神谷光信

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アラン・ワッツと出会い、禅にインパクトを受けつつも、ワーナー・エアハードは数多くの書物を渉猟する努力を続けていた。エリック・バーンはともかく、エーリッヒ・フロムにも親しんだことは、フロムをさほど高く評価してこなかった私には興味深い。

当時彼は、あいかわらずブックセールスの仕事をしていたが、部下のセールス・パーソン(女性たち)を相手に、定期的なミーティングを行っていた。
そこで彼は、セールステクニックではなく、コミュニケーションとヒューマン・ポテンシャルについてもっぱら語っていたようだ。

当時の部下の女性の証言によれば、ワーナーは、彼女たちがインテグリティ(誠実さ)なしに働くことを望んでおらず、彼女たちが顧客に対してマニュプレイト(操り)を行わないよう指導していた。マインドは、売りたい、説得したい、マニュプレイトしたい、と望む。販売は、完全にマインドの事柄なのだとワーナーは考えていた。

ワーナーが彼女たちに教えたことは、インテグリティにかなったあり方をしているとき、その場は、顧客にとって、買うか買わないかを主体的に選択できる安全な場所となるという考え方である。顧客(子どもを持つ母親たち)は、時に、セールスに来た彼女たちに、「私はこれを買うべきかしら」と訊ねることがある。その時に、彼女たちは勢い込んで「そうです。買うべきです」とはいわない。いうべきでない。それは一般のセールスだ。「さあ、それは私にはわからないことです。もう少し話をかわしましょうか」というのだ。これがインテグリティにかなう態度の一例である。


私がここでふと思い出すのは、est修了者のために用意されていたGSLP(ゲスト・セミナー・リーダーズ・プログラム)のなかで、トレーナーが参加者に、「estを売らないでください」と強調していた事実である。ゲストイベントなどでのアシスタントとして、「estをおやりになりますか」とゲストに聞くことはある。それはゲストにestに参加するか、参加しないかを選択をしてもらうためである。相手が選択として「やらない」というのであれば、それはそれでかまわない。

しかし、人間は、心理的反応として「やらない」ということがある。これは選択とはいえないだろう。機械的な、パペットとしてのマインドの反応であり、過去の、類似した場面での行為の反復である可能性が高い。自分の、いつも、すでに、の在り方が如実に出る場面、それがゲストイベントなのである。それに気がついたとき、やると選択することが初めて可能となる。「誰ででもある自分」ではない自己がそこに現れる。

マニュプレイトしてestを売っても、4日と1晩を本人がやり遂げることは不可能である。自分の責任として、選択として、決断として、estにサインナップするのでなければ意味はない。そうした選択の場を提供するあり方が、インテグリティのあるあり方なのだといえる。ワーナーが部下の女性たちに求めたものも、それである。

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