ここから本文です
湘南陽光旬!?景色&花木とオールドウォッチの写真館
神さま仏様方の御守りが皆様方に注ぎ続けられますように・・・。

書庫全体表示

記事検索
検索

全24ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

さて、岩手石橋から盛街道をへて山越え、世田米街道へ入り遠野へとたどり着いたときにはすでに14時を回ってまして、眠気も射してきたので道の駅「遠野風の丘」でウトウトしてしまいましたら早16時!。

ありゃー、何処も見ないうちに出ちゃうのもなんなんで、美味しそうな処だけピンポイントで見に行きました。

というのも、遠野はもう何度も通過している街で、いつも国道をバイパスで抜けてしまうので、え〜これが民話の里??っていうくらい、新しい町並みでな〜んだ、もう昔の風情なんてこれっぽっちも無いじゃん!、と言う感覚しかなかったものですから。

ですが、それはあくまでもバイパスの両側だけで、一本、街区を入るとこんな景色↓が広がっていたのでした〜。ああ、ちゃんと調べて行くべきだったと。今度は通るときは、しっかり調べておきますです。

2018/06/01撮影 遠野市 荒神神社
イメージ 1

ど〜です!、このなんとも言えないこの景色。これぞ「遠野物語」に出てくる景色ですよね!!。どこか一つ行くとしたら、もう、ここしか無いとピンポイントでピックアップしたんですが、一発大当たりでした!。荒神様(権現様)をお奉りしたお社とのことで、ものすご〜く親しみがわいたのも理由の一つですがね。いゃ〜、ホント素敵なお社ですわ〜。

〃 カッパ淵
イメージ 2

こちらは遠野と言えば、まず必ず一番で取り上げられるカッパ淵です。荒神社のあと、もう一カ所くらい日が暮れる前に行けそうだったので、焦って行ってみました。

ただ、常堅寺※火事になったお寺の火を消しにカッパが手助けした、というあのお寺さんです、さんの拝観時間が終了してましたので、カッパ淵までショートカットできる通路が使えずにお寺の外をぐるっと回って歩きました。お寺の拝観時間外はこの迂回ルートでカッパ淵へ行くのだそうですが、反対側からも川沿いに歩けばたどり着けるようです※お寺様側から行くときは、お寺様の墓地を通りますので、お墓に眠ってらっしゃる方々に、できる限り丁寧に「ご挨拶」しつつ通らせて頂いた方が良いと思います。

この淵、識子さんによるとなんとな〜く、何ともちょっと不思議な空間だ、と書かれていましたので、未だ明るいには明るかったんですが、写真のように日も暮れてきましたし、小生、ちょっとビビりまして、写真一枚撮影して退散しましたです。

そのあとは、朝から走り詰めでして、どうにも疲れましたので遠野で、本当に唯一!!の温泉の踊鹿温泉※ラドン温泉です。を見つけまして、ひとっ風呂浴びてもうグダーっとなりまして・・・。

この温泉、ラドン温泉ですが鉄分豊富でお湯はまっ茶で、なかなかの浸かり心地です。ですが、体裁は完全に地元の昔ながらの公衆浴場=銭湯ですので、慣れない方にはちょっと敷居が高いかもです。

それで、折角遠野に来たんで名物でも食しておこうと思いまして、何時の頃からか遠野は「遠野ジンギスカン」が名物らしく、食そうと思ったのですが何せ緊縮予算旅ですので、専門店に入るには気が引けて「宝介遠野店」というラーメン屋に「ジンギスカン丼始めました!」の看板が出てまして、こちらに入りました。

実はここへ来る前に道の駅で小休止時に小腹が減ったのを幸いに、地元仕様のおにぎり※炊き込みご飯!、2個とバカ旨甘なんですが、超バカっ辛い「甘い南蛮みそ」※地元の主婦の方製、を買って、ヒーハー言いながら、つけ食いしておりまして、お腹自体は減ってなかったんですが、名物は食したいとの欲求から味噌ラーメンと餃子のセットにジンギスカン丼、完食しました。なかなかのもんでしたよ、この味。それに餃子もとっても旨し旨しです!!。

