宇目郷 温故知新録

子供の頃の記憶を手繰りながら宇目の里を訪ね歩き記録しています。

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長物語に登場するジャガタラお春について
長夜話草 (ながさきやわぐさ)全五巻 西川如見著、享保五年(1720)。
一之巻 紅毛人子孫遠流之事 付ジャガタラ文 が原作ではないかと思われます。
 



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大崩山 小山手本ダキ、ダキのハナト(南端)にある露岩からの眺めは最高でした。ルートは2本有り
通常は谷を遡り県境尾根に続く支尾根の鞍部に上がり南方向に行くと展望台が呼ばれる見晴らしの良い露岩がある。もう一つはクライマーさん御用達の尾根道ですのでお奨めできません。草付きンバンドのトラバースで久しぶりに足下が切れ落ちる光景を目して、お尻がぞっくと冷えました。若い頃小積ダキ中央稜ルートを2ピッチ登ったことがあるがあのとき以来の感覚でした。下山ルートは谷を下降した。初めて登ったオチダ谷や中瀬松谷の風景を思い出していた。あの頃は標識なんてほとんど無くケルンやテープを目印で歩き、山中で登山者の出合うことも稀でした。大分から上祝子の登山口まで10号線を南下して延岡経由でから4、5時間位かかり日帰りなんて夢の又夢の山でしたが、道路事情が良くなり日帰り登山が出来るようになりました。
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露岩から南、鹿川方向


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左から二枚ダキ、象岩(坊主尾根)、小積ダキ、湧塚尾根。緑のドレスを纏うダキの足下に祝子川が流れている。


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横位置、右奥に(鹿納山)「みつがの」が見えている。


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五葉ダキのスラブ、奥に五葉・お姫・鹿納山の稜線




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下降ルート、谷の中には花崗岩の転石がゴロゴロしている。水晶を探したのですが見つからなくて、でも石英は沢山ありました。、ヒメシャラの木が沢山あり渓谷に彩りを添えている。



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大崩山の山中には花崗岩の巨大ブロックが点在している。岩屋とも呼ばれ「若狭の岩屋」がよく知られている。昔は猟師が寝場所として使っていた。利用していたのは人間だけでありません、カモシカ等動物たちも休息、寝場所として使っていました。



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この花崗岩のブロック、小さく見えるが高さは3m余り。



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朝方大崩山荘前の川原で撮った写真。坊主尾根と小積ダキの間にお月様が顔を出していました。
    撮影日は忘れたがフィルム写真だから30年くらい前かな。
暫く山を歩いてなかったので足慣らしを兼ねて山友と二人で玖珠の大岩扇山を歩いた。

森から日出生台に越す大岩扇山・小岩扇山の鞍部の八丁越付近に石畳の参勤交代道があると云うことが
今回の山を選んだわけのひとつであつたのだが調べてみると色々と面白いことが判った。
1,かもしかは佐伯の生まれ。佐伯の殿様は玖珠の森藩から来た由、元々は瀬戸内海の村上水軍(海賊)であったと聞いております。
2,嫁さんと時々別府に入湯に出掛けるのは決まって小倉地区のある照湯(照の湯・閻魔坂)ここは森藩の照湯御普請所があった場所でした。
少し解説すると寛文4年(1664年)、飛び地の速見郡鶴見村(別府市)の照湯にて明礬の製造に成功、享保10年(1725年)に同じ鶴見村にて本格的に明礬生産をおこない、産出量は全国の3割を占め藩の重要な財源となったといいます。

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                 山頂に建っている石碑、豊前坊と刻まれている。

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 種子(梵字)、種子とは
密教において、仏尊を象徴する一音節の呪文。これを梵字で表記したものを種子字という。この種子はカーンと読み13仏(虚空蔵、弥勒、文殊観音など)のひとつ不動を表している。

参考
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豊前坊は大分と福岡の県境にある英彦山にある豊前坊 高住神社の事を指しています。五穀豊穣と牛馬安全を祈って英彦山の見える山頂に石碑を建てたのではあるまいか。

福岡県田川郡添田町英彦山について

 高住神社の主祭神は豊日別命といい、豊前と豊後の国を人格化させた神であるとされる。五穀豊穣、牛馬安全などの国造りの基盤となる農耕の神の一面を持つ。また一説では豊日別命は猿田彦神と同一神であるともされている。しかしこの主祭神以上に有名なのは、日本八大天狗の一人であり、九州の天狗の頭目とされる豊前坊天狗であり、この神社に祭神の一柱として祀られている。神社のある英彦山は九州随一の修験道の修行場であり、その関連から天狗の住まう聖地とされたと考えられる。
 豊前坊は配下の天狗を使って、欲深い者に対しては子供を攫ったり家に火を付けたりして罰を与え、心正しき者には願い事を聞き届けたり身辺を守護したりするとされている。



八丁越にある放牧場入口と思われる鉄の扉は開いたままで草藪に埋もれていた。以前は牛の放牧に利用されていたと思われる。玖珠は豊後玖珠牛の産地で旧藩時代から飼育が盛んでした。

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             山頂から八丁越に向かう。正面は小岩扇山

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石畳 平らな石を敷き詰めた道幅半間程ある。石材は周辺にある凝灰岩(安山岩)を使用している。
昨日の雨で濡れて滑りやすくなっていた。

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                            影の木集落で見かけたお花

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左岸取付路から田代橋。   橋面敷石 橋を渡り左手、右岸沿いに行くと田原集落に通じる(旧道)

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右岸 橋脚部


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中央 要石

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左岸 橋脚部


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左岸 下流方向から田代橋全景  石積みがとても美しい。


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新田代橋左岸 (田代集落側)にある記念碑


北川ダムの建設によって水没したため、幻のアーチと言われている。
湖の影響で水量の少ない時期だけ、水面から顔を出すが、渇水期のみ姿を現す石橋として有名である。
田代橋は沈み橋のため、崩落が始まっていたが、平成13年、(社)大分県建設協会宇目分会7社が、無報酬で修復工事を決定し、3月起工、渇水期の期間限定の中、工事を完成させた
■明治41年架橋  /  佐伯市宇目大字小野市田代 国道326号よりそば
■橋長 38.0m、橋幅4.9m、径間20.0m、環厚70cm
■種類 単一アーチ式
石工は、吉野村(現大分市)の池田庄三郎氏と海辺村(現臼杵市)の平川千代蔵氏です。壁石の積み方は、他の布積みの石橋とやや異なる積み方になっています。左岸の道路脇に記念碑があります。
 出典  佐伯市観光大百科  (http://www.yappa-saiki.sakura.ne.jp/saiki-kankou/miru/post_150.html



軸丸勇先生 逝く

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自宅 書斎にて



白寿のお祝いが終わるのを待っていたかのように6月1日天寿を全うされました。軸丸先生から石造物や宇目の歴史について教えて頂きました。もっともっとお聞きしたかったのに。ありがとうございました。

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