神谷光信

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「花の世界の無限の遠さ」(「同時代」19号、2006年12月)

特集「フォルムに宿る聖なるもの」のために書いたエッセイ。タイトルはノヴァーリスのフラグメントから採った。感覚的現実界(自然界)に存在するさまざまなフォルムと永遠との関係を探ったもの。いわば私の世界観原論を語ったもののように、今にすれば思える。

……雲や水の流動性を見ていると、植物にせよ動物にせよ、生命を持った存在が、固有のフォルムを獲得するために費やしてきた途方もない歳月を思わずにはいられません。そしてわたしは、このような世界を創造した神を讃美せずいはいられない。書物や典礼を通じてではなく、自然界の観察を通して神を考えることができるようになったのは、息子を授かったおかげです。『ファーブル昆虫記』も、わたしにとっては、これほどおもしろい神学の書はないのです。

……花の世界の無限の遠さ。地上に咲き誇る花々が、徐々に萎れ、変色し、縮れ、最後には風に吹かれて飛び去る塵と化すように、わたしも、そしてわたしの息子たちも、いつか土に帰ります。無からの形成、そして無への衰微。そこにかかわる目に見えぬ力を思うとき、今ここに現存する生命(フォルム)たちは、無限に遠い聖なるものとかかわっている――そんなふうに思えてならないのです。

この文章は、「現代詩手帖」の詩誌月評で、杉本徹氏が過褒とも感じられるほど好意的に取り上げてくださった。

「あるニヒリストの肖像(上)高橋義孝『ナチスの文学』の戦略」(「羚」8号、2003年6月)
「あるニヒリストの肖像(下)高橋義孝の戦後」(「羚」9号、2003年9月)

高橋義孝は大正二年生まれである。昭和七年に東大入学。昭和十年トーマス・マンに関する卒論を提出して大学院に進学。昭和十二年、フンボルト給費生としてドイツに留学した。時あたかもナチスの時代である。ベルリン大学、ケルン大学でドイツ文学および哲学を専攻。昭和十四年、日中事変による送金不能により帰国。東京府立高校教授となる。同年召集されたが二ヵ月後に召集解除。旺盛な執筆活動を開始する。
『ナチスの文学』(昭和16年)は、高橋の初めての著書である。はしがきの冒頭において彼は「ナチスの文学とは何か」と問い、「政治文学である」と答える。その論証は緻密を極める。高橋の頭脳の明晰さは、ほとんど精密機械のごとくである。
高橋の戦略はこうである。この学術書は「ナチスの文学の紹介」を意図したもので、「著者一個の批判や見解を全く郤けて、専ら厳密な客観的叙述に意を用ひた」作物なのである。実際この本を読むと、タイトルから想像されるようなナチス文学礼賛、ナチス礼賛の言説を見ることはできない。著者は首尾一貫して沈着冷静、「厳密で客観的」たりえない政治と文学の生臭い関係いついえは一切沈黙している(ように見える)。
「反ドイツ的作家」ヘルマン・ヘッセ、トーマス・マンについても触れている。マンの「明徹な批判精神の産物である幾多の作品と評論とが再びドイツの精神を豊かにする日が来ないかどうか、何人にも断言することは出来ないやうに思はれる」という分析は、ナチスの不見識を暗黙に批判している。また、リルケに関する6頁にわたる叙述は、クリスタルガラスのような彫塑的文体と相まって、息を呑むばかりに美しい。
高橋の真骨頂は、ナチスの詩に関する記述に極まる。ナチスの文学において、特に詩に見るべきものが多い、と冒頭で持ち上げた高橋は、「ここに挙げた二人の詩人の作品は、(中略)ナチス的ドイツの続く限りは絶対不動の詩句として永久に確乎たる位置を占めるであらう。」と結ぶ。
最後の件は凄い台詞だ。高橋は「旗、突撃連帯、ハーケンクロイツ、褐色のシャツ、ニュルンベルグの体験」などが主題である「わき起こる男の歓声」を、ばかばかしく無価値とみなしているのである。彼は「褐色戦線の叙情詩人」と呼ばれた詩人について、「彼の詩は、新しい世代の人々に対しては世界観的な指標となつてゐる。文学賞も多数受けてゐる」とまで記す。文学賞という「現在の正統」を根拠づけるものにしか評価sれない代物であると痛烈な皮肉をとばしているのである。
ナチス文学に対する彼の「悪意」は、第二作『構想する精神』(昭和17年)においてさらに発展する。冒頭で彼は、二人の詩人の作品を並べる。ひとつは「今日のドイツの精神的人間によつて徹底的に拒否されてゐる表現主義の騎将」詩人のもの。もうひとつは「ナチスの革命以来党に所属し、中央部文化局員であり、突撃隊文化部員」の詩人のものである。
高橋は二つの作品を比較検討し、「ナチスの文学を代表してゐる詩が、殆ど昔の表現主義の詩人たちと同じやうな究極のものへの狂熱主義を漲らせてゐる」事実を指摘する。一方の「主よ」という言葉を「ドイツ」という言葉に置き換えると、「『唾棄すべき』表現主義者の詩は忽ち褐色の突撃服を着た党員の詩と左程違ひがなくなつてくるやうにさへ思はれる」。このような大胆不敵な曲芸は、高橋でなければ到底できなかったであろう。
また別の箇所では、「堕落芸術展覧会」で堕落芸術の見本として陳列されているオスカー・ココシュカの絵画が、チューリッヒの美術館では尊重されている事実を挙げることで、高橋は、ナチスの価値観を相対化し、「我々の異常なる時代は、芸術にあつてさへも嘗て無かつた果敢な決断を迫つてゐる」とも述べている。要するに、高橋は、ナチスの文学を全否定しているのである!
ファシズム体制の最中にあって、こういう生き延び方もあったのかという驚きに打たれる。ナチスに荷担する言動に与することは、潔癖な高橋にとって、学者としての自殺行為と明確に認識されていた。そこで彼は死中に活を求めたわけである。二十九歳の高橋義孝は、「ナチスの文学」という時の権力が文句のつけようのないタイトルとすることで処女出版を容易にし、「厳密に客観的」な記述に徹することで、ぎりぎりのところで学問的誠実さを守り、ナチス文学、殊にその詩を高く評価するような言説によって、暗にその芸術的無価値を表明しつつも、結果的に国家からは「戦争遂行重要人物」と認定されて徴兵免除のお墨付きを得ることに繋げていったのである。
権力相手の大芝居。ギコー先生の面目躍如たるものがある。しかも、ナチス体制が崩壊し、日本が戦争に敗れた後も、中途半端なドイツ文学者と違って、いかなる弁疎も無用であった。管見の限り、戦後に巻き起こったいわゆる文学者の戦争責任論議において、高橋はひとり超然としていることができたのである。
このようにして戦中をくぐり抜けた高橋は、戦後は、衆を頼むマルクス主義文学信奉者たちの、正面切った最大の原理的敵対者として活動を展開していくのである。