このお店、トッピングのニラとキムチにご飯まで、セットだと食べ放題とのことでガッツリ派にはベストチョイスかも知れません。ただ、後で調べましたら、このお店、結構なチェーン店だそうです。チェーン的には「ニラ南蛮ラーメン」が一押しとのことです。ただ、各店各様の押しがあるようで、この遠野店はその中でもレベルが高いとのことでした。

2018/06/02撮影 花巻紫波 早池峰神社楼門
イメージ 3

1日の日は遠野でひとっ風呂浴びた後は、前述の通り、食事をしてそのまま釜石街道を走り、宮守ICから釜石道/東北道下りへと入って紫波SAで車中泊。翌朝、早朝に紫波ICから早池峰神社へ向けて走りました。

途中の県道25号はかなりの山道で識子さんが遠野側から走られて体験された通りの道でしたが、まあまあ、良いワインディングランで踏破できました。で、現地に到着したのですがナビはココ!と示してくれているのですが、それらしい建物が目に入りません。駐車場の脇に早池峰神社入り口、と小さな案内板が目にとまりまして、そこを入っていくとこの↑楼門がありました。

元は神仏習合のお寺様だったと言うことで、識子さんが仰っているようにお寺様の境内感です。この門の門内右手に授与所がありまして、御札やら御守りやらご祈祷の受付やらがなされるようですが、この時間はまだ無人で締まっていました。

で、門を潜りお社の由来を目にしまして、二度ビックリ。なんと、早池峰神社のご祭神はあの姫大辰気泙任△蕕譴襦∪タツ塗韻気沺△世辰燭里任后これにはホント、ビックリしましたし、とても嬉しくなりましてお引き合わせ頂いたことに心底感謝致しました。

〃 阿形狛犬さま
イメージ 4

拝殿下の階段脇を守って居られる一対の狛犬様のうちの阿形様です。よく見ると胸のあたりに子狛犬さまを抱えて居られるのがわかります。吽形さまの奥様でしょうかね。何となく、女性的なお叱りの表情にも見えます。怖そうです・・・。

〃 吽形狛犬さま
イメージ 5

威厳のあるお姿で写っています。筋骨隆々でこちらは間違いなく、旦那さま狛犬でしょう。ただ、表情から何となく「母ちゃん、怖いのよ〜」みたいな感じが受け取れます。

〃 下境内と拝殿、摂社末社
イメージ 6

境内は大きな杉や山の木々が点在していますが、その樹間から朝日が降り注いで来て、清浄で清々しく明るい、とても気持ちの良い空間でした。まずは拝殿で祝詞を上げさせて頂きまして・・・。

〃 白龍社とご神水せせらぎ
イメージ 7

こちらでも祝詞を上げさせて頂きまして、識子さんのご著書にありました、ご神水のせせらぎで、おまじないをさせて頂きました。ちなみに「白龍社」とありますが、こちらのせせらぎを守っていらっしゃる眷属さまは、大変力の強い大白蛇さまとのことです。

せせらぎの水は実に清く美しく、蕩々と流れていて流れの中に足置きの石が置かれていましたので、小生は濡れるのも厭わず、そこへ降りて流れの飛沫を浴びつつ、おまじないをさせて頂きました。

瀬を織る、とのお名前の通り瀬織津姫さまがお奉りなされておられるお社は諏訪の浮島社さまや箱根の深沢銭洗弁天社さまのように、清冽な水の流れが必ずございます。
あらゆる災いを綺麗に流し去って頂ける神様でございますし、何より識子さま曰く、山岳系神様であられますので、どんなお願いを致しても良いそうです。

