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紅葉と桜
桜は春に咲く物と思っていたが、秋に咲く桜が有ったとは知らなかった。
自己確立もそう言う事だと言えます。
自己とは何であるのかを知らずに生きて来たが、又知る必要も無かった訳ですが、人間は問題を抱えて四苦八苦、その苦しみから逃れたい、神様助けて下さい。
救いを求める心に神の教えが説かれる事に成り、生きる訳を知り、新たな道、信心の道が開かれて、元の生活が出来るように成る。
今まで知らなかった事を知る事によって新たな展開が生まれて来る。
秋に桜が咲く所が有ったとは知らなかった。
自分は何故何の為に生まれて存在しているのかを知らなかった。
その現実を知らずに生きているから、様々な問題にぶつかる事に成る。
問題を一つづつクリアーしながら、人生体験を積み重ねて、最終的に自己確立に収まった。
この世の道理を知る事によって問題意識が消えた。
春に成れば花を咲かせ、秋に成れば散れば良いと花はみんな知っている。
自分もその運命を知れば、この世の道理に沿ってありのままの自分として生きられるように成る。
自然の道理に勝る哲学は無いだろう。
カメさんは無我に成れとか、人と人間は違うとか、自己を確立するとか、訳の分からない事を言っているが、そんな事関係ない、オッパッピー 人にとってはそれぞれの人生がある訳ですが、知らなかったことを知れば感動も生まれます。
人それぞれ問題が無ければ、解く必要は何も無い。
問題が有れば、解けば答えが出る。
答えを出す為には、方程式が必要に成る。
と言うのが話の筋道、その道理が物に有る事を知った。
自分の体は創造された物だと脳に認識させる事によって、物の道理に適う生き方を知る事が出来る。
問題が有れば、解いて答えを出せば良い。
答えが出れば、精神が行き詰って苦しむ事は無くなる。
答えを知らないから、苦に成る訳で、救われたければ答えを出せば神に救いを求める必要はなくなる。
子供の頃、自分の事は自分でしなさい。と親から叱られたものだ。
自己確立してからは、宗教も卒業できたし、神に救いを求める事も無くなったし、自分で運転してドライブを楽しむように、人間と言う動物を自らの意志で生かして楽しく仕事が出来るように成り、毎日満足な人生と成った。
先ず自分が完全復帰しなければ、種から芽は出ない事を知っている。
花が咲き切って散らないと種は出来ないのだ。
それが思想と成って集団化してしまうと、自分と言う個が無くなってしまう。
自己確立は、集団ではなくて、個の確立なんだ。
世界の問題は、人それぞれが一個の人、一人の人間として自立心が養われる事に成る。
個々の細胞が細胞としての働きを確立しないと、人間小宇宙は成立しない。
個々の歯車、部品が確立されていないと、一台の車体は完成しない。
自己の存在とは何か、物の道理を知ればその答えが出る事を知った。
精神論では、答えは出ない事も知った。
何処までね姿形の無い〇の世界が精神世界、その〇に意味や価値をつけて生きる糧にしてしまった思想家、
信者がいなくなる事を、会員がいなくなる事を恐れているのではないか。
ブログに誰もいなくなってもカメさんは心配しない。
それが個の確立なんだ。\(^o^)/
どうして苦しんでいたのだろうか。
それは秋に桜が咲く事を知らなかった、それだけの事だった。
カメさんでした。まる
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カメさんの寝言
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ノハラアザミ(野原薊)
![]() 今年もあと二か月でお正月、一年も過ぎて観れば早いモノ、人生もそう言うものですね。
70年過ぎちゃいました。
残る人生、如何に生きるかなんて考えても、生かされる身であるから、成り行き任せ、ケセラセラ成るようになるさ。
人生は成るように成ってい。
成らないようには成っていない。
物事が成立すのが道理なんだ。
そこには正しき筋道が有る。
だから物は皆定まっているんだ。
混迷する社会で正しく社会生活が出来なくなって自殺者が増えて来ます。
己の生きる道が観えなくなってしまって、お先真っ暗な人生道、道理を悟れば正しき筋道が観えて来る。
