朝の光の中で

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エッセイ 迷言

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大望は流れるような文章で、エッセイが書けるようになること、
なかなか上達しません。。。
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軽い日本 重い日本

日々の生活の中で、インドネシア人と話をする時、
日本のことをどういう風に伝えるかはとても難しいことです。
日本人同士なら、こういう話をしても、どれくらいの割合で深刻に受け止めるかは
何となく、曖昧ではありますが、想像がつきます。

異文化を持つ外国人に話す場合はそこのところが想像つかない場合もあるからです。

世界の報道を見ていても、こちらの知り合いに訊ねても、日本の食の魅力は絶大です。
何を食べても美味しい、季節ごとの美味しいものがある、出汁にいたっては、世界共通語に
なりました。

日本の食の現場で、今起きている問題のひとつを伝える記事を今朝読みました。

くら寿司の不適切動画を投稿したアルバイト従業員に関するものです。
こちらに住んでいると、どの位の盛り上がり方(この表現は不適切かもしれませんが、今の日本を見ていると
正直こんな風に書きたくなります)なのか、よく見えません。
「バイトテロ」は訴えても抑止できない、3つの理由」という見出しでした。
最後の部分は、以下のように記事は結ばれていました。

これまで日本企業の多くは「賃金は低く、労働者の質は高く」を合言葉に右肩上がりの成長を遂げてきた。
そのビジネスモデルが限界にきて、あちこちで崩壊しているのだ。
 この日本を支える「低賃金労働者」がたちゆかなくなっているのは、明らかに深刻な人権問題を引き起こす
外国人労働者という移民政策へとゴリ押しでかじを切ったことからも明白だ。
 「バイトテロ」は許されることではない。徹底的に断罪すべきだ。そう訴える企業側の気持ちもよく分かるが、
法的措置の前に、なぜこのような「テロ」が一部の業界で続発しているのかという原因も
考えるべきではないのか。

「テロ」と聞くと、爆弾や銃、車を使ったものと思い込んでいたのですが、
こういう使い方もされているんですね!
解釈次第では国に対する政治的要求のひとつと言えないこともありません。

参考までに英英辞書では
terrorism:
the use of violence such as bombing shooting, or kidnapping to obtain political demands
such as making a govermment do something

もう一つ気になった記事があります。

「50代ひきこもりと80代親のリアル 毎年300万円の仕送りの果て」
親が支えるという構造は、パラサイトシングルと一緒。家族以外に支えるところがないから。
すべて、家族で処理してくれというのが日本社会です。


もはや、ひきこもりは、20代30代の若者だけではなく、シニア世代にも蔓延っているのでしょうか。
(社会問題になった時期を考えれば、そういう年代に突入?それとも、新たに年取ってからひきこもりに?)
ひきこもりの統計数をみると、こちらはもっと重い記事にも思えるのですが、
何が重くて何がそうでもないのか、正直なところよくわかりません。。。
外国人に話す状況でどころか、自分の中でも計れなくなりつつあります。



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通算で7年間総合病院に正看護師として勤務していました。
まだ20代の世の中をほとんどわかっていない頃かもしれません。

私の勤務した病院はいわゆる、税金で賄われている病院で、
医師はいろいろな大学出身者がいましたが、各科の部長は東大卒でなければならないというような
暗黙の了解があるように見えました。
新卒で入った診療科にも東大出身の先生もいましたが、年齢的なものもあったのか
掟は破られて、確か東北大学出身の先生が部長になられました。
私が他の診療科に移ってからだったので、その辺のところはあいまいです。
仕事の出来、不出来と出身大学はあまり関係ないようにみえました。大学によって得意分野とそうでない分野は
あったかと思われます。東大卒の先生はとにかく、面白い先生でした。部長になった先生はものすごくまじめだったと記憶しています。
一番仲がよかったといいましょうか、可愛がってもらった先生は女子医大卒の女医さんでした。
とはいえ、幸い新卒で入った科はどの先生も人格的にも優れて、仕事にも熱心でした。
もう、はるか昔のことですが、はるか昔のことだから、なおさらよく覚えているのかもしれません。^^

医学の世界は特別かもしれませんし、今は随分変化していると想像します。

ただ、今、患者として病院を訪れたとき、逆の立場になってみると、
専門用語はそれとして、患者にわかりやすく説明できる医師が優れた、頭の回転も速く
想像力の豊かな人ではないかと思います。

こういう経験もしたせいか、世間で難関と言われる大学の出身者に特別の”優れた人”というような気持ちを
抱くのが、どうも自分は薄いような気がします。

分からない事を、相手にわかりやすくかみ砕いて、相手の立場をきちんと想像して説明できる人、
そしてできるだけ相手の手助けとなるように行動できる人。
そういう人が、自分の中ではエリートでかつ優秀で切れ者で、かつ豊かな人格の持ち主、
そんな気がします。