(承前)
マルツによれば、そのようにして、ネガティヴなセルフイメージをよりよいものにしてしまえば、人はもはや自分の不健全な在り方の原因を、両親やら社会やら子供時代の体験などのせいにすることができなくなる。

ここがフロイディアンとマルツの相違点だとバートレーはいう。つまり、マルツは、パーソナルチェンジのために、トラウマティックな過去の体験を探索しなければならないという仮説を拒絶するのである。
彼はまた、心理的苦痛の源泉(ソース)を「無意識」にも求めない。人間は、過去のデータのみならず意識的な思考をも含めて、サイバネチィックな仕組み全体に責任をとらねばならないのである。

「夢想と戦慄」

「夢想と戦慄」(「同時代」17号、2004年12月)

フランス文学者で詩人の清水茂先生が声をかけてくださり「同時代」の同人となってから四年目となる。
高校時代、辻堂から国鉄で藤沢へ出て、そこから江ノ電に乗り換えた。帰りは必ず藤沢の有隣堂書店に立ち寄る。雑誌のコーナーでは、法政大学出版局から発売されていた「同時代」を手に取ることがあった。「ユリイカ」や季刊文芸誌「牧神」などが好きな雑誌だったが、「同時代」は、すっきりとした表紙も、活字ばかりがぎっしりと並んだ本文も、知的で気品のある大人の雑誌という印象を放っていた。当時は、二十数年後に自分がその同人となるとは想像もしなかった。

「夢想と戦慄」は、「同時代」がいかなる精神によって発行されてきたのかを私なりに検証しようとしたものだ。第2次「同時代」は、1955年から1993年にかけて発行された。つまりファシズムの時代をくぐり抜けた人々によって、米ソ冷戦時代に発行されたということである。1996年に復刊された第3次「同時代」は、冷戦終結後の民族紛争とテロリズムの時代に発行されている。
とはいえ、「同時代」には、その誌名とはうらはらに、ジャーナリズムを賑わわせる争論のような、政治的状況への直接的参与を示す文章を見いだすことができない。これは詩人と名乗りながら一冊の詩集も持たなかった宇佐見英治のパラドクシカルな在り方と照応している。超俗的印象を与える「同時代」だが、おぞましい現実から目を背けて芸術の世界に閉じこもる逃避的精神とは無縁の理念を持っていることには注意しなければならないのである。
宇佐見英治は過酷な戦場体験を持つ人であった。彼は片山敏彦を尊敬していたけれども、片山のように「地下の聖堂」で一人祈るという在り方を選ばなかった。詩人の営為は私的なものでありながら、公的なものに結びつかなければならない。そして政治権力と結びつくことのない知的共同体を形成するものでなければならない。宇佐見英治はそのように考えていたと私は思う。
ベネディクト会ソレームのサン・ピエール修道院からの連想かもしれないが、「同時代」は、時代の政治的熱狂のただなかで、覚醒した夢想を織り続ける芸術上の観想修道院のように私の目には映るのである。そしてこの修道院は、世の中に公開されている。
宇佐見英治が兄事した齋藤磯雄は、戦時中、ボードレールとリラダンの研究翻訳に沈潜していた。修辞の限りを尽くした絢爛豪華な文章は、軍隊の指令言語とも、大衆動員の宣伝言語とも違う「詩の言葉」に他ならなかった。過剰ともいえる言語愛。言語で築かれた別天地は、現実に対する夢想の勝利を語っている。
宇佐見英治には、片山敏彦の明澄な肉声に行き着くものがあった。その一方で、齋藤磯雄の荘重華麗な役者の声に行き着くものもあった。この二人はいずれも難攻不落な夢想の城に立て籠もり、隙あらば攻め入ろうとする褐色のペストのような時代の狂気を峻拒していたのである。……

第3次「同時代」は舷燈社から発売されている。宇佐見英治が第2次「同時代」を法政大学出版局から発売し、一般書店に置くことにこだわったのは、「同時代」が内輪の同人誌であってはならず、パブリックなものとして、世の中に発信するものでなければならないと考えていたからである。
現在、「同時代」は一般書店には置いていない。しかし、近日中にホームページができることになっている。取り次ぎを通して書店に並べなくとも読者と直接結びつくことができるのである。これを知ったら、「同時代」を創刊した宇佐見英治はさぞかし驚くことであろう。

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