|
綾城を後にして、今日は、高岡城 佐土原城 高城 高鍋城 延岡城 そして熊本に帰着予定。
最初の高岡城 模擬天守なるものがあったが、天守の石垣がコンクリートに石垣模様を作ったもの、一寸がっかり、大手門は、立派な石垣なのに・・・
遠方より見る分には、これなりに、立派な眺めで、市民の憩いになっているのだろう。
次に、佐土原城を訪ねる。入り口と思しき所に歴史資料館が再興されていた。城址は、管理事務所の所員の方の話で、一部、石垣が残っていると聞き、本丸跡に登る。
城址は、かなり荒れていて、石垣とおぼしきものが、有ったが、このまま放置していたら、近い将来、なくなってしまうのではと懸念された。
次に、高城 友人の地元とのことで、問題なく本丸跡にたどり着いたが、中々わかりにくく、多分、お城を目の前にして、何処から登るのだろうかと、迷われる人が多い友人の話。
本丸跡には、模擬時計台があり、たまたま高校生の遠足とかで、ちょうど昼食の時間だった。驚いたことには、私たちに、全員があちこちより”こんちは!!” と元気よく挨拶され、ほのぼのとした気分になる。学校の教育なのだろうか、家庭での躾なのだろうか、道々友人と感心しながら、友人は熊本なのだが、既に、このような純朴さが失われているといっていました。気持ちの高ぶりを懐に仕舞い出発、
次は、友人が子供時代に過ごした「高鍋城」 島津氏の部下を地頭としておき、幕府の許可の下大修築を行ったので、寺域は広く、明治初年に、舞鶴公園となって開放された。遺構としては、堀、石垣のみであったが、本丸、二の丸、その他整備が良くされていて、公園と言うより、市民散策の場として、親しまれているように感じた。
次は最終の、延岡城 慶長19年、有馬直純が5万3千石にて入封し、三層の天守、始め本丸の修復をなし他が、天和三年 火災のため焼失、以後再興されることなく、現在に至る。
石垣に、一工夫あり、もし攻め込まれた時、石垣の基部を外し、石垣を雪崩状にして、敵を攻める仕掛けとなっていると伝えられている。
薬医門と思しき門より入城、二の丸を経て 石垣の美しさに見とれながら,本丸跡にいたる。
たまたま、観光ポスターの写真を撮りに来たという人に会い、その美しい石垣を、色々な角度より写真に撮られていた。
|