水天一碧

史実はもとにしてますが事実ではありません

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図南の翼 10

 「弊藩の者がご無礼を致したそうで、まったく申し訳ない。」
 長州藩江戸藩邸にある有備館の舎長である桂小五郎は、端正な面に神妙な表情を浮かべてそう言った。慌てたのは近藤である。
 「いや、当方にも失礼な発言があったと聞いております。半分は自業自得というもの。ご高名な桂殿に頭を下げられては、私の方が面映い。」
 桂小五郎は神道無念流の免許皆伝者であり、練兵館の塾頭であり、江戸における長州若手藩士の代表格でもあった。近藤と一つしか違わないが、すでに人の上に立つ者の風格が備わっていた。人の好い近藤は、すっかり桂にほれ込んでしまった。じつに愛想がよかった。
 「人が好すぎるぜ、近藤さん・・・・」
 土方が眉間に皺を寄せて呟いていた。
 「あれが近藤さんのいいところじゃないか。」
 山南が笑って宥める。
 「おう、山南さん。」
 そう言いながら近づいて来たのは高杉であった。
 「今日はあんたのお手並み、しかと拝見させてもらうぜ。」
 「そんなことを言われると、緊張してしまいますね。」
 やんわりと山南は笑った。そして、傍らの土方を紹介しようと振り向くと、土方はふいと沖田や井上の方へ行ってしまった。
 「どうやら、あの色男はわしが気に喰わんらしいのぉ。」
 高杉がニヤニヤと笑いながら言った。
 「土方君は人見知りする方なんですよ。」
 当たらずといえども遠からずの言い訳をした山南に、高杉は手を振って応えた。
 「気にせんでもええ。わしもあの色男は気に食わん。お互い様だ。」
 そういう問題だろうか、と山南は思ったが、試合の形式が決まったので双方に呼び出しがかかったので、それ以上考えることは放棄した。
 試合は勝ち抜き戦となった。人数が合わない分は試衛館側から助っ人を投入してよいこととなった。
 「じゃあ、私も試合ができるかもしれませんね。」
 無邪気に沖田がそう言うと、すかさず土方が拳で頭を一つ小突いた。
 「何気に失礼なこと言ってんじゃねえ!」
 「絶対、総さんにはまわさねえよ。」
 伊庭も舌を出して見せる。
 「で、順番はどうするよ。」
 永倉が土方に尋ねる。しかし、答えたのは山南だった。
 「やはり、当事者が先鋒をつとめるべきでしょう。」
 そう言うと、土方と伊庭に目をやった。すると、伊庭は土方に目を向ける。
 「――わかった。」
 「それじゃあ、次がおいらで、その次が原田さん。あとの二人はどうするんだい?」
 永倉が山南を見る。
 「私で、永倉君――でいいだろう。まさかそこまで手間をかけさせないだろうね?」
 北辰一刀流皆伝と神道無念流皆伝にまで回ってくるような、てだれではないはずだ。山南は言外にそう言った。永倉もニヤニヤしている。
 「わかってらぁ。」
 不貞腐れたような返事をすると、土方は面を被った。真紅の面紐が異様に目立った。相手はすでに待ち構えていた。
 「どっちが勝つと思う?山南さん。」
 永倉が隣りの山南に囁く。
 「まずは土方君が一本取るだろう。」
 土方の剣は荒っぽい。しかも型も何もあったものではないから、じつに動きに無駄がある。竹刀剣法では強くない剣なのだ。ただし―――
 (それを補って余りある速さがある)
 「しっかし、あの人の動きはあいかわらずめちゃくちゃだなあ。」
 しみじみと永倉が言う。下手な相手だと、土方の動きに翻弄されて自分の呼吸を乱されてしまう。
 「お、さすが。強気の一本だね。」
 土方の自己流を嘲笑っていた長州勢が、一瞬静まった。よもや負けるとは思っていなかったようだ。
 「はよう、次、やれい!」
 高杉が声をかけ、試合が再開される。
 「土方さんがふたり、伊庭が三人、原田が三人ならちょうどいいんだがな。」
 永倉がそう計算した時、予想外に二人目に苦戦した土方が敗退する。どうやら相手も見物に回っている桂や高杉の無言の圧力に死に物狂いになっているようだ。
 「え、歳さん、すりゃないよ!」
 伊庭が思わず声を上げたくらいである。
 「わりぃ、イバハチ。後は頼んだ。」
 頼まれた伊庭は頑張った。そしてどうにか三人抜きを成功させた。
 「さすが伊庭の小天狗だぜ。」