おまじないの内容は識子さまのご著書「神様が教えてくれた金運の話」に詳しく記されて居られますので、お読み頂けますと有り難く存じます。

〃 お堂
イメージ 8

このような日差しが差し込む空間を体感させて頂けまして、とても有り難く、心と体を充分に癒やして頂きました。有り難いことです。お社は鄙びてはいますが、とても親しみやすい、それでいてとても懐かしくて暖かく包み込んで頂けるような、心地よい空間でございますので、心が疲れているときなどは、お詣りなされると、とても気持ちが上向くのではと感じました!!。

本当は自宅の神棚にお社を準備して御札を頂戴してお奉り致したくも思うのですが、すでに鶴ヶ岡八幡宮さまから毎年、祓い、を頂いてお奉り致してありますし、諏訪の浮島社さまでも瀬織津姫さまには良くして頂いておりますので、考え中です。ただ、年一回は必ず岩手へ帰りますので、この時に御札を頂戴出来ればお奉りは可能なんですが。

〃 早池峰神社駐車場脇の森に咲く初夏の花
イメージ 9

この時期、早池峰の里は初夏の花々が咲き出しておりまして、そのほとんどが白い花々です。瀬織津姫さまの清廉さを現しているようで、陽の光が当たると白さが際立ってきます。

〃 
イメージ 10
※花の名前がわかりません。実に優雅で美しい花です!。

〃 花巻市大迫 県道43号線沿い
イメージ 11
※山藤でしょうか。実に繊細で華やかな花弁です。

県道25号も県道43号供用区間になりますと良い道になりまして走りやすくなります。距離的には紫波から入った方が近いようですが、件の25号は前述の通り相当のワインディングですので、ドライブがてらお詣りなさるのならば、紫波でも無く、遠野からでも無く、大迫から入られるのが宜しいかと思います。

ちなみに早池峰神社はこの花巻のお社と遠野、そして川井村に二社あるそうです。どちらのお社も4本ある登山道入口におわしますようで、識子さんによりますと遠野のお社でも神様は来て頂けるそうですから、遠野のお社にもお伺いしてみたい気もします。ちなみにおまじないは、ここ、花巻のお社です。

この記事に

開くトラックバック(0)

何となく気落ちした感覚で気仙沼の街を出て、次に向かったのは大船渡三陸でした。ここで、この旅二つ目のお目当て、「ど根性ポプラ」に会いに行くためです。

この「ど根性ポプラ」、高田の「奇跡の一本松」の影に隠れ気味ですが、あの大津波に幹半分以上、何度も繰り返し飲まれても、しっかり立ったまま踏ん張り通して、しかも枯れてしまった「一本松」とは違い、実に活き活きと今でも幹枝葉を茂らせ伸ばし続けているのです。

2018/06/01撮影 大船渡市三陸 泊の「ど根性ポプラ」と・・・。
イメージ 2

明治の三陸大津波後に植えられたあと、その後、昭和三陸大津波、チリ地震津波、そして東日本大震災津波と3回も大津波にのまれた経歴を持っています。樹齢はたかだか80年くらいですが、ただ、あの樹勢を見ると、いやいや、そんな、そんじょそこらのシロモノにはとても見えない、元気いっぱいのポプラです。

〃 三陸旧街場跡のど根性ポプラ広場と完成した新大防潮堤
イメージ 1

丘上のお社から眺めた三陸の旧街場跡と完成した新大防潮堤です。真ん中右よりにある緑濃い一本が「ど根性ポプラ」です。この幹の真ん中上まで大津波の波高はあったそうです。

〃 大防潮堤水門とシロツメクサ群落
イメージ 8


今見ても、あたりは根こそぎ流されてしまったのに、良くこの木だけ残ったものだと。これはただ、この木が幸運だった、と言うだけの理由では無いような・・・。と言うことは、やはり、この木々↓が見守っていてアシストしたからでは、ないのでしょうかね。

