日記

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なぜ少子化対策?

日系ネットプラスに、「『未曾有』の不況、どうなる出生率」という記事に対し、「不況下の少子化対策」というテーマで議論が行なわれており、興味を惹かれ読んでみた。
http://netplus.nikkei.co.jp/nikkei/original/special/special/spe090623.html


急激な人口減少は社会経済に大きな打撃を与えることになる。
つまり、老人を養うことができなくなるので、「人口減少を食い止めよう」→「少子化対策をしよう」という議題である。

4人の識者が少子化を食い止めるための対策案を提示されているが、なぜか心に響かず空虚な気持ちが残った。
こんな気持ちになるのは、本質に迫った議論ではないからではないだろうか。
少子化になった根本の原因が何であり、その原因に対する対策が何かという論調になっていない。

トップバッターの松田さん。
収入が不安定だから子供を作らないと考えているようだが、収入が安定していても子供を作るとは限らないでしょう。
収入が安定していれば子供を作るというなら、独身貴族という言葉は生まれない。

2番手は樋口さん。
「仕事と子育ての両立支援は、企業の社会的責任であり・・・」が切り口。
“○○は誰々の責任なんだからもっとしっかりやりなさいよ”という主張であるが、これで重い腰を上げる人はほとんどいない。
欧州での女性の就業率と出生率の正の相関について触れられているが、これは結果である。女性の就業率が高いとなぜ出生率が高まるのか、簡単で良いから述べられるべきであろう。
“女性は仕事をするようになると自然と子供を産みたくなるものなのです“という事ではないでしょうに。

3番手は勝間さん。
少子化になった原因については、触れられていない。
”○○すべき”が起点であり、原因→対策の論理は構築されていない。

最終バッターは古田さん。
「子供を持つか否かを決めるのは、人々の価値観だ。」
同意します。その通りです。
しかし、これを結論にしてしまったら議論にならないでしょう。なぜ現代の人々の価値観は子供を持たなくても良いという方向になってしまったのか、これを議論の中心にすべきではないだろうか。



4識者の中では、最後に登場した古田さんの記事が最も本質をついているように感じるし同感できる点が多い。
しかし、結局古田さんの言いたいことは何なのか、わからない。
”こういう場合はこうでしょう”ではなく、”私はこう思う”というのが結論ではないでしょうか。

古田さんの記事には人口を抑制する行動をとるようになった理由として”生活水準を維持するため”というのがある。
私はこれが本質であると思う。
ここを掘り下げずして、少子化対策(人口政策)を語ることはできないでしょう。

〜つづきは次回〜

しばらくこのブログの更新をしていなかったのには理由がある。
対論を知ることの重要性を学び実践したところ、読書の方が止まらなくなってしまった。
今回は、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」について、特に武田氏の表現方法について書きたいと思う。


大変な注目を集めた武田邦彦氏の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という本に自分も大きな衝撃を受け、『環境問題』について再考することになった。
今となってはそのきっかけが何だったのか思い出すことができないが、昨年の12月に「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」を読み、有名大学の教授職をつとめるような人が書いているのだから全くのウソ偽りということはないだろうと考えると、その問題たるや無視できるものではなかった。

「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の中心的話題
・ ペットボトルリサイクル
・ ダイオキシン
・ 温暖化
・ 紙のリサイクル(古紙収集)
・ 環境問題と日本人

内容の是非については賛否両論であるが、少なくとも“リサイクルを何のために行っているのか”という氏の疑問は、自分も同感であるしそのような視点は現在においては重要である。この話題は後に取り上げたい。
ただし、氏の書籍(一般書。学術書や学術雑誌とは違うもの)に対する姿勢は、あくまで一般人。大学教授が書いたものであれば、その主張に“大学教授並み“の根拠があると思うのは自分だけではないと思うが、その衝撃的な言葉とは裏腹に根拠に乏しいものがあり、中には単に氏の思いを述べられたものも含まれている。氏が大学教授だからといって、この本の内容に相応の信憑性があると考えるのは危険である。
また、これは一般書としてはよく採られる手法なのかもしれないが、よく言えば語弊を恐れずに表現されており、衝撃的な表現をして読者の関心を高めるのは良いのだが必ずしも氏の表現通りではない部分も数多くあることが残念な点である。