 永倉は感心したが、伊庭の快進撃もここまでであった。
 「絶対おいらたちのが分が悪ぃよ。」
 三本勝負の総当たり戦ならともかく、一本勝負の勝ち抜き戦では人数の少ない自分たちのほうが不利だ。伊庭はそう嘆いた。残りは四人である。
 「俺ぁ、槍のほうが得意なんだけどなぁ……。」
 原田はボヤキながらどうにか一人を下した。残るは三人である。
 「おや、我々にも回ってきたようだ。どうする、永倉君?」
 「やれるようなら山南さん一人でカタつけちまって構いませんぜ?」
 「面倒だから、一人くらいは君に残してあげよう。」
 山南は笑いながら面を着けた。高杉が向こう正面から彼を見ている。
 (柳生新陰流とも手合わせしてみたかったな)
 山南も剣術修行でいろいろな流派と手合わせしたが、柳生新陰流とは試合うことはなかった。今、対戦しているのは神道無念流の遣い手らしい。向き合った瞬間、山南は自分の勝ちを確信した。試衛館では永倉とよく組打ちをする。その永倉よりはるかに弱い相手に負ける気はしなかった。
 勝負はあっさりとついた。次の相手は同流だった。
 (この程度なら、免許まではいかないだろう)
 同流であれば、なお一層力の差がわかる。相手方にもそれが感じられたのだろう。簡単には攻めてこない。ならば、と山南は構えを変える。
 (これなら、どうかな?)
 それは天然理心流の平正眼である。理心流は実戦剣法ではあるが、竹刀ではまったく駄目というわけではない。それに、沖田の稽古相手をさせられているうちに、山南もかなり理心流を会得していった。自信はあった。
 結果だけいうなら、山南はきちんと二対一で勝ち抜いた。その後は申し訳程度に打ち合って、次の永倉にトリを委ねた。
 「なんだ、わざわざ回してくれなくってもよかったのに。」
 「せっかくなんだから、一回くらい試合っても悪くないだろう。」
 むろん、言うまでもなく永倉は見事にトリを飾った。
 「まったく情けないのぉ。結局、正々堂々とやっても勝てんかったか。」
 高杉が呆れた声で嘆く。
 「まあ、晋作。相手が強かったんだ。致し方あるまい。」
 宥めるように桂が間に入る。そして改めて近藤を振り返る。
 「噂では伺っておりましたが、皆さん本当にお強い。機会があったら、またお手合わせいただきたい。」
 「こちらこそ。今度はぜひ桂殿に一手ご教授いただきたいものです。」
 責任者同士が和やかに挨拶を交わしている間、双方とも互いの戦いぶりを批評しあっていた。
 「まったく、歳三さんってばだらしないですね。」
 沖田がからかうように言う。
 「うるせえよ。俺ァ竹刀剣術は苦手なんだよ。」
 「それでも真面目に型くれぇやってりゃ、ちっとはマシだったかもしれんぞ。」
 「源さんまで、ひでぇよ。」
 「それにしても、原田君は槍で試合えなかったのは残念だったね。」
 「まったくだ。槍だったら三人は軽かったのになぁ〜。」
 「だが、もうちっと剣も鍛錬したほうがいいぜ。」
 ふと顔を上げると、高杉がこちらに来るのが見えた。
 「なかなか面白かったのぉ。」
 土方がスッと表情を消す。それを横目に高杉は懐手のまま近づいてきた。
 「噂は聞いちょったが、さすがは伊庭の小天狗じゃ。若いくせにようやる。」
 「そりゃどうも。」
 伊庭は高杉の異様な存在感に気圧されるように、心持ち身を引いた。
 「残念じゃのう。この江戸で珍しく骨のありそうな連中を見たと思ったんじゃが、わしは明日には国に戻らにゃならん。」
 一瞬、試衛館組は「ん?」という顔をした。思わず窓の外を確認してしまう。もうすっかり陽は傾いている。
 「――いいのか、こんな所にいて。」
 永倉が思わず呟いた。
 「高杉、そろそろ戻るぞ。おまえ、荷造りくらいしてあるんだろうな?」
 桂が声をかける。
 「荷造りする程のもんは別にないんだがのぉ。ま、最後に土蔵相模に寄りたいから、そろそろ行くか。」
 そう言うと、あっさりと背を向けた。
 「あ、そうじゃ。」高杉は山南を振り返った。「いつか機会があったら、わしの詩も見てもらいたいもんじゃ。」
 「ぜひ、見せていただきたいものです。お気をつけて。」
 「おう。」
 この男と共に一連の嵐は去ったのであった。

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