肥後の嵐

創設は明治20年6月

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五高同窓会の成立

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五高同窓会の成立
五高同窓会は平成十九(二千七)年十月十日五高開校百二十年を以て解散式を行うそうである。
同窓会はまだ活動していたのかと思われる人も多かろうが、五高同窓生は最も若い人で齢八十歳になろうとするシルバー世代である。最後の卒業生が昭和二十五年で同時に五高は閉校になったためである。同窓会の解散も止む終えないと言うところか。
さて同窓会の成立は何時だったのかを調べてみると、開校して四十年目、昭和五年のことであった。このときまでの卒業生は約八千名、既に日本社会の柱石となり日本の指導者たる立場になったものが数多く見られ、当時の校長の挨拶の中に、設立の理由として卒業生の間で連絡機関がなかった為に席を同じにしても、互いに五高卒業生であることを知らなかったりすることが起こりがちだったということであり、先輩が後進を引き立て、後進の者が先輩の指導を受けることも充分に行うことも出来なかったので之を設立するというようなことが語られてある。
同窓会の成立と共に会報(昭和五年十一月二十五日)が発行され昭和十八年九月二十日の第十六号まで発行されている。
会報の目録を作成したので今日から会報の目録を紹介する事にした。


会報、第一号、S五・一一・二五・発行         五高同窓会
○ 写  真 
  本館玄関、母校全景 新築講堂 溝渕校長 
    校内小景 運動会ニュース(六葉)
--------------------------------------------------------------
○挨拶                                   溝渕 進馬 一
○五高同窓会規則                                    二
○五高同窓会役員                                    三
○五高同窓会の成立を祝して                         小島伊佐美 四
○五高同窓会会報御創刊を祝す                        藤本充安  六
○同窓会会誌発刊に対する希望                        松井元興 一二
○祝辞                                   板坂 彰 一二
○三十四年前の回顧            近重直澄 一三
○学生時代の思出                             白壁傑次郎 一五
○学窓時代の思出                              秋月胤継 一六
○回想漫録                                 村上園次 一八
○千反畑の家                               高田保馬 二一
○漫談            村上鋭夫 二五
○短歌(病父佐藤始之助に代りて)                     大崎唯一  二七
○五高会記事
熊本・東京・佐世保・日田・京都帝大・駒場五校林学会・三緑会(寄書)
○学校記事    (二八――三一)
○龍南会記事  (四一――六四)
  四十周年記念祭雑感、柔道部報、剣道部報、弓道部報、端艇部報、
庭球部報、水泳部報、ラグビー部報、ア式蹴球部報、籠球部報、
山岳部報、音楽部報、講演部報、文芸部報、
○習学寮記事
○会員諸異動○逝去会員○編輯後記

武夫原の若人より友へ

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    写真は五高の制帽

龍南物語を転載して来たが、今日で最終回である。沙丹氏の文章は五高即ち龍南についての物語であるが既に80年以上前に書かれたと思えないほど21世紀の今日にも通用する新鮮なところばかりである。