〃 三陸八幡神社、三陸大王杉と千年杉
イメージ 3

左の三陸大王杉は樹齢7000〜1500年と幅は広いですが、ポプラとは月とすっぽん、仙人と幼児くらいの年齢差、右の千年杉も樹齢千年ですから、もう、両木ともご神木/ご霊木の域を超えた、木自体が神様クラスの木々に見守られていたからでしょうかね。

「オイオイ、お若いの、そのくらいの波で枯れて流されてしまうんでは、この土地※三陸、の人の子の信頼は勝ち取れないぞ、二度乗り切ったのだから、三度目の波も乗り切ってみよ!」と丘の上の背後から励まされ続けていたんではないのでしょうか。

〃 三陸大王杉
イメージ 4

お社の脇にドーンとおわす大王杉です。お社には八幡様がお奉りなされておるようですが、どうもこの大王杉をお奉りなされているような感じです。

イメージ 5

この幹周りと姿を目の当たりにすると、もう、圧倒されるのなんの。大迫力です。これは樹齢1500年なんて物ではなく、少なくとも2000〜3000年くらいは軽くあるような感じです。

屋久島の縄文杉が日本では著名な超古代木ですが、ここ、三陸にもこんな古代木が未だに生を営んでいるんです。

〃 千年杉
イメージ 6

こちらの千年杉がいかにも若々しく見えてしまいます。あの大王杉に比べれば。でも、このお社のある丘の木々は皆、青々と葉を茂らせていて、なんとも活き活きとしていて、木々の生命力に溢れています。大王杉と千年杉のオーラがこのお山を包み込んでいるからでしょうか。

もう樹下に立っているだけで、樹齢の何十分の1かのエキスを頂けそうで、事実、小生も元気をここで取り戻せた気がしました。

この場所がなぜ、もっとメジャーにならないのか不思議でなりません。それほど、この三陸大王杉/千年杉、そして若手!?の「ど根性ポプラ」がトリプルでその生命力を空間に漲らせている土地です。これほどのパワースポットはそうそう無いと思います。ああ、なんと、モッタイナイです!!。

〃 大王杉/千年杉、縄文モニュメント
イメージ 7

この記事に

開くトラックバック(0)

所用がありまして、岩手花巻と一戸へ出張って参りました。

合間合間に「鉄」と「神仏巡り」と「その後の震災遺構」を時間の許す限り回って参りましたのでご報告致します。

東北道を一ノ関ICで降り、JRドラゴンレール沿いに国道を気仙沼へ出、陸前高田、さらに盛を経て大船渡三陸まで海沿いを走り、山中を遠野までショートカットして花巻紫波SAで一泊。

翌日は花巻での所要までの間、午前中早い時間に早池峰神社さまへ参拝したのち、花巻で親族と合流、用事を済ませてから一戸へ移動。

翌々日は、なんやかやと一戸での所要を済ませて、帰り道で御堂観音さまへお詣りして帰京しました。

本日掲載の一回目はあれから7年、気仙沼の復興なった「角屋店舗」さんのお姿と陸前高田の「奇跡の一本松」をご紹介します。

まずは気仙沼駅へ寄ってみました。

2018/06/01 JR大船渡線気仙沼駅
イメージ 13

BRTが整備されたこともあり、駅舎はそのまま改装されて使用継続されているようですが、正面にファサードが新設されていました。屋根に直接描かれた屋根上アートもそのまま残っていましたが、少し見えずらくなっています。

2012/08/18撮影 〃
イメージ 14

2012年の写真↑では改札脇のホームに列車が入っていますが、このホームと中線を挟んだ島ホームは駅舎側線路が舗装されてBRT用の道路となっていて、島ホーム山側に発着する列車からホーム越しに直接、BRTに乗り換えが出来るようになっています。

気仙沼駅というと下の写真のとんがり屋根がイメージ深く、昔ながらの鉄道の駅らしいたたずまいでしたから、現在の姿はちょっとねぇ。結局、写真1枚撮っただけで退散。港の方へと下ってみました。2012年に撮影した光景が6年経ってどう変わったか見たかったからです。

