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この旅をしていた時、正直ここまでチベット問題が表面化するとは思っていなかった。 |
チベットまた旅
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ラサの中心にあるポタラ宮の南側にそれはある ポタラ宮からも見えるその岩山には人々の想いが鬱蒼と降り積もっている。 3日目の夕方、ホテルに帰ることなくラサの街を彷徨う私はその場所への入り口を捜していた。 その岩山の上には現在テレビ塔などという無粋なものが中国政府によって建てられ山に登ることは出来ない。以前は山頂にチベットの医療の中心としてメーパ・タツァンという場所ばあったらしい。 しかし、岩山の南側にはパラルプ寺があり、巨大なマニ塚があり現在も人々がお経を岩に刻みつけたものが積まれていっている。 その場所を見たくて入り口を探すが、隠れるように案内も何も無くただ細い路地があるだけ。 やっとのことでたどり着いた私は巨大なマニ塚に圧倒される。 まるでお経でできたピラミッドのようなそれは一体いつのころから積まれはじめたのだろう。そして今日も彼らは岩に経を彫り続ける そして今日も彼らは祈り続ける |
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3日目、幸いにも高山病の症状は出ない この日の予定はデプン寺とラサ市内のラサ博物館 しかしゲルク派最大の寺院であるデプン寺の前には警官達が居た 「今日は寺には入れない。」 詰め掛ける巡礼者達もいたが、聞き入れられるはずもなく 急遽別の場所に行くことに 私がガイドさんに挙げた名前は「ガンデン寺」であった タクシーの運転手と交渉 地図上では50km程の行程、すぐ着くだろうと思っていた しかし「ガンデン寺」への標識を曲がって車は山道を登る登る 途中の斜面には放牧されたヤクの群れ そして私の目に飛び込んできたのは蒼い蒼い空のもと 山の斜面に並ぶ寺院群 高度4000mを超える場所に建てられたゲルク派の総本山 町から隔離された僧院は現在も新しく造られている 文化大革命時、解放軍はこの僧院を破壊しつくした 現在もかつての僧院の跡が残る タルチョはためくこの山の上で それでも僧達はいのり続ける そして人々もこの地でいのり続ける ちょっと豆知識 ・4大宗派 現在チベット仏教の宗派は4つあります ゲルク派・ニンマ派・サキャ派・カギュ派 です。 詳しくはhttp://www.tibethouse.jp/culture/buddhism_4categolies.html にあります だが実際はそれらの宗派の垣根はあまりなく、各寺院も「〜派の寺」とか書いてますが 別の宗派の人も参るし、別の宗派の聖人なんかも一緒に祭ってあります。 |
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セラ寺という寺がラサの町の少し離れにある 離れといってもタクシーで10分位の所だ 山裾に作られた寺院で多くの修行者が問答をするので有名な場所である もちろんその問答風景にも興味はあったが ここはかつて日本人河口慧海と多田道灌が学んだ場所である 河口慧海は鎖国状態のチベットに単身入国を果たしさらに現地で仏教を学んでいるのである インドまで海路で渡りそこからヒマラヤ越えを敢行しラサにたどり着いている 入国は1900年というから105年前である 当時はろくな装備もなかったはずで恐ろしく困難な旅であったと思う 3年間すんだという建物の中には彼の写真が飾られてあった (写真は晩年のものをお弟子さんがもってきたもの) 彼はここで何を見、何を思ったのであろうか 午後3時修行の時間 文殊菩薩が耳を傾けているという場所の横に広場がある そこに坊さん達がわらわらと集まってくる 携帯電話をしながらの者 ふざけあいながらじゃれあう者 眠そうな顔 真剣な顔 藤原信也の本に 「チベットの坊さんは恐ろしく暇なのである」 とあった (なぜか僧の座る場所にたっている仏像) 日本人がイメージする密教とはかけ離れた世界 