神谷光信

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フォーラム3日目(日曜日)。「ビコーズ」についてもう少し記したい。「バスが遅れたから遅刻した」という会話はごく日常的な論理構造だが、フォーラムにおいては「合理的(リーズナブル)」な会話である。「バスが遅れた」という「おきたこと」と「遅刻した」という「おきたこと」は、それぞれ別々の事柄である。

要するに、どのようなフレームワーク(思考の枠組)で物事を見るかの問題であり、フレームワークを大きくしていけば、風が吹けば桶屋が儲かるという話になり、さらにそのフレームを宇宙大に拡大すれば、世界は、たださまざまな出来事が個々別々に相互に無関係に生起しているだけである。

そして、その世界は、われわれ1人1人の「クリアリング」、あるいは「スペース」に起きているから、バスが遅れたのも、他国で爆撃が起きたのも、自分がソースである、自分の責任であるといいうる。

ところで、フォーラム・リーダーは、参加者たちが深い洞察なりを得て真剣な顔をしてうなずいていると、「私のいうことを信じないでくださいよ」と改めて念を押す。「何か、皆さんは、私が真理を語っているような顔をしていますよ。すべて出鱈目、可能性としての会話をしているだけですよ。忘れないで下さい」

参加者が、挙手をして立ち上がり、自分の洞察を断定的にシェアするとき、リーダーはそれを肯定するどころか、明るく笑いながら、「××さん、もしかしたら、そうじゃないかも」といって、発言者を一つの見解に固定させない。

さて、日曜日の午後に、フォーラムで最重要な区別(ディステインクション)が創作される。われわれのあり方が過去にいかに深く浸透され規定されているかということが、1日目からのインタラクションにより、参加者たちには明確になってきている。「ぺてん」にせよ「ウイニング・フォーミュラ」にせよ、過去の出来事(おきたこと)に原因している。

われわれは、問題を解決しよう、努力して少しでも良くしよう、と考える。しかし、ある問題を解決すると、その結果、新たな問題が発生する。変えよう、変えようとする限り、事柄は継続する。それをそれとしてそのままにしておくとき、存在を与えるとき、それは自分をそのままにしておいてくれる。抵抗すればするほど、継続する。悲しみに抵抗すればするほど、悲しみは自分をとらえ続ける。悲しみをそのままにしておくとき、悲しみは自分をそのままにしておいてくれる。「チェンジ」と「トランスフォーメーション」との違いである。

われわれは、過去に現在の在り方を規定されている。その現在の自分は、未来においても過去に規定された現在のあり方をしているから、要するにこういうことになる。過去は過去、現在は過去、未来も過去。5年後の自分を知りたければ、5年前の自分を見ればよい。人生は「エンプティー(空っぽ)」で「ミーニングレス(意味なし)」。

この「エンプティー」で「ミーニングレス」というのが、フォーラム最大の区別である。リーダーは、参加者たちが意気沮喪するほど強く、長い時間をかけて、われわれの人生が「無」であることを言い募り続ける。「人生は空っぽで意味なし」「人生は空っぽで意味なし、という言葉自体が、空っぽで意味なし」。

参加者の1人が立ち上がり、「そんなの嫌です」という。「それがどうしたの? 人生は意味なし、空っぽ、無! 過去は過去、現在も過去、未来も過去。われわれの人生は、バックミラーをハンドルの変わりに握りながら、機械のように自動車を運転しているようなもの。」

(私自身が最初に参加したフォーラムで、このセッションにまで到達したとき、私は椅子に腰を下ろしたまま黙っていたが、眼前の部屋の床の横線が、実際に斜めに傾ぐような深い衝撃を受けた。)

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