自分の専門分野であるので一点だけ具体的に述べさせていただくが、168ページ9行目の「紙のリサイクルが何の意味もない」は到底承伏できるものではない。国内の紙原料の約6割を占める古紙がなければ、相当分の木材チップが今より余計に消費されることになり、これに相当する新たな林地が必要になる。問題はこの林地をどのように確保するかで、砂漠や使われなくなった農地のような荒廃地を林地転換するなら良いのだが、国、地域によっては天然林を林地転換するようなケースも無いわけではないだろう。このような、天然林の林地転換は諸手を挙げて喜ぶようなものではない。しかし、問題は更に深く、そもそも現在人工林であるところから伐採することは善で、現在天然林であるところから伐採することは悪であるというのは、先進国の奢りというものではないだろうか。自分が彼ら(途上国)の立場なら、天然林を守るために必要な費用(林地転換できないことによる将来的な利益の損失も含め)を請求したくなるのもわかる気がする。
経済を無視して環境を語ることはできないのである。

もう一つ、古紙をリサイクルしなくなると困ることがある。廃棄の問題である。武田氏はリサイクルの専門家と自負しているようだが、なぜこの点を無視されたのか理解できない。古紙をリサイクルしなくなれば、焼却処分とするか埋め立て処分とするかのいずれかになる。

焼却すればせっかく固定化された二酸化炭素を再び大気に放出することになる。それとも、武田氏はペットボトルの時と同じく、紙も焼却した方が良いと考えているのだろうか。
紙は、木材チップから作るより古紙から作る方がエネルギーの使用量は少なくて済む。ただし、化石エネルギーの使用量は古紙から作る方が多い。
勘の良い方はお気づきだろうが、これだからどちらがよいと簡単に結論づけることができないでいる。
※紙のCO2排出量、エネルギー使用量は下記の日本製紙連合会発表資料(2006年4月3日発表)を参照されたい。
http://www.jpa.gr.jp/file/release/20070925025534-1.pdf

埋め立て処分は、場所がない(費用がかかるとも言う)。
ここからは調べたわけではないので予想になるが、そもそも日本のリサイクルはこの廃棄の観点から進められたものではなかっただろうか。自分が子供の頃、あと○年で処分場が一杯になるという話をよく聞かされたものである。ところが、ある時期からそのような話を聞かなくなり、それはどうやらあと○年があと○○年に延びたからのようである。
もちろんリサイクルが進んだ結果である。



さて、話が散々になってきたのでここでまとめると、武田氏の表現はある視点に基づいたときにのみ有効なものである。本にはそのような限定は省かれており大変誤解を生みやすい。
読者には、武田氏がどのような視点でどのような範囲について語られているのか常に意識しながら読まれることをお勧めする。

ゆず茶!
2007年に北海道から横浜に越してきて、ゆず茶を飲みたいと思っていたけれど、高い!
300gくらいで800円もする。
本当に飲みたいときだけ限定して、我慢してちょびちょびとやってきました。

ところが、あったのです。
近くの三和に、昔北海道で飲んでいたリーズナボーなゆず茶が。
580g入りで、800円位だった。
たぶん北海道で飲んでいたものと同じ銘柄だと思う。

いつもゆず茶があるところではなく、お酒の売り場の横に箱積みされていたから、スポット入荷なんだと思う。
また行ったら、買いだめしておこうかな。

エコロジー一考

エコ、エコと便利に使っているこの言葉、考えれば考えるほど奥が深い。
エコって何かちょっと考え直してみたい。

”エコロジー”をWeb辞書で調べてみたら、なかなか良い表現があった。
 「人間と自然環境・物質循環・社会状況などとの相互関係を考える科学」


       自然環境


        人間  


  物質循環      社会状況



このブログで少し前に「エコの考え方」というタイトルで下の三つは考えないといけないと書いた。
 1.資源
 2.エネルギー
 3.廃棄物


これをエコロジーの考え方に当てはめてみる。

資源と廃棄物は「物質循環」の入り口と出口にあたる。
エネルギーは、現代は化石資源に頼っている部分が多いので「物質循環」の
一部と考えることができる。

一方、廃棄物は「自然環境」にも大きく影響する。有害物質を含んでいれば当然悪影響を
及ぼすだろうし、放射性廃棄物はあらゆる生態に影響するだろう。単体では無害なものでも、
排出される量が多ければ自然環境を破壊することがある。BODやCODというのはこの類の
問題に対する指標である。
また、エネルギーについても、化石燃料を使用した場合は、大気中に放出する多量のガスが
気候変動や酸性雨のような「自然環境」に影響する問題を引き起こす。

資源もエネルギーも廃棄物も人間の経済活動に関わるものだから、これによって人々の暮らしは
便利になったり安全になったりしている。
ということは、「社会状況」に直結しているということになる。


こう考えていくと、多くのあるいは全ての人間活動は「自然環境」「物質循環」「社会状況」の
三つ全てに影響しているという気がしてくる。
たぶん、そういうことなのだろう。



人間も生物だから、生態系の一部である。
ということは、人間が行う活動は生態系の一部である。
石油・石炭を燃やして電気を作ったり、金属を加工して自動車や船や飛行機を作るのも、
生態系の一部である。
そう考えると、化石資源を燃やしてエネルギーにしたり、物を作ったりすることは
本質的に悪いことをしているわけではないということにならないか?

