神谷光信

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世界美化の思想(15)

あとから思い出したのですが、トーマス・マンは、われわれの生は、先人たちの「轍(わだち)」を踏んでいくと、確か、書いていたのでした。

さて、世界戦場化の時代にあって、世界を美化するという実践美学は、考えて見れば、きわめて道徳的な要請だと捉えることができるでしょう。

ウエーバーは、神も預言者も遠ざかった時代においては、小さな神々がその代理をすると言いました。それは、たとえば国家であり、芸術であり、エロスです。

「神」がわれわれの人生に意味を与えたように、国家はわれわれに死を命じることができる。つまり、自分の人生に崇高な意味を与えることができるのです。国のために命を捧げることは、美しい行為として称揚されます。しかし、国家のために死ぬことは本当に美しいことなのでしょうか。世界を美化することなのでしょうか。

今道先生は、アリストテレスが共同体のために死ぬことを徳として捉えていることについて語ったときに、現代ではこれはあてはまらないとしました。理由は二つあって、一つは現代の戦闘行為がアリストテレスの時代とは大きく異なっていること。もう一つは、イエスの十字架での死以前の世界に彼が生きていたからというものです。

他者のために自らの命を投げ出す行為をわれわれは「愛」と呼びますが、国家ではなくとも、何か大義のようなもの、信念のようなものに殉じることは、美しいことと考えてならないものなのでしょうか。これは難問に思えます。

世界美化の思想(14)

自分自身の人生を作品化する、という言葉を、今道先生は本の中で書いたことがあります。この言葉に私は強い印象を受けたのでした。

自分の人生の作品化とは、どういうことでしょうか。芸術化と言い換えてもいいのではないでしょうか。なぜなら、誰でも自分の人生を美しい作品にしたいと思うに違いないからです。そして、美しい作品とは芸術にほかならないからです。

人生は、自分で支配することができません。人間的な努力だけで人生が思うようになるものでないことは、誰でも知っています。何かそこには運命的なものが関与しています。人生は謎めいています。芸術のように!

芸術が、作家の自己表現ではないように、人生という作品もまた、もしかすると、「私」の自己表現ではないのかもしれません。

トーマス・マンが、「ヨゼフとその兄弟たち」などを通して、われわれ個人が、つまり、一人一人の誰でもが、先人たち、すなわち死者たち、祖先たちの生の軌跡を辿っていくと語ったのは、含蓄のあることです。

私たちは、物語の中の誰かに良く似ています。絵画の中に、私たちは自分を発見することもあります。崇高な愛の悲劇が世俗化した姿を、私たちは新聞の三面記事に見出します。

人生の作品化と、社会の芸術化とは、どういう関係にあるのでしょうか。人間的努力だけで、社会は芸術化することができるのでしょうか。

世界美化の思想(13)

芸術の世界には善悪の区別がないというのは、不正確な言い方で、善も悪も自由に解放されているという方が正確です。現実世界にも善悪が存在しますが、そのような現実世界の真実が凝縮された芸術世界では、道徳的な制約が現実世界とは違ってありません。

社会全体を芸術化しようとした人に、ヨーゼフ・ボイスのような人がいます。彼がどのような社会を目指したのかは、慎重な検討が必要でしょう。社会全体が芸術であるというのは、一体どのような思想なのでしょうか。

第一高等学校時代の恩師である片山敏彦について、今道先生は「片山先生はもうまったく芸術と夢だけで生きているような感じでした。いや、あの方の現実がわれわれの夢なのでしょう」と語ったことがあります。

われわれは現実に生きているのであって、夢に生きているわけではありません。片山についてはかなり詳しく調べたことがあるのですが、ファシズムに傾斜していく時代に、彼は時局にほとんど抵抗することができませんでした。

加藤周一さんは、本当によく訪れていたのですと、片山のご遺族からうかがったことがあります。戦後、加藤さんが片山に距離をとるようになっていったのは、現実世界への対決的な姿勢という観点から「芸術と夢だけで生きていた」片山に対する評価の変化があったからだと私は思います。

世界美化の思想(12)

世界を美化することと、世界を芸術化することは、やはり違うのではないかというのが、私がぼんやりと考えていることです。

ヒットラーは画家志望の青年でした。ナチスの美的センスはずば抜けています。以前に触れた制服ひとつをとってもそうです。それは、ヒットラーが芸術家を目指したことと無関係ではないのでしょう。久世光彦さんが、少年時代にナチスにどれだけ魅了されかを、小説に書いています。

現実と芸術を区別する必要ということを、前回書きましたが、建築や服飾などは、両者の境を曖昧にするものでもあります。音楽体験は、自分の内部の体験なのか外部の体験なのか、そもそもわかりません。したがって、緻密な議論をしようと思うと、なかなか大変です。

街角の音楽家はどうでしょうか。すばらしい演奏で往来の人々を魅了する彼らは、現実に出現した芸術そのものです。彼らの新鮮さは、いつもはいない場所で演奏するからです。常日頃、現実世界から芸術が隔離されているからこそ、意表をつく彼らの出現が、ハプニングとして色褪せた現実を活性化するのです。そして世界は元の現実に戻ります。

モーツアルトの名曲も、10時間強制的に聴かされると無意味化すると、中井久夫先生が書いていました。それは兵士が訓練によって、人を撃つことが無意味化するのと同じです。

24時間芸術の世界に耽溺するのは、おそらく危険なことです。芸術の世界は、善悪がない世界だからです。少し言葉が足りませんが、今日はここまでにします。

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