「武夫原の若人より友へ」     故   沙   丹   著
新たに中学を卒業された諸君。
先ず。諸君の悦ばしき春を祝福させて呉れ給へ。
僕の寂しい窓に吊るした銀の篭から鸚鵡の羽毛が花びらの様に落ちて来た。厚い小鳥の胸毛が代はして春が来たのだ。
天地の春はいまや諸君の春を陰陶なる世界から導き出し,悦びの瞳を燃やす諸君を、永遠に光と歓喜の自由の国に連れて来た。春だ、春だ。
無意識な従順を強ひ、病的に諸君の生命を小函の暗におしこめんとする人々の暗き影と離れた。喪服のような、冷たい小倉の服は永久に放たれ,今や諸君は下駄箱の上にのせられた脛を巻く無意識なゲートルの謎に苦しまなくてもよい。大ぴらに劇場の真ん中に陣取って恣に豪奢な春の気分に酔うことも出来れば通町の白日,肩を聳やかして鼻の孔から威勢よい煙草の棒を作ることが出来る。一切の不自由は死んだ。矛盾は茲に合理になった。
艶めかしき春の夜の、幸福を祝ふ饗宴の灯は晴々しき歓楽の唄を乗せて、華やかに障子の色を染むるであらう。幸福なる諸君よ,紅の唇をひらいて唄い給へ、躍り給へ、舞い給へ。そして御覧よ、緑酒溢るゝ双手の杯に浮かぶその若々しき面影を.晴々しい快楽家の瞳の色を如何して諸君はぢっとしておられるだろう。楽しき春は逝き易し。考へても、藻掻いても,僕等もやっぱり上塊のやうに冷たい獣のやうに狡猾なる、大人の群に入って仕舞はねばならぬ。特待生も落第生も、報徳宗も、デカタンも、遂には共にこうへいなる運命に支配されるぢゃないか。「何に、入学試験が恐いって」
何んだ莫迦々々しい。僕は悲しむ。何と不幸な諸君だらう。而して僕は怖れる。時代の悪魔をその力強い力を.噫、諸君は最早短い春の喜びさへも心ゆくばかり味ふ事が出来ないんだ。凡ての若き日の歓楽の前、諸君の視覚も聴覚も触覚も遂に悲しき不能に運命づけられて仕舞ったんだ。
けれども、夢は僕等若きものにとって唯一つの特権である。僕が曾って諸君の現在に等しき悦楽の春にあった時、僕は決して諸君の如き忌々しき思いに乱された事はなかった。夢みたい、夢見たい。殊に七宝の様に明るき夢の数々を。而してかかる灰色の大人じんだ逡巡のために、やむごとない青春の一瞬だに汚すことを悲しんだ。
さうした憧憬の中に生きた僕、かかる希望のために努力した僕ですら、束の間の時間の推移のために無生物の如き表情を以て、日夜夜毎の幻滅の唄を口ずさんで、悲しまねばならぬ。名づくることの出来ぬ或る無象の力は遂に、かよわい人の児の抗することの出来ぬものである。早かれ遅かれ、必ずや僕等の上に何物かがくる。僕はさうした運命を荷った人の児の諸君が、既にかくの如き悲しき顧慮に尊い青春を傷つくるを悲し                    
む。否、かくの如き大胆のために驚く。
春である
温い日の光は石鹸の泡の如く柔らかに肌をつつむ。草木の芽生えの力強き響きをきき給へ。
血管に唸る若き血潮のうれしき音譜に触れ給へ。若き日は凡ての歓喜に圍繞せられたる諸君。諸君の顔は余りに暗し。諸君は今や凡ての愚かなる束縛より放たれ、青春の如き大自由の尊き昿野の上に在る。
 試験が何だ。非芸術的な時代が産んだ不合理の唯一を思ふ間にも、宝玉の如き時は流れてしまう。悲しき思ひを擲って、さあ、諸君と共に春の盃を挙げましよう。さうして、太陽の如き、春の幸福を歌ひ、高踏し乱舞し、昏倒しやう。
 かくて僕等凡てが恁した紅き歓楽にも倦みはてたならば、温かい珈琲でも啜つて,僕は諸君のためにローマンスの国、夢見る若人によき龍南に就いて物語らう。冷たい功利の暗霧に閉ざされながらも、わが武夫原の黄色き花の影のみは年毎に豊かに美しく、沙漠の空のカノブスの如く夢み乍ら開く賢き世の若き友よ。諸君の辿るべき道はそこではない。こちらだ。真に生き甲斐ある若き日を求め、尊き人生の醍醐味を味はんとする諸君はただ此方へ来給へ。大阿蘇へつづく街道のほとりもやがて来ん陽春に繚乱の影を落す桜の梢の下、この美しき夢の国に入る宏大なる石の門は、萬人の入るを拒まざらんため永遠に鉄の扉を撤せられて居る筈である。
 さあ、最早決してそんな悲しき言葉を繰返し給うな諸君。夢の国、龍南の若人は、悪魔の如くかかる小さなる理智を嫌うのだ。何故ならば僕らは凡て新しき日本の青年てふ、光栄ある冠詞を有するからである。而して、かくの如き小なる理智や不徹底な技巧の中からは、僕等の国として守るに相応した、より美しき、より真実なる日本は生れ出でないからである。
 大日本は既に徒ら大人じんだ青年の多き慟哭して居る。

