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中学三年生の時5年日記というものを買った。なぜ買ったかはよく覚えていない。受験の苦労というものを書き記したかったからなのかもしれないが詳しくはわからない。ともかく5年日記というものが本棚に居座っている。本来大半が文字で飾られているはずの日記は買ったままの姿をしている。そう、三年近く日記を書くのをさぼっていたのだ。三年生になると日記の存在そのものを忘れていたしもう白紙だらけの日記に筆を下ろす気にはなれなかった。 ところで、朝日新聞の夕刊に柳沢教授というエッセイ風のマンガが毎週水曜日に掲載されている。ある日日記について書いてあった回がありそこに書かれた言葉に感動した。 「たとえ空白だらけでも嘘を書いていても新聞のまる写しでも10年後50年後に見て面白いのが日記である。何故ならそれがその時の”自分”そのものだからである。」 その時私は日記はいいものだなと気がついた。確かに昔書いた日記を読むのは面白い。思い出というのは海馬の中を雲のようにフワフワと漂っていて中々掴みづらい。だからこそ人は昔のことをどんどん忘れていく。でも人はそのフワフワ浮いた思い出にすがりたがる。思い出は生きている証なのかもしれない。そこで日記とか写真とかに人ははまる。これらはフワフワ浮いた雲をまるで風船を掴むかのように私たちの前に出してくれるからだ。 ともかく、日記を書こうと思う。10年後の、20年後の頑張っている自分のために。生きている証を探す自分のために。 長文・駄文失礼しました。
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