心には定められた道は無いから、心ばかりを大切に生きていると、肉体を正しく生かす道理が分からなくなる。
宗教が思想と成って人に恐怖心を植え付けて組織拡大に走る筋道が道理の世界には無い事が分かった。
困っている人を救済する事が正しき筋道だなんて道理は無い。
困っている人を救うとは、その人に正しく生きる道を教えてあげる事なんだ。
道が分からないから、道に迷い混迷している。
それは病でも病気でもない。
肉体は健康であっても、道に迷い苦しみ教えを信じて救済が真実だなんて洗脳されてしまう。
血圧が200に成った、糖尿病になって、医者の診察を受けて薬を貰って、食事療法もして、2年ほどで正常な体に成った。
CT検査でも異常は観られないと言われた。
胃腸の調子が良くなり、排便も調子よくなった。
病は気からと言われますが、訳が分からずに生きていれば、気苦労から病気に成る。
体調が狂ってしまう。
事故確立して、肉体を物と認識すれば、創造された物としての生きる訳が分かるので、健康に害する食や行いがしなくなりますから、当然体調が良くなるのは道理です。
タバコは害しますと言われても、なかなか止めれない人が沢山います。
又麻薬に手を出す人もいます。
世の中からそうした問題はなかなか無くなりません。
社会生活もまた混迷して、問題が蓄積していきます。
少子高齢化で社会システムが狂ってしまう。
結婚しない、子供が生まれない、離婚者が増えてシングルマザー、みんな道理が狂ってしまった世の中です。
年頃に成れば結婚するモノなんだ。それが道理なんだ。
結婚して家庭を築き家族仲良く幸せに生きるのが道理なんだ。
先祖や両親がそう言う筋道を生きて来たから、今自分がこの世に存在する事に成る。
両親が離婚して子供が生まれない世の中に成ると、今度生まれ変わる筋道が閉ざされる事に成る。
両親が結婚しない人で有ったら、今自分はこの世に存在しない事に成る。
道理に適う信心をして、自己を確立して神と成れば、道理は適えられるんだ。
カメさんでした。まる
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![]() 自己確立すると、生き方が定められる。
その姿は道理に適う事に成る。
生き方が道理に適っていなければ、その姿は定まり無いモノと成る。
物には道理が有る。
物はみんな定まっている。
例えばハリケーンで大変な被害が出た、アメリカの姿が定まり無い姿に成り、そこに今までは街の姿が定められていたものが変貌してしまった。
3.11の大震災も津波でみんな流された定まり無い姿に成ってしまった。
毎日何も変わらずに定まっている日常の姿で生活している私達、個人的にもその生き方が定まっていれば安泰。
あの人、又会社を辞めたの、一つの会社で働く事が出来ないで、再々職を変わる人の姿は定まり無いモノに成る。
物には道理が有る。
物は形作られて定められている。
定まり無いのが人の心。
人それぞれ、人間として、或いは社会人として、或いは会社員として、その心が定まれば信用も信頼も受ける事に成るが、定まらないのが人の心。
その心が自己確立で定められた。
どのようにして定められたか。
肉体を物と認識する事で、物の道理が分かりその姿はその場所に定まった。
定まり無い心に執着しなくなった。
鋸の目立て機が、常に同じ場所に定められています。
その機械に心が有るとしたら、足が有るとしたら、その機械はうろうろうろついて定まり無い姿に成るでしょう。
物として道理に適う生き方とは、生きる姿が定まる事に成る。
自分の生き方を定めるには、自分が何であるかを知る必要が有る。
自分は物では無いから、その心には道理が無いから、自由で定まらない。
心が定まらず、何時も道をさ迷い精神苦が絶えない。
神様この苦しみを救って下さい。
溺れる者、藁をもつかむ。
無神論者も精神が行き詰ると、神の話を信じる人もいる。
人間は神様に生かされているんだ。
生かされるがままに生きて、その姿は定まった。
道理に適って、生かされて生きる喜びを感じるようになった。
信心すれば誰でも神に成れると言う教えが有る。
人間が生きる姿は、生かされている姿であるが、人はそれぞれその姿は定まらない。
神に成れば、人間を生かす立場に立つ事が出来る。
自己を確立して、無我と成り、人間と言う動物を生かす立場に立つ事が出来た。
