)に音楽は進むのだが、なぜだか味わいがある。

例えば、第1楽章bar.116 Moderato assai 以降の第2テーマ。嫋々としたところはなくて、淡々と進むのだが、それが却って乾いたペーソスを立ち上がらせる。悲しんでいる人がいて、それを慰めようとしている自分がいて、悲しんでいる人が気を遣ってふっと微笑みをうかべてくれた時のこちらの悲しみのような感じ。ラザレフ氏のような男臭い大人が、悲しいときに大きな体を持て余しながら、ちょっとはにかんで肩をすくめるような感じ。旨い表現が見つからないが、手あかのついたロマンティックな表現ではなくて、淡々とした表情がもっとストレートにこの音楽の素顔を垣間見せる。

bar.134 Ben sostenutoのヴァイオリン三度のメロディとティンパニ H-Fis-H の極端な弱音はちょっとやりすぎ?ここだけが目立って音楽の自然な流れを止める感じがす。メロディが木管に移った後の弦楽トリプルオクターブ重ねのスタッカートの処理は新鮮。ここは、楽譜にスタッカートが書いてあるのにテヌートっぽく流してしまう表現が多い(典型的にはkarajan)が、ラザレフ氏のように愚直に弾かせると、音楽がよく流れる。

コーダは、bar.381 Molto piu mosso、bar.412 Piu mossoの二段ロケットでテンポを速め、猛烈な勢いで楽章を締めくくる。ああ、潔い。

第2楽章も速いテンポで進むが、副旋律を大切にした立体的な音楽づくり。木管のソロはどれも美しく演奏されていたが、欲を言えば、木管トップ諸氏はもっと表現意欲を前面に出してもいいのでは?少し控えめな印象を持った。

フィナーレは、おそらく正確に合奏できる限界のテンポじゃないだろうか。しかし、決して雑に弾き飛ばしているという印象は受けなかった。幕切れは、ともかく圧倒的。お客さんの大歓声。楽員たちのフロアタッピング。いつも背筋を伸ばし、気品あふれる姿で弾いていらっしゃるストバイ3プルトの荒川以津美さんまで、満面の笑顔でドレスから膝頭が弾むくらいのタッピングをしておられた。荒川さん、そういう姿も魅力的ですよ。先日のリサイタルもすばらしかったし。もし見ていらっしゃったら、コメント書いてくださいね。

それにしても、ラザレフ氏恐るべし。この演奏は確かに好き嫌いがあるだろうが、彼のやりたいことを100%実現して、オケを掌中に収めている。曲はロシアものの王道。指揮者はロシアのいかつい大男。あの大きな体で押し出しのいいラザレフ氏が満面の笑顔と陽気な大声で求めれば、読響のように演奏技術が優れていて、しかもresponsiveなオケなら、ここまで本気になるのだろう。この存在感は指揮者の力。

前半の「ロメオとジュリエット」も同じ路線の力演。とても示唆に富む表現が2カ所あった。まず、bar.112 Allegro giustoのメインテーマ、付点リズム直後の2拍目、G7/E# (h-mollのVI7/Eis)上の四分音符を音価いっぱい引っ張り、前のめりで次の八分音符3つの音型に噛みつく弾き方。確かに、執拗と思えるほど粘っこくメロディがつながって印象的だ。そういえば、モンタギュー家とキャピュレット家は、何代にも渡って諍いを続けている。音楽を対象として客観的にとらえたい自分としては、いささか文学的な表現になってしまって不本意なのだが、そんなことを考えた。

それから、いわゆる「愛のテーマ」と呼ばれる、bar.184、コールアングレとヴィオラのメロディが再現部bar.389でチャイコフスキーお得意の弦楽トリプルオクターブ重ねに木管の密集ヴォイシングコードを従えて戻ってくるところ、ラザレフ氏は、bar.396から14小節にわたって続くコントラバス+バスチューバのオルゲルプンクトA音をすごく強調する。このA音、例えばbar.402のC#7など途中の和声進行と不協和になるが、愛のテーマのバス進行に悲劇的結末を暗示・象徴する運命の音として聴いてほしいんだというラザレフ氏の思いなのかなと、またも、文学的想像をしてしまった。ここまでまともに不協和音をぶつけるんだから、何らかの意図は絶対にあるはずだ。

冒頭の弦楽合奏。アポージアトゥーラになったテンションノートのアクセントを強調することで、軋む感じ、ドラマと音楽の構造がよく分かる。すごく深く譜を読んでいらっしゃると思う。最後にチューバ氏、すばらしいです。4月のペトルーシュカからずっと思っていたが、いつも金管の底をしっかりと芯がある音で支えていて、読響の金管セクション右半分が分厚くなった感じ。最近入団されたようで、まだ名簿にお名前がないが、立派な演奏に常々感心している。

総括。ものすごく存在感があるマエストロ。毎回こんなのを聴かされると重くて大変だが、1年に一度は聴きたい。幸い、来シーズン、ラザレフ氏は日本フィルハーモニー交響楽団のシェフに就任され、東京にいらっしゃる機会が多くなる。マエストロ、楽しみにしています。

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