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5月14日に龍南物語に表れる五高、七高戦を紹介したが、五高60年の歴史の中で野球部の活躍は次のように纏められると思う。 
五高野球部は学校創立とともに活動を始めた。活躍の歴史は残っていないが、明治39年正月の七高との武夫原での対抗戦が七高との野球戦の始まりといわれでその後この対抗戦は数年間続いた。七高との野球戦は県民を沸かせた。大正15年の対抗戦で寮歌武夫原頭の歌をめぐって、両校応援団同士の乱闘事件にまで発展し以後中止のやむなきに至った。五高野球部は大正15年には黄金時代を向かえ全国高専野球大会においてエース高橋一(後の輸出銀行総裁)や朝日新聞社の社長になった主将廣岡知男等の活躍で、延長19回1対0で明大専門部を破り優勝を飾っている。昭和になっての五高野球部に関する記載は全く見つけることが出来なかったが、先ごろ山口宗之著のなかに対五高野球戦という文章があったのでそのまま転載させてもらう。
 
五高去りゆきし日々
対五高野球戦
 「本日正午、本館前に於て我が光栄ある選手諸兄の推戴式を行ふ。全員参加せられたし」
決戦の日は刻々と迫ってきた。きたる二十五日は肥後なる五高との大野球戦の日である。歴史をたづぬれは五高・七高野球戦は大正初期にその源を発し、毎年一回夏あるひは冬、鶴丸城下において、あるひは五高武夫原において、決死の戦ひをくりひろげてきた。過去の戦蹟は七高が圧倒的に優勢である。

 旧制高等学校にはいづれも隣接校と組み定期戦をやる習慣がある。一高対三高、二高対水戸高、四高対八高、五高対七高等々その代表的なものである。七高は赤、五高は白の大応援旗のもと選手は母校の栄誉を荷ひ、応援団は友の死闘に専心応援をおくり、全七高いな全薩南をあげて五高すなはち肥後勢に対し、意気と熱と人格と友情の戦ひをくりひろげてきた。こころみに寮歌集をひもどけは激越のことはもすさまじく力強いリズムを有するもの、すべてこれ対五高戦の応援歌である。

 大正十一年応援団の不運の衝突から竹槍事件へと発展し、つひに中断せられて二十年、この間戦火の拡大から戦後の混乱に至るまで、両校の相まみゆることがなかった。しかし昭和二十一年度より五高校長・浅野七高館長および両校先輩の斡旋によって久しく両校の間を蔽ってゐた暗雲晴れ、ふたたび年一回の定期野球戦は復活したのである。

 昭和二十一年七月十四日「戦雲こもるかの武夫原に輝く歴史をまた重ねんと」必勝の意気すさまじく北上した郡主将以下の七高軍は、接戦九合のすえ十二対十一にて惜敗し、雄図むなしく色あせし夕映雲のもと、ただ相擁し、哭くのみであった。
  恨・は探し地に荒む  この凄惨の一星霜
   にがき盃敗簾の   ああ断腸のその味よ

 いざ来年こそは鶴丸城下に矯敵を屠り感激の乱舞をせんと曹ひ合ったあの日、敗残の盃を共に飲み干した十余人の選手また七首の応援団ひ思へは薪に臥し胆をなめ来ったこの忍苦の一春秋。武夫原の屈辱はこれを転じて鶴丸の凱歌となせ。烈々たる朔夙に面をさらし桜岳嵐の吹きすさぶ校庭に孜々として練習に余念なき選手の念頭に浮ぶはただ打倒五高の四字あるのみであった。

  雪辱の念堪へがたく 土にまみれし腕もて
   熱球北に郷ては   山河新に波ゆらぐ

対五高戦
(昭和22年5月23日鹿児島駅頭
五高選手歓迎ストーム)
対五高戦
(昭和22年5月25日鴨池球場
七高選手激励ストーム)

 雪辱の日はついに来た。五月二十三日五時半夕日輝く鹿児島駅頭、南下軍を迎へ七高応援団は歓迎ストームを行って遠来の客をねぎらひ、かつ堂々の戦ひを誓った。翌二十四日は朝から五月雨が降りしきる。午後二時、玄関前に集合した健児たちは雨もものかは、大太鼓を先頭に七高代表歌〃北辰斜に〃を高唱しつつ鹿児島市内をねり歩き、天文館通りで示威ストームを敢行し、大いに気勢をあげた。

