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[ sno***** ]
2015/7/5(日) 午後 11:40
大丈夫でしょうか…?
こうして書き込むの初の試みなんです。
最近ずっと嫌なことがあり、落ち込んでばかりいたので気分を変えたくてブログをお散歩してて偶然辿りつきました♪
こんな私に上だんぢり♪さんは歯止めを掛けてくれたんです!すごい救われました(´∀`)
なので、まったりお話させてもらえたら…なんて気持ちが湧き出てきちゃってます。
少しだけでも聞いてもらえたら、もっと心が軽くなる気がします(*・▽・*)
コメントで相談というのもアレかな?と思うので、よければ連絡ください。
chiro.2525@i.softbank.jp
私の抱えてる問題を解決して欲しいなんてそんな無理は言わないです。
ただ耳を傾けてもらうことはできないでしょうか?♪d(´▽`)b♪
嫌だったり迷惑でしたらコメント消してください。突然失礼しました。
[ 環境歴史観光防災カメラマン ]
2012/8/13(月) 午後 6:26
誉田八幡宮は、応神天皇を主祭神とし、古くから応神陵の近くにあって、御陵祭祀を司ってきました。
応神天皇は、皇室系図である「帝記」や宮廷物語である「旧辞」あるいは「古事記」・「百済記」などによって4世紀後半に実在した人であると考えられています。
河内地方は、4世紀後半には瀬戸内交通の重要性が加わり、一層開発が進んだと考えられます。
応神天皇は、河内地方を支配して、ここに新王朝を築かれたと思われます。
秦の始皇帝陵などと共に世界でも屈指の大帝王墓−応神陵・仁徳陵−をはじめ、倭の五王時代の天皇陵はほとんどが、この河内、和泉地方につくられています。
応神天皇の崩御に際して御陵がこの誉田の地に築かれたのは、このように天皇ゆかりの地であったことと、4・5世紀代におけるこの地方が、重要な位置を占めていた地理的環境によるものであると考えられます。
当宮に伝わる、応神天皇陵陪塚丸山古墳出土の馬具(金銅製透彫鞍金具)に象徴されるように、当時の金工、木工、革工などの秀れた工芸技術は、日本文化の基礎を築くものであったと云えるでしょう。
[ バスト98cm!? ]
2012/7/18(水) 午前 11:52
[ mjd ]
2011/12/16(金) 午後 7:11
[ mjd ]
2011/12/16(金) 午前 6:46
[ 唐突にすみません ]
2011/11/29(火) 午後 3:58
[ TPPって知ってます? ]
2011/11/15(火) 午前 11:55
堺市南区泉田中だんぢり 平成二年十月六日祭礼時撮影
だんぢり懐古録
[ 上神谷郷 ]
2011/11/13(日) 午前 8:35
堺市南区泉田中だんぢり 平成二年十月六日祭礼時撮影
だんぢり懐古録
[ dan*ir*ema*i ]
2011/11/12(土) 午後 6:05
堺市南区泉田中だんぢり 平成二年十月六日祭礼時撮影
だんぢり懐古録
[ 上神谷郷 ]
2011/11/12(土) 午後 1:12