車体を生かす運転手のように、肉体を生かす人に成った。
交通社会で生きるには、その道の道理に従わないと生きられない。
人間社会で生きるには、その道の道理に従わないと生きられない。
自動車は運転手に生かされて生きている。
自動車の立場で言えば、生かされるがままに走り続ければ良い訳です。
自動車が信心して運転手に成った。
生かされて生きていた自動車が、自分で生きられるようになった。
それは物の道理に従う事を知ったからだ。
人はそれぞれであるが、人が生きる姿は人間なんだ。
人間が生きる姿は、人に生かされている姿なんだ。
それぞれの人が人間として生きる道理を極めれば、それぞれの人は人間の運転手と成ってその肉体を正しく生かす事が出来るように成る。
肉体は創造された物なんだ。
神は創造主なんだ。
その主が自分なんだ。
肉体は御主人様の奴隷なんだ。
神は物が無いとこの世で生きる事が出来ない。
人は物が無いと、この世で生きる事が出来ない。
運転手は、物が無いと交通社会で生きる事が出来ない。
物があっても、道が無いと進む事が出来ない。
道があっても足が無いと歩けない。
何故人間に二本の足がついているのか。
何故車に四つのタイヤが付いているのか。
そこには訳がある。
その訳を知れば、人は正しく生きられる。
物として物の道理に適う生き方を見つけた自己確立論、そこから人は再出発する。
カメさんでした。まる
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![]() 自己確立も人それぞれ、その中身は違うようで、やはりカメさんはカメさんの自己確立として発して行く事に成ります。
アイディアを得意とするカメさんの自己確立、新たな発想として生まれたのが、物としての生き方を発見したという事です。
求道の旅ん出たが、自分は何処にもいなかった。
又肉体を調べてみても、自分は肉体の部品として観る事が出来ない。
自分は肉体では無くて、精神なんだ。
精神的なモノは人間には観て確認する事は出来ない。
人間には確認できないモノを「無」と認識した。
無我の心境が悟りとして語られていますが、無我と成ってその心を伝えたくて内部情報として発していますが、考えて観れば、無我を表す言葉は無い訳で、何も無いモノをどうやって言い表せば良いのか、道理にはその筋道は無いという事に成る。
あくまでもそれは個人の思いでしかなく、人間の世界には何の意味も価値も見いだせない人の思い、その思いは空虚という事に成るのか。
しかし肉体はそう言う存在ではない。
肉体にはプロセスが有る。
因果がある。
原因があり、目的があり、結果が有る。
肉体が無いと、自分はこの世で人間として生きる事が出来ない。
心重視の哲学が、肉体重視の哲学に変化してきた。
肉体は万能で、ロボットや機械だと発しても先ず受け入れてはくれないでしょう。
人は物では無いから、当然の事です。
物としての生き方は、自分がその心で生きて試してみるしかない。
物達はみんな黙って定まり続けている。
役に立たない物は処分される。
役に立たない社員は解雇される。
役に立つ物として、職場で仕事をする機械やロボットのような姿に成ろう。
自分は物では無いが、自分の姿は物なんだ。
車体を生かす運転手のように、肉体を生かす主と成り、今この肉体はどういう状況下に存在しているのか、客観的に観ると、職場で働いている姿を思い浮かべる事に成る。
他の人の姿を観て、真面目に働いている人の姿と、不真面目な人の姿が分かる。
観れば分かるが、自分の生きる姿を観る事が出来ないから、自分がどのように観られているか。
気持ちを定める。
どう言う気持ちで生きるか、仕事するか。
役に立つ人として生きる。
それは自分の肉体を正しく働かせる事なんだ。
物のように、その姿は定まり有る姿に成れば、物として物の道理に適う生き方が実現する。
人はそれぞれ、人の心には物事のように決められた筋道は無い。
人は皆自由、自分勝手に生きる事も出来る。
しかし体には物の道理が有るから、肉体と共に生きる人間としては。自分勝手に生きる事は、社会では許されない。
共に生きるシステムが完備されているのが社会なんだ。
見通しの良い交差点で、信号が無いと安全確認してわたる事が出来るが、信号機が有れば、その信号機に従わなければ違法と成り罰せられます。