 明くれは五月二十五日。幸ひにも昨夜来の雨はからりと晴れ、絶好の野球日和である。雪辱の念堪へがたき健児たちは、今やおそしと鴨池の決戦場に続々と参集してきた。午後一時半両校応援団の勢揃ひも終り、遠雷のごとき太鼓の音とともに数十流の赤旗白旗を吹きなびかせつつ対面式場へ向ふ。

両応援団長の握手。ついで七高谷口団長より五高団長へ挑戦状は手渡され、ここに意気と熱の堂々たる戦ひをせんと曹ひ合った。やがて七高生は荒絶だすきの五高団長を中心に歓迎ストームにたぎりたつ若き血を傾け、代って五高革も返礼ストームに立った。ああ雪辱成って鶴丸の赤幟天に狂ふか、はたまた五高の純白旗再び薩南健児の血もて染むか。

 式終り両応援団はスタンドに入った。七高は一塁側、五高は三塁側。シート・ノックもすみ、七高ナインは続続とベソチへ帰ってきた。谷口応援団長はスタンドに仁王立ちとなり、

 「只今より選手激励ストームを行ふ。全員グラウンドへ下りてくれ」

 と叫んだ。中村主将以下選手を囲み、ふたたび三重の大円陣は作られた。団長の烈々たる必勝を祈るの言、舌端に火を吐く。中村主将は必ず勝って会椿の恥をすすぐと答へ、選手の面上またも決意の色は流れた。

 「われらが選手の必勝を祈り、いざや歌はんかな”北辰斜に”を…」

やがて”北辰斜に”の歌声は怒涛のごとく湧き上がり、火のごとき意気にもえる健児たちはお互ひの肩をくみ合はせ、青空を仰いで乱舞し絶叫する。若き血は火である。友情は燐である。火燐相合し母校愛にもえたつ健児らの前には五高何者ぞ。ただ鎧袖一触あるのみである。

 再びスタンドに帰るころ大太鼓のひびきに応じ、まづ五高が第一声をあげた。

 「わが親愛なる七高生諸兄のために・・・フレ七高フレ七高フレ・フレ・フレ、フレ七高フレ七高 フレ・フレ・フレッ」

 敵の健闘を祈る美しいことはである。期せずして七高スタンドには拍手とダンケの声が湧き上り、そしてフレ五高の叫びとなる。五高軍よ、いざ戦はんかな!! ともに至純なる人格と友情をもて堂々の戦ひをくりひろげ、若き日の導き思ひ出としやうではないか。

  裏低迷の鶴陵に   戦ひ火蓋切られたり
  薩の国原どよもして 金鼓鳴らせや旗振れや

 小よいよ試合開始、先攻は七高。一回表、七高まづ一点を先取した。大太鼓を乱打し金鼓をうち鳴らして応援団は狂喜する。勢ひづいたナインは打って打って打ちまくり第一回にして早くも四点を入れた。五高無為。二回両軍無為〇三回両応援団の熱狂裡に五高もよく二点を挽回した。しかし以後中村投手の右腕冴え、五高に追加点を許さない〇七高は着々と得点を重ね、九対二のまま、つひに最終回に入った。勝ってゐる。今一息だ!! 応援団の熱狂いふところをしらず、もはや選手も球も見えぬ。た七あるは母校の勝利を祈る若き男たちの血をはく応援歌の怒号あるのみ、谷口応援団長はじめ冷静な総務も大学の先輩も、今やスタンド総立ちとなってをどり狂ふ。七高無為のあと五高軍いよいよ最後の攻撃に入る。五高応援団も最後の応援にふるひ立った。

 だがしかし中村投手の投球いよいよ円熟し、たちまち二死となった。けれども五高軍少しもひるまず何のそのとヒットし二盗に成功、つづく打者も安打を放ち、走者勇躍遣って一点を酬いた。万雷のごとき拍手と歓声があがる。五高応援団から、そしておお七高のスタンドから。全七高生は粛然として五高の善戦に拍手を送ってゐるのだ。たちまち五高席から「七高ダンケ」の声がみだれ飛ぶ。専き友情の発音である。美しい瞬間である。

 しかし運命の打者は三振に終り終了のサイレソは高々と鳴った。おお我らは勝ったのだ。一年の忍苦の道は無駄ではなかった。勝ったのだ。勝ったのだ。をどるやうにベンチに帰ってくる選
手、迎へるも達しと地上六尺のスタソドから争ってとび下り選手を擁する応援団。