2018/06/01撮影 気仙沼魚町 
 骨組みだけの全半壊状態から再建なった角屋さん店舗
イメージ 1

2012/08/18撮影 〃 
 津波で1/2階が全壊、3階だけが残った当時の男山本店さん
イメージ 2

目指したのはこの男山本店さん↑、そして、前回うまく撮影出来なかった「港町ブルース」のモニュメントと大島連絡船をもう一度撮影したかったからです。

でも、それは叶いませんでした。この写真の交差点から港側は工事中で立ち入り禁止となっていたからです。一見したところ「港町ブルース」のモニュメントも撤去されてしまったようでした。

2012/08/18撮影 〃
 津波で破損したままの当時の「港町ブルース」のモニュメント 
イメージ 11

仕方なく、街路一つ隔てた区画に写真の角屋さんが古いたたずまいを取り戻して再建されて居られましたので、撮影させて頂きました。後で調べましたら、どうも男山本店さんの、あの残った3階部分はそのままの姿で補強保存されているようです。元は味のある昭和のモダン建築でしたので、ひょっとして再建されていればなぁと思っていましたので残念です。

気仙沼の街は焼け野原となった埠頭に最新の超巨大な魚市場が完成間近であったり、街場では嵩上げ工事が粛々となされ続けていたりしておりまして、未だ復興半ばと言ったところです。

今回、車中から大島汽船フェリーが出ていくところを見かけて、フェリーターミナルのある港周辺は、もうすっかり再整備されて、昔の活気を取り戻しているものとばかり思い込んでいた小生には、2012年に訪れた時とさして変わらないように見えた港街路の工事風景に、ちょっと複雑な思いを抱いたのも事実です。

2012/08/18撮影 〃 当時のフェリーターミナル街区と汽船
イメージ 12

関係者の方々には大変失礼な思いかも知れませんが、オリンピックなど来なければ、もっと早く昔の気仙沼を取り戻せていたかもしれないのに・・、と思ってしまうのは小生だけでしょうかねぇ。こんな思いを抱きつつ、何となくUターンして街場には戻れなくなってしまって、そのまま車を進めて気仙沼の街を出てしまいました。

45号浜街道を北上して30分弱で広田湾に面した陸前高田の街へ到着します。そして最初に目に入ってくる震災遺構がこの気仙中学校校舎です↓。もう何度も遠くに見える「奇跡の一本松」とのツーショットを撮影してきましたが、いつ見ても痛々しい校舎跡のその姿には胸に迫るものがあります。

2018/06/01撮影 震災遺構、元、気仙中学校校舎と奇跡の一本松モニュメント
イメージ 3

今までずっと至近で「奇跡の一本松」を眺めたことが無かったので、今回は駐車場に車を駐めて眺めに行って参りました。

2018/06/01撮影 
 「奇跡の一本松」モニュメントと震災遺構、元、陸前高田ユースホステル
イメージ 4

駐車場からはグルッと回り込んで結構な距離を歩いて行きます。通路は整備がなされてはいるものの、いかにも仮ごしらえ的で、更にウィークデーで、小雨交じりでしたので寂しい限り。もう少ししっかりと整備されれば良いのでしょうに、まるで、新興の埋め立て地のような景色でちょっと興ざめです。

2018/06/01撮影 「奇跡の一本松」モニュメントと復興工事に従事するダンプ
イメージ 5

ここでちょっと勉強させて頂きました。実は小生、高田の松原の7万本の松の中で奇跡的に最期に残った一本なので「奇跡の一本松」なのだ、と思っていましたら、実は元々、この松は「一本松」と呼ばれていて、松原の中で一際目立つ松、なので「一本松」なのだそうです。それで、その一本松が「奇跡的に残った」ので「奇跡の一本松」と呼ばれるようになったのだそうです。