では何が問題なのか?
生物のみの生態系は閉鎖系になっており、資源・エネルギーは循環していた。
閉じた系になっていることで、ある変化が起きても循環を回っているうちに、
徐々に変化が吸収され最終的に収束させることができた。
生物は常に多様になるように働き、循環の経路を多種多数備えることで変化に強く
なっていた。ついには地球の気候すら自らが生存するために都合の良い範囲に
収束させるにまで至った。

これに比して、人間が始めた生物によらない物質・エネルギーの利用は
閉じた系になっていない。
化石資源から物質とエネルギーを得ているが、これを元の化石に戻す経路は
存在していない。一方通行である。
そのため、酸性雨、温暖化、激しい気象の変化などが起こっていると考えられる。
系を安定化させるためには循環サイクルが必要ではないか。



上記のことはあくまで、仮定である。
自分で逐一調べたわけではない。
しかし、これらの知識は何もないところから生まれた空想ではなく、書物なり記事なりから
得たものであるから、全くの虚像でもあるまい。

生物が存在する目的を知る由はないが、その結果を見ることはできる。
そんなことが書いてある本があった。(残念ながら書名は忘れてしまった)
地球は生物がいなければもっと寒かったというものである。
地球が吸収する太陽からの放射エネルギーと地球が宇宙へ放射するエネルギーは等しい。
ところが、生物が存在することでエネルギーが地球にとどまる時間が長くなる。
その結果、地球の温度が上昇しているという。

生物活動の結果は「エネルギーを一時的に蓄えた」である。
その目的など、それこそ知る由もないところだ。


今日はここまで。



長い文をここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。
自分の考えを書き留めることが目的で始めたこの日記ブログですが、
自分の理解を深めるためにも、ご意見を歓迎いたします。
もし、何か感じるものがありましたら、賛成・反対意見ともにご遠慮なく。

いわゆる「環ウソ」を呼んでショックを受けた。
大学教授が、社会一般に考えられていることは実はウソだった、というのだから。
そして、他人が言うことを鵜呑みにし、自ら調べないことは罪なことだと思った。
以前の自分は、他人が調べて結論を出したことをわざわざもう一度自分で調べるなど、
非効率で無用なものと思っていた。
これでも自分は技術者であるから、科学者の端くれであるはずなのに、これではダメだ。

そして、今は「環ウソのウソ」を呼んでいる。
対論を知ることは有意義なことだ。
正しいかどうかを調べているのではなく、あくまで対論を自分の知識に加えるために。


リサイクルというのは大事なことだと思うけど、複雑で微妙な問題だと思う。
どんなに大事と理解していても、それが不経済であれば続かない。
残念ながら本能はそこまで複雑なものを感知してはくれないようだ。
そして、理性を用いてもこの問題に解を求めることは困難であろう。
使用エネルギーを減らすことと、資源消費を減らすこと、どちらが正しいのかなどという問いに
答が見つかるとは思えない。
エコな製品に買い換えようは、良いとも悪いとも言いようがない。

おそらく環境問題というものは、答えが何かという問いではなく、どうしたいかを問うものなのだろう。
”どうしたいのか”これが大事ではないか。
なんだか、新規市場に参入するときと似ている。
まだ見ぬ新たな領域の問題に答えは用意されていない。
実行して初めて答えが出る。
やるかやらないかは、理性的に判断するのではなくやりたい気持ちがどのくらい強いかで決まる。

少なくとも、子供たちに問題を押し付けるようなことだけはしたくないと思った。
できることからはじめよう。


「環ウソ」(および「環ウソのウソ」)ではPETのリサイクル業者が倒産した例が挙げられているが、
自分の働く紙業界でも考えねばならないことは同じだろう。
つい最近まで古紙の価格は中国に買い支えられていたため相当な高値がついていたが、
今は一時の半値くらいになっているらしい。
ところが、国内の製紙メーカーは古紙の購入価格を下げていないという。
これまでと同程度の価格で買い支えないと、古紙の回収システムが破壊されかねないのが
その理由ということだ。

自分は商売に「安定」ということを持ち込むのがあまり好きではないのだが、
ことリサイクルに関しては自由経済の原則に全てを任せるのはあまりに危険で、
しかも不経済なことになるような気がしてきた。
大企業がこのような急激な社会変化に対し、緩衝作用を持つことは悪いことではないと思う。

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