宇目郷 温故知新録

子供の頃の記憶を手繰りながら宇目の里を訪ね歩き記録しています。

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宇目の石造物

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桑ノ原  石造   台座に牛の彫刻がある


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尻無しの尾 大日如来




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小藤  大日如来



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小藤 金剛界大日如来 



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切畑 山の神?天神様?



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藤河内 山の神?天神様?


藤河内集落から木浦に行く道。(藤河内から尾越、天神原、大切峠、木浦)
昭和30年頃藤河内の中学生が毎日歩いていた通学路でした。

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家の背後にある大木の所に集落の墓地がある。昔はこの家の庭先を通り、墓地を抜けて川(藤河内渓谷)を渡り
しし落としがある尾根を越えて観音滝まで行く歩き道があった。


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木浦に行く道、歩く人はいないようです。
若い頃石鎚山に登るため臼杵湊から八幡浜港へフェリーで渡りひよんな事から瞽女ヶ峠を越えた事があり
瞽女さんといえばといえば北陸のはずだがと疑問に思いつつ車を走らせた事があった。
30年ほど前のことであるが四国の道路事情は海岸線を走る道路は良いのだが峠越しの道は狭くヘアーピン
の連続正に酷道であった。八幡浜から瀬戸内側の保内へ近道をしようと山越えをしたらひどいめにあった。

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瞽女ヶ峠の名は近くに平家谷という地名があることからも落人伝説に関係があり壇ノ浦の戦で源氏方に敗れた平氏がおちのびて隠れ住んだところではなかろうか。
瞽女さんといえば北陸 越後を思い浮かべる人が多い。私も何故四国にあるのかと思いました。
今はネットでポンと答えが出てくるご時世です。本当にありがたい長年の疑問が解けました。




伝説の内容は伝承によって多少異なるが、おおむね以下のとおりである。
月岡芳年『新形三十六怪撰』より「葛の葉きつね童子にわかるるの図」。
童子丸(安倍晴明)に別れを告げる葛の葉と、母にすがる童子丸の姿を描いたもの。

村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、
和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。
摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。

    恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。

保名は書き置きから、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知り、童子丸とともに信太の森に行き、姿をあらわした葛の葉から水晶の玉と黄金の箱を受け取り、別れる。数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭に任ぜられる。しかし、蘆屋道満に讒奏され、占いの力くらべをすることになり、結局これを負かして、道満に殺された父の保名を生き返らせ、朝廷に訴えたので、道満は首をはねられ、晴明は天文博士となった。

詳しくは下記のリンクをポチッとして。


祭文 松阪「葛の葉子分かれ」の解説
09_34_0012.pdf



祭文松坂「葛の葉」 伊平たけ(瞽女) 昭和37.9.12録音

https://www.youtube.com/watch?v=o6POsjTEMYA&feature=share

鷹鳥屋神社の森 


佐伯市宇目という住所表示は使いたくない。使い慣れた宇目町が良い。平成の合併で大分県内のほとんどの市町村でで住居表示が変わった。故郷がなくなったと思うのは私だけではないと思います。五月の連休晴れた日宇目町南田原前山に鎮座する 鷹鳥屋社を訪ねた。拝殿奥左手に大きな額が奉納されているが大半が判読不能でした。赤外線カメラが手に入ったので撮影をしてみた所それなりの御利益がありました。もう少し使い慣れてくるともっと良い絵がとれると思います。
  鷹鳥屋 「たかとりや」と読んでいるようだが地元では「たかどや」読む。また町内西山に払鳥屋という地名が
あり同じように「はらいどや」と読む。

鷹鳥屋社拝殿の奉納額 
奉詠 明治参拾貳年稔亥 歌と地名(田代・犬飼・小野市等)と名前が書かれて上下二段で百首の歌がある。、左下に願主 小掠赤水の名が読める。これから読み解きを始めます。


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                                  鷹鳥屋社 拝殿

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通常のカラー撮影

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赤外線カメラで撮影した画像  奉納額


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境内拝殿から 神楽殿と鳥居

鷹鳥屋神社の自然林 県指定天然記念物  昭和60年3月29日指定

鷹鳥屋山(639m)の山頂部に残された自然林で、鷹鳥屋神社の境内林と国有林の一部が含まれている。自然林にはモミ林も一部に見られるがウラジロガシを含むアカガシ林で亜高木層、低木層にはイスノキ、ヤブツバキ、サカキ、ユズリハ、ヒメアリドウシ、ツルシキミ、ハイノキなどの常緑樹の優占度が大きく、サザンカが自生している。草木層には、ヤブコウジ、ベニシダなどがあり、参道にはスギの大樹が並木を作っている。

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朴木の若葉を見上げる


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朴の木の葉です。



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藪肉桂の葉っぱ  葉脈に注目

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藪肉桂の木

観音堂 真弓集落

 鷹鳥屋社の登り口、真弓集落の高台に真弓分校跡があり傍らに観音堂がある。裏手にははアカ樫やイチイ樫等の大きな木が沢山ある照葉樹林の森が広がっている。観音堂の歴史は古く宇目町誌によると天正年間嶋津勢が豊後に侵攻した時、この地にやって来て本尊の観音像を持ち去ったと伝えられていてます。現在の祀られて居る観音様は集落にあったものを納めたと聞きました。お堂の裏手には宝篋印塔もありました。堂内には棟札と思われる木札が二枚有り一枚には中川修理太夫源久眞公 宝暦三酉年(1753年)の年号が読めました。この殿様は岡藩の八代藩主中川 久貞(なかがわ ひささだ)の事です。
 
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観音堂 背後はアカ樫の森

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本尊の観音様

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棟札 年号は昭和と宝暦
 
国道326号線 三重町を過ぎて三国峠の登りにかかる所に内山観音(蓮城寺)がある。
 春は桜、秋は紅葉の名所として知られています。
「蓮城寺」は通称「内山観音」と呼ばれる県下最古の寺院です。 欽名天皇15年(554年)に中国の天台山から渡来した蓮城法師が開山し、 真名野長者(炭焼小五郎) が創建した寺院です。真名野長者とは豊後国に伝わる民話で語り継がれている人物。その長者夫婦の娘が 般若姫 です。

お姫様との出会いは
若い頃、傾山に登るため夜中国道326号線を車で移動中、山中にライトアップされてお立ちになっているお姿を初めて見た時正直驚きました。これは何とよく見ると般若姫様でした。民話炭焼き小五郎の事は知っていましたのでお姫様の名前もすぐ判りましたがそれにしても驚いたなぁ。びっくりぽんでした。
本日の般若姫様は春雨に洗われてお顔がとても綺麗でした。御髪の上に見える角みたいなものは避雷針です。


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般若姫様がお立ちになっている山の裾を旧326号線が通っている。左に行くと内山観音から三国峠方面。
昭和5年11月俳人種田山頭火は宇目から三国峠を越して此処を歩いて三重町に宿泊している。  

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本日小雨のぱらつく中R326号線を県境付近まで南下してお花見ドライブ。山桜も染井吉野も満開、雨に濡れてしっとりとした薄紅の花弁が綺麗でした。

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庭 ときわまんさくの花  

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