写真を見て頂くとわかると思いますが、復興工事のダンプと比較するとこの松が如何に背高のっぽのヒョロ松、だと言うことがよくわかると思います。

2018/06/01撮影 「ひょろ松さん」モザイク
イメージ 6

やなせたかしさんが震災後、この「奇跡の一本松」をモチーフにして作曲したのが「陸前高田の松の木」、〈ぼくらは生きる 負けずに生きる 生きていくんだ オー オー オー〉と言う歌詞だそうで、それをイメージして作画されたのがこのモザイク画だそうです。

2018/06/01撮影 高田の松原7万本の松の木の証し、根っこ
イメージ 7

「奇跡の一本松」の背景には完成間近の大防潮堤、さらに震災遺構のユースの建物ばかりが目に入るだけの、なんとも殺風景な景色ですがふと、フェンス越しに防潮堤内側の荒れ地を見ると、ここにかつて存在した7万本の高田の松原の痕跡が残っていました。

ちなみにこの「奇跡の一本松」に通じる橋、しおさい橋も見た目は綺麗なので、震災後に松へのアクセスのためにかけられた橋かと思いきや、実はこの橋も松と供に大津波に飲み込まれた震災遺構で、当時、そのすさまじい破壊を受けてひしゃげたままの欄干が残っています。

2018/06/01撮影 役目を終えた「希望の架け橋」遺物、橋脚
イメージ 8

「奇跡の一本松」への通路に無機質なコンクリートの巨大な柱が立っています。復興事業の一環で高田市街地の嵩上げ工事を迅速に且つ効率的に進行させるため、市街後背地の山を切り崩し、その土砂を市街地へ搬送するためのみに設置された、3kmに及ぶ土砂運搬用ベルトコンベアシステムが気仙川をまたぐところに架けられていた、ちょっと見瀟洒だった吊り橋の橋脚だと思います。

2014/08/19撮影 土砂搬送システム「希望の架け橋」と「奇跡の一本松」
イメージ 15

2015年に役目を終えて、システム自体は解体されて早3年。車両搬送で9年かかるところを2年半に短縮した功績は計り知れない物があったのだそうです。今は物言わぬ無機質なコンクリートの塊ですが、せめて、由来を記すとか、復興に関わった方々の名を記すとかして功績を称えてあげては、と思いました。

2018/06/01撮影 震災当時のまま、大津波でひしゃげたままの気仙川河川表示
イメージ 9

発災以来7年も経つと、震災遺構として保存されている物を除き、当時の姿を残している物は本当に少なくなりつつあります。そんな物の中で、これ↑も震災遺構の一つではと見つけた物がこの河川表示です。保存されていると言うより放置されている、と言った方が正しいでしょう。

地元の方々にとって二度と目の当たりにしたくない、こういった大津波の遺物は早くなくなって欲しい、と思う方も大勢いらっしゃると思います。こういう物が無くなりつつある、と言うことはそれだけ復興が進んでいる事の裏返しかも知れません。

ですが、非当事者である小生でさえ、顔面蒼白、絶句してしまったあの光景が広がっていた場所を数年ぶりで訪ねてみましたら、あの凄惨な大津波の印象を伝えるインパクトが限りなく薄くなりつつある、と感じてしまいます。

下の写真をご覧になると伝わるかも知れませんが、広漠と広がる旧市街地には未だ人の営みが感じられません。この地で大勢の方々が命を落とされた、という事実があったことさえ、この景色からは伝わってこないのです。門外漢が何を言うか!、と叱られそうですが、そういう意味では気仙沼で陸に打ち上げられた大型漁船の様な、強烈なインパクトを与えるモニュメントがあれば、とも思います。

今の「奇跡の一本松」だけでは観光客が足を止めても、せいぜい、30分くらいです。門外漢の人々を畏怖させ、感じ入ってもらい、せめて半日でも高田に脚をとどめて勉強してもらって何かを学んで帰ってもらうには、今の状況では少しインパクトに欠けるように思います。

