TO ASHITA

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悪友の足跡(過去を振り返って)

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 これは あくまでも私の感覚ですが、痛みとしびれ 感覚の無さ 神経の死には 微妙な工程が有ると思う。

 最初 頚椎のヘルニアをやった時、肩こりだと思っていたんです。痛みを。ホッカイロとかで暖めると楽だった。そのうち 手の先になんか変な感覚 痺れ? を感じていました。痺れがつよくなるにつれ なんか 痛みが身を潜めていた。そのあと ドカーンと 大きな 我慢できない痛みが走りました。
そして 痛みと痺れと 痙攣が同時進行。共存し始めたのです。
 
 ヘルニアだと救急病院でつげられ そこへ しばらく通いましたが。痛いのは当たり前だと 様子を見ながら通院という事が 2週間ほど続いたでしょうか。有る夜 以前に増して激痛が、夜中 救急病院へ 病院の当番制のため違う病院へ。そしたら そこのドクターが 明日 MRIをと。それまで 前の病院では レントゲンだけでした。結果 腰なら何とかなるけれど 首はここでは どうも・・首はここでは手術できないということらしい。で 翌日。県庁所在地の大きな病院。日赤へ。

 数回検査のため 通院。見かねた医師から その時モルヒネを打ってもらったんですけど、それも 効いているのは 2〜3時間 通院に片道1時間半。帰ったころには 痛みは帰ってきていた。あまりの苦痛に、「手を切ってくれ」そんな 無茶な我がままを言っていました。

 ベッドの空くのを 待って手術。結果はとても良好でした。手術を受ける前、同じ病棟に やはりヘルニアの再発で入院されている方がいましたが、その方が「手術は 成功すると思わないほうがいい。良くなったらすごいラッキー。今より悪くならないために受けると思いなさい。」と伺っていました。とても 良い教訓でした。
 
 幸いにも私の場合。術後、うそのように痛みは消えました。しびれと感覚の無い部分は残りましたけど。神経の半分以上が仮死状態もしくは壊死しているということでした。それも 数ヶ月でほとんどの部分が回復 右指先に若干感覚の無い部分と 右肩に感覚の鈍い部分が残りましたが。
 
 神経は ある部分が死んでも 他の部分がそれを補うようになるそうです。すごいと思いません?自分の命のシステムに すごいと感心してしまいました。

 ただ これは序曲でした。ヘルニアの手術の成功を喜んで 患者優等生で退院したころから、右足の裏 小指から中指の付け根辺りが 感覚が変。なんか 無いんです。足の裏の感覚が。なにか 紙でも挟んで脚を踏ん張ってるような。変な感覚。
 これが 今へ繋がっています。


 最初の SOS の痛みに耳を傾けておけば

   今の私は いなかったかもしれません。
幼き頃より 記憶をたどって見ました。

もしかして? 病気の兆候は幼い頃からあったのかもしれません。
これを言うと母がきっと苦しむので 口に出したことは今までありませんでしたが。それでなくても 私が逆子で生まれてきたので そのせいじゃないかと言うくらいですから。かなり 母は労を要したようです。生まれて 2ヶ月ぐらいから 逆子で生まれたため 斜頸にならないよう整形・マッサージへ かなりの間通ってくれたようです。

 私は とってもかけっこの遅い子でした。運動は子供の頃から苦手分野。何が嫌いって 運動会。いつも 後ろから1番 (苦笑) あ 一度だけ旗の在る所へ並べたな。。。確か 二人三脚 相手が良かったのでしょう。
 
 すぐ 足が痛くなる子でした足首や 膝小僧がいたんだのを覚えています。駆けると 足首が ガクンと力が抜けて痛くなりました。病因に母がつれて行ってくれると、成長痛だといわれ、あまり心配いらないといわれた記憶があります。

 以前もお話したことがありますが、幼い頃より手の指が 直角に曲がらない傾向がありました。グーが出来ない。本人も回りもそれを気づいていませんでしたし、もともと そうであったら不自由とか感じることも無かったのです。

 高校を卒業して社会人になったころ 成長期のスラーーとした(母は、八頭身美人になると思っていたらしい 。。。ぜーーーたい 親ばかだ)私目はいずこ 成長はたてにではなく 横に転んだほうが早い私めに成長いたしまして、立ち仕事を長時間やると 左ひざが かなり痛くなりました。もう 成長痛という年でもないでしょう。病院へ行くと関節炎が起きていると言われ、時折 痛み止めの注射を 膝にうってもらっていました。

 ほとんど病気らしい病気をして育ってきては無いと思います。6歳上に兄がいるんですけれど、よく お兄ちゃんですら ・・・ なのに・・・貴方は 女の子なのに。。。と 生まれ間違ってきた お母さんのおなかに何かわすれもんしてきたと嘆かれる始末、おてんば娘 だったかも・・
能天気な 元気印でした。

 前 昔の人の言う事には長い間の 経験が語っている事が有ると書いたことがありましたね。私は 産後退院してきたその日から動きました。産後の日立を大事にしなさい。と言う教えを知らなかったわけでは有りません。頼る相手も無く、母は 喘息がひどく 私や生まれてきた子の面倒を見てもらえる状態ではなかったし、私も それを望まなかった。母のしんどさを子供の時から見てきていましたから。当然生まれてきた子は 待ったなしですから、おしめも ミルクも そして 家の事も全てが 待ち受けていました。

産後に ちょっと怖いと思ったのは、体重が激減したこと。まんまるおデブちゃんの私は出産前子供の体重を入れて70Kg近くあったのですが、一月で子供を授かる前の体重へ(この頃までは嬉しかったけど・・)3ヵ月後には45Kgちかくまで落ちていました。さすがに 怖くて 必死で ご飯を食べていたような。

 無我夢中、特に始めての子の時は 全てが知らないことばかりで 本当に必死でやっていたとおもいます。上の子も下の子も、その状態でした。

 しんどいとか そういうことも無く、時は過ぎ去りましたが、その付けは 厄年あたりから しっかりと受けることとなりました。厄年あたりからでしょうか、体調に異変が起こり始めました。最初は アレルギー 目がかゆく そのうち 開けているのが辛いくらい いたくなり 病院へ。イネ科の植物にアレルギーが有るといわれました。それから数年後 仕事に明け暮れる私を襲ったのは ひどい肩こり でも 仕事がら、肩こりはしょうがないと シップや ホッカイロを肩に貼ってすごしていました(貼っていると楽でした)

 そんな日々を過ごしているうちに、ある日すごい肩こり・・さすがに・・ちと休まなければ(その頃自営で 内職さんも抱えていたため ほとんど数年年中無休で 仕事していました。)納期を済ませ 少し休むのでと次の受注を受けず帰ってきた夕食 作るのがしんどいからと 家族で焼肉屋さんへ・・・ところが お箸で 網の上のお肉をひっくり繰り返せなかったのです。げぇ・・・なんだこれ??? て状態。 とにかく お風呂でゆっくり入って 早く寝よと思ったのですが このお風呂が起爆剤となったのです。お風呂へ入ってあったまっていると。激痛。。。右背中から右手の先にかけて こむら返りが数秒に1度起きる感じ。痛いという何処の話ではありませんでした。速攻 救急病院へ走りました。頚椎のヘルニアでした。これが 私の今の状態への 幕開けだったのです。

 
 振り返るのに、私は 多分 SOSという 身体の声を心の声を幾度と無く聞いていたはずなのです。でも 気づかなかった。感じていたとしても 忙しさや目の前のことで精一杯で無視を決め込んでいたのかもしれない。

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