言葉、特に日本語に興味を抱くようになってからは、専門職と専門用語ということも、
時々考えるようになりました。
天邪鬼な考え方かもしれませんが、難解そうにみせるために専門用語を多用したり、
早口でしゃべったり、質問を受けつけなかったり。。。
つまるところ、自分が理解できないことへの言い訳かもしれませんが、
そういうことも案外世の中に溢れているような気もします。

よくわからないのですが、専門職になるために検定類もかなり増えているようにみえるのですが、
それと、TVにも何かにつけて、専門家の方の出演が多いような気もします。
まだ自分が日本に住んでいた頃はそうでもありませんでした。

ところが、もっと専門家として自覚して欲しい、政治家の方にはそういう登竜門がないんですね。
時代の移り変わりとともに、世襲や人望や派閥の力でもない、その人の政治家の資質を問う何かがあってもいいような気もするのですが、
最も欲しい領域にそれがない。。。

なーんて、愚かなおばさんのひとり言でした。


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輝く 「正直」

1月23日のブログで、中国人のLさんが、日本を旅行中、東京の通勤時間帯に山の手線に乗車して
怖い目に遭った話を書きました。

その時、他にも日本についていろいろと話をしてくれました。

車内で将棋倒しになって、怪我をした息子さんのために、薬を買おうと思って
薬局に行った時のことです。
Lさんはクリームか軟膏を買うつもりで、店員さんに相談したそうです。
そうしたら、店員さんは息子さんの怪我の様子を見て、
「傷は大したことないから、塗り薬はいらない、それより、冷やした方がいい!」
と身振り手振りとスマホの単語をみせながら、対応してくれたそうです。

薬を売った方が店は儲かるのに、日本人はいいですね(「いい」は彼女の使った単語のまま)。
日本人は正直ですね。と感動した様子で話してくれました。

日本人の自分からしたら至極当たり前の対応だと思うんですけど、
儲け第一の中国人からみたら、賞賛に値するんですね。

こういうささやかな話の中では正直というのはとてもわかりやすく、ほのぼのと暖かい気持ちにさせてくれますし眩しいばかりに輝いてみえます。
これが、マクロの話の中では正直の良さはすっかり身を潜め、
駆け引きや、権力や、肩書主義や、其の他もろもろで、すっかり、吹き飛ばされて、
正義をかざして立ち向かう勇者の存在もみえなくて…

世の中というのはおもしろいんですね。
日本の良さをしっかりささえているのは、名もなき、庶民!
と叫びたい気分でした。



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                                                                    写真は直接記事とは関係ありません。



自分では選べない


日本で最後に新年を迎えたのは、7年前でした。
お正月らしい記事を書いていないかなぁと探してみたのです。

7年も経てば日本のお正月の風景もすっかり変わっているかもしれません。
確かめるすべもありません。

最後に日本で迎えたお正月の記事にはドナルドキーンさんのことを書いていました。

記憶とは不思議なものだ。
歳を取るにしたがい、先ほどの出来事、昨日の出来事が次々と頭から消えていく。
なのに思いがけない時に、過ぎた日の断面が突然、蘇る。
そんなことは誰にでもあるだろう。ある出来事を経験した時、
それが数十年後に別の叙情詩となって戻って来るとは、
人々は日々の行いの中で予想できないからだ。
人が行動を起こす時、「これがやがては記憶へと変わるのだろう」とは思わない。
記憶とは感受性の裏側にあるのだろうか。

キーンさんがその年の元旦の新聞に寄稿したものでした。
7年前のその時よりも,こういうことをしみじみと思うようになりました。

新たな何かを考えようとする時でさえ、それをコントロールするのは記憶です。
なのに、何を記憶に残すかは自分では選ぶことが出来ません。

こうやって、書き留めておくことは案外いいことかもしれません。
記憶には劣るけれど、記憶以上の足取りになりえるわけですから。。。

といっても、いつかは全ての記憶から解放されるんですけどね。
これもまた、本来自分自身では選ぶことができないというのもいいような悪いような、
自然界のひとつとして同化する証と思えば納得できます。

あれっ、何を書こうと思っていたんだっけ?
記憶は自分で選べないということでした。

さて、新しい年、何が記憶に残ることになるんでしょう。^^




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知恵を忘れて


つまるところその変貌の過程とかたちが恋愛の正体であり、結論ではないだろうか。

結婚したらその結末にちかいものに多くの人が感づく。

既婚後も懲りずに新しい別の対象を求め、それを自分の理想あるいは運命という修飾語に頼って
新しい変貌の形に出会ったことを喜び、そそのかされる。
男たちの多くがそういう恋愛の正体に気づこうとしない、気づきたくない。

女たちの多くはそれに気づく知恵を持っている、子を身ごもる性だから。。。


と、こんな過激?なことを考えた時期もありましたね。
今は、男たちも知恵を持ってきたのか、だから結婚、それどころか恋愛をしない人が増えたのでしょうか。

ラジオから聞こえてくる専門家の声はそんなことではなく、経済的な問題だと言っています。

いずれにせよ、若い人達には何も考えずに恋をしてほしいですね!
今日は特にそんなことを思う一日です。^^



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