あれだけの犠牲を払わされた大津波です。多大な被害を受けた地元として、「大津波」を使えるだけこき使って、集客資源として活用し、街を潤させるくらいのことをしても、良いのではと思います。

2018/06/01撮影 気仙川左岸、旧陸前高田市街地
イメージ 10

この記事に

開くトラックバック(0)

時間がとれましたので、5/27日曜日の午前中、鎌倉長谷のあじさい名所を偵察して参りました。

まずは江ノ電を極楽寺駅で下車しまして、ここ数年、工事で名物「あじさい」が見られませんでした成就院さまへ。

2018/05/27撮影 長谷、成就院
イメージ 1

西の結界門からあじさいで一杯だった東の結界門までは綺麗に整備されて、昔の姿を取り戻しておりましたが、東側はあじさいの植栽が少なく、見所は西側から山門にかけて臥メインとなっているようです。

イメージ 2

↑本来であれば東側のあじさいと由比ヶ浜を合わせて撮影し、眺めるのが成就院さまの定番景色でございましたが、まだ、往年の景色に戻るまでは少し時間がかかりそうでございます。

イメージ 3

成就院のご本尊様はお不動様でございますので、お詣りをさせて頂きまして、ご真言を上げさせて頂きました。

成就院さま脇は鎌倉七切り通しの一つ、極楽寺坂切り通しでございますので、坂を下りてゆきますと虚空蔵菩薩さま※丑寅年生まれの方の守り本尊さまです、が居られます星井寺虚空蔵堂がございます。ご真言も頂戴したのですが、これが中々入りませんで。

さて、そのままここのところ有名になったパン屋さんの前を通り、力餅屋さんの横を曲がって権五郎神社へ。

こちらでは、定番の江ノ電+あじさいの撮影をしました↓。今年は神社と線路の間の株が刈り取られてしまっておりまして、例年の大きな花々と電車の取り合わせは撮影出来ません。トンネル側の奥に行き前に出て撮影するしかなさそうです。

2018/05/27撮影 長谷、権五郎神社前
イメージ 4

イメージ 5

ここで反対側の線路っ端(社務所脇)はご覧のように↑結構咲いているのですが、これを前から撮ろうと線路内に入られた方がおられまして、電車が非常停止してしまいました。踏切から線路内には絶対に立ち入らないようにすべきなのに、困った方が未だにおられます。

さて、権五郎神社さま境内は隠れたあじさい名所でございますので、ちょっと偵察。↓まだ、あまり咲いてはいないようですね。

2018/05/27撮影 長谷、権五郎神社 本殿裏
イメージ 7

〃 金刀比羅社
イメージ 6

お社境内をお詣りして、そのまま御室小路を歩いて大観音さまへと向かいます。ちょっと気の早い「あじさい」見物の参詣者の方々と外国人観光客の方々でずいぶんと賑わっておりました。放生池にはこの時期定番のアヤメ筏もしつらえられ、上の境内に繋がる石垣にはイワタバコの花が咲いております。

2018/05/27撮影 長谷、大観音さま アヤメ筏
イメージ 8

〃 イワタバコ
イメージ 9

〃 あじさい小道より由比ヶ浜と雪の下の町並み
イメージ 10

〃 経蔵裏
イメージ 11

〃 経蔵脇竹林
イメージ 12

結論から言いますと、今咲いている株は、例年通り早咲きの物がほとんどとのことですが、やはり、全体的に開花は少し早まっているようで、経蔵裏のあじさい小道はまだちょっと見栄えは今少しですが、それでも結構楽しめますので、これから満開になれば、かなり見応えのある景色が広がってくると思います。

まずは5月末時点での長谷あじさい開花情報でございました。

この記事に

開くトラックバック(0)

