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世界を美化することと、世界を芸術化することは、やはり違うのではないかというのが、私がぼんやりと考えていることです。
ヒットラーは画家志望の青年でした。ナチスの美的センスはずば抜けています。以前に触れた制服ひとつをとってもそうです。それは、ヒットラーが芸術家を目指したことと無関係ではないのでしょう。久世光彦さんが、少年時代にナチスにどれだけ魅了されかを、小説に書いています。
現実と芸術を区別する必要ということを、前回書きましたが、建築や服飾などは、両者の境を曖昧にするものでもあります。音楽体験は、自分の内部の体験なのか外部の体験なのか、そもそもわかりません。したがって、緻密な議論をしようと思うと、なかなか大変です。
街角の音楽家はどうでしょうか。すばらしい演奏で往来の人々を魅了する彼らは、現実に出現した芸術そのものです。彼らの新鮮さは、いつもはいない場所で演奏するからです。常日頃、現実世界から芸術が隔離されているからこそ、意表をつく彼らの出現が、ハプニングとして色褪せた現実を活性化するのです。そして世界は元の現実に戻ります。
モーツアルトの名曲も、10時間強制的に聴かされると無意味化すると、中井久夫先生が書いていました。それは兵士が訓練によって、人を撃つことが無意味化するのと同じです。
24時間芸術の世界に耽溺するのは、おそらく危険なことです。芸術の世界は、善悪がない世界だからです。少し言葉が足りませんが、今日はここまでにします。
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