  錦江タベ見ないで   ああまた勝ちぬわが軍
  凱歌をあげよ高舞せよ 戦士の額に月照れや

たちまちのうちに三たび大円陣は作られた。よろこびの涙に頬をぬらしつつ谷口応援団長は叫ぷ。

 「兄等の健闘によりつひに雪辱の快を遂げ得たことを兄等とともに心からよろこぶものであります....」

中村主将は答へて
 
「兄等の熱烈なる応援によりまして・・・・」

あとは涙である。大円陣のそこここからも感激にむせびあげるのも出や、いつしかすべての者の眼には、何物かが宝玉のごとくきらめく。しかし勝利のそれは蜜のごとく甘い。勝っても泣き負
けても泣く高等学校の三年は実に感激の生活である。

  見よや錦江酔へるがごとく タベの波に星影砕く
  戦勝の夜や永久に忘れじ  我等勝つべく北へ行く

 勝利の舞はいつまでもつづく....。をどりつかれて、やがて四度スクラムは組まれた。三塁側スタンドには、おお善戦して敗れた五高軍が相擁し泣いてゐるではないか。若人たるもの勝たざるべからず勝たざるべからず。

 「では最後にわが親愛なる五高生諸兄のため、更にまた五高野球部のために:…フレ五高フレ 五高フレ・フレ・フレ、・・・・」

これに答へ五高からも
「わが友七高の幸を祈りて」
フレ七高を叫ぶ。かくて両軍涙の中にふたたび両応援団長の握手。白旗をむなしく巻く五高軍、ああその心中いかはかりか。粛として声なく退場する五高軍へ

 「来年また会はう」
 「頑張っちこう」
と呼びかける。

 「ダンケ七高」

答へる声も今ははれやかである。昭和二十二年五月二十五日、それは永久に忘れがたき感激の日である。

 美しきものはもっとも早く亡ぶ。

 伝統と光栄に輝く五高七高大野球戦も、いよいよ終止符をうたれる運命に遭遇した。新学制の施行によって、なつかしの七高も、そして親愛なる五高も、昭和二十五年三月末日を限りに永久に日本国より姿を滅するに至った。

 昭和二十三年五月二十三日、復活後一勝一敗のあとをうけて両校訣別の戦ひは、熊本水前寺球場において七高の先攻で火蓋を切られた。伝統の歴史に恥ぢず堂々の戦ひを展開したが、惜しむベし六回に五高一点を先取し、七高選手応援団の脊閑もその甲斐なく、つひに一対○で敗れた。最後の戦ひに惜しや長蛇を逸した七高健児の無念痛恨いかはかりぞ。しかしながら混濁の世に、さらにまた亡び行かんとする高等学校の歴史の最後のページに、伝統誇る五高七高の人格と友情と、意気と熱にいろどられた戦ひを書き加へ得たことは、われら七高に学んだ者、も上より本懐とするところである。
________________________________________
※山口宗之先生(七高造士館文科昭和20年入学・九州大学名誉教授・久留米工業大学名誉教授・文学博士)の御好意により、先生の御高著「ああ若き日の光栄は−七高時代回顧−」を本ホームページに転載することができました。
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習学寮の地

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ここ2ヶ月ばかり習学寮、習学寮と五高の寮生活を覗いて来たが、戦後、昭和22年の教育制度改革により五高は熊本大学法文学部に昇格した。習学寮の跡地は現在どうなっているかと訪問して来たのでそれを紹介しよう。かっての習学寮の地は近代的な文学部・法学部の庁舎が建って昔を知る面影は何もない。ただ習学寮の碑が経っているだけであった。五高が存在した期間より熊本大学の期間が既に永くなっているので改めて時間のたつのが早いことに驚かされた訪問であった。

