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いわゆる「環ウソ」を呼んでショックを受けた。
大学教授が、社会一般に考えられていることは実はウソだった、というのだから。
そして、他人が言うことを鵜呑みにし、自ら調べないことは罪なことだと思った。
以前の自分は、他人が調べて結論を出したことをわざわざもう一度自分で調べるなど、
非効率で無用なものと思っていた。
これでも自分は技術者であるから、科学者の端くれであるはずなのに、これではダメだ。
そして、今は「環ウソのウソ」を呼んでいる。
対論を知ることは有意義なことだ。
正しいかどうかを調べているのではなく、あくまで対論を自分の知識に加えるために。
リサイクルというのは大事なことだと思うけど、複雑で微妙な問題だと思う。
どんなに大事と理解していても、それが不経済であれば続かない。
残念ながら本能はそこまで複雑なものを感知してはくれないようだ。
そして、理性を用いてもこの問題に解を求めることは困難であろう。
使用エネルギーを減らすことと、資源消費を減らすこと、どちらが正しいのかなどという問いに
答が見つかるとは思えない。
エコな製品に買い換えようは、良いとも悪いとも言いようがない。
おそらく環境問題というものは、答えが何かという問いではなく、どうしたいかを問うものなのだろう。
”どうしたいのか”これが大事ではないか。
なんだか、新規市場に参入するときと似ている。
まだ見ぬ新たな領域の問題に答えは用意されていない。
実行して初めて答えが出る。
やるかやらないかは、理性的に判断するのではなくやりたい気持ちがどのくらい強いかで決まる。
少なくとも、子供たちに問題を押し付けるようなことだけはしたくないと思った。
できることからはじめよう。
「環ウソ」(および「環ウソのウソ」)ではPETのリサイクル業者が倒産した例が挙げられているが、
自分の働く紙業界でも考えねばならないことは同じだろう。
つい最近まで古紙の価格は中国に買い支えられていたため相当な高値がついていたが、
今は一時の半値くらいになっているらしい。
ところが、国内の製紙メーカーは古紙の購入価格を下げていないという。
これまでと同程度の価格で買い支えないと、古紙の回収システムが破壊されかねないのが
その理由ということだ。
自分は商売に「安定」ということを持ち込むのがあまり好きではないのだが、
ことリサイクルに関しては自由経済の原則に全てを任せるのはあまりに危険で、
しかも不経済なことになるような気がしてきた。
大企業がこのような急激な社会変化に対し、緩衝作用を持つことは悪いことではないと思う。
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