何も無いから信号無視でもよいではないかという事には成らない。
社会では約束事が有る。
みんなそれを守って共に安全に生きている。
そうした当たり前の事が、無視されているから、道理としては適わない。
人はそれぞれで有るが、人の体には道理が有るから、人は道理に従わなければ、この世で正しく生きられないのだ。
生き方が間違っていれば、道理は通らなくなり問題が発生する。
心が問われる世の中で、物としての道理を説くカメさんの日記と相成りました。
生きて試して得た答えです。
答えが正解で有ったので、毎日役に立つ物として働いています。
カメさんでした。まる
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![]() 毎朝、五時半ごろ目が覚める。
起床は6時、7時までパソコンの前に座って、思い描くのが一つの日課に成ってしまった。
目が覚めると、いろいろ言葉が思い浮かんで来るので、書かずにいられなくなる。
記憶された知識ではなくて、自然に浮かんで来る言葉は物の道理、話の筋道が通ればそれを書く事が出来る。
その心境をそのまま書いても人間には理解できないので、言葉を選びながら一つのシナリオを書き上げる努力を続けています。
その努力が自己確立から始まった。
もう30年以上に成るだろうか。
そうした努力も御覧のような姿のブログです。
何の為に努力して来たのか、時々そんな思いに成る事もありますが、朝目が覚めると書きたくなるのでパソコンに向かってしまう。
自己確立は、自分とは何か、その答えが確立される事であり、自分が何かを知れば、それで生き方が定められてくることを体験しています。
34年ほどの人生は工場長としての仕事でした。
毎日の仕事が途切れないように、休みなく働いて従業員の生活を守って来た。
しかし紆余曲折の人生、最後は決裂と言う形に成って退職し、その後その会社は破たんしてしまった。
思い通りにいかないのが人生、自己は確立されていても、思い通りにはいかない。
書き続けている内に、物の道理に適う生き方が実現してきた。
定年過ぎて、本物の自己確立が実現して来た感じを受ける今日この頃、毎日が実に楽しく仕事が出来て信頼を受けて生き甲斐を感じられるようになった。
時すでに遅し、棺桶に片足を突っ込んでいるよ。
自分の人生って何だったのか、自分とは何か、その自分をどう見るか、なんていろいろ思い悩んでも何も解決しない。
ただ毎日生きて来た道がそこにあった。
道を生きる人に成った。
毎日どんな道を生きているかは、誰でも分かる話。
当たり前と言う言葉が当てはまる毎日生きている道がある。
人間は生かされて生きているんだ。
自分は人間を生かしている生き物なんだ。
肉体を正しく生かすとは、正しく働かせて役に立つ物としての存在が自分の生きる姿なんだ。
創造された物として肉体を捉えて、働く物、仕事する物、それが機械であり、その機械と同じように存在して働けば道理は適えられる。
働く物の喜びを感じられる筋道が現れた。
マイカーの運転手のように、自分の肉体を正しく生かす立場に立つ、肉体を創造された物と認識する事によって、物の道理に適う生き方が実現した。
心が消えて無我と成り、肉体は消えずに物と成った。
物としての生き方が実現して、筋道がはっきり確認できる人生道と成った。
心が一番と言う常識が塗り替えられた。
物が無ければ生きられないのが人間なんだ。
だから物としての生き方を悟れば、人間は毎日生き甲斐を感じられるように成る。
死体には命が無い。
死体には心が無い。
死体には自分はいない。
死体に意識が戻れば、体は生き返り起き上がり動き出す。
車体の運転手のように、運転手が降りれば、車体は死体のように動かなくなる。
そう言う物の道理に適う人生道が定年過ぎてから開かれた。
その内部情報を発信しなければ、人間の世界の問題は解決しないんだと言う使命感が消えない。
信じなければ成り立たない心の話では、人は癒されても人間の世界の問題を解く方程式は生まれない。
道理が無ければ問題は解けないんだ。
姿無き心の世界には、物の道理と言う筋道は無いと知る。
ペットに癒されなければ生きられない人に成ってしまっては、人間がますますダメに成る。
カメさんでした。まる
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