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膠原病は色々な 症状があります。私は 多発性筋炎・強皮症 の疑いといことでの経過観察。精神的なものと片付けられなかったこの医師との 出会いは私に 医師に対し信頼を与えました。病名を確定されたわけではありませんでしたが、毎月定期的に見てもらえる安心と。対処療法とはいえ お薬を処方していただき 年に数度レントゲン血液検査等も。そのうちに 通院のたびリハビリも受けるようになっていました。 今思えば線維筋痛症なる病名もほとんどの先生方も 知らなかった時代。この医師に出会えただけでも 私にとってラッキーな事だったのでしょう。 病魔の方は 改善されることは無く、真綿で首を絞められていくような感覚。昨日できた事が 今日は出来なくなったり。じわじわ 急速ではないけれど 出来ない。痛い。痺れ 突っ張り感。見えないものの恐怖は 何時もそばに在りました。そんな中 私は 12時間の2交代勤務をこなし 恐怖を紛らわせていた。自分をぎりぎりの所に追い込んで、生きている事を確かめるように。それでも 自営を営んでいた頃に比べると ずっと私にとっては楽であった。いったん職場を出てしまえば 自営とは違い、自分の時間でしたから。 確かに悪友とかした病魔の進行は 怖かったけれど、私は 世界一幸せな人間と胸を張って言えた。 子供達とA(元 夫 ややこいのでAと呼ばせてもらいます。)の何気ない会話。笑顔。 私を世界一の幸せ物だと思わせるに値する宝物でした。誰にも負けない宝物の持ち主だったのです。 Aも 子供達も私以上に苦しんだはずです。本人がすぐに受け入れられなかった事 そうは簡単に受け入れられるはずもなく、解らぬ物への苛立ちもあったと思います。 誰でもそうでしょう。治せるすべが有るならと、家族なら皆思う。それが解らぬは 本人以上に持て余す問題だと思う。何故?どうして? そんな思いも悲しみも沢山だったかと・・Aは ヘルニアの手術の日、私が部屋を出てから術後部屋に戻るまで電気も点けず、 意識が戻るまでタバコの一本も吸いに外に出なかったと言います。それを 後に 他の患者さんから聞かされた時、私、幸せで涙が止まりませんでした。どんなに 彼に愛され 大切に思われているか どんなに自分が幸せな人間かを 再確認した時でした。 そんな中 私の悪友は再び牙を剥き始めた。検査員としてあってはならない事。検査員のプライドが絶対許せぬ事。製品を落とす事(落とす=不良品を作る)も多くなった。痛み 握力の低下。痺れが酷くなり、体力もギリギリを超え 突っ張りだけでは立っている事すら難しくなってきた。気力で乗り切る事が出来ない状態。休職やもえない状態。会社は 待っているからと言ってくれました。 私は この時自分を襲う悪夢を知りませんでした。病に苦しみながらも、家族の愛に支えられ 幸せな母。幸せな妻だったのです。世界一!!。 (次回へ続く)
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とても良い家庭を持っていたのですね。
病を得た後も。
2008/4/16(水) 午前 0:22 [ tugaru ]
そう 世界一のね幸せな家庭のお母さんでした。大切な宝物でした。なお金は無いけれど 笑顔の耐えぬ お父さんは怖いけど大好きな子供達。家之子ともほとんどこなせるようになっていた子供達の助けを受けながら 最初松葉を持った時 周りの視線に戸惑った子供達も 参観日に 松葉の私にお母さんって手を振ってくれるそんな子に育てくれていたしね。
2008/4/16(水) 午前 6:27
とっても立派なブログですね。
参考にさせて頂きますね。
また、お伺いしま〜す。
2008/4/16(水) 午後 6:05 [ 山本かおり@元アナウンサー ]
かおりさん 始めまして お誉めのコメント有難う。宜しくです。
2008/4/16(水) 午後 7:44
病気の進行が回復力よりも強かった時代は、「出来なくなって行く事」が沢山、何とかそれをしのいでいる間に月日が流れて行った気がしています。。
でも、人間歳をとった時、皆誰でも同じ思いをするものです、だから、何とか出来る方法を見つける度に、何時かこんな事も役に立つ日が来るかも?そんな思いは持っていました。。
でも、人間その人が、本当に駄目だと思う時まで傍の意見を入れようとはしない事も、皆自分の経験と言う世界を生きて、その中からしか物事を考えられないと言う事実は多いですよ。。
色んな不運があって今があるけど、色んな幸運もあって今がある。。今をプラスに。。何処まで行けるかは解りませんが、「幸せ」を感じれる事はきっと病気にも良い事です。。幸せ続けましょう。
2008/4/17(木) 午後 6:35
慧さん 経験のないものを解る事はありえないと思います。ただ その間 見聞きした意見その時は そうなのか そんな物なのかで 通り過ぎていた事を 思い出して生かせるかだと思います。自分が持たぬ物は どう頑張っても 想像の世界です。私が 今 母の歳の思い辛さ それは あくまで想像。多分母の歳になったとき見えてくるものが有るはずです。そういう意味でも いろんな方の経験をお聞きする事は 後に大きな財産になると思います。自分なりの変形打法で 笑顔日。
2008/4/17(木) 午後 11:36