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もう20年以上前のことだ。勤務した会社の報奨旅行でオアフへ行った。
バブルに向かう景気の良かった時代。所属する部門が設定した売り上げ目標を、
クリアすると三日間の休暇と報奨金が貰えた。
ただし、海外旅行を企画して、実際に旅行を催行することが条件。
インセンティブの金額の多寡は、目標の達成率と順位で決まった。
オアフは2回目だったが、そもそも三日間の休暇だと、近場のビーチリゾートが相場。
連休とくっつけて、4泊6日のハワイ旅行が精々だったように記憶する。
ホノルルに着いたその日は、ホテルのチェックインまでの時間つぶしに、
バスで市内観光というのが当時のパターンだった。
その日も、ツアーの一行はホノルル郊外の「パンチボウルの丘」へ。
太平洋戦争以降の戦争で命を落とした、米軍兵士が眠る国立太平洋記念墓地がある。
ふと足元を見ると、真新しい墓碑に南国の花が手向けられていた。
地面に埋められた墓碑銘には、
“ELLISON S ONIZUKA”“ASTRONAUT CHALLENGER 51L”の文字。
スペースシャトル・チャレンジャー号に乗り込んだ宇宙飛行士、オニヅカ中佐の墓だった。
1986年1月28日。チャレンジャーは打ち上げ後73秒で空中分解し、
衆人環視の中、7名の宇宙飛行士がフロリダ州ケープカナベラルの空に散ったのだった。
エリソン・オニヅカ中佐は日系人初の宇宙飛行士だった。
日系2世の両親の元、1946年生れ。祖父母は福岡県浮羽郡の出身だとか。
オニヅカ中佐は生前、自らのルーツを求めて、福岡に来訪されたこともあるとか。
そのスペースシャトルが、先週最後のフライトへ。来週帰還する予定だ。
初飛行が1981年だそうだから30年前。私が新卒で就職した年だ。
30年。一つの時代が終わったのだろうか。
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