前述の通り、早朝、成田山新勝寺さまへ大護摩祈祷に参加致させて頂いた後、結願寺那古寺を除いて最期に残っておりました千葉管内6ヶ寺の最期、いすみの清水観音さまへと向かいました。

今一、成田からのルートはナビ任せで走りましたので東金九十九里有料道路に入って行き着いたところが太平洋岸の九十九里浜でしたのはちょっと面食らいましたが、海沿いを久しぶりにドライブさせて頂きまして、閉塞した気分もちょっと晴れました。

1時間強位走りまして、いすみ川奥の本当に房州の里山、と言えるような静かで長閑な山里の丘の上に清水寺はございました。駐車場はお寺様入り口に結構な台数の比較的新しいものがございますが、門前にもありますという案内が出ておりましたので、結構な勾配の山道でしたが上っていきますと仁王門前に10台程度の昔ながらの駐車場がございました。

あまり観光色の無い山寺然としたお寺様は、駐車場前の仁王門の奥に風神雷神さまと仏様をお奉りする四天門が見え、さらにその奥に堂宇が立つ奥の深い境内となって居られます。

2018/05/26撮影 板東三十三観音、第三十二番音羽山清水寺(清水観音) 仁王門
イメージ 1

近年の再建建築とは言いますが、どうして中々枯れた風合いで新しい物とは思えないたたずまいをみせておられます。

〃 四天門
イメージ 2

丹塗りの鮮やかな御門で正面左右に珍しい風神雷神さま、後ろ側に仏神さま二体が奉られております。本堂と同じく築200年の風格ある建物です。

〃 百体観音堂と手水舎
イメージ 3

百体観音堂には板東/秩父/四国霊場100ヶ寺のご本尊様と閻魔大王さま、縁は無いようですが赤穂四十七士像が奉られております。こちらのお寺様は各お堂各々に灯明台と香炉が備え付けられておりますので便利でございます。このお堂の正面に仮本堂でございました奥院堂がございまして、ご本尊として伝教大師さま小手彫り?の十一面観世音菩薩さまが居られまして、お姿を拝見させて頂けます。古からの歴史ある仏様様でご本尊様と見間違うほどの仏様です。

〃 本堂
イメージ 4

四天門と同じ築200年の古いお堂で実に風格のある建物でございます。ご本尊は千手観世音菩薩さまで秘仏でございます。1200年前、慈覚大師さまが彫られ納められた仏さまだそうでございます。

〃 本堂外陣
イメージ 5

御賓頭盧様は居られませんが円仁さまの御像が居られます。天井に古い時代の多くの参詣結願絵馬が奉納されておりまして、中でも信濃善光寺さまへの参詣御礼の絵馬が多くございまして、昔ながらの善光寺様境内の絵など拝見させて頂けました。

〃 本堂回廊
イメージ 6

築200年とは言え、部材の立派な大きな建材が使用されておりまして、重厚さが際立っておられるお堂でございます。日本三清水のうちの一寺とも言われておりますので、さもありなんと思わされます。本堂前には千尋池と呼ばれる池がありまして、このお寺様の由縁となった霊水が涸れること無く沸いております。

これらのお堂の他にも鐘楼は開放されておりまして、鐘を点くことも出来ます。先にも述べましたとおり、地域のお寺様という色合いの濃い鄙びた山寺さまでございますので、派手さはございませんし授与品も多くはございませんが、納経所脇には無人の売店がしつらえられておりまして、たまたま、ハッサクと梅干し、梅酢が置かれておりましたので、ハッサクと梅干しを頂戴致して参りました。ハッサクはとても甘くて美味しゅうございました。

素朴なたたずまいはとても静謐で、ほのぼのとした雰囲気に好感の持てるお寺さまでございますので、小湊鐵道/いすみ鉄道と笠森観音さまなどと合わせられて、お詣りなされると宜しいのではと思われます。

この記事に

開くトラックバック(0)

全24ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事