特に合図があるわけでもなく自然に問答が始まる 2人組みに分かれた彼らは「質問側」と「返答側」 質問側が手を叩く 固定した左の手のひらを右の手のひらで叩きながら質問をぶつける 丁度野球のピッチャーがボールを投げる様子に似ている パチン 返答が不正解だった場合 質問者側は左の手のひらに右手の甲をつけて間違っていると告げる 正解の場合は次の質問につづく パチン 不正解だとからかうように挑発するもの 小学生くらいの小坊主が大人の坊主に一生懸命質問する姿 土曜日曜以外は毎日行われるという問答 土日が休みというのも面白いが、何年もこれではさすがに飽きるだろう パチン ガイドのバチューさんが言う 「チベットのお坊様は本当に良く勉強します。」 やはりお坊様の影響力は大きい 今日もセラ寺ではパチン パチンと音がなっているのであろう 豆知識コーナー ・タンカ 所謂仏画。周りを極彩色の布で飾る。大抵のお寺には秘蔵のタンカがあり中でもデプン寺、セラ寺、ガンデン寺の大タンカは有名。大の大人が1年に一度数十人がかりで開帳する。それを大勢の人々が一目見ようと集まってくる。 通常は仏様や護法神あるいは曼荼羅が描かれているが、薬草や動物の図鑑や人体図なども書かれているものがあり所謂教科書的な意味合いのものもある。 寺院の壁にはたくさん掛かっている。仏具屋で仕立ててもらうことも可能である。私は小さい(それでも結構大きかったりしますが。)のを一枚買いました。 |
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その光景に出会ったのは2日目の朝だった バルコルの周辺を朝の散歩がてら歩いていた私の目にそれはいきなり飛び込んできた 「ポタラ宮」 かつてのチベットの政治・宗教の象徴 実権を失った今もチベットの宗教的なシンボルであることに変わりは無い あまりにも有名なその姿は、ともすれば安っぽくなりがちである 私も遠目に見る姿に思ったより小さいのではないかという印象を受けた しかしその考えはその日ポタラ宮に入ることによって打ち消された 1000を超えると言う部屋数のなかの一部しか観光客には解放されてはいないのだが それですら圧倒的な歴史の重みを感じさせるのだ 外壁は重量を抑えるため藁の様な植物を重ねて作られており その赤と白の美しいのは毎年塗り替えられるからだそうである 宮殿内は撮影禁止であり残念なことにご紹介は出来ないのだが 是非興味を持たれたかたはご自分で確かめていただきたい かつての主人であるダライラマ達が迎え入れてくれる 主であるダライラマ14世が不在であるにもかかわらず 人々にとってはチベットの象徴であり 日々ポタラ宮の周りには参拝客が絶えない 刻々と姿を変えるポタラ宮 その姿は今日もあの地で輝いているのだろう ちょっと豆知識 ・ポタラ宮 主に紅宮(ポタンマルポ)と呼ばれる中央の建物、白宮(ポタンカルポ)と呼ばれる東側の建物に別れる。 元々は山に洞窟が沢山あり、そこを修行の場所としていた その上に17世紀、時の政治・宗教を掌握したダライラマ5世が白宮を建て その後増築を重ね現在の姿に 紅宮では主に宗教行事を執り行うため立体曼荼羅や各ダライラマの 霊塔が安置されている 白宮では主に行政を執り行う場所、ダライラマ謁見の場や執務室がある ・ダライラマ 観音菩薩の生まれ変わりとされる活き仏。 以前はチベットの政治・宗教の中心人物であった その選出方法は特殊で、以前のダライラマが亡くなると生年月日や占い等でもって 次代のダライラマを選ぶ 現在のダライラマ14世はインドに亡命中である また中国政府によりチベットの人々はもとより外国人も14世の写真を所持することは 違法となっている それだけ影響力をおそれられる存在 ・活き仏 その字のとおり人間界に光臨されたとされる仏様 上記のダライラマのほか最も有名なのはパンチェンラマで阿弥陀如来の生まれ変わりと言われている 現在このパンチェンラマもダライラマが選出した人物と中国政府が選出した人物に分かれておりダライラマ選出の人物は亡命中。中国政府選出の人物は民衆には殆ど人気が無い チベットのどのお寺にもダライラマ・パンチェンラマの玉座が設置されている |




