神谷光信

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マルローの「空想の美術館」は、電脳空間の三次元美術館が可能となった今日からは、先駆的な発想があったと考えられるものであろう。マルローの後半生は独自の美術論で彩られているが、改めて読みかえしてみる重要性をもっていると私には思われる。

ここ数年、アルジェリアに注目してきたので、アフリカ世界全土に関して再勉強しつつ、イスラーム世界について自らの視野を広げようと努力しているが、その一方で、ユダヤ教とイスラエルについても再勉強している。マルローにはアジア世界が重要だったが、彼の視野にはアフリカとイスラーム世界は入っていない。

政治家マルロー。そして美術史家マルロー。インドネシアとアルジェリアの独立に関するマルローのスタンスと、彼の美術論とは、どのような関係があるのだろうか。ここが重要なポイントであろう。

相変わらず、片っ端からマルロー関係の書物を読んでいる。中野日出男氏の「アンドレ・マルロー伝」は2004年発行で、10年前の本とはいえ、マルロー関係の中では比較的近年の作物に属する。

14章「崩壊するフランス植民地帝国」は、インドシナ、アルジェリア独立戦争時代のマルローの立ち位置について教えられる文章だった。中野氏は、ジャン・ラクチュールの書に多くを負っていると自ら記しておられるが、ちょっと興味を引かれる本である。

日本語文献のなかには、首を傾げるような内容の本もあることがわかってきたが、マルロー自身については、調べれば調べるほど興味をそそられる人物である。

マルローについて、諸家がどのように語っているか。そこにも私の関心はある。渡邉一民氏が「征服者」を新訳していたことを知ったが、解説文を読むと、氏がマルローに相当惚れ込んでいたことがわかる。

林俊(はやし・たかし)さんの『アンドレ・マルローの「日本」』(中央公論社)を読んだ。雑誌「マリ・クレール」に連載したものとのことだが、私は知らなかった。『小松清』の共著者クロード・ピショワ氏は、林さんがパリ第三大学に留学中の恩師であることがわかった。

マルローと小松の数多くの手紙が紹介されている。どれも心の籠もったもので、二人の友情が本物であったことが伝わってくる。読み終えて思ったことの一つに、1930年代のパリは、小松だけのものではなかったということだ。高田博厚も片山敏彦もいたし、岡本太郎もいた。

林さんの書では、マルローやジイドと小松の関係に焦点が絞られているわけだが、当時フランスにいた日本人たちは彼等とどのような関係があったのか、なかったのかを知りたいと思った。これはつまり、自分で調べてみたいと思ったということである。今橋映子さんの本ももう一度読み返してみよう。

有名無名の大勢の日本人が、パリを訪れている。辻邦生は、留学中に、日本人芸術家の色紙をコレクションしているフランス人から、何か書いてくれといわれた。コレクションの一部を見せてもらうと、聞いたことのない名前ばかりであった。彼らは皆、青雲の志を抱いてパリに来た人たちであったはずであることに辻は気がつく。彼らはパリで、無名のまま朽ち果てていったのである。

林俊、クロード・ピショワ両氏による大著「小松清――ヒューマニストの肖像」(白亜書房)を読み終えた。必要があり、マルローについて調べるなかでこの本の存在を知ったのだが、小松について私はほとんど無知であったので、教えられることが多かった。1935年に雑誌「時代」を土方定一らと創刊したという事実もそうした事柄の一つである。

1920年代、パリで小松がホーチミンと親しくしていたことにも驚かされたし、フランス郵船マルセイエーズ号の初代パーサーがマルローの友であったこと、1951年にその職を引き継いだ男がとんでもない人物であったようなことも、興味をそそられる記述だった。鎌倉近代美術館で若いときに企画展で見た水墨画の画家近藤浩一路の名前が出てきたことにも驚かされた。

しかし何よりも、マルローと小松の深い友情に、私は動かされた。戦前の日仏交流について、自分の理解がまだまだ浅いことを痛感させられた。マルローも小松も仏領インドシナと関係が深く、フランスの植民地主義に対する反発も共通している。マルローが近年読まれなくなっているのは何故なのか。

ほかにも数冊、マルロー関係の書を読んで一週間を過ごした。カンボジアの盗掘事件で若いマルローが窮地に陥ったとき、思想的には違う位置にあったブルトンが一肌脱いだ挿話からは、ブルトンに対する敬意が増した。マルローの主要著作を、改めて読み返してみたい。

鷲巣繁男の山梨時代

富士宮市在住の遠藤直巳さんという未知の方が、市民文芸誌「ふじのみや」(富士宮市教育委員会発行)40号を送ってくださった。遠藤さんは「天子湖にて」という文章を書いておられる。内容は、山梨県南部町の天子湖を町営バスで訪ねたものだが、私が驚いたのは、それが鷲巣繁男を訪ねる小さな旅であったことである。

遠藤さんは、1980年頃に、「記憶の泉」「聖なるものとその変容」「ポエーシスの途」3部作をきっかけに鷲巣さんの愛読者になった方らしい。私と同じである。鷲巣さんは、終戦の年に、一時期、山梨県南巨摩郡にいたことがある。ダム工事の現場監督のような仕事をするのだが、このダムが柿元ダムであることを遠藤さんは知り、現在はそこが天子湖となっていることもお調べになり、足を運ぶことを思いつかれたのである。

1日に3本の運行しかない町営バスに乗り、遠藤さんは天子湖に行く。バスは折り返し運転になるので、30分の滞在しかできない。遠藤さんは、持参した日本酒のワンカップを開けて、湖面に酒を注ぐ。そして、鷲巣さんや、現場で働いていた朝鮮人労働者に思いを馳せる。

「セレモニーは終わった。これで十分だった。自分ひとりが納得するだけのささやかなセレモニーではあるけれど、思ってきたことを実現できたのだから、それで満足だった。」と遠藤さんは記している。描写が細かく、読み進めながら、私が行ったことのない天子湖のようすが目に浮かぶようで、何度か繰り返し読んだ。

鷲巣さんは、1915年生まれで、亡くなったのが1982年だから、一昨年が歿後30年、来年が生誕100年である。私が「評伝鷲巣繁男」を出版したのが1998年。実際に執筆したのは1994年から1996年のことで、ずいぶんと昔の話である。現在の若い人たちは、彼の名を知らないだろう。遠藤さんのような読者がいることが、しかし、詩人の栄光なのかもしれない。


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