神谷光信

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昨日紹介したキリスト教の伝道師ボブ・ラルソンのエスト批判は、要するにこういうことだ。エスト(フォーラム)は、自分をゴッドとするセオリーを持っている。そしてこれは禅仏教と同じである、というのである。

体験という世界において、われわれ1人1人は、それぞれがソース(源泉)である、とエストではいわれる。例えば、今部屋が暑いと感ずる人もいれば、ちょうどいいと感ずる人いる。同じ環境でも、人により異なる体験を持つ。その自分の体験を、各人はクリエイトしているとも言いうるから、その意味で、その自分の体験にレスポンシビリティ(責任)を負う。このように考えることで、人は環境の犠牲者であることをやめる。

このように考えれば、自分が体験する宇宙のソース(源泉)が自分である、という見解は、各人が自分をゴッドと認識するセオリーだと受け止められることも理解できなくはない。けれども、これをエストでは「真実」として「ビリーフ」することを求めていない。ただ、信じるな、体験しろ、というのみである。

ラインハートの『エストの本』では、ゲット・イットのセッションの後のミール・ブレイクでの参加者同士の会話が再現されている。「私はマインドがマシンだとは考えないわ。けれども、私は自分のマインドがマシンだとういことを体験したの」そして、別の1人は、自分はマインドがマシンだとは考えない。イッツ・オーケー。それはただそう考えたときに考えたというだけのことだ、と納得する。

そもそも、エストはきわめて実践的な力づけのプログラムであり、神学のような体系的セオリーではない。トレーナーが参加者にいうことは、ワード・ゲームをするための出鱈目だとトレーナー自身が公言し、自分のいうことを信じるな、と強調していることを、ラルソンはどうしても理解できないように感じられる。

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