寮の滅びる日

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寮の滅びる日3

新寮は空気流通もよかった。温かい日光も朝夕部屋一杯に差し込んでいた。けれども誇り云うべき伝説の一つも顧みすべき思い出の一片だにない寮に対してどれだけの愛着が起ころうものぞ。過まった前堤から捻り出された。監獄のように底の下に鉄条網をはったり境の塀の上にあの世の剣の山のように釘を並べた新寮に対しては却って激しい反感が湧くばかりでであった。古い寮は汚くても、日当たりがよくなくっても、尊い歴史があった美しい数々の伝説があった。更に偉大な自由自治の光が光輝いていた。風雨にうたれて黝(くろ)ずんだ古い寮の姿は旧に倍して凛々しくまた懐かしく仰ぎみられるようになった。
 こうなれば、一時の狂熱がさめたその蟲惑のうちに叫び出した古い言葉がうらめしい。
 「寮を焼け」
 とは自分達も叫んだ。悔やみさえ湧く。新寮には中学生らしく訓育せられ干渉せらるる新しい人達が住め。曾て一日たりとも自由自治の寮に抱かれたものは其の頃の尊い追憶に生き行く。
 古い生徒達は一棟取り残された寮舎の影に寝そべって麗しい自分の過去を眼の前に眺めているように楽しく休みの時間の多くを費やした。
 大正五年の逝く春のあの朝、ひとつ残った旧寮の前に多くの人足どもが集っていた。この景色をみた古い生徒たちの心は多少の哀愁を感ぜらるを得なかった.二年前の冬、例の生徒大会の席上で昂ぶった心から叫び出したあの言葉が思い出される。
 我等が寮は今日滅びる。
 鬼のような心を持って沢山の人足どもの無造作な鼻歌のうちに、高い屋根の瓦も一枚一枚剥がれ、丈夫な壁板も一枚づつ減って行く。そうしてわが麗しい過去の夢を封じた殿堂も見る間に醜い姿に変わってゆく。
 授業の間、砕け落ちる一枚の瓦の響きにも、厚い壁の土けむりの色も動きやすい心は轟鳴り,十分間の休みにはクラスの窓のみんなから、悲しい眼つきをした頭が重なり合ってこの異常な景色を眺めていた。
 仕事は二三日も続いた。そして遂には嬲り殺しにされた呪われの寮のからだは皮もなく肉もない惨憺たる骸骨のみがポンペイの遺跡のように突き立っていた。
 その日は初夏の晴れ上がった日であった。古い生徒達は懐かしい寮の最後の抱擁をうくべく屋根もなく壁もない二階にあがって感慨にたえないように凝乎佇んだ。ありし日のいろんな思い出が眼にすがる。初めてストームに襲われた夜の印象。奇抜な作り物に喝采を博した記念祭の日の悦び。ここら当たりの部屋で発病した亡き友の俤(面影)、始業のベルがけたたましく鳴り響くまで立ちすくんだ。
 その翌日には寮は昔の姿を思い出すべき何物も残されなかった。ただ一つ厚い煉瓦の防火壁がうづ高い土くれや木片の中に埃にまみれて突き立っていた。遮るものがなくなって薄っぺらな新寮の姿が眼の前に見えて来たのも癪だ。静かな昼の休み、四境の静榲(せいおん)をやぶる爆裂の響きが地ゆるぎして轟あがった。みんな驚いて響きのかたえ走りよった。人垣の中には白い烟が濛々とたちのぼっていた。そして薄れゆく硝煙の間から目茶苦茶に砕かれた防火壁が現れて来た.一発のダイナマイトは防火壁と共に自分等と過去の日をつなぐ唯一の鎖をうち砕いて仕舞った。
「ああーー」 
誰かの幽かな嘆息が聞こえた。
「おいk。今夜北寮五番の室会や労。面白くないから飲もうじゃないか?」
そうだ。われ等の寮は全く滅んだ。
      ☆
 われ等の日のあたり慘ましい殺戮にあったあとには幾何もなくして、もう一つ例のマッチ箱が築き挙げられた。新しい酒さえ新しい嚢に盛られる。新寮のうちには今や新しい三四郎たちの生活が営まれることであろう。そして其の内にはいつしか幾つかの伝説も生じ多少の歴史も書きしるされるであろう。けれども自分達は断言する。自由なく自治なき国の伝説は定めし砂のごとき索漠の響きに過ぎないと。何故ならばわれ等が有した真珠のような伝説はひとり自治自主の国にあるべきであるから。
 古い寮の姿は現実に於いては滅びてしまった。けれども見よ、彼に抱かれし人々の胸には雄々しい寮舎の姿の不滅の影を讃えているではないか。
   終わり



    


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